ハローワークから世界へ

    初志貫いたランナー


 こんな、傑作なことが起きる。
 しかも、小説の中にではなく、土砂降りのレースの中で。
 7月18日、札幌国際ハーフマラソンが行われた。日本女子トップで競技場に戻って来たのは、一度は先頭から大きく脱落したはずの、実績も、期待も、知名度も何も持たない新人だった。
 野口みずき(21歳、グローバリー)がゴールした時、出迎えたのは、何カ月か前まで、共に「ハローワーク」通いを続けたマネジャー1人である。
「今思えば、あれもいい経験でした。あれがなかったら、こうして走っていたのかもわかりません」
「少し多めにサバを読んで」と、本人も笑うわずか150cmの身長は、あっという間に報道陣の輪に埋もれ、野口はその輪の中で首をすくめていた。
 しかしテーマは、無名選手の衝撃的デビューではなく、スポーツ界にも厳しいご時世を、笑顔で生き抜いたランナーの話である。
 三重県伊勢市出身の野口は、京都にある、女子陸上界では強豪の「ワコール」に2年前入社した。しかし、昨年、同社の方針転換で、陸上部を育て上げ、五輪選手も生んだ藤田信之監督らが、解雇通告を受けた。
 17人の部員にも、残留か退社か、選択が迫られる。
 一流選手なら引き取り手もすぐに見つかる。しかし何の実績もない、無名の、しかも故障でろくに走れなかった選手にとって、寮や生活、練習環境、すべてが完ぺきに整った場所を飛び出すには勇気がいっただろう。しかし、野口は決心をする。
「初志貫徹、でした」
 初志、つまり退社する藤田監督の指導を受けよう、という初志を貫こうと、監督と昨年10月に退社。しかし世の中そんなに甘くはない。志の高さとは別に、行く先も、仕事もない、陸上どころではなくなった。
 京都市内の西陣ハローワークに通い失業保険をもらい、就職先を探す毎日。安い団地で、メンバーとマネジャー五人で1か月約4万円の生活費を出し合い共同生活を始めた。
 食費も光熱費も徹底的に切り詰めなくてはならない。カボチャの皮さえ捨てまいと、キンピラにする。
「ハローワーク通いもしましたし、以前の環境とは、本当に天と地の差がありました。でも工夫と、何よりも陸上への意欲や愛着を、手にできました」
 リストラの時代を生き抜く参考に、とか、災い転じて福、とか、そんな教訓の例にするつもりはない。
 私がただただ惹かれるのは、職安に通い、わずかな生活費をやりくりしながらも、走ることへの情熱を失わなかったスポーツマンの「魂の強さ」である。
 名古屋にある先物取引の会社「グローバリー」が手を差し伸べてくれた。しかし部員はわずか2人だ。
 藤田監督には「選手大募集、と書いてください」と、真顔で頼まれた。
 しかし、そんな必要はないような気がする。
 21歳の女の子が、まるでこの1年を象徴するかのように、レースで見せた粘りと心意気。それに優る宣伝文句など、到底見つからないからである。

(東京新聞・'99.7.20朝刊より再録)

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