11月17日

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陸上

2002東京国際女子マラソン大会
兼 第9回世界陸上競技選手権大会代表選手選考競技会、
兼 第86回日本陸上競技選手権大会女子マラソン
(東京・国立霞ヶ丘競技場〜大森海岸交番折り返し)
気温10.9度、湿度53%

■2002東京国際女子マラソン 結果(タイムは速報値)
順位   選 手 タイム
1 ムラシャニ(タンザニア) 2:24:59
2 松岡理恵(天満屋) 2:25:02
3 ティモフェエワ(ロシア) 2:26:45
4 アレム(エチオピア) 2:29:31
5 橋本有香(天満屋) 2:30:51
6 安部友恵(旭化成) 2:31:12
7 パラドゥスカ(ポーランド) 2:31:17
8 長沼一葉(アコム) 2:33:51
9 小松ゆかり(サニックス) 2:36:34
 来年のパリ世界陸上に向けて最初の国内選考レースとなった東京国際女子マラソンは、優勝候補だった高橋尚子(積水化学)が欠場し、日本人トップで2時間26分突破という選考基準を、誰が最初に突破するかに注目が集まった。

 天満屋の松岡理恵(25歳)は、今大会で2時間22分12秒の大会最高記録を3年前にマークした先輩、山口衛里(天満屋)の記録を狙うと、序盤から積極的にレースを展開しようとした。
 入りの5キロを17分2秒と遅れ、この給水からエチオピアのアレム、タンザニアのムラシャニ、ケニアのチェランガットと4人でペースを急速にあげる。8キロ地点ではいったん遅れかけたが、松岡はここで集団に追いついて、ペースを作る。次の10キロまで16分14秒と、50秒ものペースアップで2時間22分台を狙う速度を取り戻したまま、レースは15キロからチェランガットが脱落して3人に絞られた。16キロ過ぎでは再び2人から遅れかけて、またも立ち直る。
 しかし、20キロからは、勝負にかけたいアフリカ勢のレース展開に合わせるかのように、5キロ17分2秒とペースが落ち、このままリズムを変えることができない。30キロ付近、後半に控える上り坂を前に、重要なポイントでスペシャルドリンクを取ることができずに、この辺りから流れは傾き始めていった。
 松岡は、東京の最大の難関とされる、四谷からの上り坂でも、一時は3メートル近く離されながらも坂を登りきって追いつく驚異的な粘りを見せる。記録でも17分40秒と、それほど大きな落ち込みはなく、競技場へ向かったが、スタジアム手前の40キロ付近でまたも給水に失敗。わずかな動揺が見られたこの地点でムラシャニにスパートされ、そのまま2位でゴールした。

 記録は2時間25分02秒と、選考基準である26分を切り、日本人トップとなったために、これで世界陸上代表へは一番乗りを果たした。松岡はマラソンレース5本目、昨年のエドモントン世界陸上では補欠として急きょ出場を果たして22位だっただけに、今回、アテネ五輪出場権も狙える(※パリ世界選手権メダル獲得で内定と陸連が決定)世界陸上での結果にかけていくことになった。

松岡理恵(天満屋)のレース後のコメント「日本人で1位はとてもうれしけれど、トラックでの勝負に持ち込めなくて残念でした。やはり優勝を狙っていましたので、今は負けてとても悔しい。(先輩の)山口さんからは、メッセージをもらって、それを勝負所の30キロの給水ボトルに貼っていたのですが、ちょっと取りそこなってしまいました(苦笑)。世界陸上に選ばれたら、昨年のぶん(補欠)も精一杯がんばりたいと思っています。もっともっと積極的に五輪を狙うくらいの覚悟でいきたい」

天満屋・武富監督「いい練習はできていたし、3年前の山口のときと比べても遜色はなかったので、ある程度いけるだろうとは思っていた。結果は満足の行くもので、彼女はよくやったと思う。しかし、序盤のペースが遅いときに、少し我慢しすぎてしまい、あのロスが結果的にはもったいなかったと思う。世界陸上では補欠からとはいえ、多くの経験を積んだのだから、来年はぜひ、ここでアテネも決めるというくらいの気構えで臨んでほしいと思っている」


サッカー

日本代表のジーコ監督が緊急帰国
(千葉・成田空港、午後5時)

 サッカー日本代表のジーコ監督が17日、母・マチルデさんの逝去(ブラジル時間16日午前10時、心不全でリオ市内のイタリア−ノ病院にて死去、享年83歳)に伴って、ブラジル・リオデジャネイロに急きょ帰国をすることになり、この日、成田空港を飛び立つ緊急事態となった。20日には、就任以来2試合目となるアルゼンチン戦(埼玉スタジアム2002)を控えているため、マチルデさんの逝去が知らされた16日午後から今朝方まで、監督、サッカー協会の平田GS、技術委員会・田嶋委員長、野見山副委員長が会談を行い、また川淵キャプテンも電話で会談に加わり、最終的に、17日の葬儀、22日のミサに出席することを決断。アルゼンチン戦には帰国せず、山本昌邦コーチが監督代行を務めることになった。
 協会では、日本代表には、明日の集合時に平田GSが説明をし、同時にアルゼンチン側にも直接、話をするとしている。監督は一応27日にいったん帰国するとしているが、代表2戦目で監督が離脱する非常事態の発生に、協会、関係者の動揺は大きい。
 アルゼンチン戦は、選手が喪章をつけての試合となると、関係者は話している。

 マチルデさんは体調を崩しており、ジャマイカ戦直後に、日程に無理をしながらジーコ監督が一時帰国したのは、じつは少しでも母親に付き添うためだったという。ジーコ監督は6人兄弟の末っ子で、小さいころから特に母親にかわいがられ、体の小さなジーコがプロサッカー選手として活躍するのを陰から見守り、誰よりも温かく励ましてくれた、とジーコ監督もよく口にしていた。
 監督は、こうなった事態にも、「メディア、ファン、そして選手にも、紙のコメントではなく、自分で事情を説明してから帰国したい」と自ら協会に申し出て、会見を行うことになった。空港の特別待合室で行われた会見では、監督は「本当にごめんなさい。みんな(代表)を信じている。どうかいつも通りがんばってほしい」と肩を震わせ、号泣した。

◆ジーコ監督の会見でのコメント
(会見は、出発の時間が押し迫っていたために、質問はなく、監督が自ら心境を説明した)
「今、私の置かれている状況は、誰一人として望むべきものではなく、本当に辛い。自分がこうしてここまでやってこられたのは、すべて、母、両親のお陰だった。こうして急きょ帰国することになって本当に申し訳ないと思うが、今はこの心の痛みを兄弟たちと分かち合いたい。協会にもこうした決定をしてもらい、選手、サポーターのみなさんにもスタッフにも本当に申し訳ない気持ちで一杯だ。ただ、私はスタッフを、選手を信じている。自分がいるときと同じことを、みながやってくれると期待している。言葉でうまく表現できずにすみません。過去に、父と兄も亡くしたが、その時は自分が最後までそばにいることができた。でも今回は、母の近くにいてあげられなかったことが、自分の仕事はわっていても、とてもつらい。いくら、プロ意識に徹しているといっても、今の自分の心理状態では、チームにマイナスの影響を与えてしまうだろう。だから、今回の私のことはあくまでも個人的な問題であり、代表チームには影響しないように、みんなにお願いしたい。最後になりますが、協会のみなさんを始め、多くの方々にお詫びします。
(ここから日本語で)選手のみなさんがんばって、(会見に出席した記者たちに)本当にありがとうございました」


「取り替えのきかない2つのもの」

 物事の優先順位を決定するのに重要な判断基準のひとつは、「互換性があるかないか」だろう。自分でなければならないという、いわば取り替えがきかないか、または、誰かによっても互換性があるか、によって大概のことは判断できる。
 しかし、最愛の母の逝去と、代表監督として自らが欲したアルゼンチン戦の指揮を取ること、この両方とも替えがきかない、とてつもなく重い2つの事柄を、監督は一晩で決断しなくてはならなかった。

 会見では、長年の付き合いがある野見山副委員長、平田GSと、出席していた関係者がみな貰い泣きをするほど、ジーコ監督は動揺し、さらに子供のようにしゃくりあげて号泣した。
 GSによれば、話し合いは朝方までかかり、ジーコ監督自身「自分のプロフェッショナル意識というのがあって、それは、こういう事態でも指揮を取る、という判断である。どうか、協会として判断してほしい」と意向を伝えたという。しかし、「ジーコの本当の気持ちを最大限尊重すべきだ」と川淵キャプテンが決断を下し、帰国し、葬儀に参列(実際には、葬儀には間に合わない)することになった。また、悲しみのなか、山本コーチには、技術委員会を通じて伝言をし、戦術の話、選手起用などもすべて話をしたという。

 選手には、「信じているからがんばってほしい、と伝えてほしい、と言われている。アルゼンチンにも話をすることになるが、同じラテンとして、理解していただけると思う」と、GSも涙ながらに説明をした。
 監督を代行することとなった山本コーチは、予定していた日程すべてをキャンセルし、明日からの合宿に入る。選手への影響、また興行的なマイナス面や世間的な反響は十分承知で、ジーコは母親を選んだ。
「誰もがサッカーなどできっこない、ましてやプロなんて、と言っていたとき、母だけは、私の力を信じ励ましてくれた」とジーコ監督は話す。会見は10分程度で終わり、立ち上がったジーコ監督はまた号泣した。

山本昌邦コーチの話「監督にお悔やみを申し上げたい。アルゼンチンは素晴らしいメンバーで来日するが、代行としてジーコ監督の考え方を引き継いで自分なりにがんばりたい」



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