4月9日


全日本女子柔道体重別選手権兼シドニー五輪最終選考会
(横浜・文化体育館)

 シドニー五輪最終選考会となった女子柔道の体重別選手権で、大会10連覇もかかっていた48キロ級の田村亮子(トヨタ)が、決勝で稽古相手でもある濱野千穂(東和大4年)に優勢勝ちを収めて優勝。田村は、昨年左小指を骨折、またこの大会の前にも右手薬指を捻挫しており、組み手の威力がまったく失われてしまった状態での苦しい戦いの中、代表の座をつかんだ。
 また昨年世界選手権で優勝を果たした52キロ級の楢崎教子(ダイコロ)も決勝で猿渡夏子(ミキハウス)を下して優勝を果たし、2度目のオリンピックとなるシドニーの代表に決定、ミセスが五輪代表になったのは女子柔道では初の快挙となった。
 70キロ級では天尾美貴(コマツ)がドイツ国際など国際舞台での実績がある上野雅恵(住友海上)に勝ったものの、選考からは漏れ上野がシドニー代表となった。
 田村はこれで対日本選手に94連勝、国内試合では114連勝としバルセロナ五輪以来3度目の五輪出場を果たし、念願の金メダル獲得にいよいよ本格的に動き出すことになる。女子柔道代表の合宿は5月6日から、九州熊本で行われる。

 各階級の優勝者と五輪代表

48キロ級優勝・田村「こうして10連覇できたことが本当にうれしい。アトランタが終わった瞬間からシドニーへの準備が自分の心の中で始まったので、今はこれでいよいよ本番なんだ、という意気込みです。4年前と今ではさまざまな点で違いがあります。ただ、社会人になったこともありますし、責任というものをしっかりと受け止めて行きたい」

52キロ級優勝・楢崎「このたびシドニー五輪代表にこうして選ばれたことは本当に大きな喜びです。アトランタで銅メダルを獲得した後、2年くらいのブランクがあって、悩むこともあった。けれども今こうして競技に戻ってくることができたことがうれしい。自分の力を出せずに終わった4年前の課題を何とか克服したいと思っていますし、メダル獲得には当然のことながら、現状維持ではとても無理だと思っています。5ケ月で体を作り直したい」

63キロ級優勝・前田桂子(筑波大3年)「昨年の世界選手権優勝で五輪出場枠を自分自身で獲得したのだから、なんとしてもきょうは自分が勝って五輪に行くんだと、言い聞かせた。昨年から辛いことが続いた(父の死去、ひじの故障)けれど大学で山口先生(山口香)から言っていただいた一言ですべてがふっきれた。山口さんには、『負けることを怖がっているからいけない。辛い気持ちから逃げても何もならない』と励まされました」

70キロ級優勝・天尾美貴(コマツ)「勝ちましたが、試合内容が全然良くなかったと思うと悔しいです。去年一年間でも対戦しているし、上野さんが大きな存在だった」

70キロ級シドニー代表上野「負けてしまったにもかかわらず代表になってしまって複雑な気持ちです。決勝では気持ちが自然と後ろ向きになるような、私の悪いところがすべて出た試合でした。オリンピックに向けて何とか立て直したい」

78キロ級優勝・阿武教子(警視庁)「アトランタでは(1回戦1本負けで)30秒も畳に立っていることができなかったので、シドニーでは絶対に30秒以上は(笑い)立っていることを目標にします。自分の中では4年後はもうありませんから、これが最後、の気持ちでかけます」

78キロ超級優勝・二宮美穂(コマツ)「あと2週間あるので緊張感を保って行きたい。シドニー五輪の代表になる前に、気持ちをまずピークに持っていけるようにしたいと思う」(※代表は4月23日の全日本女子選手権で決定する)

57キロ級優勝・日下部基栄(福岡県警察)「この階級だけが今のところ蚊帳の外という感じなので、なんとしても代表の座は確保したいと思います。喜ぶのは、その後にします」(※この階級だけはまだ五輪出場枠そのものが取れていないため、アジア選手権でアジアからの枠確保に挑む)

「握力半分での勝利」

 左手小指と、右手の薬指──どちらも柔道で相手の襟を掴む上でのいわば「生命線」ともいえる2本の指を、田村は使うことができなかった。小指は昨年の福岡国際女子柔道で決勝中に骨折、そして薬指は先月16日、捻挫のような恰好となったがレントゲンはとらずにこの試合に挑んだ。
「今の状態なら70%。ほかの部分でカバーして、120%でやってみせます」と試合前は話していたが、現実は、120%どころか実際に握力が50%しか使えないような状態だった。
 練習を本格的に始められたのはわずかに1週間前。練習相手を務めている大野氏によれば、「これまで一緒に練習をしてきた3年の中でも、今回が一番きつかったはずです。小指が使えなければ、握力はないに等しい。測定したときには、田村さんの普段の半分しか数字のない握力でした。また薬指は、たいしたことありませんと言っていましたがそういう状態ではなかった」と闘志の陰に潜んでしまう痛みとの戦いを明かした。
 テーピングをする位置を練り、固定する形で補強はできる。痛み止めも打てる。しかし、小指と薬指を使えないことで、握力は半分にも満たない状態に陥る。「わかっていたことでした。だから、この1週間、この半分の握力でどうすれば戦えるかをイメージして、下半身の力を鍛えるなどしてきました。その点ではイメージ通りでした」田村は説明する。
 田村の力が衰えたと指摘する声は、むしろ柔道界に多い。3度目の五輪で悲願の金を狙うことに関してこの日も、「得意の背負い投げが完全に取り戻せるまで、果たしてシドニーに間に合うか」という声もあった。
 しかし、わずか3ケ月で2度にも渡る指の怪我を経験したことによって、田村は「勝つ」ことだけではなく、「負けない」ことへの技術的アプローチに挑み、結果を出したとは言えないか。
 会見が終わり、田村は「ちょっと顔、洗ってきます」と報道陣の輪から離れて笑顔で洗面所に駆け込んだ。そこで、初めてテープ全てを取った指を見せてくれた。左小指は外側に依然大きく曲がり、紫色に腫れ、薬指は「関節もやられてますよね」と本人が苦笑するほど、2箇所が大きく歪んでいた。
「痛かった。きょうの試合、敵は相手じゃなくて、痛いと思う自分でしたね。それを思わないように戦った4分でした」
 水道の蛇口をひねるにも顔をしかめ、冷水で顔を静かに洗った。
 テープを取った解放感と痛みから、しばらく洗面台に手をついたまま動くことができなかった。

「4分間を取り戻しに」

 柔道初のミセス代表となった楢崎は、文句なしの内容で圧勝した。
「代表に文句なくなるためには、相手に付け入る隙を与えない柔道をして圧勝しなくてはならなかったので、最初は緊張もしましたがほっとしました。4年は長いようで、あっと言う間でした。アトランタで見つけた課題を克服したいと思います」
 落ち着いた表情で会見に臨んだ。
 克服すべき課題とは……。
 アトランタは菅原姓で銅メダルを獲得。楢崎兼司氏と結婚し、引退を決意し「何の不満もなかった」という幸せな結婚生活を楽しむはずだった。
 しかし、アトランタでの敗戦をふと振り返ったとき、ライバル、ベルデシアに4分間ずっと主導権を握られたままだった。攻撃をかけているようで、じつは後手に回り、自分には攻撃的な姿勢を貫く精神力も技術もなかったことが悔しくてたまらなくなった。柔道家としてのプライドであろう。
 2年のブランクを超えて復活。山口香・全日本コーチも「今の楢崎は金メダルの確率がもっとも高い。集中力、落ち着きといったものがすべて備わっています」と話す。
 地元の期待や、周囲の声援、それらにもっともいい形で恩返しできるとすればメダル獲得である。プレッシャーやいい意味での義務感を背負い、楢崎はそれをもう果たした。だからシドニーの4分間は、自分の理想との戦いになるはずである。
「私がこうしてまた競技をするために畳の上に戻ってこられたのは、会社のみなさん、先輩、後輩、友人たち、すべての方々の励ましあってのことですから」
 会見でそう話したとき、ご主人・兼司さんの名前は入っていなかった。言うまでもない、ということだ。

BEFORE LATEST NEXT