1月25日


前園真聖湘南ベルマーレ入団記者会見
(平塚市大神、クラブハウス)

25日、川崎からの1年レンタル契約を結んだ前園真聖。背番号は10番となる見込み(隣は加藤久監督)平塚市大神のベルマーレクラブハウスで。(撮影・MM)
 97年、川崎でプレーして以来、ブラジル−ポルトガル−ギリシャ、とクラブを転々とした前園真聖(26歳)が、J2の湘南へ1年のレンタル移籍をすることが正式に決定した。
 前園は昨年、ポルトガルへの移籍に望みをかけて渡欧したが、その後話は消滅。次に渡ったギリシャでは、契約を締結する寸前まで行ったものの条件が合わずに結局、今年に入って、川崎側に、自ら「Jリーグでプレーをしたいので、移籍リストに載せて欲しい」との希望を出していた。これを受けた川崎が18日移籍リストに掲載したことから、立場上は自由契約選手となり、レンタル料も派生しない格好での移籍が可能となった。
 形式上では、川崎と一度契約を交わし、その上で川崎から湘南に1年でレンタルをされる。契約金については明らかにされていないが、「うちも(平塚)、本人も、ヴェルディも我慢をした金額で折り合った」と、湘南の小長谷喜久男社長は言明。ヴェルディ側からのレンタル料はなく、チームでも最高年俸ではないとされる。また、背番号については決定はしていないが、これも10番をつけることになり、主将も検討される。
 前園は26日午後、大神のグラウンドで行われる練習試合(帝京三高)でユニホームを着た初プレーを披露することになっている。

加藤監督の話「中盤の核となる選手が欲しかった。前園とはアトランタ五輪の時からの(加藤氏は協会強化担当だった)付き合いでもあり、彼が移籍リストに載った際にすぐに電話をしてウチでやってくれないか、と頼んだ。しかしJ2でもあるし、もっと高い水準でプレーできるので断られるかと思ったが、彼は今とにかくプレーをすることが大事という考えを話してくれた。ここまで大変だったとは思うが、伊達に苦労はしていないということだと思う。選手には常に競技生活の波がつきもので、自分でどんなにがんばっても這い上がれないことがある。彼もそういう時期にいるだけで、人間としての幅を広げた個々までの2年がステップになると信じているし、もし彼が今35歳とか36歳なら取らなかっただろう」

前園の一問一答(会見から抜粋)

──練習をしてみた印象は?
前園 初日なのでまだ名前も分からない状態だったので詳しい印象は持っていない。ただ、みな若い選手で伸び伸びとやっているように見えた。
──この移籍について中田選手は何か言っていますか?
前園 今回の件、というのではなくて普段から話はしているので、これでどうというのはないです。
──移籍を決意した理由と抱負は?
前園 自分は今何よりもプレーをしなくてはならないという気持ちでいたし、それを理解してもらえた。とにかく自分の原点に戻ってプレーをしたい、そういう気持ちからだった。抱負は、自分ができることをチームに伝えていく、それしかありませんし、何よりも結果が問われる(J1への昇格)ことなので結果を出していきたい。体力的には問題ないと思うが、試合は昨年の6月から紅白戦などだけなので実践の感覚がどうかこれからの課題になる。
──海外に行ってからと、行く前では何が一番変化したのか?
前園 一言でそれを言うことはできないけれど……。とにかく原点に帰りたいし、サッカーをやりたいという気持ちが今は強いということ。
──監督は30点をアタッカーとして取ってくれ、と言っていましたが?
加藤監督 それは話の流れの中で言ったことでノルマじゃない。
前園 得点に絡む仕事をしたい。
──J2には、司令塔としてのライバルといわれる人(小野伸二)もいますが楽しみな面はありますか?
前園 J1、J2は関係ないですね。J2だからうまくプレーできると保証はないし、必ずしも上に行けるわけではない。戦っていくのはどこでも同じだし(J2でのライバルとか)そういう考え方もしない。

「背水の陣、ではない」

 それはどことなく不思議な光景だった。
 96年、ブラジルを破ったアトランタ五輪では並んで、いやむしろ先を走っていたはずの「天才ドリブラー」と言われたMF・前園と、その頃はまだまだどこか遠慮がちなプレーをしていたMF・中田。あれからちょうど4年が経過し、またもオリンピックイヤーが巡って来た時、立場はまるで入れ替わっていた。
 そして、2年で5つのクラブを渡り歩き、6つめにようやくたどりついた前園の背中には、親友が買った広告のロゴが張られている。
 広告主と、そこでプレーする選手と、こうした光景はもちろん、少し前には考えもつかなかったものである。
 前園は「今はとにかくプレーをしたい。この冬は、体だけはいつでもプレーできるように作って来たから大丈夫。いけといわれれば、いつでも(練習試合など)行けると思う」と、正式な契約書にサインを終えた後話した。
 中田の広告を背負う件についても、「特に感想はありません」と、淡々としていた。
 アトランタ以降の低迷については、加藤監督がこんな解説をする。
「つまりどんな選手にも波がある」
 監督は、前園の低迷の原因を尋ねると「波」を強調した。
「例えば、フランスW杯でMVPとなったジダンは昨シーズンは散々だった。今年になってなんとか持ちなしてはいるけれど、あれほどのレベルでも、むしろ高いレベルだからこそ、波の幅も大きいものだ」と、監督は言う。前園も、今は波に翻弄されているだけで、泳いでたどりつくべき岸が見つからなかったのかもしれない。
 移籍リストに前園の名前が載ったとき、かつての川崎では、監督として前園を満足に使いきれていなかったという監督自身が、「岸」になることを決断し、それを湘南の上層部に伝えている。新しい岸がかつての監督ならば、荒波の中、岸までのボートを出し上陸させたのが親友ではないか。
 年俸は明らかにされていないが、チームの最高ではなく、3000万円をもらう選手がいないクラブでは、かなり抑えられた額には違いない。
「条件とかを考えないわけではなかったが、今は自分の原点を取り戻したい。その一心で加藤監督にお願いをしました」
 原点という単語を、前園はこの日、何度も何度も繰り返した。
 前園を横浜フリューゲルスに誘った加茂監督(現京都)は以前、「あの子は、今の若い子の中にはまずいないタイプなんだ。なぜならハングリーということを体で知ってる子だから」とよく話していた。
 そのハングリーさを失いかけたときに、前園はそういう気持ちを取り戻すために海外を選んだ。選んで結局はどこでも通用しなかった。
「この2年で学んだことは一言ではとてもいえない」と話したが、結局、環境を追い求めたとしても、自分本当の意味で立て直すことはできない、「ハングリー」であることは、場所や環境を問わないものなのだ、ということを彼は恐らく言いたかったのだ。
 そして、それこそが自分の「原点」であるということも。
「結局どこでも自分次第」という当たり前すぎる収穫を得るには、多少時間がかかったかもしれない。しかし、無駄ではなかったし、まだ26歳である。
「今回の移籍は背水の陣、というくらいの覚悟ですか」と報道陣から質問を受けた。
「いえ」
 前園は笑った。
「いえ、まだ26なんでね、そんなことはない」
 甘い考えではないし、これでいいのではないか。
 26歳のアスリートに悲壮感などまだまだ似合うはずもない。今回与えられた任務ほど、つまり未経験の若いチームをJリーグに引っ張り上げる、この任務ほど、彼の原点にふさわしい仕事もない。

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