別冊 :カブ馬鹿日誌


「カブ吉」こと塚原 と ポール鈴木

98年3月初旬:

会社の隣の席にクワガタマニアの鈴木氏(別名:ポール鈴木氏)が今年の1月から座っていて、事あるごとにクワガタの話をし始めるが、鈴木氏の方が私より先輩であるため、あからさまに無視もできず3ヶ月を過ごしてきたが、決算にさしかかったある日、彼が急に「塚原君、明日からここでクワガタを飼う事にしたよ。」 と訳のわからないことを発言し始めた。


このオフィスは98年1月に新築された22階建ての自社ビルであり、ワンフロアに100人程の社員が働いている環境の中で、このような無謀な発言である。当初は冗談だと思っていたが、なんと翌日ネスレー・ゴールドブレンドの中瓶に「昆虫飼料研究所」のマットに入れたサキシマヒラタ幼虫を持って現れた。当初は2齢幼虫のため全く姿を現さず、会社の机の上に置いても彼にとっても妙味がない様であった。


日頃から変人視されている(?)クワガタマニアのポール鈴木氏は仲間を増やそうと毎日のように「塚原君も机でクワガタを飼わないと〜!」といいながらも、よりによってコクワガタの瓶をさし出すが、私にとってあまりに興味がなかったので断り続けていた。
ある日、あまりにしつこいので 「カブトムシならいいですよ」 と冗談で行ったところ、翌日なんと同じネスレーの瓶の中に、クワガタに最適なはずの昆虫飼料研究所のマットに6〜7センチ程に育ったカブトムシの幼虫をを入れて持ってきた。クワガタの黄色い頭とは違う私の使い込まれた息子のように黒々としたその頭、ぶよぶよとした白く純真無垢な段々腹は、私に森林へ夜な夜な攻め込んで行った少年時代の懐かしく思い出させた。 


私には高校生のときに幼虫から飼おうとして全部死なしてしまった暗い過去があり、ここまで幼虫を大きく養殖した鈴木氏に対し尊敬の念を禁じ得なかった。そこで彼にカブトの幼虫の養殖の仕方を伝授してもらう事となった。
彼は元来クワガタマニアであるが、団地のガキ共に優しいおじさんと思われる為にクワガタの残った木屑とマットでカブトを養殖し配っているらしい。小型の衣装ケース2個に100個程の卵や幼虫を入れ、超過密状態でクワガタのお下がりの粗末な餌、と言う劣悪な環境で育てられているらしい。クワガタは1匹1匹個室のマット瓶または菌床瓶を温室にいれて大切に育てられているのに、カブトは雨ざらしのベランダで半年に1回ぐらいしか蓋を開けないらしい。カブトマニアには許せない扱いである。カブト1号と名付けられたその幼虫は激しく瓶の中を縦横無尽に動き回り、私が使っているパソコンの横に置かれた瓶の中で、私の目を釘付けにしてしまい、仕事に集中できない日々が続いた。カブトの幼虫は瓶の表面を自分の体をアピールするかのごとく動き回るが、鈴木氏のサキシマクワガタの幼虫は全く姿を現さない日々が続いた。クワガタを机で飼っても妙味なしと言う事の証明であった。

カブト1号だけでは寂しいのでもう1匹下さいと鈴木氏に依頼したところ、安いネスレーの瓶に違った種類の餌に入ったカブト2号を持ってきてくれた。昆虫飼料研究所のマットは高いらしいので、今回からいままでの劣悪な餌の中に入れて持ってきた。やむを得ずそのままで飼っていたが、カブトムシの習性なのかよく上方に登っては瓶の蓋をかじってガジガジ言わせている事があり、その時を待っては蓋を開け、幼虫を取り出してはいじると言う行為をしては楽しんでいた。(仕事中にでも)。
指でつまもうとするとぐにゃぐにゃの体の筋肉をグーと弛緩させ、何ともいえない手触りになったり、頭のクワと両手(?)を広げて「クワー」とでも言いたげに威嚇をしたりするが、最後には糞をしてしまうところがかわいい。

4月8日:池袋に「わくわくランド」というクワガタ専門店があるので行こうと鈴木氏が私を誘ってきた。
昆虫飼料研究所のマットを購入するため、飲み会の帰りに雨の中をわくわくランドに向かった。入店していきなり鼻をつくクヌギの匂い。そこはまさにマニアのための別世界であり、いけない所に来てしまったような気がした。正面にある菌床瓶の棚。その隣には緑色の小ケースが100個程並び、狭いケースの中に私が生まれて始めて見た巨大オオクワガタがペアで入っていた。様々な種類の大小のクワガタムシ達。法外な値付け。いったい誰がこれらのクワガタを何万円も出して買うのであろう。

鈴木氏は夢中でケースを覗き、店員の許可を得ずに勝手に虫をいじっては「でけーなー」と叫んでいる。
いかにもマニア臭い気の弱そうなバイト風の店員は、見てみぬふりをしているのか、それともマニア同士心が通じ合っているのかわからないが何も言わない。そのうち鈴木氏は大王ヒラタを見つめては店員に向かって「大王ヒラタってクワガタの中で一番かっこいいですよねー」と話し掛け始めた。いかにも買いそうもない客に話し掛けられて忙しそうな店員は迷惑そうであったが、近くにいた初心者風の客がその大王ヒラタの幼虫ペア(12,000円!!)を鈴木氏の話につられて買っていたのには笑った。

マット売場にはミタニ社製のいかにもうさんくさそうな安物マットがあったが、迷わず昆虫飼料研究所のマットを持って「これはカブトムシに使えますよね」と店員に聞いたところ、カブトムシにはもったいないからもっと安いのにしなさいとたしなめられた。客が高いマットを買うと言っているのに安いマットを薦めるとはなんと良心的な店だろうと思ったが、70mmオーバーのカブトムシを養殖するため、店員の反対を押し切り昆虫飼料研究所のマットを3袋購入した。

翌日会社にマットを持ち込み、餌の入れ替えをした。これでカブト2号も高級な餌を毎日食べられるようになったと安堵した。が、その餌替えの時事件は起こった。

私が昼休みに餌替えをしているのを見ていた鈴木氏は、自分のサキシマヒラタにも餌を補充したいと思ったらしい。
人が食事をしていると腹をすかせてしまう者はよくいるが、彼も餌替えを思い付いてしまった。まず幼虫を取り出そうと鈴木氏がマットを全部取り出そうとしたところ、幼虫は抵抗し木屑にしがみついていた、鈴木氏が無謀にも激しく瓶を振って幼虫を振り出したところ、なんと出てきた幼虫から体液が染み出していた。鈴木氏はその今にも命の灯が消えようとしている幼虫を見て、己の愚かさを悔いながら、幼虫を持ってひざまずいて呆然としていたが、昼休みが終る前に机の周りの木屑を掃除しようと思った私は「鈴木さん掃除機かけるのでどいて下さい」と掃除機をかけた。

どうやら鈴木氏にはクワガタ飼育はむいていないらしい。去年も蛹から羽化したての70mmオーバーのオオクワガタを無理矢理菌床瓶から取りだし、持って歩いているうちに床に落としてしまい、内臓が破裂して死んでしまった。

オオクワガタもいい迷惑である。

別冊 カブ馬鹿日誌第一話完 (6月号に続く)


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