小説「名探偵・桑形孝三の事件簿」 その6

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偏屈堂はゆっくりとした口調で、説明を再開した。

「バナナとストッキング、これで昆虫採集だな、と目鼻を付ければ大よその話が見えてきます。部長さんとの会話に出てきた・・・ええっと、サキシマとツシマでしたっけ? 真夜美さん」
「・・・はい、咲嶋さんと津島さんです・・・」そういって女は俯いた。
「いやいや、決して『さん』付けする必要なんてありませんよ、相手は昆虫です」
「ええっ!?」私は驚きを隠せなかった。「咲嶋」や「津島」が人の名前ではなかったとは−−−−−。偶然の一致とはいえ、何という都合のよさなんだろう−−−−−。
「まぁ後にヒラタも出てくるんですけど、貴女はこれをずっと人の名前だと思っていたんでしょうが・・・これはヒラタクワガタの種類なんですよ。サキシマヒラタ、とかツシマヒラタ、とか。『本土』ヒラタとか言ってくれればもっと分かりやすかったんですけどねぇ」
「・・・じゃあミヤマというのも・・・」私がおそるおそる尋ねると、
「間違いなくミヤマクワガタの事だろうね」偏屈堂は即答した。
桑形探偵は思案げに天井を見つめていて、何か口をはさもうとしたがもう一度天井を見上げ、「ミヤマね・・・」と呟いた。
「だから鉈を持っていたのも不思議でもなんでもなくて、木を崩したりするのに使用するんですよ。で、寝言のアレ、何でしたっけ。物凄く傑作だと思ったんですけど・・・ 」
笑いを堪えられないのか、偏屈堂はお腹を押さえながら涙眼になって尋ねた。
私が、
「『ちゅうけん』というのと『渋谷ならシガ』ですよ・・・」と言うと、
「そうそう、それ。クワガタマニヤにとって、『ちゅうけん』といえば『忠犬ハチ公』 の『忠犬』でなくて、『虫の研究』の『虫研』なんですよ。まぁ端っから『ムシケン』 と読んでいてくれたら楽だったんですけどねぇ。そして『渋谷ならシガ』というのは、志賀昆虫普及社の事ですよ。クワガタファンにとっては、『梅に鶯、渋谷に志賀』みたいなもんです」
「なるほど・・・全てクワガタ絡みだったわけだ・・・」私はここまでくると感嘆するだけになってしまった。旦那の奇行が全てクワガタだったとは・・・。
私はハッと気付いて、尋ねてみた。
「・・・じゃあ、里子の話も・・・?」
「恐らく幼虫を頂く話だろうね。その事を『里子をもらう』とか、逆の場合だと『里子にだす』とかいうんだよ。クワガタ愛好者のなかでは全然普通に行なわれていて、インターネットのクワガタ掲示板等でも」
「・・・ちょっと待って!クワガタ掲示板なんてあるのかい!?」
「君は何にも知らないなぁ。兎に角何でもあるんだから。その気になって探せばオトシブミ掲示板なんてのもあるかもしれないし」
「オトシブミ、って何なのだい?」
「本当に君は何も知らないなぁ。説明してる暇は無いよ。で、そういったクワガタ掲示板などでも、よく『里子もらってください』という書き込みがあるんだよ」
「紛らわしいんですね・・・」女が口を開いた。表情は心なしか明るくなったようだった。
「クワガタ掲示板のオフ会などではビール置いてる横に外人さんクワガタの幼虫を置いたりするからねぇ。しかも『クワ』とか『ノコギリ』とか『是非里子に頂きたい』とか物騒な会話を店員さんは聴かされるんだから、ある種隔離空間の雰囲気が漂うんだよ」

「なるほど・・・じゃあ、『きんしょう』ってのは何なんだい?」
「ああ、それはバイ菌とかの『菌』に、『床上手』の『床』って書くんだよ。それで『菌床』。クワガタ幼虫の飼育に敵していると言われるマット、つまり幼虫の餌だね。少なくとも筋肉少女帯のことではないよ」

<6月号に続く>


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