サイエンス講座:昆虫生理学
科学される昆虫たち! by 大外一気
第2回 ホルモンと昆虫について その2


はじめに

どうも、大外一気です。
ほぼ一ヶ月の間が空いてしまいましたが、前回の話の内容を憶えていますでしょうか?
少しだけ復習としてホルモンの定義を挙げておきます。

1 体のある特定の組織で合成される化合物のこと。
2 その組織から直接血液に(体液に)放出されるもの。
3 血液(体液)により運ばれ、その体の他の組織に働きかけるもの。
4 極微量でその特徴的な生理活性を示すもの。

でしたね。

さて,以上をふまえて今回はホルモンと昆虫の変態との関係について話を進めてみたいと思います.
昔から,ホルモンについての知見の多くは主に脊椎動物から得られていました。 昆虫などの無脊椎動物のホルモンの研究は,脊椎動物の結果を元にして進められましたが,昆虫ホルモンの研究はひとたび弾みがつくと

(1)脊椎動物と比べてライフサイクルが短いこと
(2)体の構造が比較的シンプルであること

などの理由に素晴らしい発展を遂げました.
もちろん、その過程には多くの難題があり,それをクリアーしてきた研究者の努力の成果であります.
生物のからだには非常に多くのホルモンあるいはホルモン様物質というものがありますが,実際に昆虫のからだのなかではどの様な働きをしているのでしょうか?
今回取り上げる3つのホルモンは昆虫の成長を制御しているものです。 これらのホルモンが分泌されるのは幼虫期、蛹期および成虫期です. 幼虫たちは、これらのホルモンが作用することにより加齢して蛹になったり,羽化をしたりします. また成虫期では,生殖可能になるための性的成熟もこれらのホルモンによりコントロールされていると考えられています。 それでは次に、各ホルモンとその作用についてまとめてみましょう。

ホルモンと成長

脱皮ホルモン(エクダイソン)

カイコに登場してもらいます。
カイコは、一齢幼虫から四回脱皮を繰り返すと終齢幼虫となります。 それから約一週間ほど過ごすとマユを作るために糸をはきはじめます。 そして、体は縮み(クワガタと同じですね)脱皮(蛹化)をして蛹となります。 ここまでに脱皮という言葉を三回使いましたが、この脱皮はいずれもエクダイソンと いうホルモンの作用によります。 エクダイソンという名前は、脱皮(ecdysis:エクダイシス)という言葉に由来します. また,エクダイソンは前胸腺という頭のちょっと後ろ側の胸部にある組織で合成されていま す。

ここで、理解を深めるために興味深い実験をひとつ紹介します。
カイコの体をいろんなところで,死なない程度にかる〜く糸で縛ってみたらどうなるでしょうか?

1 頭のすぐ後ろ(人でいうなら首のあたり)で縛った場合
2 胸部と腹部の間で縛った場合
3 腹部の中頃で縛った場合

全く体を縛られていないカイコ(これをコントロール(対照)実験といいます)が蛹になったとき、

1 は頭部より後ろ側の全てが蛹になります。
2 は頭部から胸部にかけて蛹になりますが腹部より後方は幼虫のままです。
3 は 2 と同様に頭部から腹部中頃までの蛹とそれより後方では幼虫というようにな ります。

どうして幼虫と蛹のハイブリッド(合いの子)ができたのでしょうか?
飲み込みの良い方ならもうお解りでしょう。 要は、前胸腺を含む部位は蛹に変態し、それを含まない組織は幼虫のままなのです。 それは何故かというと,前胸腺を含む部位はエクダイソンの働きを受けますが、縛られている部分より後ろはエクダイソンが行き届かないために脱皮できないのです。

すなわち,

1 では頭部のすぐ後ろ側を糸で結んだので前胸腺を含む後方は蛹になります。
2 および 3 は縛ったところが胸部より後ろ側です。
胸部を含む前方はエクダイソンの作用を受け脱皮しますが、結び目より後方はエクダ イソンの作用を受けられないため脱皮しないわけです。

繰り返しになりますが、エクダイソンは脱皮(加齢)させるホルモンです。

幼若ホルモン

次に幼若ホルモンの登場です。
このホルモンは字が示すとおり幼く、若いままでいるようにするホルモンです。
女性にとっては夢のようなものではないでしょうか。
このホルモンの働きは先に説明しましたエクダイソンと全く反対で、幼虫を幼虫のままでいさせようとするのです。
幼若ホルモンはアラタ体という脳のすぐ近くにある組織で合成されます。

それでは,若齢幼虫のアラタ体を取り出してきて終齢幼虫に移植するとどうなるでしょうか?
なんと、普通は蛹になるはずの終齢幼虫はもう一度脱皮してさらに大きな終齢幼虫となります。
普通,終齢幼虫は体内に幼若ホルモンをほとんど持っていません。
しかし、若齢幼虫のアラタ体が移植された終齢幼虫のからだには,無いはずの幼若ホルモン が存在しますので、幼虫は間違えて加齢してしまうのです。

逆に若齢幼虫のアラタ体を除去してみると、終齢幼虫をすっとばして小さい蛹になり ます。
通常の若齢幼虫は終齢幼虫となるはずです。
しかし、この幼虫では幼若ホルモンを合成・分泌するはずのアラタ体が取り除かれてしまい,幼虫は自分があたかも終齢幼虫であるように勘違いします. だから、幼虫であることをやめて蛹になるわけです。
したがって,アラタ体から放出される幼若ホルモンは,幼虫をコントロールしできるだけ若い状態に保つ働きを持っているのです。

脳ホルモン→前胸腺刺激ホルモン

最初に昆虫の成長・脱皮・変態を制御するホルモンとしてエクダイソンを紹介しまし た。
このホルモンの有無が幼虫を脱皮させるか否かを決めることもおわかりいただけたでしょう. また,幼虫は自身が変態に適した時期でなくても,仮に間違ってホルモンが分泌されたり,なくなったりしただけで変態してしまうということもおわかりいただけたと思います.
昆虫がしかるべき時にしかるべき状況で間違いなく変態するのはどうしてでしょうか?
実は,ホルモンをコントロールする別のホルモンがあります.
前胸腺でのエクダイソンの合成・分泌の制御は、ペプチド性の脳ホルモンと呼ばれるものにより行われています。
ペプチドとは、あまり聞き慣れない単語だと思いますが、簡単にいうと小さいタンパク質のことです。
タンパク質やペプチドは,基本単位であるアミノ酸が重合した有機化合物です。 ペプチドはタンパク質と比べアミノ酸の数が少なく(たかだか十数個)、重合しているアミノ酸が複雑な構造を持たないものを指します。

話をホルモンに戻しましょう。
脳ホルモンが分泌される脳とエクダイソンが分泌される前胸腺との関係は昆虫界 では普遍的な経路であるようです. 逆にいうとそれだけ重要なパイプラインであると考えることができます。
「脳ホルモン」というと、
脳からはこの一種類のホルモンしか分泌されないのだろうか?
とか、
脳が作り出すいくつかのホルモンはみな同じ作用しか示さないのだろうか?
といった疑問が生じます。
実際に、脳は複数のホルモンを合成し,それぞれが特徴的な活性を有していることが解 ってきました。 これに伴って,前胸腺に作用しエクダイソンの合成をコントロールする脳由来のホルモンのことを前胸腺刺激ホルモンと呼ぶようになりました。 幼虫は,自分の体がいまどういう成長状況にあるか,前の脱皮からどれだけ経過したか,まわりの環境は幼虫の状態のままでも安全か,などの情報を脳で統合し,判断します. その結果がOK脱皮だ!となれば,脳は前胸腺に信号(前胸腺刺激ホルモン)を送り、これを受け取った前胸腺はエクダイソンを合成し,脱皮・変態が行われます。
ちなみに,前回のお話の中で紹介したボンビキシン(憶えていますか?インスリン様の構造をしたホルモンです)は、この前胸腺刺激ホルモンと似た活性を持っています。

まとめ

さて、昆虫に関与するホルモンはまだいくつか残されているのですが、あまり話が長 くなることは好ましくありません。
かなり専門的に御存知である方も、反対に全く知らなかったよ、という方もいると思いますが、飽きがくる前に今回の話もしめてしまおうと思います。
ここでは,3種のホルモンを紹介しました。
これらを一つの流れとして話していきます。
エクダイソンを含み、その作用のを受けた部位のみが加齢・蛹化すること、
終齢幼虫に若齢幼虫のアラタ体を移植した後脱皮すると蛹ではなくさらに大きな終齢 幼虫となること、
若齢幼虫からアラタ体を取り去ると終齢幼虫を飛び越して蛹化すること、
これらは何を物語るのでしょうか?
細かい経緯はとばして結論だけをまとめます。

一齢幼虫から四齢幼虫までの期間は、幼若ホルモンとエクダイソンの両方が合成・分 泌されています。 両ホルモンが働くと、幼虫は脱皮して幼虫に,即ち「加齢」します。
五齢幼虫の体内では、幼若ホルモンの量が減少してくる一方で、前胸腺刺激ホルモン は分泌され続けているのでエクダイソンの量は下がりません。 つまり、エクダイソンのみが幼虫に働きかけています。 若いままでいようとするシグナルが無いのですから幼虫は大人へ、即ち蛹へと変態し ます。
蛹の体内では、まだエクダイソンの分泌が続いています。 幼若ホルモンは既にありませんのでさらに大人になろうとします。 即ち、脱皮して成虫となります。

これらはカイコをモデルとした例ですが、昆虫一般に言えることだと思います。

これまで紹介してきましたように、昆虫の変態はホルモンにより厳密にコントロールされ ていることが解ってきています。
ホルモンの分泌あるいは作用というものは温度にも依存します.
昆虫の変態という神秘的な現象をその原理から理解することによって,クワガタ虫の飼育に関して新しい物の見方が出来るようになれば幸いです.
どうしたら大きな幼虫になるのか?
どうしてわが家では小さい成虫にしかならないのか?
それにはちゃんと理由があるのです.

先にもふれましたが昆虫の体を制御するホルモンはまだいくつかあるのですが、それらの紹介はまたいつかということでホルモンの話はここまでにしたいと思います。
さて、これから次回のネタを探そうと思います。
何とか記憶が甦れば良いのですが・・・・


The key word in this month !
エクダイソン 昆虫を大人へ導こうとするホルモンです。 このホルモンの作用により加齢・蛹化・羽化が行われます。 前胸腺というところで合成・分泌されます。
幼若ホルモン 幼虫を若い状態でいさせようと働きかけるホルモンです。 このホルモンの作用により、幼虫は次齢の幼虫となります。 この時、幼若ホルモン非存在下では幼虫とはならずに、蛹となります。 アラタ体というところで合成・分泌されます。
前胸腺刺激ホルモン 脳で作られるホルモンのひとつです。 エクダイソンを作るよう前胸腺に命令します。

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