私はこうしてクワガタ馬鹿になった

ktakky
はじめに・・・

1998年1月。私は29歳の既婚サラリーマンです。今我が家には成虫18匹、幼虫25匹の総勢43匹のクワガタがいます。 成虫の生活の場、そして幼虫の餌であるおがくずの作製には大変な費用と労力がかかる。飼育容器にも。 ふと思う、なんで俺はこんなことやってんだろう?・・・。何が楽しいんだろう?・・・。仕事でもないのに・・・。

子供の頃の記憶

子供の頃、そう今から二十数年前のこと、一歳下の従兄弟が、父親(私にしてみればおじさん)に採ってもらった カブトムシとノコギリクワガタを飼っているのを見たときです。

当時、近くの田んぼでザリガニやカニ、魚なんかを採って遊んでいた私にとっては“すっげー!カッコイー!!” 生き物に見えた。

それから夏になると必ず私も従兄弟と一緒にカブトムシ、クワガタ採集に行くようになっていた。

それまで気が付かなかったのですが、自分が遊んでいたテリトリーの周辺に信じられないくらい多くの採集ポイント を見つけることができました。当時まだ田んぼの周辺に“はさぎ”や雑木が多く植えてあり、それらを見て回れば 必ず“何か”を採集することができた。小学生になり行動範囲が広がると、家から自転車で20分くらいかかる“潟” の周辺に通って、毎年何十匹というカブトムシ、クワガタを採集してきたものだった。木の種類はヤナギがほとんど で、クワガタの多くはコクワガタ、ノコギリクワガタ、スジクワガタなどでまれにヒラタクワガタも採れた。

小学生の私にはクワガタを累代飼育するなどという考えはなく、ただ採っては飼いそして死なせる、の繰り返しだ った。

中学の後半から高校生にかけてさらに採集の行動範囲は広がり、家から数十キロ離れた山の裾野にまで採集範囲 は広がった。そこはクヌギの木が多く、カブト、コクワ、スジクワ、ノコギリ、ミヤマ、アカアシなどがよく採れた。ほんとによく採れた。

大学を受験し、故郷を離れることになった私はそれ以来それらの採集場所を訪れなくなった。

大学、大学院と進み、卒業後、故郷の会社に就職した私は、気が付くと社会人になって4年が経っていた。 その間、結婚をし、祖母と祖父が亡くなり、“こうやって年をとっていくのか”と思いながら日々を過ごしていた。

再開

1997年夏、家内のお姉さんの子供(4歳、私にしてみれば甥っ子であるが)、を連れてカブトムシ採集に出かける ことになった。

家や“潟”の周辺の木は跡形もなく伐採されており、とてもカブトやクワガタが採れるような環境ではなかった。 気を取り直して山の裾野のポイントへ車を走らせると、当時とほとんど変わらない環境がそこにあった。何本かのク ヌギはなくなり、道も整備されてはいたが、“あの雰囲気”は当時のままだった。

約10年の歳月を経てその場所に立ったとき、何とも形容しがたい気持ちがこみ上げてきた。

採集を初めて数十分の間にカブトムシだけで何十匹も採集してしまった。“そんなに捕まえてどうするんだ!” というくらいに。おじさんの面目は保てたわけだ。
その後、会社でもインターネットをしている私はその気持ちがさめやらぬ内に“カブトムシ”や“クワガタ”、 “オオクワガタ”という言葉で検索を始め、“オオクワガタって!”というサイトを見つけるのにそれほど時間が かからなかったのは言うまでもない。そしてブナ林のクワガタたちリンクサイトも・・。

そして・・・

1998年1月冬、今私はクワガタの幼虫を眺めている。

磯部氏のクワガタ掲示板を介して知り合った方々からオオクワガタ成虫を始め、離島ヒラタクワガタ成虫など も譲っていただき、結局幼虫の飼育まで始めるほどになってしまった。最初は小さな虫を飼う程度と思ってい たが、とんでもない誤算だった。 飼育ケース、飼育マット、餌などお金のかかることばかりだ。飼育スペースも。

なんで俺はこんなことやってんだろう?・・・。 何が楽しいんだろう?・・・。仕事でもないのに・・・。 でもやめられない自分がそこにいる。ほんとに不思議だ。

甥っ子との時間、インターネットでの出会い、不思議なことばかりだ。でも一番不思議なのはクワガタやカブ トムシの魅力かもしれない。

これからももっともっとのめり込んでいくんだろう・・・。 (家内の冷たい視線も忘れてはイケナイ・・・。)

なんかダラダラと書きましたが、今後とも皆様、宜しくお付き合いとご指導のほどをお願いいたします。m(_ _)m

by ktakky

URL   http://www.alles.or.jp/~ktakky/index.htm
メール  ktakky@alles.or.jp

*“はさぎ”田んぼの周辺に植えてある木で秋、米の収穫時期に刈り取った稲を吊り下げて乾燥させるためのもの

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