はじめに/ 1.日本中小企業研究の原点と「国際化」

 

*1 本稿は、佐藤芳雄慶應義塾大学教授退任記念誌「中小企業研究の新しいパラダイム」に寄せる、拙稿「グローバルに見た中小企業の新パラダイム」『三田商学研究』第38巻6号、1996年、を執筆するための研究ノートである。佐藤教授の数々の学恩にいつも十分こたえられず、この記念すべき事業への寄稿の機会においてさえも、多々ご迷惑をおかけすることになったことを、この場を借りてお詫び申さねばならない。

*2 山中篤太郎『中小工業の本質と展開』有斐閣、1948年、序。

*3 もちろんそれ以前からも、「中小企業研究」は「問題性論」に限定されるものではないとして、「問題でない中小企業の研究」も行うべきことを説く、末松玄六氏らの主張があり、戦後の研究の一つの潮流をなしていることも事実である。末松氏は、「国民経済学的研究」と「経営経済学的研究」を区別することを唱えていたのである。末松玄六『最適工業経営論』同文館、1943年、同「中小企業の経営的特質」藤田敬三・伊東岱吉編『中小工業の本質』有斐閣、1954年、所収。

*4 Schmoller, G.: 'Zur Geschichte der deutschen Kleingewerbe', im 19. Jahrhundert Statistsche unde nationalokonomische Untersuchungen, 1870; Ders−−: Uber einige Grundfragen des Rechts und der Vokswirtschaft, 2 te Aufl., 1875 (戸田武雄訳『法及び國民経済の根本問題』有斐閣、1939年); Ders−− : Grundriss der allgemeinen Volkswirtschaftslehre, 1908 (一部翻訳 増地庸治郎訳『企業論』同文館、1926年).

*5 桑田熊蔵『工業経済論』有斐閣、1907年、社會政策學會編『社會政策學會論叢 第11冊 小工業問題』同文館、1918年、高野岩三郎「『社会政策学会』創立のころ」(1935年)社会政策学会史料集成編纂委員会編『社会政策学会史料』御茶の水書房、1978年、所収。 もちろん、日本社会政策学会の主流的理念が、シュモラーやビュヒャー、ゾンバルトの思想にそのまま影響されていたわけではない。詳しくは、大河内一男『社会政策の基本問題 増訂版』日本評論社、1944年、同『独逸社会政策思想史 改訂版』上下、日本評論社、1949年、池田信『日本社会政策思想史論』東洋経済新報社、1978年、参照。

*6 尾城太郎丸『日本中小工業史論』日本評論社、1970年、参照。

*7 大正六年(1917年)の日本社会政策学会第11回大会の「小工業問題」の討議では、ドイツ新歴史学派流の「小工業保護論」に対し、上田貞次郎氏が批判の論陣を張り、一種の「経営合理性論」を説いた。この上田氏もまた、「中産階級」に代わる「新中産階級」の興隆の必然性を説いたという意味では、欧米社会学の別の影響を受けていたとも言える。上田氏がこのような「新中産階級」概念を用いた典拠は判然としない。同氏が英国に留学し、英国自由主義経済学の影響を強く受け、また俸給生活者の増大や「産業の管理」問題の説かれる西欧社会の実情をみて、のちに自らの「新自由主義」(ただしそれは、一種の修正資本主義という意味である)を説いたこと、そうした見地から、シュモラーのマネージャー(企業事務員)評価などを援用して、生産組織を運用できるものとしての企業者とその高級使用人を重視したことに、背景と含意があるものと思われる。これ以降、日本社会政策学会などの場(大正九年(1920年)の同学会第14回大会「中間階級問題」等)では、「新中産階級論」が論議の前提の一つとなっている。しかし皮肉にもこれは、米国流の「独立の機会」論や近年再浮上する「企業家評価」論とは対立的でもある。社會政策學會編、前掲書、上田貞次郎『社会改造と企業』同文館、1926年(『上田貞次郎全集 第四巻』上田貞次郎全集刊行会、1975年、所収)、同『新自由主義』同文館、1927年(『上田貞次郎全集 第七巻』同全集刊行会、1976年、所収)、前掲『社会政策学会史料』。

*8 大塚一朗『小工業経済論』千倉書房、1939年、田杉競『下請制工業論』有斐閣、1941年、山田文雄『中小工業経済論』有斐閣、1943年、末松、前掲書。山田氏の著では、日本学術振興会第二三小委員会での議論をもとに、E.A.G.ロビンソンらの「最適規模論」を前提とした詳しい議論を行っている。

*9 詳しくは、佐藤芳雄「『適正規模』中小企業論小史」慶應義塾経済学会編『日本における経済学の百年(下)』日本評論社、1959年、所収、尾城、前掲書、ならびに拙著『現代経済と中小企業』青木書店、1991年、各参照。

*10 もちろんこうした時期にあって、高橋亀吉氏のように、独特の日本中小工業存続論を唱える主張もあった。これと真っ向から対立した野呂栄太郎氏の主張にも、マルクス理論の応用展開に、すぐれて先駆的な見方を示している。「下請制」を位置づけ、「新問屋制」を述べた小宮山琢二氏の見解も見落とせない。野呂栄太郎『日本資本主義発達史』鉄塔書院、1930年、高橋亀吉『現代中小商工業論』東洋経済新報社、1936年、小宮山琢二『日本中小工業研究』中央公論社、1941年。

*11 山中、前掲書、62n。

*12 黒瀬直宏「戦後中小企業政策の展開と今後の展望」日本中小企業学会編『企業間関係と中小企業』同友館、1992年。

*13 いわゆる「二重構造」なる把握が、日本のマルクス経済学者が固執する固定的古典的な中小企業観だとの批判が繰り返し聞かれる。これはその源流からして明らかに誤解なのであるが、原因はどこにあるか気づいた。1960年代を風靡した、大内力『日本経済論』なのである。ここで大内氏は、詳しい統計分析などを行いながらも、無批判無前提に「二重構造」という概念を用い、その「解消」という見方は誤りとも繰り返し書いている。爾来、「中小企業」=「二重構造」という公式が、帝国大学教授の著作の権威によって、高校教科書などに定着し、今日まで守られてきたのではあるまいか。大内氏の概念には、有澤廣巳氏流の「過剰人口」視点の影響も伺える。大内力『日本経済論 下』東京大学出版会、1963年、第三章、参照。 「二重構造論」を「古典的なマルクス経済学の公式論」と切り、ついでに山中篤太郎氏の用いた「異質多元的存在」の表現も、その「逃げ口上」とくくった、八方破れ、支離滅裂だが世の俗論を代表する書として、渋谷修『中小企業の挑戦』三一書房、1989年、をあげておく。「二重構造」論の性格と源流、また批判としては、佐藤芳雄「中小企業『近代化』論批判」市川広勝編『現代日本の中小企業』新評論、1968年、第10章、同「中小企業理論の再検討」市川・岩尾編『七〇年代の日本中小企業』新評論、1972年、第二章、中山金治『中小企業近代化の理論と政策』千倉書房、1983年、拙著、前掲書、各参照。ちなみに、今日にあっても”公式的マルクス主義”(「科学的社会主義」とも称している)の政治運動を代表する立場から書かれたと言って差し支えない、吉谷泉『日本の中小企業』新日本出版社、1992年、に、「二重構造」の語は一切ない。なお、後に「ウルトラ近代化論」に転じた中村秀一郎氏の1961年の著では、「二重構造論批判」は行われているが、「二重構造」の語を頻繁に用い、大内氏同様、力点は主には「二重構造解消という見方は誤り」というところにあったことに留意したい。中村秀一郎『日本の中小企業問題』合同出版社、1961年。

*14 経済企画庁編『昭和32年度経済白書』、1957年、35〜36n。

*15 伊東岱吉『中小企業論』日本評論社、1957年、28n。

*16 同上書、29n。

*17 同上、42n。

*18 同上、29n、伊東、「中小工業問題の本質」藤田・伊東編『中小工業の本質』有斐閣、1954年、所収、39〜43n。

*19 Dobb, M.: Studies in the Development of Capitalism, RKP, 1946, pp.341-48(京大近代史研究会訳『資本主義発展の研究 U』岩波書店、1955年、188〜196n).

*20 Dobb, 邦訳前掲書、序。

*21 山中、「中小企業本質論の展開」藤田・伊東編、前掲書、所収、8n。

*22 山中氏は、これより6年ほど前の著においては、独占資本の発展と中小工業の広範な存在とを対立的にとらえていた。「単的に申せば、イギリスのような国は独占的なものもあることはあるが、均質的な産業資本が長い間の産業発展の段階を通じて各々が、平等に発達して来て、経営構造が出来上がっている国と言へる。これに対してアメリカの如きは、資本の集中といふ形をかなりはっきりもっている。集中とか独占とかいふ形をもっていなければ、資本をもちえないといふ形で、資本的な経営といふものが、具体的な形をもっている。さうしてそこには小さな経営といふものがあることはあるが日本ほどにはないのである。日本の場合を見るといふと、後進国である故に、資本の性格は逸早く独占的な性格をもって来た。それでなければ立行かない。ところが国民経済全体として見ると、独占的資本の法則の行はれる部分に対して、そこに然らざる比較的大きな部分がある。その部分に所謂中小工業といふ名前で呼ばれている部分があるわけである。」 山中、『日本経済と中小工業』平和書房、1948年、44n。

*23 藤田敬三『日本産業構造と中小企業』岩波書店、1965年、329n。

*24 同上書、379n、383n。

*25 こうした藤田氏以来の所論の矛盾と行きづまりについて詳しくは、拙稿「今日の下請制をめぐる若干の論点にかんするノート」上下『駒沢大学経済学論集』第16巻2・4号、1984/5年、参照。

*26 伊東岱吉・加藤誠一・北田芳治「中小企業の本質」楫西光速他編『講座・中小企業 1』有斐閣、1960年、所収、伊東、「日本の中小企業構造と労働問題の特質」楫西他編『講座・中小企業 4』有斐閣、1960年、所収。また、楫西編『現代日本資本主義体系 第2巻 中小企業』弘文堂、1957年。

*27 北原勇「資本蓄積運動における中小企業」楫西他編『講座・中小企業 2』有斐閣、1960年、所収。

*28 北原、『独占資本主義の理論』有斐閣、1977年。

*29 昭和40年代前後は、独占資本主義論への注目が高く、「利潤率階層化」などの指摘を求めて、欧米の著作、スウィージー、アーロノヴィッチらのものが盛んに読まれていた。Aaronovitch, S.: Monopoly, Lawrence & Wishart, 1955 (佐藤金三郎・高木秀玄訳『独占』理論社、1957年)、Sweezy, P.M.: The Theory of Capitalist Development, 1942, 4th ed., Monthly Review, 1956 (都留重人訳『資本主義発展の理論』新評論、1967年)、Baran, P.A.& Sweezy, P.M.: Monopoly Capital, Monthly Review, 1966 (小原敬士訳『独占資本』岩波書店、1967年).

*30 中山「零細企業の問題」市川編、前掲書、第8章、245n。

*31 中山、前掲『中小企業近代化の理論と政策』、82n(高梨昌・氏原正治郎氏の記述の引用)。

*32 佐藤、『寡占体制と中小企業』有斐閣、1976年。

*33 佐藤、前掲「中小企業理論の再検討」。

*34 中村、前掲『日本の中小企業問題』、同『中堅企業論』東洋経済新報社、1964年、清成忠男『現代日本の小零細企業』文雅堂銀行研究社、1967年、同『日本中小企業の構造変動』新評論、1970年、同『現代中小企業の新展開』日本経済新聞社、1972年。両氏の持論が、独占理論と産業組織論に発し、またそれを軌道修正して成り立っていった経過については、拙稿「中堅企業、ベンチャー・ビジネス」中小企業事業団中小企業研究所編『日本の中小企業研究 第1巻 成果と課題』有斐閣、1985年、第22章、並びに、拙著、前掲書、第U章、参照。

*35 中村、『新中堅企業論』東洋経済新報社、1990年、422〜423n。

*36 こうした和製語は残念ながらそのままでは英語的コンセプトにはならず、従ってそのままの造語では「輸出」もかなわないはずである。にもかかわらず、自由国民社刊の『現代用語の基礎知識』には、「venture business」の語が「外来語辞典」項目に堂々と掲載されている!「ナイター」や「ダブルプレイ」、「カルチャーセンター」も「外来語」か?ここまでいくと「知的財産権の侵害」ないしは「原産地表示の偽り」ではあるまいか。さらに驚いたことには、研究社刊『新英和大辞典 第5版』(小稲義男編集代表、1980年初版)にまで、「venture business」の語が載っている(同書、2347n)。ネイティヴ(母国語)として英語を用いている文献中に、英語的コンテクストのもとでそのような語が現れたというものを、筆者は寡聞にして知らない。この辞典の前書き説明に「(英語にとっての)外来語」の項目はあるが、「和製語」という項目は設けられてはいない。こうした辞典を編纂する日本の「英語学者」は一体どのような勉強をしているのだろうか。この事実は、内藤英憲・池田光男『現代の中小企業』中小企業リサーチセンター、1995年、155n、に教えられた。

 なお、「venture business」では英語的コンテクストと意味用法のうえでは、「ヤバイ仕事」ぐらいにしかならないだろう。ここでの問題は、「business」という語の概念である。Oxford English Dictionary, 1933 によると、the state of being busily engaged in anything; activity; mischievous or impertinent activity, officiousness などととまず載っている。 small business=「小企業」という意味での概念は、この語の諸用法の第三番目、that about which one is busy といううちで、a commercial enterprise regarded as a 'going concern'; a commercial establishment with all its 'trade', liabilities, etc. と記されるものである。これだけ取り上げると、日本語的に「企業」一般で利用・合成可能のように見えるが、元来「忙しく何かに従事している状態」なのだから、venture businessでは「ベンチャー企業」とはいかないのである。一方「capital」に対しては、そのありようや程度という意味で、「risk capital」「venture capital」といった語が存在できる。しかし、清成氏らが「small business」と「venture capital」をあわせて、「venture business」と造語したのはあくまで、切った貼った自由、順不同な日本語的発想方法である。強いて考えれば、清成、中村氏も記すように、「business venture」という表現は可能であろう。なお、本稿でものちに取りあげる Koshiro K.(神代和欣): 'Japan', in Sengenberger, W., Loveman, G.W.& Piore, M.J.(eds.): The Re-emrgence of Small Enterprises, IILS, 1990, では、'venture business' の語をそのまま記しているが、神代氏は賢明にも、"venture business" firms と自らは表現している。ibid., p.184.
(「ダブルプレイ」は和製語ではなく、米語である。勘違いであった。)

*37 「ベンチャー・ビジネス論」の性格については、拙稿、前掲「中堅企業、ベンチャー・ビジネス」、参照。ここで筆者は、類語としてnew growth venture といった英語表現がありうるものの、venturer とはventure capital をさしていると指摘した。

*38 中村、「現代における中小企業の存在理由」『国民金融公庫調査月報』第183・184号、1976年、清成、『現代中小企業論』日本経済新聞社、1976年、参照。

*39 清成、『企業家革命の時代』東洋経済新報社、1982年、同『中小企業ルネッサンス』有斐閣、1993年。

 

 


2.第三の波

 

*1 拙稿、「世界的な中小企業新時代」巽・佐藤編『新中小企業論を学ぶ』有斐閣、1987年、第1章。

*2 Prestowitz Jr., C.V.: Trading Places, Basic Books, 1988,(國弘正雄訳『日米逆転』ダイヤモンド社、1988年)、do−− : Japanese Power Today, Basic Books, 1989 (國弘正雄訳『日本の実力』ダイヤモンド社、1990年), Johnson, C.: MITI and the Japanese Miracle, Stanford University Press, 1982 (矢野俊比古監訳『通産省と日本の奇跡』TBSブリタニカ、1982年).

*3 Prestowitz、前掲『日米逆転』、216n。

*4 同上、234〜237n。

*5 企業間の効果的な協力関係として、日本の「下請システム」を学び、利用しようというEC委員会の意図による会合で、これを批判する主張を浴びせかけたのがプレストウィッツであった。拙著、『EU欧州連合と中小企業政策』白桃書房、1995年、215n、参照。

*6 Wolferen, K.v.: The Enigma of Japanese Power: People and Politics in a Stateless Nation, Macmillan, 1989 (篠原勝訳『日本/権力構造の謎 上下』早川書房、1990年).

*7 同上翻訳書上巻、第6章。

*8 同上書下巻、250〜252n。彼はこれを主に樋口兼次氏の記述によっている。

*9 代表的には、村上泰亮・公文俊平・佐藤誠三郎『文明としてのイエ社会』中央公論社、1979年、三戸公『日本人と会社』中央経済社、1981年、岩田龍子『現代日本の経営風土』日本経済新聞社、1978年。村上氏らの説に依拠して、「準垂直的統合」としての日本的下請制を説明しようとしたものに、中村精『中小企業と大企業』東洋経済新報社、1983年。別個の見地から、日本資本主義の発展の背後にある「儒教精神」を強調し、「二重構造」下の中小企業を、生産調整と終身雇用維持へのクッションであり、大企業の「忠誠心の市場」に対する「傭兵の市場」であると位置づけたのが、森嶋通夫『なぜ日本は「成功」したか?』TBSブリタニカ、1984年、である。

*10 その中では、O.ウィリアムソンらの市場と組織論、取引費用論、コミュニケーション論などを応用し、日本の階層的「下請システム」の合理性を説いた、浅沼萬里氏、港徹雄氏らの見解があることを当然見落とせない。こうした研究は、ある意味では中小企業研究の「普遍化」に貢献しているものである。しかし、港氏などは「日本的システム」の普遍妥当性には近年むしろ否定的であり、その「行きづまり」の問題に傾斜している。拙稿、前掲「今日の下請制をめぐる若干の論点にかんするノート」、港徹雄「日系企業の企業間関係と収益性」『商工金融』第44巻2号、1994年、参照。

*11 Schonberger, R.J.: Japanese Manufacturing Techniques: Nine Hidden Lessons in Simplicity, Free Press, 1982.

*12 詳しくは、Mitsui, I:'Japanese Management under the globalization of Japanese economy', Economics Faculty, Komazawa University: The Globalization of Japanese Economy, 1990、拙著、前掲『EU欧州連合と中小企業政策』、第11章、各参照。

*13 この系統の欧米での出版物としては、Voss, C.A.(ed.): Just-In-Time Manufacture, IFS, 1987; Holl, U. & Trevor, M.(eds.): Just-In-Time Systems and Euro-Japanese Industrial Collaboration, Campus/ Westview, 1988; Trevor, M. & Christie, I.: Manufacturers and Suppliers in Britain & Japan: Competitiveness & the Growth of Small Firms, PSI, 1988; Sako M.: Prices, Quality and Trust, Inter-firm Relations in Britain & Japan, CUP, 1992; Hines, P.: Creating World Class Suppliers, Unlocking Mutual Competitive Advantage, Pitman/ Financial Times, 1994.

*14 Friedman, D.: The Misunderstood Miracle: Industrial Development and Political Change in Japan, Cornell University Press, 1988 (丸山恵也監訳 『誤解された日本の奇跡』ミネルヴァ書房、1992年).

*15 Johnson, op cit.

*16 しかしフリードマンは、「日本におけるマルクス主義分析の隆盛は、二重構造分析の広範な採用へと導くことに役立った」とも述べ、相変わらず欧米学者らしい半可通ぶりも示している。フリードマン、前掲邦訳書、271n。困ったことに、もしくは当然のことに、欧米学者たちには、日本の(帝国大学の)権威である、大内力、中村隆英といった諸氏の主張が、日本の「マルクス経済学者」を代表していることになるのだろう。

*17 同上、145n。

*18 その意味ではフリードマン論は、従来の中村(秀)=清成、小池各氏らの説の欧米への本格的な紹介であるとも言える。小池和男氏を別とすれば、清成氏、中村秀一郎氏らの所説は、そのユニークさを以てしても、「中堅企業論」「ベンチャー・ビジネス論」以来、欧米で十分理解されることはなかった。先に述べたように、それは元来「普遍的仮説」という役割を持ちえずにきたからであり、フリードマンの紹介によって判明するごとく、むしろ「通説的日本(中小企業)理解」を覆すものとして有効性を持っていたからである。しかもそれに加えて、欧米「社会科学」においては、文字通りの言語の壁(通常、英語等に翻訳されていない日本の文献には、一慮も払われることはない)があるのみならず、欧米社会科学の「言語系」のコンテクストで書かれていないものは、言及に値しない代物としての扱いしか受けないのである。これが、小池氏、浅沼萬里氏や青木昌彦氏らの著作が、日本の企業構造と中小企業にかんする古典的代表的研究としての扱いを受ける原因である。欧米社会科学系の大学等では、既存研究のあまねくサーベィの指示が論文作成指導の基本であり、したがってまた、この普遍的リストに「登録」されたものは必読の基本文献となるが、そこから外れたものは、永遠に日の目を見ることはない。日本の大学等ではこれとは正反対に、サーベィもへったくれもなし、唯我独尊や我田引水、牽強附会が一般に横行し、「先発明主義」どころか「先願主義」さえも無視され、唯一の物差しとして、主には帝国大学等の権威のみがものを言う傾向になる。いずれがよいのかには幾分疑念を残すが。

*19 ILOとして、中小企業ネットワークによる産業発展の有効性に注目した研究書でも、フリードマンの記述にもとづき、坂城町の事例が詳しく紹介されている。Pyke, F.: Industrial development through Small-Firm Cooperation: Theory and Practice, ILO, 1992, p.7.

*20 Friedman、邦訳本書の「監訳者あとがき」、丸山恵也『日本的生産システムとフレキシビリティ』日本評論社、1995年、植田浩史「書評 D. Friedman: The Misunderstood Miracle: Industrial Development and Political Change in Japan」『社会経済史学』第56巻5号、1990年、十名直喜『日本型フレキシビリティの構造』法律文化社、1993年、等、参照。

*21 大西勝明「日本的生産システムの再検討 −D.フリードマン著『誤解された日本の奇跡』によせて」『専修商学論集』第55号、1993年。大西氏は、フリードマンの概念が非現実的な定義にとどまっていると批判し、また、坂城町の事例はごく一部であり、自動車工業を取り上げないのも不可解であるとし、加えて戦後日本の工作機械工業の展開も政府の政策とのかかわりを切り離せないとしている。

*22 拙著、前掲『現代経済と中小企業』、76n。また、同「戦後日本の小零細経営研究」『駒澤大学経済学部研究紀要』第41号、1983年、も参照。

*23 「下請」概念自体の根本的再検討として、拙稿、前掲「今日の「下請制」をめぐる若干の論点にかんするノート」上下、同、前掲『現代経済と中小企業』、第V章、を参照されたい。

*24 渡辺幸男「下請・系列企業」中小企業事業団中小企業研究所編、前掲書、第20章、等。

*25 フリードマンらがほとんど見過ごしている、日本の大企業の緻密な下請外注管理の発展の意味について、拙稿、「今日の大企業の生産体制再編と『下請外注管理』の展開」日本労働社会学会編『日本労働社会学会年報 第5号』、1994年、参照。

*26 Hines, op cit.

*27 Friedman、前掲邦訳書、250n。

*28 Piore, M. J. & Sabel, C. F.: The Second Industrial Divide: Possibilities for Prosperity, Basic Books, 1984, (山之内・永易・石田訳『第二の産業分水嶺』筑摩書房、1993年).

*29 当時、欧米の産業経済や産業政策、経営管理等についての学界でのベストセラーは、ショーンバーガーとピオリ=セーブルだった。従来の「日本社会科学」業界の「輸入」過程にあるタイムラグ関係の経験から、筆者はこれは数年後に「はやるぞ」との予感を抱いたが、見事に的中した。

*30 植田、前掲書評。

*31 Coriat, B.: Penser a l'Envers: Travail et Organisation dans l'Entreprise japonaise, Christian Bourgois Editeur, 1991 (花田昌宣・斉藤悦則訳『逆転の思考』藤原書店、1992年).

*32 同上書邦訳、23n。

*33 同上、119n。

*34 このほか多数の日本人著作者による欧米言語翻訳済み文献を含む膨大な文献リストが例によって並んでいるが、その多くは読んでいるかも怪しい。周知のように、また前記のように、欧米アカデミズムでは、綿密詳細なリビューを前提としない「研究論文」は相手にされない。しかしまた、それを実際読もうが読むまいが、ましてや「下らん理解不能な駄文」と切り捨てたことにしようが、どうでもよいことのようである。もちろん「日本語文献」はここには登場しない。

*35 清ショウ一郎「転倒した思考による妥協・調整」『中央大学経済研究所年報』第22号 (U)、1991年。

*36 「フォード主義」対「トヨタ主義」という概念を用いながらも、レギュラシオン学派の先験的な「解釈」とはかなり対照的であるのが、日本の池田正孝氏らとの協力により、フランスの社会学者や経営学者らがまとめた自動車工業の日仏比較研究書である。ここでは、大企業による企業集団の形成と組織管理、大企業と中小企業との雇用格差などにも詳しく言及されている。また、いずれの国の経験についても、相対化の視角がある。 Jacot, J.H.(di.): Du Fordisme au Toyotisme?, La Documentation Francaise, 1990 (金田重喜監訳『フォード主義対トヨタ主義』創風社、1994年).

*37 Sengenberger, et al., op cit.

*38 op cit., p.58.

*39 この書においては、前記のように神代和欣氏が「日本」の章を担当している。しかしここでは、「前近代性」に固執する「古典的マルクス主義者」への非難が繰り返されている一方、大多数の就業機会という実態と、賃金・福利厚生などの大きな統計的格差、大企業との関係の重要性などを言いながら、「結論」は読者の判断に任せられている。「ベンチャー・ビジネス」の雇用貢献が大であるという著者の「実態調査」結果には疑問もある。日本の研究史における山中氏、伊東氏、佐藤氏らの存在への言及は全くなく、日本の「中小企業問題」を「近代的矛盾」とした中山金治氏への言及もむろんない。光栄なことに、筆者の名もステレオタイプな「古典的マルクス主義者」の代表の一人として引用されているが、この引用自体が誤記である。op cit., Section 5.

*40 上野紘『現代日本の中小企業』時潮社、1992年、奥村宏『解体する「系列」と法人資本主義』社会思想社、1992年、重森暁『分権社会の政治経済学』青木書店、1992年、野原光「Reconsidering the Japanese Production System Management」『広島大学広島法学』第16巻3号、1993年、伊賀光屋「産地における生存戦略とインフォーマルな労働」日本労働社会学会編『日本労働社会学会年報 第5号』、等。奥村氏は、浅沼氏、今井賢一氏のような「経済合理性」による「系列擁護論」を是とはしない。奥村氏の強調点は、一種の「大企業体制の崩壊論」である。奥村、『会社本位主義は崩れるか』岩波書店、1992年、参照。

*41 中小企業政策審議会企画小委員会中間報告「90年代の中小企業政策のあり方」、中小企業庁編『90年代の中小企業ビジョン』通商産業調査会、1990年、所収、5n。 この委員会の主査は、「ネットワーク社会論」をリードしてきた産業組織論学者今井氏であり、また清成氏、唐津一氏らが加わっている。

*42 「中小企業政策の新たな展開」(中政審企画小委員会参考資料)、同上書所収、120〜121n。

*43 経済企画庁編『平成4年版 経済白書』大蔵省印刷局、1992年、277〜288n。

 

 


3.90年代の「再逆転の構図」

 

*1 榊原英資『資本主義を超えた日本』東洋経済新報社、1990年。

*2 榊原氏は、大企業と中小企業との間の関係を、「日本型市場経済システム」の構成要素として重視するものの、その中小企業観としては、政治・行政から基本的に独立して事業展開をすすめる大企業が、「親・下請という形できわめて多数の中小企業と取引を行っているが、その関係は直接的支配・被支配の関係ではなく、具体的取引関係あるいは金融支援等を通ずる間接的なものであり、中小企業の相対的独立性はかなり高く、」「中小企業はより資本主義的であり、業務におけるトップダウンの傾向が強く、より機動的かつダイナミックである。」「大企業と中小企業の対照的な組織・経営のあり方、あるいは競争補完とでも呼べる関係は日本型市場経済システムの一つの際だった特色であり、この補完的対抗関係が、公的セクターと民間セクターの相互関係とともにシステムのダイナミズムを支えてきた」というものであり、中小企業の独立性を強調するほかには特に目新しいものでもない。 同上書、38〜39n。

*3 『平成4年版経済白書』を執筆した経済企画庁の若手エコノミストである鶴光太郎氏は、「長期的・継続的・相対的取引」にもとづく、「生産系列」を含む「日本的市場経済システム」の合理性効率性を強調しつつ、情報の交換・調整に要するコミニュケーションコストが大で、長時間労働や交際費浪費などの問題を招いていること、下請メーカーへの「しわよせ」の可能性の要素をもつこと(高度成長が従来その問題を緩和してきた)、第三者への不利益・不透明性を有することを、「生産系列」の問題としている。そして今日、システムの変化の必要を認めながらも、歴史的に見て、システム一般にはサブシステム相互間の補完性が強く、「大きなショック」がない限り、一つの方向への再編が容易にはすすまないものとし、日本の今後としては、アメリカ的な市場経済システムとの「相互乗り入れ」、ハイブリッド型をめざすのが妥当だし、可能でもあるだろうと結論づけている。 鶴光太郎『日本型市場経済システム』講談社、1994年。

*4 日本型生産システムと労働現場は、「ポストフォーディズム」のモデルではなく、むしろ「ハイパー・ウルトラフォーディズム」ではないかとの批判も少なくない。加藤哲郎・R.スティーヴン「日本資本主義は、ポスト・フォード主義か?」『窓』第4号、1990年、成瀬龍夫「フォーディズムと日本的生産システム」『経済科学通信』第68号、1991年。こうした議論の経過と評価については、とりあえず、丸山恵也『日本的生産システムとフレキシビリティ』日本評論社、1995年、第8・9章参照。

*5 「日本モデル」を普遍的なコンテクストのなかで見るのに、いち早く成功を収めていたのは、決して「ポストフォーディスト」たちではなく、ドイツのU.ユルゲンスらであるというべきであろう。 Dohse, K., Jurgens, U.& Malsh, T.: 'From "Fordism" to "Toyotism"?', Politics and Society, Vol.14, No.2, 1985.

*6 篠田武司「『サード・イタリア』にみる小規模企業の発展」『中小商工業研究』第27号、1991年、杉岡碩夫「”第三イタリア”と日本」『国民金融公庫調査季報』第20号、1992年、清成、前掲『中小企業ルネッサンス』、二場邦彦「イタリアの中小企業事情」上下『中小商工業研究』第40・42号、1994年、間苧谷努「『第3のイタリア』の自立的経済発展と中小企業システム」『奈良産業大学 産業と経済』第9巻2/3号、1995年、重森、「第3のイタリアと産業地区」『大阪経済大論集』第46巻1号、1995年。

*7 Wood, C.: The New Japan: The End of Consensus, 1994 (三上義一訳『合意の崩壊』ダイヤモンド社、1994年).

*8 90年代にもなお、「日本型資本主義」の優位性を述べるR.ドーアのような見解もある。深田祐介・R.ドーア(Dore, R.)『日本型資本主義なくしてなんの日本か』光文社、1993年。

*9 青木昌彦「『日米再逆転』考」『朝日新聞』1993年12月19日号。

*10 中谷巌『ジャパン・プロブレムの原点』講談社、1990年、同『日本企業復活の条件』東洋経済新報社、1993年、中谷・大田『経済改革のビジョン』東洋経済新報社、1994年。

*11 「中小企業問題」どころか、「中小企業」という存在認識そのものを疑問とし、「中小企業政策」への否定論を展開してきた東大教授三輪芳朗氏は、政府の行政改革委員会の一員となり、「あらゆる規制の否定」を唱え、「飲酒の弊害への歯止めとしての社会的規制」という主張から、酒類小売免許制度の存続を求める小売業者団体の声に対し、「結局自分の商売が大事なんだろう」と応じたという。三輪氏の認識する「経済世界」にあっては、「生活」をタテとする中小業者などというものは存在すべき筈もないものなのである。 三輪芳朗「日本の中小企業の『イメージ』、『実態』と『政策』」土屋・三輪編『日本の中小企業』東京大学出版会、1989年、所収、も参照。 なお、政府経済審議会の「構造改革のための経済社会計画」(95年)では、付属文書「高コスト構造是正・活性化のための行動計画」のなかで、小売業の「零細性」を、流通の高コスト構造の第一要因にあげている。しかし、「規制緩和で市場の競争を」と主張しながら、競争的中小小売商業ではなく、大手商業寡占の力が強まると、ものが安くなるというのでは、理論的にも支離滅裂の批判を免れまい。

*12 「グローバリゼーション」「世界経済の一体化」のもとで、「国民経済の黄昏」を説く宮崎義一氏は、「価格破壊」もリストラも、失業も不況地域も当然、それに耐えられないような企業は消えるべきであり、これからの中小企業は「一企業一品」になればいいのだという、まさしく「理論」経済学者ならではの机上の「論」をもって、中谷氏流の主張に合流している。 「日本経済迷路脱出のカルテ 1」『朝日新聞』1996年1月1日号。 

 なお、筆者の「空洞化」問題への視角として、とりあえず、拙稿「日本経済のリストラクチャリングと中小企業問題のゆくえ」『東信協研究センター調査四季報』第16号、1994年、同「『空洞化』問題と中小企業の『円高』対応策」『中小企業と組合』第49巻11号、1994年、を参照。

*13 Bagnasco, A.& Sabel, C.: Small and Medium-size Enterprises, Pinter, 1995.
(Bagnasco の名を、「バグナスコ」と記したが、イタリア中小企業研究の第一人者間苧谷努氏は、「バニャスコ」と書いている。イタリア語として発音すれば、こちらが正しい。私は”エイゴ読み”をしてしまったが、これは妥当ではなかった。)

*14 Brusco, S.& Sabel, C.: 'Artisan production and economic growth', Wilkinson, F.(ed.): The Dynamics of Labour Market Segmentation, Academic Press, 1981; do--- : 'A policy for industrial districts', Goodman, E., Bamford, J.(eds.): Small Firms in Industrial Districts in Italy, Routledge, 1989.

*15 Sabel: 'Turning the page in industrial districts', in Bagnasco & Sabel, op cit., pp.139-145. ここでセーブルは、大企業の方が研究開発・イノベーションや組織革新に対応可能であるとする「シュムペーター派」的批判論も、リストに加えている。

*16 言うまでもなく、これはH.ブレーバーマンが提起した、テイラー主義を基礎とした資本主義の発展と労働支配の進展についてのテーゼのキーコンセプトであり、その後の労働過程論、管理論の基本的な論点となっているものである。 Braverman, H.: Labor and Monopoly Capital, Monthly Review, 1974 (富沢賢治訳『労働と独占資本』岩波書店、1978年).

*17 Sabel, op cit., pp.153-158. そうした意味で彼は今日、ドイツのバーデン・ビュルテンベルク州での動きに注目している。

*18 Naisbitt, J.: Global Paradox, 1994 (佐和隆光訳『大逆転』三笠書房、1994年)、邦訳、27n。

*19 Birley, S.& MacMillan, I.C.(eds.): International Entrepreneurship, Routledge, 1995.

*20 Drucker, P.F.: Innovation and Entrepreneurship, Harper & Row, 1985 (小林宏治監訳『イノベーションと企業家精神』ダイヤモンド社、1985年). しかし彼は、「知識社会」としての未来社会において、非営利的な「社会セクター」による市民社会の回復をはかるべきものとも説いている。 do-- : Post-Capitalist Society, Harper Business, 1993 (上田・佐々木・田代訳『ポスト資本主義社会』ダイヤモンド社、1993年).

*21 Acs, Z.J.& Audretsch, D.B.(eds.): Small Firms and Entrepreneurship: An East-West Perspective, CUP, 1993, pp.1-2.

*22 Goff, R.& Scase, R.(eds.): Entrepreneurship in Europe, Croom Helm, 1987; Davies, L.G.& Gibb, A.A.(eds.): Recent Research in Entrepreneurship, Avebury, 1991.

*23 Acs & Audretsch, op cit.; Dallago, B., Ajani, G.& Grancelli, B.: Privatization and Entrepreneurship in Post-Socialist Countries, St. Martin's Press, 1992; Piasecki, B.(ed.): Policy on Small and Medium-sized Enterprises in Central and Eastern European Countries, Organizing Committee, 19th ISBC, 1992.

*24 拙稿「第一九回国際中小企業会議に参加して」『中小企業と組合』第48巻1号、1993年、参照。

*25 清成、前掲『中小企業ルネッサンス』、130〜132n。同『スモールサイジングの時代』日本経済評論社、1993年。

*26 国民金融公庫総合研究所編『新規開業白書』各年版、中小企業リサーチセンター、(財)中小企業総合研究機構編『中小企業家精神』中央経済社、1995年、等。

*27 Wilkinson, op cit.; Craig, C. et al.: Labour Market Structure, Industrial Organisation and Low Pay, CUP, 1982.

*28 Rainnie, A.: Industrial Relations in Small Firms, Routledge, 1989 (有田辰男訳『中小企業の労使関係』税務経理協会、1993年).

*29 Doeringer, P.B.& Piore, M.J.: Internal Labor Markets and Manpower Analysis, Heath, 1971; Piore: 'Notes for a Theory of Labor Market', Edwards, R.C., Reich, M.& Gordon, D.M.: Labor Market Segmentation, D.C. Heath, 1975.

*30 Doeringer, P.B.(eds.): Turbulance in the American Workplace, OUP, 1991.

*31 Edwards, R., Gordon, D.M.& Reich, M.: Segmented Work, Divided Workers, CUP, 1982 (河村・伊藤訳『アメリカ資本主義と労働』東洋経済新報社、1990年); Bowles, S., Gordon, D.M.& Weisskopf, T.E.: Beyond the Waste Land, Anchor Press, 1983 (都留・磯谷訳『アメリカ衰退の経済学』東洋経済新報社、1986年). SSA派の主張について詳しくは、都留康「SSA理論とレギュラシオン論」『経済セミナー』第443号、1991年、植村博恭「現代資本蓄積論と所得分配」『経済評論』第39巻3号、1990年、同「脱工業化と資本蓄積の構造変化」『経済評論』第40巻11号、1991年、等参照。

*32 Friedman, A.: Industry and Labour, Macmillan, 1977.  A.フリードマンの所説の詳しい検討としては、井上千一「技術変化と管理者戦略」長谷川・渡辺・安井編『ニューテクノロジーと企業労働』大月書店、1991年、所収、がある。

*33 Brown, P.& Scase, R.(eds.): Poor Work: Disadvantage and the Division of Labour, Open University Press, 1991.

*34 Meulders, D., Plasman, O.& Plasman, R.: Atypical Employment in the EC, Darmouth, 1994 では、拡大する不定就業(atypical employment)形態の分析として、パートタイム、家内労働などともに、自営業者、下請事業者が取りあげられている。

*35 Atkinson, J.: Flexibility, Uncertainty and Manpower Management (IMS Report No.89), 1984.

*36 Bannock,G.: The Economics of Small Firms, Basil Blackwell, 1981, p.104 (末岡・藤田訳『中小企業の経済学』文眞堂、1983年、132n).

*37 それから約10年を経て、英国や欧州諸国で中小企業論と中小企業政策の花盛りとなるなか、バノックは「エンタープライズカルチャー」への再評価の高まりと中小企業増加の趨勢に幾分自信を回復し、中小企業の税負担の軽減と企業活動を制約している社会・労働規制の緩和を行うよう、政府には求めている。 Bannock & Peacock, A.: Governments and Small Business, PCP, 1989.

*38 Curran, J.& Blackburn, R.A.: Small Business 2000, SBRT, 1990.

*39 Storey, D.J.: Understanding the Small Business Sector, Routledge, 1994, pp.42-48, 307-309. ストレィはまた、80年代の英国で、「企業家の利益」のもとにすすめられた規制緩和と手続簡素化の効果を全般的は認めながらも、それぞれについて、公共の利益と企業家の自由とのバランスを慎重に検討し、ケースバイケースで判断すべき時期に来ているとも指摘している。Storey, op cit., pp.317-318.

*40 英国の中小企業研究者たちの学会である「全国中小企業政策・研究会議」(NSFPRC)の第15回会議(1992年)では、「中小企業・不況と回復過程」と題し、ブームののちの中小企業の困難と打開策に関する報告が数々行われている。創業支援と政策、創業者の資金確保、不況と中小企業の成長、中小企業と「地域経済圏」への疑念、サービス産業における技術革新と競争、代金支払期間問題、既存企業への政策支援などのテーマが見られる。こうした問題関心は、もはや従来の我が国の場合と大きな差異はない。 Chittenden, F., Robertson, M.& Watkins, D.(eds.): Small Firms: Recession and Recovery, PCP, 1993.

*41 CES 1256/89ht. これについて詳しくは、拙著、前掲『EU欧州連合と中小企業政策』、を参照のこと。

*42 詳しくは、同上書、拙稿「EU(EC)の中小企業政策を考える」『中小企業と組合』第50巻10号、1995年、参照。ただし欧米でほとんど見られない政策は、日本の業種別「組織化」という対処であろう。

*43 EUや欧州各国が、中小企業者団体などの要求にこたえる形で取りあげている「代金支払遅延問題」(late payment)は、日本の「下請代金支払遅延等防止法」の対象事項と同義ではないが、問題の性格は類似している。しかも市中金利が高く、資金繰りが楽ではない欧州の中小企業にとっては、実際の支払期間は日本の実情に比べて短くとも、その影響はより深刻である。EUなどが従来から日本の下請取引を、大企業と中小企業の間の協力関係として積極評価し、その活用を推進してきたとはいえ、これが中小企業の側への不利となる危険には、上記の経済社会審議会意見書をはじめとして、常に警戒感が示されてきた。それゆえ、いわば「望ましい下請取引」関係の奨励という方向性も重視されていることを見落とせない。さらに、国境を超えた下請取引の広がりや、外注化の拡大が引き起こす、労働者の地位や労働条件をめぐる問題に対しても、新たな課題としての関心がある。 DGXXIII, Commission of the European Communities: Partnership between Small and Large Firms, Graham & Trotman, 1989; Commission of the European Communities: Development of Subcontracting in the Community, 1989; do---- : Towards a European Market in Subcontracting, 1992.

*44 Bagnasco: 'Introduction: An unexpected and controversial return', Bagnasco & Sabel, op cit.

 

 


4.結び

 

*1 Wallerstein, I.: The Modern World-System I, Academic Press, 1974 (川北稔訳『近代世界システム』岩波書店、1981年); do--- : Historical Capitalism, Verso, 1984 (川北訳『史的システムとしての資本主義』岩波書店、1985年); do--- : The Politics of the World Economy, CUP, 1984 (田中・伊豫谷・内藤訳『世界経済の政治学』同文舘、1991年、等。

*2 その意味では、ピオリ=セーブルなどを含めた安易な「段階論」を逃げ道とするよりもむしろ、SSA派にもつながる、いわゆる「後期資本主義」(late capitalism)論の方が、はるかに現実的とも評価すべきであろう。いわゆる資本主義の「危機」という言葉は遠い過去の遺物になってしまったが。 Glyn, A.& Harrison, J.: British Capitalism, Workers and the Profit Squeeze, Penguin, 1972 (平井規之訳『賃上げと資本主義の危機』ダイヤモンド社、1976年); do--- : The British Economic Disaster, Pluto Press, 1980 (平井規之訳『イギリス病』新評論、1982年); Cutler, A., Hindess, B., Hirst, P.& Hussain, A.: Marx's 'Capital' and Capitalism Today, Routledge & Kegan Paul, 1978 (岡崎・塩谷・時永訳『資本論と現代資本主義 T・U』法政大学出版局、1988年);Thompson, G.(ed.): Economic Calculation and Policy Formation, Routledge Kegan & Paul, 1986; Hirst, P.: 'Economic classes and politics', Hunt, A.(ed.): Class and Class Srructure, Lawrence & Wishart, 1977 (大橋・小山訳『階級と階級構造』法律文化社、1979年; do--- : On Law and Ideology, Macmillan Press, 1979 ; O'Connor, J.: The Fiscal Crisis of the State, St. Martin's Press, 1983 (池上惇・横尾邦夫監訳『現代国家の財政危機』御茶の水書房、1981年); do--- : Accumulation Crisis, Basil Blackwell, 1984 (佐々木・青木他訳『経済危機とアメリカ社会』御茶の水書房、1988年); Castells, M.: City, Class and Power, Macmillan, 1978 (石川淳志監訳『都市・階級・権力』法政大学出版局、1989年)。

*3 たとえば、Henzler, H.A.: Europreneurs, Bantam Press, 1994 (大前研一監訳『ユーロプルナー』ダイヤモンド社、1995年).

*4 こうした視点については、日本の「企業社会」を批判してくるなかで、なかば経験的に、内橋克人氏や佐高信氏らが近年強調しているところでもある。内橋克人『共生の大地』岩波書店、1995年、佐高信『日本会社白書』社会思想社、1992年、内橋・奥村・佐高『「会社本位主義」をどう超える』東洋経済新報社、1992年。この最後の共著で奥村氏は、「第三のイタリア」を礼賛し、「大企業病」を批判している。

*5 これについては、詳しくは、拙著、前掲『現代経済と中小企業』、第U章、参照。

*6 中小企業論の「政治経済学」性に言及した研究は意外に乏しい。前記のウォルフレンの「政治(力)学」記述に似た問題関心から、日本の独自の「組織された市場」の成立と戦後政治過程を分析した、樋渡展洋『戦後日本の市場と政治』東京大学出版会、1991年、では、やはり樋口兼次氏の研究を借りて、戦後政治体制の確立と中小企業団体の政治運動、中小企業政策の展開に言及している。

*7 こうした視点から、「規制緩和」万能論を実態の面から批判したものとして、内橋克人・グループ2001『「規制緩和」という悪夢』文藝春秋、1995年、をあげられる。

 

[追記]

 本稿脱稿後、伊東岱吉先生の訃報に接し、感慨無量の思いである。私が先生の謦咳に僅かなりとも接することができたのは、幸運なことであったとさえ感じられる。先生の温かい人柄とリベラルな姿勢に思いをはせ、ここに追悼の言葉を記させていただきたい。

 また、浅沼萬里教授のあまりに早い逝去を知り、哀悼の思いに耐えない。

 

 


[WEBページ版掲載にあたり]

 本稿冒頭に記したように、この稿は、佐藤芳雄教授の慶大商学部退任記念誌(1996年刊)への寄稿執筆のための「研究ノート」であった。その佐藤教授は、1998年夏、64歳にして急逝された。慶大退任後、豊橋創造大学学長として、新しい構想の大学づくりの先頭に立ち、また日本中小企業学会会長として、学界の発展と研究の活性化に活躍を続けられているさなかのことであった。

 私は98年度、英国キングストン大学中小企業研究センター客員教授として、在外研究に従事しており、この信じられないような悲報に接し、二〇年余にわたる学恩にこたえるどころか、ロンドンの地にあって、佐藤先生にお別れを告げることさえかなわない身を嘆くことしかできなかった。

 いまも私の記憶のなかの先生は、温厚な笑顔を浮かべながら、厳しくまた一途に、学問の作法と中小企業研究の新しい可能性を説き続けてこられた姿しかない。97年秋の学会大会(九州共立大学)の席上で、学会運営の指揮をとる一方、多くの研究者たちと交流談笑し、研究と議論のいっそうの活性化を身をもって示されていた元気な姿、それだけが目に焼き付いている。

 先生は、研究と教育に、大学運営に、そして学会のみならず幅広い社会貢献の活動に、いつも忙しく従事されていた。その一方で先生は、大きな病を経験し、手術を経て仕事に復帰されていた。病の再発の不安といつも戦いながら、自分に与えられた期待と責任をいささかも免れることなく、あらゆる可能性にいっそうチャレンジされていた。そういったここ数年の先生の姿は、痛々しいというよりも、神々しくさえ見えた。そして、先生は文字通り、そのたゆまぬ志の半ばにしてたおれたのである。

 「不肖の弟子」としての私にはいま、先生の人生が、もっと長く健やかであって欲しかった、もっと多くのことを教えて欲しかったという、叶わぬ願いとともに、健康の不安を抱えながらあの激務に明け暮れた最後の数年間を、病との静かな取り組みの日々として送っていただくわけにはいかなかったのか、悔やまれる思いがある。もちろん、私自身の生来の怠惰と身勝手が、まわりまわって、先生のさまざまなご苦労を増やすばかりであったに相違ないことを、今さら悔やんでも悔やみきれない。

 しかし、先生の六四年の人生は、真摯にして何ごとにも積極的かつ創造的・前向きな研究者の生き方として、ご自身はいささかも悔いるところなく、人生を完全燃焼させたものなのかも知れない。自分の持てるあらゆる力を最大限に発揮し、学問的良心に恥じるところなど生涯ないまま、充実した日々を過ごしてこられたのかも知れない。

 先生が私たち後進に最後に残してくれたものは、その生き方そのものであったような思いを、いま噛みしめている。

 98年秋、今度は父を亡くし、ロンドンから急遽一時帰国した私は、スイッチが入ったままになっていた自宅の留守録音電話の再生ボタンを押してみて、驚愕した。いまはもう永遠に会えない佐藤先生の声が残されていたのであった。私がロンドンに旅立った直後、先生は私に伝えておきたいことを話しておこうと電話をされたのだが、私が出ないので、留守録の伝言メッセージだけを残しておいて下さったとものと思われた。

 先生は、私が慌ただしく旅立ち、果たさねばならない責務を中途半端にしていってしまったことを責めもせず、そういったことは気にしないで、在外研究に専念し、よい成果をあげられるようにとの期待を語られていた。先生の声にはもう、以前の張りは失われ、弱々しくなってきていたが、伝言の最後に、「では、なによりお元気で過ごして、また会いましょう」と結ばれていたのを聞いたとき、私はあふれてくる涙が止まらないのを覚えた。