菜の花のきれいな季節が過ぎていつのまにか初夏の景となり、裏通りにはもうアジサイの花が咲いている。花に目をやると、ふっとさわやかな風が吹き始め、風は新鮮で優しい言葉を運んでくる。時にはそのような、ひっそりとした、だが、優しい「詩の言葉」に出合うのも心地よい。
佐々木浩さんの詩集「象が死んだら」(書肆山田)は、ちょうどそんな感じのする詩集であった。著者がどんな人か全く知らない。だが、詩集をひもといていくうちに、いまの若い人たちが忘れてしまったのか、それとももう求めることを諦(あきら)めてしまったのか、いずれにしろ表面上は欠落してしまったような、懐かしい言葉に出合うのだ。
たとえば冒頭の詩編「君と同じように幸せ」はこんな風に始まる。
「夏の日の出来事。/僕と君が出会った頃の詩(うた)。/君の手のひらに/ころんと突然/幸せがおっこちてきました。」
どこからか知らないが、ふっと雲から降りて来たような小さな幸せを、君と僕、それは女性と男性なのだが二人して、手のひらに転がしたり、時には口に入れてみたり、ともかく読んでいて、とても素直な気持ちになってしまうのだ。続く詩編「ぽんこつ耳」。「僕は後悔しているのです。君が僕にくれた囁きは、迷子になってしまいました。探しに行こうと思います。でもあの囁きたちは、どんな表情をしているのか僕にはわかりません。」。これは散文詩だが、やはり、君と僕で囁(ささや)き(幸せ)を巡ってのさりげないやり取りが繰り返される。同じパターンで最も秀逸なのが最後に置かれた「ぶらんこの詩」。いつかどこかで見たような、優しい風景が展開する。
後書きによると作者は27歳。20歳代前半に雑誌「ユリイカ」などに発表したものだ。「純真無垢な詩を信じられないからこそ、純真無垢な詩を書きたいと僕は願っています」と著者は言う。作品の中にいつもいる「君」と「僕」の関係がとてもうまくいってる。いや、それは詩の中であるからだろうが。【酒井佐忠】