うちのママは世界一

きょうはね お台所
いつのまにか 水浸し
ママが 水道締め忘れ
あわてんぼの ママ

 アメリカは光っていた。

 テレビの創成期、まだ放送時間帯をうめるために、アメリカ製のテレビドラマが幅をきかせていた頃。

 ガレージ、乗用車、芝生のある前庭、大工仕事のできそうな裏庭、玄関ホール、階段脇の”father clock”、”comfortable”という単語をいっぺんに憶えさせてくれそうなソファー、背丈を超える大きな白い(モノクロだったからほんとうに白かったかどうかはわからないけれど)冷蔵庫、・・・。これらのものは、ほとんどすべてテレビドラマで知った。

 「パパはなんでも知っている」、「うちのママは世界一」、「ビーバーちゃん」、・・・。アメリカは光っていた。

 小学校から中学校にかけて、よく見たのは「うちのママは世界一」。長女のメアリーが好きだったのだ。

§

 やがて、メアリーを演じている女優さんがシェリー・フェブレーという名前だと知り、「ジョニー・エンジェル」を聴き、「スクリーン」だったか「映画の友」だったかに掲載された写真を切り抜き、・・・、少年がやりそうなことはひととおりやった。

 熱が醒めたのは、彼女が「フロリダ万歳」という、あのいけ好かないプレスリー(^^;)の映画に出たからか、新たに始まった「カレン」のデビー・ワトソンに浮気するようになったからか、どちらだったろう。

 いつのまにか初恋の人はほとんど記憶の霧の彼方になっていた。

§

 そのシェリー・フェブレーに再び会ったのは、91年、出張で西海岸に向かう機内だった。

 もちろん、直接に会ったわけではない。ユナイテッドの機内誌で「会った」のだ。

 パラパラとめくるどこかのページに、その写真を見つけたとき、「あ〜、シェリーだァ」と声を上げたことを憶えている。

 あこがれの人は、第一印象では少し老けている、でもどことなく上品に老いているという感じがした。その理由は記事で知れた。母親がアルツハイマーになり、彼女はその介護にほとんどの時間を費やしてきたということだった。

 かつてあこがれた人はやはり美しかった。母親にかかり切ったということを念頭に見るから、よけいに美しく見えたのかも知れない。美しく歳をとるということは易しそうで難しい。だから、「再会」したときに、ほっとできる、これはもうすごく嬉しい。

 記事は英語。おおよその話しか読み取れず、その機内誌は大切に持ち帰った。あまり大切にしたせいか、どうしても見つからない(^^;)のが、残念でならない。

だけど素敵なの ママ
ママのお料理は ほら
ママだから だからね
ママだけよ だけよね
<この項終わり>

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