北安曇郡松川村

安曇野ちひろ美術館

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安曇野ちひろ美術館 ( 2001. 3. 3 )

安曇野ちひろ美術館

 安曇野ちひろ美術館
 北安曇郡松川村の「安曇野ちひろ美術館」で行われていた新館増設工事がこのほど終了し、関係者を招いた記念セレモニーがオープン前日の二月二十八日に開かれた。当日は、映画監督の山田洋次さんや名誉館長の黒柳徹子さんが来館され、地元の松川中学校の生徒と美術館の開館を祝った。また、オープン初日の三月一日には、新たに展示されたちひろの絵や資料を見ようと、県内外から大勢のファンが訪れ賑わった、と地元紙は伝えている。
 今年は例年になく雪が多かったため周辺の状況が気になったのだが、二つある駐車場に降り積もった雪は、職員さんたちのご尽力できれいに片付けられ、遥々訪ねてくる熱心なちひろファンを心待ちしているようだった。
 
 いわさきちひろ ( 1918 - 1974 )
 ちひろは、福井県武生市生まれの東京育ち。1936年、東京府立第六高等学校(現在の都立三田高校)卒業。この年の朱葉会女子洋画展に出品した作品は「朱葉会賞」を受賞する。絵は第六高女在学中から始め、岡田三郎助、後に中谷泰、丸木俊らに師事したという。岡田三郎助( 1869 - 1939 )は、近代洋画に功績を残した画家として有名だが、彼は信州に縁のある画家で、上水内郡牟礼村の平出地区に咲く桃の花の風景を「丹霞郷」と命名した人物として我々にも馴染み深い人物だ。ちひろはその岡田氏から油絵を学んだという。
 卒業後は、婿養子となった男性と結婚し満州(現在の中国東北部)大連に渡るが、男性の死亡により帰国。しばらく間をおいて再び満州へ。しかし、戦局の悪化などの理由から知り合いの部隊長の手配で日本に帰国し、母の実家に近い松本市島内新橋に疎開する。
 松本におけるちひろは、経験した戦争の影響からか政治活動に傾注したらしく、終戦の翌年に日本共産党に入党、街頭に張るポスターなどを描いていたという。五年後の 1950年、弁護士を目指す松本善明氏と結婚。翌年には、猛氏を出産。妻として、母として、勉学に勤しむ夫の代わりに、一家の生計を支える日々を過ごすようになる。
 ちひろの画風の変遷については、専門家やファンの方々が媒体を通じ紹介されているので、敢えて記すまでもないのだが、ただ、猛氏の誕生を境に、子供を題材にした作品が主体となっていったという事実は、何れにも共通する見解として異論はない。子供の成長を見守りながら、その姿を書きとめていった「母・ちひろ」の思いは、やさしさがいっぱい詰まった独創的なタッチで、男の子だったり女の子だったり、その姿に投影され、子供を持つ親たちの共感を呼んでいる。最近では、ちひろの影響を受けた若いお母さんたちがわが子の姿を描いている、といううれしい話を聞くことも少なくない。
 作品については、『戦火のなかの子供たち』(岩崎書店)や画集『ちひろ美術館』(全十二巻 講談社)、『いわさきちひろ作品集』(全七巻 岩崎書店)などがある。そのちひろも1974年に死亡。享年 55歳。もう少し長く生きていたら、また違った作品が見られたかもしれない。

 安曇野ちひろ美術館レポ
安曇野ちひろ美術館正面入口
 「安曇野ちひろ美術館」は、南安曇郡梓川村から続く山麓線(県道有明大町線)沿いにある。もっと詳しく記せば、松川村自慢の温泉 馬羅尾温泉すずむし荘 の北側、といったほうが早いかもしれない。その山麓線と乳川(ちがわ)との間の約 35000平方メートルの敷地に美術館は建てられている。開館は、平成九年四月。正面には、池と石のオブジェが飾られており、夏になると、子供たちが裸足で池に入り、水と戯れる様子が見られる。第二駐車場のある施設の北側には、昭和 41年にちひろが上水内郡信濃町の黒姫高原に建てた山荘が復元され、信州の自然になかで創作された作品が展示されているという。
 美術館は、駐車場から少し歩いた丘の上にある。遊歩道が設けられているので安心して歩くことができるが、車椅子を使われている方々には、美術館の西側に専用の駐車場が設けられているので、こちらを利用したい。段差がないので不便に思うことはないだろう。
 入館料は、大人が八百円、中高校生は五百円、小学生は三百円。二十名以上の団体や身障者手帳を持っている方と介添えの方、六十五歳以上の方は百円引きとなる。入口を入り左側に受付があるのでここで支払う。すると、受付の女性職員さんからバッチ(金具を折り曲げるもので十円玉くらいの大きさ)を渡されるのでこれを身に付ける。話では、バッチを付けておくと、一日の間に何度も館内を出入りすることができるそうだ。何か事情があれば利用できるかもしれない。
 館内は木目を生かしたもので、自然光を取り入れた明るい作り。美術館といえば、暗い箱の中に入る、というイメージが強いのだが、ここではそのような趣きはない。しかし、展示室は光や湿度等の環境の変化により貴重な絵が劣化しないよう自動ドアで仕切られ調整が計られている。
 展示室は全部で五つ。第一展示室は、ちひろの代表作や絵本の原画、画風の変遷などを紹介した展示室で、ここには確認できるものが現在のところ、全部で十三点という貴重な油絵もここに展示されている。アンデルセンの童話「おやゆびひめ」や「あかいくつ」に添えられた原画にも注目したい。
 第二展示室は、ちひろの人生を取り上げたコーナーで、生い立ちから没するまでが写真や手紙などとともに紹介されている。移転した都内の住居の地図や疎開した松本市内におけるゆかりの地を記した地図は、個人的には興味深いひとつだった。また、ここには、ちひろの書斎が実際に使用していた品々とともに復元されている。大きな机には、立っても、座っても作品に取り組むことができるように工夫が施されたもので、些細なことかもしれないが、そうした遺品のひとつひとつからも、ちひろの作品に対する思いが伝わってくるようだった。
 今回新しく増設されたのは第三〜第五展示室。ここへは、ギャラリーから渡り廊下を通っていく。世界の代表的な絵本画家による作品や絵本の歴史に関わる貴重な資料が展示されているので見ておこう。

 どこの駅を描いたものか?
 ところで、ここで注目したい作品がひとつある。それは、鉛筆による、ある駅をスケッチしたもの。今期の開館前に、地元の地域紙(市民タイムス)において、どこの駅かわかる方がいたら連絡を…、と呼びかけていたあの作品である。たばこの看板とホームが二つ。スケッチをした日時から長野県内にある「駅」ということまではわかっているそうだが、なかなか決定打が見出せないようだ。もしわかる方がいたら、美術館に連絡してほしい。

 ちひろと燕岳(つばくろだけ)
 今回、美術館を訪ねると、燕山(えんざん)荘の前のご主人である赤沼淳夫さんの「ちひろが愛した燕岳と安曇野」と題した写真展が開催されていた。燕岳は北アルプスに連なる標高 2763m の山で、燕山荘は燕岳や大天井岳を経て槍ヶ岳に向かう登山者で賑わうことで知られる。そのベースとなる麓の中房(なかぶさ)温泉は、松川村から約十五キロほどのところにあり、ちひろも 1928年に父正勝氏に連れられここを訪ねている。また、その後も機会があるごとにここを訪ねたそうだ。
 展示室には、燕岳の登った時に描いたというスケッチが公開されている。信州の自然を愛したちひろの人柄が伝わってくるものとして、個人的に注目したい作品のひとつでもある。ぜひご覧頂きたい。

 安曇野いわさきちひろ美術館 北安曇郡松川村西原
 TEL 0261-62-0772 FAX 0261-62-0774
 [ 開館期間 ] 3月 1 日 〜 11月 30日
 [ 開館時間 ] 9: 00 〜 17: 00 ( GW と 8月は 18: 00 )
 [ 休館日 ] 第二・四水曜日(祝日の場合は翌日)
       ・ 冬期休館 12月 1日 〜 2月末日
       ・ GWと 8月は無休
 [ 参考HP ] ちひろ美術館ホームページ

この記事は、平成 13年 3月 3日現在のものです。



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