飯田市
霜月祭り
上島・白山神社
( 2004 )
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| 上島・白山神社の「霜月まつり」 ( 2004. 12. 4 ) |
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| 修行を積んだ禰宜が素手で湯を跳ね飛ばす「湯切り」 |
神を迎える祭り 「霜月まつり」
遠山郷に古くから伝わる「霜月祭り」は、万物の生命力が衰える十二月(旧暦で霜月)に、煮えたぎる湯を素手ではねのけ、邪悪を追い払い、魂を蘇生させる宮廷儀式のひとつ「湯立て祭」が始まりといわれている。南信濃村や上村にどのような経緯で伝えられたものかは不明であるが、説によれば、江戸時代の元和年間に滅ぼされた遠山土佐守一族の死霊を鎮める儀式が後から加えられ、今日に伝わっているとされている。
南信濃村のホームページ(当時)によれば、「霜月まつり」には「木沢系」(木沢・小道木・上島・須沢・八日市場・中立)、「和田系」(和田・尾野島・大町)のほか、隣の上村に伝わる「上町系」「下栗系」の四つに分けられるという。南信濃村の「霜月まつり」の場合であれば、使用される面もそうだが、神事が行われる場所の「湯飾り」や「竈」(かまど)の種類、踊りやお囃子にも「木沢」と「和田」とでは微妙な違いがある。今や全国的にも知られるようになった信州・遠山郷の「霜月まつり」。深く知るには、この二つの地区の違いを見比べる必要があるだろう。
ここでは、平成十六年十二月四日(土)、南信濃村上島地区の白山神社で行われた「霜月まつり」の様子を取り上げてみる。上村との村境に近い上島の白山神社で行われる「霜月まつり」は、いわゆる「木沢系」に属し、「湯飾り」の下には「竈」(かまど)が二つ設けられているものだ。
祭りは午後から順に式次第に則って行われ、午後六時くらいから湯立てが始まる。面が登場するのは午後九時過ぎから。「火の王」「水の王」が「湯を素手ではねのける」場面は、三十を越える面が順に「竈」周辺を巡る最中に行われる。修行を積んだ禰宜(ねぎ)が天狗の面を被り、「竈」の周辺が慌しくなった頃に「えいっ」と右手で煮えたぎる湯を切る。また、この間にも「木沢系」にしかない、四人の若者が「竈」の周辺を飛び回る「四面(よおもて)」などの見逃せない場面が続く。 |
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| 三遠南信自動車道「矢筈トンネル」 (下伊那郡喬木村〜上村) |
下伊那郡喬木村から南信濃村へ
地元紙のイベント情報に「午後五時ごろから…」と記されていたことから、午後四時過ぎに飯田市内を出発。三遠南信自動車道の「矢筈トンネル」を抜け、上村経由で現地に向かうこととした。以前、飯田市のお隣の喬木村までは訪ねたことのある管理人だったが、そこから先は未だ訪ねたことのない地域。次第に暗くなる山道と、通過中の低気圧の影響による雨模様の天候に、何とも心細さが残る道中となった。
飯田市から三十分ほど国道を走ると、突然、巨大な人工建築物が現われた。五十メートル以上はあると思われる橋桁が何本も山間に建つ姿は驚くばかりだ。「三遠南信自動車道」。現在、計画中にあるこの道路は、中央自動車道飯田南JCTから分岐し、上村・南信濃村などを経て、先は静岡県引佐郡三ケ日町の東名自動車道と接続することになっている。
しかし、現在完成しているのは、伊那谷と遠山郷を結ぶために設けられたこの「矢筈トンネル」だけ。日本の道路整備事業は、道路公団の運営方針の是非を巡って紛糾しており、新規道路の建設は先行き不透明の状態にある。そうした影響を受け、建設半ばで取り残されている高速道路は全国に幾つもあると聞くが、この道路もおそらくそうした事情によるものなのだろう。初めて訪ねた人間には驚くようなこの風景は、日本の道路行政の歪みを象徴しているものともいえる。
「矢筈トンネル」を抜け、そのまま南信濃村方面に向かう。所々に狭い部分はあるものの、道路の整備は万全で問題なし。ただ、ますます強く降り始めた雨には閉口。そのため、ナビで確認しながら現地に向かったにもかかわらず、いつしか南信濃村上島集落の入口を通過してしまい、気が付いたらもう少しで役場のある和田の手前まで進んでしまっていたのだった(泣)。 |
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会場の様子
午後五時過ぎに上島の白山神社に到着。まつりの会場はまだ中休みということで、聞けば午後六時まで自宅で夕食をとっているとのことだった。そのようなわけで、会場には係の方が数人と見物人では自分とご夫婦が一組だけだった。そこで、賑やかになる前に「湯飾り」の様子を見学してみた。見るものすべてが初めての自分には、それぞれがどのような意味のあるものなのかはわからないのだが、事前に用意( 南信濃村ホームページ )しておいた「湯飾り」と「釜」の配置をひとつひとつ確認してみる。
先ず、「湯飾り」だが、中央に「鳥居」が、そしてその両脇に「格子」が等間隔で置かれ、「釜」と垂直なる位置には、太陽を模ったまん丸の「日天子」と月を模った半月の「月天子」がある。これらは、祭りが終わった後にご利益があるとのことで持ち帰る人たちが多いそうだ。
板張りの壁を見てみる。そこには、舞や面が登場した時など呪文のように唱えられる文句を記したものが幾つか張られている。これまた意味不明のもので、おそらく地元の方々なら知っていることなのだろうが、凡そ観光客には理解のできないものばかりであった。
「湯立神楽」
1.おん白たえを 諸手を持ちてナーヤーヤ 好むには四方の神をナー ヤンヤーハーハー
2.東方南方の神々をナー 諸手を持ちてヤンヤーハーハー 拝むには四方の神をなー ヤンヤハーハー
3.西方や北方の神々を 諸手持ちてナーヤー ヤンヤーハーハ
4.中方十二ヶ方の神々を 諸手に持ちてナーヤンヤーハーハー
5.東方南方の神々を 湯殿へ渡すナーヤンハーハ 揚衣めせあやか錦きかナ ヤンヤーハーハ
6.西方北方の神々を 湯殿へ渡すナーヤンハーハー ヤンヤーハーハ
7.中方十二ヶ方の神々を 湯殿へ渡すナーヤンヤーハーハ 湯衣めせあやか錦きかナ ヤンヤーハーハ
8.湯衣こそ神はよろこぶナー ヤンヤハーハ 湯衣めせ七ッ重ねてナー ヤンヤーハーハ
9.火を切りて水を生ずるナー ヤンヤーハーハ 垂れて来て釜清よまやとナー ヤンヤーハーハ |
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子供たちの「霜月まつり」
午後六時になって子供たちが登場。案内によれば、普段から学校で地元の伝統文化である「霜月まつり」を勉強しており、この日は一年かけて自分たちで作った「面」で踊るということであった。参考までに「火の玉」と「金山様」は山下直人くん、「お狐様(稲荷様)」と「水の王」は仲山 徹くん、「朝日様」と「秋葉様」は村田裕次くん、「小嵐様」と「天伯」は仲山雄貴くん、太鼓は松下浩平くん、吉村賢吾くん、近藤 司くん、近藤 光くんというメンバー構成。仲山雄貴くんについては、信濃毎日新聞にも取り上げられたのでご存知の方も多いことだろう。
さすがにここでは「湯切り」は行われず、本祭りのためのデモといった演出となったが、皆、しっかり練習をされていて、何も知らない我々には非常に参考になるものだった。 |
いよいよ「霜月まつり」本祭り
「霜月まつり」で行われる儀式については、南信濃村ファンクラブ アンパマイカ のホームページ内に掲載中の「遠山郷辞典」を参考に記してみたいと思う。
先ず始まるのは「湯立て」の儀式。これは村内の神が、全国からやってきた神々に湯を捧げてもてなすものとのこと。「湯木」を背にした禰宜が竈(かまど)の前に座り呪文を唱え、続いて「湯木」を手にして舞いながら竈の周囲を一周する「湯木の舞」。さらに、一対になった「湯木」を解き、両手に「湯木」を持って神楽歌を歌い始める。この神楽歌とは、前にも記した板張りの壁に貼られている長い文句のことだ。舞が終わると「湯木」の先を湯に浸し、神々の名前を唱える「神拾い」の儀式が行われる。
「遠山郷辞典」によれば、この「湯立て」の儀式は一つの湯に四十分かかるという。これを七回、七つの湯を行うわけで、単純に計算してもこの儀式だけでもじつに五時間近くはかかることになる。午後七時から始めても「湯立て」の儀式が終了するのは午後十一時頃であり、さらに様々な舞が披露され、クライマックスである面の登場と続けば、確かに朝方まで祭りが行われるのもわからないではない。 |
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| 四つ舞(扇の舞) | 四つ舞(剣の舞) |
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| たすきの舞(扇) | たすきの舞(剣) |
続いて行われたのは「四つ舞」(扇の舞・剣の舞)と「たすきの舞」。「四つ舞」は、竈を囲んで四人の舞手が二人ずつ対となって行うもので、右手に鈴を持ち、左手に扇、後に剣に持ち替えて舞いうもの。「たすきの舞」は、やはり舞手四人で行うもので、こちらは扇の舞と剣の舞が行われる。いろいろな作法(アオリ・五方・タメタリ・オケツ・キンタマ等々)があるようで、さすがの舞手も舞台演出の方の指導を受けながら、どうにか儀式をこなしているようであった。
<四つ舞・扇>
アオリ(二回)、五方(三回)、アオリ(二回)、タメタリ、オケツ、タメタリ、アオリ(二回)、ヤーハイ、ナラシ、ヤーハイ
<四つ舞・剣>
フリコメ、ヤーハイ、キンタマ、タメタリ(八回)、オケツ(六回)、タメタリ(六回)、フリコメ、ヤーハイ、チラシ、ヤーハイ |
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| 禰宜二人による しずめの湯 |
因みに「遠山郷辞典」によれば、「四つ舞」と「たすきの舞」の間には、禰宜と氏子が神明帳で招いた神々にお帰り頂く「中祓い」が行われることになっている。残念ながらその時の記録がないため、どのような状況だったのかはわからない。記述によれば、竈の前にムシロを敷き、禰宜と氏子が三条の祓いと神返しの神楽(かぐら)を歌う儀式のようだ。参考までに記しておく。
午後八時五十分から始まった儀式は「しづめの湯」。禰宜二人が「湯立て」と同様に行う儀式で、ここで招く神は儀式の後に登場する面の神々だという。写真の禰宜は、木沢霜月祭り保存会会長で小道木熊野神社の禰宜の鎌倉さん。 |
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| 火の王 | 大黒様 |
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| 婆と神太夫 | 稲荷様 |
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| 天伯と本谷天拍 | 弓を引く本谷天伯 |
「面」の登場
全国の神々を送り返した後の登場するのが、村内に祀られている神々を模った「面」。今回訪ねた上島の白山神社だけでも、写真をご覧のように三十数枚もある。神社によって登場する「面」が異なっているようなので、各地の行われるまつり会場で見比べてみよう。
いろいろ登場した「面」なかで印象的だったのは、「子安様」「大黒様」「婆」「神太夫」「稲荷様」「天伯」「本谷天伯」だろうか。「子安様」は人形を抱いた女性の姿で登場するもの。「大黒様」はまさにひょうきんそのもの姿で登場。「婆」は手に榊を持ち、見学者たちにご利益を授けてくれるのだが、ここで「ばあさばあさ」とでもノタマウものなら、その慈悲深さもどこへやら。突然と豹変して、囃し立てる氏子らに榊で殴りつけるという荒々しさを爆発(笑)。「神太夫」は、「婆」に遅れて登場し、最後は「婆」と抱き合ったまま退場する「面」。「稲荷様」は、まさに狐の仕草で舞うひょうきんな「面」。「天伯」は赤い「面」を、「本谷天伯」(ほんたにてんぱく)は緑の「面」で登場。「天伯」は剣を持ち、「本谷天伯」は白山神社にのみ登場する「面」で、弓矢を持ち、「天伯」同様にゆっくりとした動作でまつりを締めくくる「舞」を披露する。
「湯切り」
「霜月まつり」でよく知られた場面といえば、修行を積んだ禰宜が素手で釜の湯を跳ね飛ばすところだろう。今回のまつり見学をするまで「霜月まつり」の「湯切り」のシーンは、面を被った人々全てが行うものと思っていたのだが、実際に釜の湯を跳ね飛ばすのは「火の王」と「水の王」の面を付けた二人だけである。「火の王」は登場する面のトップバッター。「水の王」は最後から二番目、「天伯」の前に登場し「湯切り」を行う。 |
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「四面」(よおもて)
この「四面」は、木沢系の「霜月まつり」にのみ登場するもの。「四面」とは山の神など四つの面の総称で、登場するや否や、竈の周辺で氏子たちの「ヨーセ、ヨーセ」の掛け声とともに跳びまわる「面」たちのことだ。動きが優しいとされる「木沢系」の「霜月まつり」では、「湯切り」を静と例えるならば、「四面」は動の見どころとして注目を集めている場面となっている。
「四面」の登場は、厳かに行われていた儀式の流れを変える盛り上がりをみせる。ふらふらになりながら飛び回り、最後は両手両足を抱えられ本殿に運ばれていってしまう姿は、なんともひょうきんだ。きっと、いつまでも踊ってんじゃないよ!ということなのだろう。神を敬いながらも、ちょっとした人間臭さが残っているのがこの祭りの特徴ともいえる。
ここではほんの僅かだが動画( Quicktime movie )を用意してみた。ぜひ、その場の雰囲気を味わってほしい。 |
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| 釜割り |
最後に
全ての「面」が登場し、禰宜らが「釜割り」を行ったのは午後十一時過ぎ。「遠山郷辞典」によれば、この儀式が行われるのは概ね午前四時頃ということであるから、上島の白山神社の「霜月まつり」は比較的早い時間に終了したことになる。
木沢系の「霜月まつり」が行われる地区では、この時期、人員を互いに融通して祭りの維持に努めているという。高齢化と過疎化の進行は、もはや時勢といえばそれまでだが、そうしたなかで、代々受け継がれてきた伝統を守るためにはどうしたらよいか、多くの人々が考えた末にたどり着いた結論が人員の融通ということなのだろう。自分たちが守らなくて誰が続けていくのか、こうした集落の人々の思いがこの祭りを支える原動力になっている。
<管理人ひとこと>
長野市から下伊那郡南信濃村までおよそ二百キロ。この日は低気圧の通過ということもあり、下伊那地方には大雨警報も出されるなかでの南信濃村行きとなりました。一度は見てみたいと思っていたこの祭りでしたが、評判どおりの、それはそれは素晴らしいものだったように思います。南信濃村では、この「霜月まつり」を楽しむツアー(主催:南信濃村ファンクラブ・アンパマイカ)の企画もありますので、機会がありましたら参加されてみてはいかがでしょうか。
「霜月まつり」については、南信濃村ファンクラブ アンパマイカ に詳しく紹介されています。
この記事は、平成 16年 12月 4日に取材・撮影したものです。
下伊那郡南信濃村は、平成 17年 10月 1日に飯田市と合併しました。 |
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