飯田市

黒田人形奉納公演
( 2003. 4. 13 )

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南信州新聞社
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黒田人形奉納公演 ( 2003. 4. 13 )


黒田人形奉納公演 「寿式三番奏」 (下黒田諏訪神社)

 黒田人形奉納公演
 飯田市下黒田( 地図 )にある諏訪神社では、毎年四月の第ニ土・日曜日に、元禄年間( 1700年頃 )から続くという国選択無形民俗文化財の「黒田人形」奉納公演が行われる。上演は、土曜日が午後七時から、日曜日は午後一時からで、境内に設けられた「専用舞台」(国重要有形民俗文化財)では、定番の「寿式三番叟」「絵本大功記 尼ヶ崎の段」「鎌倉三代記 三浦別の段」などが披露される。
 公演では、太夫と三味線、そして「主遣い(しん)」「左遣い(さし)」「足遣い(あし)」を受け持つ三人の遣い手らの意気の合った演技が見もので、発祥の地として知られる淡路にも伝わっていない独特の技もここには残されているという。これは、天保年間における幕府の人形公演禁止令により、大阪などで活躍していた多くの人形遣いたちが各地に流れ、地域の人々によって密かに行われていたこの地に人形遣いたちが定住し技を伝えたから、といわれている。
 現在は、黒田人形浄瑠璃保存会が地域に伝統芸能の保存・継承を受け持っており、地元飯田市の高陵中学校にある「黒田人形クラブ」の生徒たちもその技の伝習に励んでいる。平成十一年には、後継者の育成の場として「黒田人形浄瑠璃伝承館」が完成し、黒田人形の稽古や伊那谷四座(「上伊那郡箕輪町・古田」、「飯田市・黒田」、「飯田市・今田」、「下伊那郡阿南町・早稲田」)の合同研修の場に活用されている。
 ここでは今回の定期上演のなかから、開演後に行われた「寿式三番叟」と近松徳叟の原作「生写朝顔」を人形浄瑠璃用にアレンジされた「生写朝顔日記」から「宿屋の段」を紹介する。


関係者から挨拶「翁」(寿式三番叟)

 定期上演 「寿式三番叟」
 午後一時。県内外から訪れた観客でいっぱいとなった会場では、開演に先立ち、黒田人形保存会の関係者から挨拶があり、続いて「翁」が天下泰平・五穀豊穣を祈り舞う「寿式三番叟」が行われた。「三番叟」の上演は、当日予定されている演目のなかでの最初に行われる儀式曲で、人形浄瑠璃の成立以前からあるもの、能を写したものなどその形態はさまざまなのだそうだが、会場で配布される黒田人形保存会・上郷公民館作成の案内によれば、下諏訪神社に伝わる「寿式三番叟」は、天明年間にこの地を訪れた吉田重三郎という人形遣いが人々に伝授した淡路の三番叟に近いものとされている。
 さて、この黒田人形における「寿式三番叟」。配布された案内によれば、先ず「翁」と「千歳」の二人が三番叟が登場し、「千歳」の舞いの後、「翁」が面をつけて五穀豊穣を祈り舞い納める。そのあと二人の三番叟が連れ舞い、鈴を持って種まきのしぐさを見せ、やがて舞い疲れて休もうとするが、ほかの一人に励まされ、めでたく舞い納めて終了する。主な見どころを挙げるとすれば、腰をくねくねさせながら「翁」が種まきの仕草をするところだろうか。上演時間は、概ね十分ほど。


 定期上演 「生写朝顔日記 宿屋の段」
 続いて上演されたのは、近松徳叟の「生写朝顔」が原作だという「生写朝顔日記 宿屋の段」で、黒田人形での公演では、天保三年( 1832 )大阪竹本座で作られたものが演じられる。登場人物は、「深雪」(朝顔)、「駒沢」「岩代」「徳右衛門」で、太夫と三味線はそれぞれ女性が担当した。

 あらすじ
 東海道田島宿のえびすや徳右ヱ門方に泊まった「駒沢次郎左ヱ門」は、衝立の張りまぜに自分の歌があるのことに不審を持ち、亭主にその訳を聞くと、中国あたりの歴々の娘が、尋ね人を探して苦労するうちに目を泣きつぶし、あの歌を歌って袖乞いしている者とのことだった。そこで、「駒沢次郎左ヱ門」はその娘を呼んで歌を歌わせ事情を聞いてみると、この娘、秋月弓之助の娘「深雪」(朝顔)で、宮城阿曽次郎(駒沢次郎左ヱ門)を恋い慕って探していることがわかった。
 翌朝出立の時、「駒沢次郎左ヱ門」は「徳右ヱ門」に昨夜の娘にこれを渡してくれと、金と扇、目薬の三品を手渡す。目薬は、唐伝来の秘薬で、甲子の男の生血とともに飲めば、どんな眼病も忽ち治るものだった。
 「駒沢次郎左ヱ門」が出立して間もなく「深雪」が来たので預かった三つの品物を渡したところ、「深雪」は扇に何か書いてありませんか、と「徳右ヱ門」に尋ねてきた。見るとそこには「深雪」の歌があって、さらに宮城阿曽次郎こと「駒沢次郎左ヱ門」とあったのだった。これを聞いた「深雪」、「知らなんだ、知らなんだ、道理で声が似ていると思った」と叫びながら「駒沢次郎左ヱ門」の後を追う。

 しかし、折からの大雨に、大井川は大水のため川止めとなっていた。「深雪」は、悲しみのあまり川へ身を投げようとしているところへ、「徳右ヱ門」が一人の男とともに駆けつけ、身を投げようとしている「深雪」を抱きとめる。じつはこの男、「深雪」(朝顔)の父秋月弓之助の下郎でだった関助で、この男から「徳右ヱ門」は「深雪」が秋月の娘であることを知って驚くのだった。というのも、「徳右ヱ門」は、もと古部三郎兵衛といい、秋月に命を助けられたことがあったからだった。
 ことの次第を知った「徳右ヱ門」、「深雪」への土産とばかり己が腹に短刀を突き刺し、「甲子の男なれば、この血をもって目薬を飲め」と「深雪」に勧める。「深雪」は、「徳右ヱ門」の血をとともに目薬を飲むや否や、忽ち目が治る…。

琴を弾く深雪(朝顔)身の上話をする深雪
徳右ヱ門に三品を渡す駒沢「扇」を読む徳右ヱ門
駒沢を追いかける深雪大井川の端で泣き崩れる深雪

 みどころ
 案内では、「深雪」が琴を弾く場面(写真左上)、続いて、「深雪」が知らずに恋慕う駒沢(宮城阿曽次郎)の前で身の上話を始める場面(写真右上)、そして、その駒沢を追って大井川まで来たものの、川止めによりこれ以上先に向かうことができず、嘆き悲しむ場面(写真右下)の三点を挙げている。何れの場面も、それほど激しい動きがあるわけではないのだが、三人の遣い手の息が合っていないと、その微妙な動きを表現することが難しく、技術が試される場面であったように思われた。

 さて、今回の上演に疑問だったこと。それは、「深雪」(朝顔)が「駒沢次郎左ヱ門」(宮城阿曽次郎)を追って大井川まで来て、悲しみに暮れる場面で幕引きになってしまったことだろう。「あらすじ」にはその後の展開についても記してみたが、個人的にはここから先の部分がクライマックスのはずで、何故ここで幕引きになってしまったのか、未だにわからない。
 案内によれば、ここまで登場した人形の遣い手には総勢十五名の方々が参加しているとのことなので、ここから先を演じる(役柄:下郎関助)にはもう一組の遣い手(三人)が必要であることを考えると、準備が整わなかったか、他の演目との兼ね合いで参加できる遣い手に余裕がなかったからなのかもしれない。あらすじを読むかぎり、場面展開の上では重要な部分と素人ながらにも感じたので、次回は、ぜひ最後まで演じてほしいと思っている。


 下黒田の専用舞台(国指定重要有形民俗文化財)
 天保十一年( 1840 )に建て替えられたもので、間口八間、奥行き四間、総二階建て瓦葺き出桁造り。
 飯田市黒田人形浄瑠璃伝承館
 伝統人形浄瑠璃の後継者の育成の場として、平成十一年七月に竣工した施設。下黒田諏訪神社に隣接。

「黒田人形奉納公演」については、平成 15年 4月 13日に取材・撮影しました。

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