上高井郡小布施町

曹洞宗梅洞山
岩松院

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曹洞宗梅洞山 岩松院

春の岩松院
春の岩松院


  曹洞宗梅洞山 岩松院
 岩松院は、室町時代に創建された曹洞宗の寺院。江戸時代初期、広島城修復工事に際して幕府の許可を得なかった罪から、信州川中島二万石の大名に減封され、高井野村(上高井郡高山村堀ノ内)に居を構えた戦国武将の福島正則が元和五年( 1619 )に再興した。

 福島正則
福島正則霊廟
福島正則霊廟
  福島正則は、永録四年( 1561 )尾張国ニッ寺村(愛知県美和町)に生まれ、豊臣秀吉の家臣として活躍する。加藤清正らとともに臨んだ柴田勝家との戦いでは「賤ヶ岳七本槍」の一人として名を馳せ、その功績を認められ尾張清洲城主へ。さらに関ヶ原合戦では石田三成率いる西軍に組みせず、東軍の先陣をつとめるなどの活躍から、安芸・備後四十九万八千石を所領とする大名へ抜擢された。
 しかし、豊臣恩顧の外様大名であったため、元和五年( 1619 )に災害のため崩落した広島城の石垣を、幕府の許可を得ずして修復工事を行ったことからその罪を咎められ、信州川中島二万石、越後魚沼郡二万五千石に減封されることとなる。
 高井野村(現在の上高井郡高山村堀ノ内)に屋敷を構えた正則は、現在須坂市と小布施町の境を流れる松川の洪水対策を実施。堤を築き、町内を蛇行する松川を直接千曲川に導くもので、洪水に悩まされてきた小布施は、この工事により整備が進み、以後北信濃を代表する商都として発展することとなる。正則の築いた堤は、「(大夫の)千両堤」の名称で、その跡が町内に残されている。
 寛永元年( 1624 )七月死亡。生前の正則は、仏教を深く信仰した武将として知られ、岩松院を菩提寺と定め、海福寺の寺号を付けている。本堂裏手の霊廟には、戒名「海福寺殿前三品相公月翁正印大居士」を台石に刻んだ五輪塔が現存、位牌は愛知県美和町の菊泉院に残されている。

 八方睨鳳凰図
 江戸末期の豪商高井鴻山の招きでこの地を訪れた葛飾北斎が、弘化四年( 1847 )から描き続けた本堂天井絵。北斎八十九歳の作品で、畳二十一畳分に値する大作は今日も鮮やかな色彩を放っている。

 蛙合戦
 桜の咲く頃になると、本堂裏手の小さな池では、数百ものヒキガエルが集まり、求愛合戦が始まるという。ここには、蛙合戦の様子を見て詠んだといわれる、俳人小林一茶の代表作「やせ蛙 まけるな一茶 これにあり」の句碑が立てられているので見逃さないように。


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