医者の目記者の目13


「ケアを問いなおす」を読む

 

広井良典という方の「ケアを問いなおす <深層の時間>と高齢化社会」という本を、雑誌の書評を頼まれて読んだ。読んだ後、あらたに3冊買い求めた。2冊は親しい人に送りつけ、1冊は診療所の待合室に置いて患者さんにも勧めている。目を開かれ、刺激を受けることが大変多かったからだ。で、雑誌用の書評を少し手直しして(雑誌は医師向けなので)、ここにも紹介することにする。

ケアという言葉は街にあふれている。「お肌のケア」「ターミナルケア」などなど。私自身ケアに関わる仕事をしている。しかし、ケアという言葉の意味そのものを、私はこれまで深く考えたことがなかった。いや、そのことに、この本を読み終わって初めて気づかされた、といったほうが良い。まさにケアを問い直されてしまったわけだ。

 

プロローグで筆者広井氏は、英語のケアという言葉が、

1) 狭くは「看護」や「介護」

2) 中間的には「世話」

3) 広くは「配慮」「関心」「気遣い」

という広範な意味を持つことを指摘する。広い意味に立ちかえって考えると、「人間とはケアする動物である」と言えるほどに、ケアは深く人間が人間であることに関わっている、という。

「ケアは普通『自分以外の何ものか』に向けられたものであるのに、その過程を通じて、むしろ自分自身が力を与えられたり、ある充足感、統合感が与えられたりするものである」

「『信じるに値するケア』を見出し、それを育てていくことは、その人の生にとってもっとも深い価値を生み出すよりどころになっていく」

こうした記述は、一般論としてその通りだ、と思うと同時に、私が狭い意味でのケアを職業とするに至った意味を、改めて整理してくれたように感じた。

第1章「ケアする動物としての人間」では、脳とケア、進化とケア、性差とケア、といった刺激的な切り口が次々に展開される。

大脳辺縁系の機能とされる「情動」を「ケアに関わる感覚」と言い換えることができ、そうした「ケアの感情」こそが人間にとって世界を意味あるものにする。ハイデッガーの大著「存在と時間」を、「ケアの哲学」として読むことができる、などなど、私はびっくりして、本に「!」マークをいっぱいつけながら読んだ。

第2章「死は医療のものか」3章「高齢化社会とケア」4章「ケアの市場化」では、それぞれターミナルケア、高齢者の介護問題、ケアと消費社会といった具体的な場面に即して、ケアが論じられる。

「死は医療のものか」という問題意識は、脳死の問題を巡って、私の頭から離れずにいる問題でもあった。この本で論じられているのは福祉施設でのターミナルケアの可能性であり、これについては、医療サイドからの反発もあるようだ。

死も、死に至る経過も、まずその人のものであり、家族や親しい人たちのものであるのに、そこに医師が「専門家」として登場すると、医師以外は口をはさみにくいようなことになりがちだ。本人・家族も医師にげたを預けるような傾向がままある。医療の役割をどう限定するか、社会全体のなかではっきりさせることが必要だと私は思っている。

第5章「ケアの科学とは」では、ケアと科学を統合して視野に入れた新しい枠組みを展望する。

第6章「<深層の時間>とケア」。書名にもとられている<深層の時間>とは、カレンダー的に直線的、無機的に流れる日常生活の時間ではなく、「たましいが還る場所」としての時間、死者と生者が出会う神話的時間である。時間論、死生観とケアの関係を論じた本書の核心部分だ。

「人間は、人生の節目節目において、こうした『深層の時間』との直接的な接触を求め、それを通じてのみ新しい力を得、癒される」

「深いケアの関係こそは、・・・生がそこから生まれ出た場所である『深層の時間』へと私たちを導く、たしかな通路として働くことができる」

まだまだ、紹介した文章がたくさんある。視野は複眼的・重層的、文章は平易・明解、展望は大胆・鋭利。筆者の主張に全面的に同意できない人でも、考えを整理するために得るものがあるに違いないと思う。

広井さんという方は、私よりちょうど10歳若い。大学で科学史・科学哲学を専攻し、厚生省の官僚からアメリカ留学で医療政策などを専攻、といった経歴を経て、現在は千葉大学法経学部助教授。目を離せない人がまた増えてしまった。

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 広井良典著「ケアを問いなおす <深層の時間>と高齢化社会」:ちくま新書、660円、1997年11月刊


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