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仙石秀久センゴクヒデヒサ
生没年:1552〜1614
名前:
官位:越前守
秀吉の幕下武将として活躍。淡路に領土を与えられる。
さて、秀吉の九州征伐において秀久は戦目付を務める。軍には、仲がとても悪い十河存英と長宗我部元親など、四国の大名家の混成軍であった。豊臣方の大友家鶴賀城を救援に向かったところ、城を囲んでいた島津軍が撤退した。秀久はこれを狙撃することを主張。仲が悪い混成軍の大名も揃って同意見で狙撃しないことを主張した。結局秀久に押し切られ、狙撃をすべく戸次川を渡った。豊臣軍は島津軍の縦地陣形の奥底に入り込んだ形となり、散々に打ち破られ、十河存英や長宗我部元親嫡子・長宗我部信親が戦死する始末となった。これに秀吉は激怒。秀久は所領没収の上高野山で謹慎となった。
秀久はその後、家康を通じて小田原の陣に参加。甲冑に鈴をつけて駆け回るパフォーマンスを見せ秀吉に許される。その後に関ケ原の役で徳川秀忠率いる中山道軍に加わったが、真田昌幸・幸村父子篭もる上田城攻撃を主張。秀忠はこの意見を取り入れ、関ヶ原の合戦美濃本戦に加われないという失態を晒すこととなるのであった。
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