はっきり言って無謀な日程でした。つかれた。
 今回の旅行の目的というかテーマというかやりたいことはというと、
 (1)マレー半島を縦断してみたい。マレー鉄道に乗ってみたい。
 (2)地図では目立つ島なのに情報が殆どないタルタオ島という島に行ってみたい。
 (3)ヒンズー教の奇祭タイプ−サムを見に行く。
 一番何に関して願望が強かったかといえば(1)番に対してなので、これはもう、無謀な日程も望むところだ、ということで8日間の休みでこうなってしまったわけです。

 今回の旅行で際立っていたのは、いろいろな人が世話をやいてくれたことと、殆ど旅行している日本人には会わなくて友達になったのは現地の人だったこと。
 旅行中予定が変わるのは当たり前のことではあったけど、今までは"こっちがよさそう"とか、"ここは合わないから向こうへ行こう"とかいう自分の意志での変更だった。今回は、世話をやいてくれた人たちのおかげで自分だけではできないことができたりして、他人のペースにまかれての新しい発見が楽しかった。あと、今さらながら中国ってすごい。
 また行きたいな。


(御注意)
 この旅行記は長いです。お家で見ている方は、このページと、写真、注、を最初にロードしておけば、電話を切って読んでもらえるように、全部で3ページにまとめました。((おまけ))のグレーの枠内だけは外部にリンクしてますが、基本的に外部へのリンクは、注ページにまとめてあるので、このページにはありません。
 また、現地金額の後についている日本円は、1タイバーツ=3.2円、1マレーシアリンギット30円、1シンガポールドル68円として計算してあります。


 | 写真

消化した日程表

1日目 1/26 札幌〜横浜、成田〜バンコク、横浜中華街で早速昼ビール。
2日目 1/27 バンコク〜ハジャイ、日本語カラオケビデオとバブ−ンのとりこになる。
3日目 1/28 ハジャイ〜コ・リぺ、諸々の事に流されて予定外の島へ。
4日目 1/29 コ・リぺ、タルタオ海洋国立公園内を転々とスノーケリングしに行く。極楽。
5日目 1/30 コ・リぺ〜(ハジャイ〜パダンブサール)〜、列車をのがしてしまう。
6日目 1/31 〜クアラルンプール〜マラッカ、タイプ−サムは複雑な気分。
7日目 2/01 マラッカ〜シンガポール、絵に書いたような観光(大好き)。LONG BAR。
8日目 2/02 シンガポール〜成田、羽田〜札幌。

おまけ1 もじゃぱん
おまけ2 マレー鉄道、日本での予約のしかた


1月26日(火)
 5:00起床、風呂トイレ掃除をして、洗面所もチェックして、とにかく水まわりをきれいにする。なぜなら、留守中に大屋が入るからだ。なぜに大屋が入ってくるかというと、不凍液を入れにくるからだ。2-3日冬場にうちを空けると、水道の凍結があるかもしれないから水をおとさなければならなかったり、トイレの水が凍って流れなくなったりするから不凍液を入れておかなければならなかったり、北海道人の冬場の旅行は大変なのだ。
 水おとしの儀式を終えて、うちを出る。

 JASの始発便にのる。始発便で朝食でると思っていたらJASって出なくなったのね。今回の旅行は姉さん(仮名)と一緒だ。待ち合わせは羽田空港。そこから、横浜に行ってサル氏(仮名)に中華街とかにつれていってもらうことになっている。地元に住んでいる人が連れていってくれてごちそうしてくれる、というシチュエーションはとてもあやしい。特にこのメンバーだとギブまでつっぱしってしまうから、食べ過ぎて具合を悪くしてしまういやな予感が走る。
 中華街の梅楼というお店で12:00前から青島ビールをいただき、旅気分が盛り上がる。昼日中からのアルコールって、旅行って感じで大好きだ。焼そばがおいしかった。
 山下公園や外人墓地なんかまわって、かなり散歩する。
 横浜から成田エクスプレスにのる。3,900円也。成田に2時間前についたはずだが、コートあずけたりいろいろやっているうちに免税店を覗く時間さえなくなる。

 機内で自分の席に着くと前に座っている子供が出発前から奇声をあげている。出発したら気圧の変化で耳が痛くなったりしてこの声は一層ボリュームアップするんだろうなあ、、、。UA875は定刻に出発し、イヤな予感はみごとに的中した。声が一段落したら次はおもちゃをどんどん投げ込まれるハメになるところまでは予想してなかったが。隣の席が空いていてのびのびできるのが救いだった。
 機内食はプルコギとごはんとグリンピースと人参とフレッシュサラダとパン。ワインとカンパリオレンジを飲んだら具合が悪くなってぐっすり眠れた。

 23:00位にバンコク、ドン・ムアン空港着。自動両替機で両替えしたのち、TAXI乗り場からTAXIに乗る。ここから乗るとメーター+50バーツ(160円)かかることになっている。行き先はRAVIPHA RESIDENTALという空港近くのホテルである。でも、発車しても運転手はメーターを倒さない。そのことでひともめする。運転手は「高速通って250バーツ(800円)でよい」と言い張るが、「メーターを倒して高速走らなくていいって」というわたしたちの主張がぶつかりあう。結局、メーターにしていったら、130+50バーツ(576円)で着いた。けちくさいようだが、バスで空港から町中まで行くのに10バーツ(40円)しない国だ。この差は大きい。

 RAVIPHA RESIDENTALは正面玄関がもう閉っていて、地下の駐車場から入る。マンションを改造してホテルにした感じで、比較的新しい。部屋は広く、小ぎれいで、ゴキの姿はなく、空港から近め(町から遠いということ)。暗い窓の外には、お寺の像のようなものが、ぼわーっと浮き上がっていて少しこわい。ベランダがついていて、そこにシンクのみで横に一穴のガス台が置けるくらいのスペースがあるキッチンとおぼしき施設がついている。屋台で買ってきて食べる人が圧倒的に多いことはよく知られていることだし、西原理恵子の本によるとタイの住宅はガスの配管がされていないので、プロパンを買ってきて料理するそうだ。だから、こんなん施設になるのね。近所に屋台がある、とHPに書かれていたが、24:00くらいに行ったときは閑散としていて何も周辺は開いていなかった。広いバスルームがついていて2人で990B(3168円)はいい感じでしょう。

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1月27日(水)
 昨日、窓から見て「寺だ!あやしい!」と騒いで写真をとれずにいたところは、食堂だった。
 ホテルの周辺を散策してみると下町風のところだ。屋台で20B(64円)のクイッティヤウで朝食。豚、青菜、炭水化物と栄養のバランスのとれた一品だ。

 タクシーでエクスプレスボート乗り場のノンタブリーへ、100B(320円)。かなり時間がかかる。ボートは6B(19.2円)でバンランプ−のあたりまで。ここからまずロイヤルホテル内にある旅行代理店へ行って、今日乗るハジャイ線の航空券をとりに行く。お姉さんたちは日本語をいろいろ覚えようと、わたちたちにきいて吸収しようとしている。商魂のある人たちだ。

 トゥクトゥクでワット・ポーへむかう。このトゥクトゥクの兄さんがいかにも怪しい人物だ。交渉のとき自分から30B(96円)と言ってきたから、何かたくらんでいるのかしら、と思っていたら案の定だった。なんだか意識した爽やかな笑顔をして、長髪をかきあげ、日本人か?ときいてくる(英語で)。そうだ、と答えると片言の日本語を喋り出した。うまいねえ、なんかいいながらあしらっていると、目的地に着く前にいきなり路肩にトゥクトゥクを停めてメモをとりだしてわたしたちに見せてきた。単語帳だ。こんにちは、さようなら、などの挨拶のほかは、かわいいですね、あいしてる、あなたはうつくしい、などのナンパ言葉のオンパレードだ。そのなかから、あいしてる、の部分を指差して目を見つめられる。さむ、、、。こういうネタは見せてはいけないのではないか?こんなもの見せたらいかにも胡散臭いって見られるじゃないかあ、ヘタクソだなあ。そこから再び発車してワット・ポーへ。でも、ヤツは入口には停めない。ちょっと離れたところに停めて、「タイは仏教の国だから今は休み時間なんだ、ここには入れないから、王宮を僕が案内してやるよ」(喋り口調は意訳)と髪をかきあげて言ってくる。時間は11:30という中途半端な時間だ。そんなわけないじゃん、とこちらも笑顔で30B支払ってささっとワット・ポーの入口へむかった。ほんとにいるのか、噂にきくこういうタイ男が。

 寝釈迦を見る。以前見たときは、ただ寝釈迦だけだったはずなのに、黄金の仏像があって金箔を張ったりできるようになっていたり、お金を小さいコインに両替えしていくつもの壷にカンカン音をたてて入れていくところがあったりした。わたしたちもお供えセットを購入して、見よう見真似でお供えしてみる。
 お供えセットの内容は、線香3本くらい、黄色いろうそく一本、蓮のつぼみ1本、金箔約2*2センチ1枚。まず、線香に火をつけて御供えし、ろうそくに火を灯して立てる。蓮のつぼみを花瓶にさして、金箔を何体かある仏像のなかから好きなところに張り付ける。わたしは、腹のでかい布袋さんチックな仏像の腹に張る。その後、おみくじを引く。英語、中国語、タイ語有り。
 この他、寺院内を散策して、マッサージへ。昨日、横浜の坂道を歩いて張っていた足が、一気に軽くなる。うーーん、絶妙。だーいすき。

 そして、バンコクで一度行ってみたかった"タムナクタイ"へ。ここは何がウリかというと、3000人は収容できるという巨大な店内で、電話帳並みの厚さのあるメニューから各国の料理を選べ、店員がローラースケートで料理を運んでくれる、というところだ。電話帳並みのメニュー。
 場所がかなり遠くて、渋滞に巻き込まれつつ時間をかけて辿り着いてみると、夜からの営業ということでやっていなかった。また来なければなるまい。

 そこで、近くのロビンソンの地下でタイスキをいただく。キンキンに冷えた店内は鍋をつついているうちに丁度良い温度に思えてくる。お冷やのように出てくるお茶は、クセのある味だ。どんなクセかというと、トウキビ茶って感じの味。だが、タイスキのクセのあるタレを口にしているうちに、ふと飲んでみると、お茶のクセは気にならなくなっていた。
 上の階のデパートもそぞろ歩く。下着のバーゲンをやっているからのぞいてみた。デザインは最新とはいかないがだいたい1年くらい前って感じか。でもすごく安い!!有名メーカーのものが日本の半額以下、だいたい1/3の値段だ。これはお得。

 そこからNational Park Divisionへ、タルタオ島のバンガローの予約へ向かう。場所がわかりづらく、タクシーの運転手も首をかしげながらたどりつく。そこからがまたわかりづらくて、森とか国立公園とか、そんな関係の国の建物が何個か建っていて、どこに行ったらいいのかわからず、いろいろな人にいろいろな所に連れていってもらい、本当の係の人のところに辿り着いたら16:30だった。受付が16:20迄だと言う。えええー!と困った顔をすると、受付をしてくれることになり、建物の中の奥の事務所に連れていかれる。パソコンがたくさんあり、英語のウインドウズだった。タイ語ではないのかあ。
 担当のお姉さんが、タルタオ島のバンガローがいっぱいだったらその横のアダン島という島でもいいか?そっちのほうがきれいな島だし、ときいてくる。船が毎日出ているのかきくと、毎日ではないとのことで、かなり魅かれはしたがタルタオ島の方にしてもらう。日本ではこれらの島についての情報が殆どなかったので、パンフレットやら地図やらをいただいて、お礼を言って出る。

 ドン・ムアン空港でハジャイ行きの飛行機に搭乗するときに、後ろに並んでいた男の人が「日本人デスカ〜」と話しかけてきたので「日本人です〜」と答えると、その横にいた女の人が「わたし日本に住んでますー」という。田舎がハジャイの近くの町で、帰省の途中だそうだ。ハジャイのことについていろいろきく。そのうち彼女が「ホテルどこですか?」と聞くので、「まだきめてません」と答えると「アブナイ!アブナイ!」と騒ぎ出した。彼女は、飛行機の中の席が離れているから降りたらなんとかしてあげるから心配しないで、と言ってわたしたちから離れた奥の方の席に向かっていった。わたし内のイメージではハジャイという町は、タイ二番目くらいの大きな町で、マレーシアあたりからの夜の観光客で賑わっているから歓楽街なんかが派手で、宿なんて適当に見つけられるだろうとタカをくくっていたので、この心配されようにうろたえてしまう。
 ところで、タイ航空、はじめて乗ったのだが、いい感じだ。まず機内の照明が明るい。そして、国内線の言ってみれば東京-札幌くらいの距離なのに、機内食がでる。で、片道7,000円くらいだった。JASよ、機内食でたぞ。
 到着ロビーのところでさきほどの女性と「アブナイ!アブナイ!」と大騒ぎになっているところに、西日本イントネーションの男性2人から「何かお困りですか?」と声がかかる。ホテルとっていない旨伝えると町まで車にのっけてくれたうえに、ホテルも割引価格でとってもらい、翌日のタクシーも手配してもらい、晩ご飯までごちそうになってしまう。この方たちは、こちらの方で働いている人だ。地元に住む人に、地元の料理を食べさせてもらいに行く。町にでると、わたしが持っていたハジャイイメージはかなり違っていたことに気付く。歓楽街というか一番の繁華街の通りも、ウイークデイのせいか店はあまり開いていない。昼間はたくさん出ているそうだがこの時間、屋台は全然ない。

 連れていってもらったお店で、バブ−ンの炒めもの、カニのカレー煮、野菜とシーフードの炒めもの、そしてカブトガニをいただく。ビールはクロスターだ。
 バブ−ンというのは、本で"空心菜"と訳されているもののようだ。日本にはない野菜。小松菜とかほうれん草とかの菜っ葉のシャキシャキした感じで、フキのようにまん中に穴が空いている不思議な野菜だ。この野菜を唐辛子といっしょに辛ーーーく炒めてある。くせになるおいしさだが、穴にひそんでいる唐辛子まで一緒に食べないように油断してはならない。この穴、ちょうどプリッキーヌがスポッと入る大きさなのだ。
 日本では天然記念物のカブトガニは、甲羅をはいで中の卵を茹でたか炒めたかしたものの上に、青マンゴー、紫タマネギ、パクチ−なんかの野菜類を和えたものが乗っていて、卵と混ぜて食べる。卵は魚卵系のぶつぶつしたやつだ。味は高島の味がする。魚くさい、というか、海くさいところが、人によって善し悪しをわけるところだ。小樽育ちのわたしには、ちいっとも嫌な感じはないが、山育ちの人にとっては抵抗があるらしい。
 食事のあとの流れで、カラオケにも連れていってもらう。日本語のカラオケが300曲入っているという、セントラルホテルのボックスへ行く。曲は、古い。軍歌なんかもふんだんに入っている。そこまで古い曲といわずも、シブがき隊とかSALLYとか、ちょっとマイナー系の人たちの曲が複数入っているのが不思議だ。ここでシブがき隊の"男意ッ気"を歌う人がいるのだろうか、、、まあ、百歩ゆずってわたしが歌ってみてもこの場の人、わかってくれるのだろうか。
 カラオケに入っている歌でその場の人々が共通して分かる歌を選ぶと、聖子ちゃん、マッチ、トシちゃんのオンパレードになる。カラオケビデオがことの他おかしい。"ギンギラギンにさりげなく"では上半身裸のマッチョな白人がときどきヘタクソな側転をながらクネクネして踊っている。かなり笑わせてもらった。

 ホテルはJBhotelという、ハジャイでたぶん1番か2番目に大きいホテル。4つ星クラスだという。かなり笑ったあとホテルに戻って就寝。
 今日はいろいろな人にお世話になって、とても濃い一日だったあ。
((おまけ1))
=もじゃぱん=

 もじゃぱん
 勝手にこう呼んでいるだけで、正確な名前は知らない。
 以前、バンコク罠かかり旅で一度出て来ているが、ここでまたクローズアップしたいと思う。
 わたしともじゃぱんの出会いは、バンランプーのNEW WORLDの1階のパン屋だった。フランスのフランスパン、ベトナムのフランスパンのサンドイッチ、北欧のデニッシュ、日本のあんパン、というようなタイ独特の代表的なパンってあるのかしら、と漠然とパン屋に赴いた。一見、ものすごく変わったパンはなかった。そのなかでなんとなしにタイっぽい雰囲気をかもしだしていたのが、もじゃぱんである。
 もじゃぱんのもじゃの味は、あまじょっぱい。その上にマヨネーズがかかっているのが定番のようだ。それゆえに、わたしは、もじゃぱんは調理パンという認識を持っていた。
 もじゃは、おつまみのさきいかのような裂いてある形状で、原料は豚肉だ。もじゃのみ発見したとき、購入してたべたが、もじゃのみだとそれほどおいしいとは思えなかった。
 初もじゃは、ロールパンの上にもじゃっとしたものがのっているもの、普通のコロッケパンとかウインナーパンのような感じでもじゃがのっているものの二種だった。

 そんなもじゃぱんに今回、再会することができた。
 ヤツは、ロビンソンの地下のパン売場にいた。
 今回のヤツは、デニッシュ生地だ。なんだか以前よりしゃれこんでいる。しかし頭にはしっかりもじゃをのせている。一も二も言わず、購入した。
 その夜、まず一くち口にしてみると、甘いパンの上にもじゃの醸し出すあまじょっぱい味がなんともマッチせず、それぞれが複雑なメロディーラインを自分勝手に奏でている感じだった。
 二口三口と食べていくうちに、他の侵入者がどかんとやってきた。さらに甘〜くへヴィなラインが、、、カスタードクリーム、、、。もじゃ(動物系あまじょっぱい)とカスタードクリーム(まったりあま系)とデニッシュ(炭水化物甘い系)。どうしたらこういう組合せが思いつくのだろう。もじゃって、調理系ではなく、タイの認識では甘おやつ系なのか??
 今度、タイに行ったときにはタイの友人にもじゃの位置づけを、是非とも、きいてみようと思っている。


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1月28日(木)
 ホテルのレストランでおかゆの朝食。豆腐っぽいものを口いっぱいにほおばったら、ねちゃっとしょっぱまったりの腐乳だった。おえ。

 7:00にタクシーに乗って出発。車一台チャーターしてパクバラまで1200B(3840円)。ちょっと高いとは思うが確実だし、ご好意でとっていただいたものなので可としよう。パクバラまでの道のりは、直行で1時間30分。郊外の道なのでかなり飛ばす。平均120キロってところか。道のわきに見えるのはゴム林だ。ここいらにはヤシの木とかソテツっぽいいかにも南国って感じの木がなくて、ゴムだらけだ。ゴムの木は幹が白っぽい。目を細めて見るとなんとなしに白樺っぽく見えてしまう。それが整然とした列で(稲が水田に植えてあるようにきっちりしたマス状態に)植わっている。なんだか小樽のロータリーの杜のようで、南国にきた感じがうすい景色だ。

 パクバラの船のチケット売り場で、タルタオ島までのチケット2枚、と言うと、A(仮名)という女の子が、スノーケリングはするの?ときいてくる。私「するよ」A「じゃあ、アダン島の方がいいよ」私「どうして?」A「タルタオには珊瑚礁がないし、歴史のある島だから、、、」私「でもバンガローの予約をとってしまっているの」A「お金払っていないのなら、向こうの事務所で変更できるよ、ついていってあげるよ」、、、ということで、丁度、ボートのある日だったので変更することにする。船着き場のすぐ近くにある、National Park Divisionへ行って変更。変更を終えて事務所に戻ってくると、写真の撮影大会やら住所交換がはじまる。日本人が珍しいのか、たいしたモテ様でタイ男の人たちに囲まれて写真を撮られたりする。島に渡ると店があまりないということで、パンと水とスナックと果物を買い出しに行く。そこのお店の女の子とちょっと話すと「タルタオ島に行くの?」と聞かれる。「いいや、アダン島に行くの」とこたえると、「その方がいいよ、タルタオは悪い歴史がある島だから、、、」とまた言われる。うーん、そんなにも評判がよくない島だったのかあ。政治犯の監獄はいい響きじゃないけど、ここまでみなさんがとめるということは、オバケの一つも出るのかもしれないなあ。

 船に乗り出発するまで45分ほど遅れる。タイ時間なのか。National Park Divisionでもらってきた資料を読んでみる。タルタオ島の歴史については、"政治犯の1/3は獄死した、マラリアによって。"とある。そうかあ。そりゃあ、評判あまりよくないよね。日本で読んだガイドブックの少ない情報では、クジラやイルカやウミガメ、ロブスター、熱帯魚などに会える島ということだったが、資料によるとそういうのに会えるのはタルタオ島ではなく、アダン島の方らしい。今まで読んでいたのは国立公園内全部ひっくるめた情報だったようだ。
 船が出ると風が気持ち良くて、船室から外に出て昼寝する。
 タルタオ島はすぐ近くに見えるがなかなか着かない。ちょっと方向をずらすと、マレーシアのランカウイ島が見える。あちらはリゾート。こちらは欧米バックパッカーと欧米老年旅行者が主な客層。
 一眠りして戻ると、姉さんがタイ人のおっさん(仮名)と、旦那(仮名)(仮名)の3人と酒盛りをしている。わたしもすすめられるが、船に酔う!というプレッシャーが強くて、辞退する。
 この中のおっさん(仮名)は、アダン島に行くよりリぺ島に行く方がいい、と主張する。明日は、リぺ島とその周りの島をスノーケリングして回るという。ああ、そうなの?と流していた。アダン島に泊まることを決めていたし、もうかれこれ出発してから6時間近くもかかっていて、すっかり船疲れしちゃって他の島に行くことなぞ想像もつかなかった。3時間で着くときいていたのに。

 もう着いた、降りるぞ、という段になって、おっさんと旦那と嫁が「降りるよ!」と言ってきたのでついて降りて行く。島の少し沖に船がとまり、そこからボートにのって島の岸に移動。すっかり夕方になっていた。予定外に時間がかかったけど、水の透明度は高いし、砂は白いし、来てよかった気分になる。

 バンガローAndamang(250B(800円))に荷物をおいて、蚊屋をつって、蚊取り線香を焚いて、散策にでかける。どこまでも続く白い砂浜に、カニの穴がぼこぼこあいている。道々、いろいろなものを発見しながらきれいな貝殻とか珊瑚を拾いながら歩いていると時間を忘れてしまい、かなり遠くまであるいてしまう。だんだん暗くなってきたら、カニ穴からどんどんカニが出てきた。動きがやたらに早い白いカニだ。白い月がぼわーっと浮かんでいる。星がたくさん見れればいいな、と思いながら、テーマ曲、秘密の花園を歌いながら戻る。

 バンガローの久々の水シャワー(というか、トイレの手桶水の蛇口の水)が、冷たくてちょっとツライ。
 食堂で、おっさんと旦那と嫁と、5人で食事をとる。おっさんがSatunに住む人で、その友人である旦那と嫁が、バンコクから遊びに来て案内してもらっているらしい。それぞれみんな客商売をしているだけあって、人当たりがよい人たちだ。いろいろ話しているうちに、実は今いる島が予約を入れたアダン島ではなく、おっさんたちの目的地であるリぺ島だということを知りびっくりする。一体、、、どこまで知らないうちに流されていたというのだ、、、。明日船をチャーターして行くスノーケリングに誘っていただいたので、こうなったら便乗することにする。地元の人はいろいろ知っているしね。
 空は、曇り。星は見えない。
 寝る前に日記を書いていたら、突然電気が消えた。11:30が消灯らしい。諦めて寝る。


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1月29日(金)
 昨日の晩は、恐怖でよく眠れなかった。
 一番最初の事件ぼっ発は、1:30だった。寝ていたわたしの顔の上を、何ものかが走ったのだ。叫んでとなりに寝ている姉さんを起こして懐中電灯をつけてもらう。見回したがとりあえず何も見えない。寝ることにする。またしばらくたつと、何ものかがビニール内を荒し回り、激しくシャキシャキする音がはじまった。また姉さんを起こすと、かなり冷静に「蚊帳の外の壁にぶらさげたバナナ入った袋だよ」と言って寝てしまった。ヒヤヒヤしながらも、ま、蚊帳の外だし、と思い直して寝る。しばらくすると、また、得体の知れないものが胸から首にかけて駆け抜けて行った。これの連続で、寝ては起きての繰り返し。どういうわけか、何ものかが駆け抜けるのはわたしだけで、姉さんの方は駆け抜けない。
 朝起きて恐る恐る壁に下げた袋を見るとパンの袋がかみちぎられ、中のパンが食われていた。ネズミか、トッケーか、、、。いずれにせよするどい歯の持ち主だ。

 朝食後、ライフジャケット(50B(160円))と水中眼鏡(50B(160円))を借りて、スヌ−カーのツアーに出る。船は一艘一日1,500B、1人300B(960円)。
 最初の島はKo Hingam。石の浜で、層の模様になった石がきれいだ。次のKo Dongは大きな石が2つ重なった不思議な岩のある島で、おっさんが「シャークポイント、シャークポイント!」と騒いでいる。通りすぎると思ったら、このシャークポイントで入るらしい。海の中は深すぎてよくみえないけど、光が何すじにも差し込んでいるのがきれい。シャークポイントのスリルを味わっている、というところだろうか。

 船のヘリにみんなでつかまって船を走らせたり、船の中に魚が飛び込んできたり。
 漁師の船に会いどんな魚がとれたのか見せてもらうと、赤い大きな魚の他何匹かの魚や、ロブスターとか。真っ黒い海の男が4人がかりで海の底から篭を引き上げて採っている。なんてのどかなんだあ。キンメダイみたいな赤い大きな魚を30B(96円)で買う。30B!

 Ko Rawiに行ったあと、地図には載っていないウエストという島で昼食をとる。朝、食堂でつくってもらったクィッティヤウを詰めてもらったお弁当と途中漁師から買った魚を焼いたもの。わが船頭さんが枝を集めてきてくれて、魚をさばいて、枝にはさんで焼いてくれた。船に飛び込んできた魚も一緒に焼く。焼き上がったものにナンプラ−をつけて、手でいただく。うま〜い!!赤い魚はやっぱりキンメダイっぽくて、飛び込んできた魚はサバっぽい。食べながら海の幸談義に花が咲く。旦那は寿司がたいそう好きだそうで、自分で握って食べるという。巻寿司もつくるそうだ。
 さっきから潜っていてやたら気になったのが、ウニがたくさんいることだ。姉さんと二人して「食べた〜い!!」を連発していたことを言うと、タイ人はウニを食べないそうで、女性陣は顔をしかめる。反対に男性陣は、寿司のネタになると言うと興味津々で、いきなりウニ狩りにでかけ、姉さんに割ってくれ、と針のやたら長いウニを渡した。割ってわたしたちに毒味させた後自分たちも食べて、意外においしい、と言っていた。ちなみに日本人的にいうと、大味でプリプリしすぎていてあまりおいしくはなかった。おいしいウニを彼等に食べさせてあげたいなあ。

 昼寝して、また移動。船の上や海の中で見たものは、色とりどりの珊瑚や熱帯の魚たち、海の上をとぶ蝶、飛び魚の群れ、エイのジャンプ、タツノオトシゴ、ウニのこども。ウニのこどもは、蛍光紫色だ。岩にたくさんはりついている。
 きれいな小魚がいっぱいいる島(もはやどこの島にいるのかわからない)で船頭さんが、がっ、と素潜りしてシャコ貝(だったっけ?アコヤ貝か?)をとってきた。あの人魚がすんでいる大きな貝だ。ほかにもつるっとしたきれいな貝をひとつずつ採ってきてくれる。さすが海の男、かっこいいぞ。
 一度昼寝してしまうと寒くなって海に入るのがおっくうになってしまったが、午後行った島の方が珊瑚や魚がカラフルできれいだった。どうして、みんなあんなに元気で寒くないんだ??と思いながら、2箇所程で昼寝してしまった。これは昨日の夜の得体の知れないもののせいだ!!背後のジャングルのなかのガサゴソという気配を感じながらねるのもいいものだ。

 帰ってさすがに酒盛りする気力もなく、晩ご飯をぐったり食べる。例の人魚の貝も食卓にならぶ。薄切りにしてナンプラーと辛子で炒めてあって、激辛だ。あわびっぽい歯触りで、後を引く味だ。
 今日は得体の知れないものに走り回られないよう、蚊帳をベッドマットの下に押し込んでねる。日焼け跡がジンジン痛い。見た目やけどに近くなっているが、ヘンに心地よい。水シャワーさえ心地よく感じる。うつぶせになって就寝。

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1月30日(土)
 昨夜は対策のおかげでよく眠れた。
 9:00に小舟でパクバラ行きのボートに移動。大船からKo Khaiとか見ながら予定3時間(リぺ→タルタオ2時間、タルタオ→パクバラ1時間)の移動。来るときは、ファランが降りるところで降りなくて引き返したため大幅に遅れたけど、帰りは大丈夫、という。

 結局、リぺ→タルタオは3時間かかってしまった。タルタオ島で、30分の休憩があったので散策する。土産ものや、レストラン、博物館などがある。他の島にはない熱帯雨林系の木があるのがこの島の特徴だ。博物館にある分布図によると、公園内の島では熱帯雨林はここにしかない。ここの博物館の奥には、この島の歴史である罪人の島であったころの様子がろう人形で表現されている。罪人たちの食べ物を煮炊きした中華鍋様の大きなナベがあったり、置いているものは網走刑務所と似ていた。置いてあるものって変わらないのね。
 13:00にタルタオ島出発。果たしてパダンブサールの17:35の夜行列車に間に合うだろうか??結果、堂々と2.5時間かかり陸についたのは15:30である。何かおかしい。あきらかに船のスピードが行きのときと違うのだ。適当だなあ。でもこうなったものは仕方ない。

 港でおっさん、嫁、旦那とお別れだ。最後まで気を使ってくれて、ハジャイまでの乗り合いタクシーを探してくれる。再会を願って別れる。
 乗り合いタクシーは人数がそろうまで動かない。11人*60B(192円)。
 ハジャイの駅前について、即、ソンテウを300Bでチャーターしてパダンブサールへ向かう。この時点で17:30。列車が遅れていてくれないかなあ、なんていう淡い期待を持って向かう。
 窓からの景色はだんだんマレーっぽくなっていく。頭に布をまいた女性が増え、ゴムの木林にプラスして、ヤシ、ソテツ系の林が徐々に増えて行く。約1時間で国境に着き、ソンテウから降りる。

 閑散とした夕暮れ時で、私達のほかは欧米系の男性ひとりしかいない。うーん、あやしい。やっぱり列車だめかあ。予約していたのになあ。
 国境の手続きをしてくれたおじさんが、どこに行くのか聞いてくる。わたし「KL」おやじ「列車はもうないよ」。やっぱりダメだったか。そうだよね、もう、18:30だもん、、、。出国印押してもらって、国境越えのバイクに乗る、30B(96円)。マレーシア入国の時もおじさんに「何でKLまで行くの?」ときかれる。もう一度試しに「列車」と言ってみる。おじさん「もうないよ」わたし「ないならバス」と言って通り過ぎようとしたら、後ろから「列車もバスもないよ〜、」と身を乗り出して心配されてしまう。バスもないのか、、、確かこの町にはホテルもないはずだ。もう周りは暗くなってきてるし。バイクの兄さんがタクシー乗り場に連れていってくれる。
 タクシーでKLまで行けるのか??行けないらしい。カンガ−かクアラプルリスまでしか行かないという。そこで一泊かあ、日にちないのに。それに両替所も閉っていて、手元にマレーシアリンギットが1つもないから、タクシーも無理??と困ると、タクシー乗り場のおじさんが、ガソリンスタンドまで連れていってくれた。そこで持ちバーツを全てリンギットにしてもらう。バーツさえ、島に行ったら使いようもなかろうと大した両替えしなかったから手許に少ない。タクシー乗ってホテル代間に合うかヒヤヒヤもんだ。
 タクシーはカンガ−までMR30(900円)。両替えするところを見て、おじさんがちょっと心配げな顔をしている。ガススタンドの時計を何げにみると、20:00近い。・・・時差、忘れてた。列車の時刻表の17:35って、タイ時間でいえば16:35だったのね。全然ダメじゃん!!
 タクシー出発して少し走ったところで警備の人に停められパスポートチェックを受ける。

 おじさんと喋っているうちに、カンガ−から夜行バスが出ていることを知る。これ以降の予定はくるわせずに、KLまでいける!!カンガ−はタイのSatunから海路での国境越えをした人たちが着く港町だ。
 満月にほぼ近い月の明るい夜の道を行く。周りの南国の木々や岩山の形が影絵のようで幻想的だ。しばしのドライブを楽しむ。30分くらいで、カンガ−のバスステーションに着く。港町の活気のある町だ。食堂のわきの街灯にコウモリがまう。KLまでのバスをおじさんに探してもらって、チケット売り場に連れていってもらう。9:00のバスが出るまで、何から何まで世話をやいてもらう。確か、カンガ−→KLはMR26(780円)くらいだったと思う。
 バスの中でこれまでお世話になったいろいろな人たちの話をする。帰ったら手紙書かなきゃね、現地に駐在している人には何か送ってあげたいね、また会いたいね、とか。こんなにいい人たちに会えたのは、わたしたちの日頃の行いがよいからだ、わっはっは、というところに無理矢理結論してしまう。
 バスはクーラーが効き過ぎていてさむい。乗車客はバスの1/3いない。椅子はかなりリクライニングできるから楽だ。

((おまけ2))
=マレー鉄道、日本からの予約の仕方=

●マレーシア鉄道 KTMB http://www.ktmb.com.my/
に時刻表も路線表も全部あるので、ここで予約。
ただし、ここで予約できるのは、マレーシア、シンガポールからの出発便のみ。タイから出発する列車の予約は、タイ現地の旅行代理店サイトで予約依頼ができます。
バンコクの旅行代理店のサイト、何件か↓。

●Dits Travel http://www.diethelm-travel.com/ditstrav/dits.htm
●Paradice Travel http://www.paradisetravel.co.uk/Paraindex.htm
 鉄道の予約をとってくれることが掲げてある。
●ETC http://www.inet.co.th/cybermall/ETC/index.html
 カオサン近くにあるRoyalHotelの中にある旅行代理店。

人気で一週間前までに予約しなければ乗れないという路線が、時間のない人間でも乗れます。うーん、便利。簡単にできます。


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1月31日(日)
 途中、どこから眠ったのか、ぼんやりした睡眠のうち、KLに到着。B1に着いて、1Fにあがると人がたくさんいる。4:30のプドラヤバスターミナルには上野のような雰囲気がただよう。マレー人の女性もたくさんいる。KLに着けば日本人に会うだろう、会ったらガイドブック見せてもらおう、とたくらんでいたが、考えは甘かった。そんな朝早く、誰一人見つけられなかった。開いていた店で買った地図が、開封してみると使い物にならない地図で、眠いのが手伝って癇癪をおこす。食堂でミゴレンを食べて、ぼーーーーっとして8:00頃行動開始。

 プドラヤバスターミナルには人がすごく多いのに、ロッカーというものがほんの少ししかなくて(見つけられなかっただけ?)、荷物を置けない。鉄道駅の荷物預かり所まで行って預ける。手荷物預かり所のにいさんに、役立たず地図を見せて、色々きいてみる。地図の中にさっきいたバスターミナルさえのっていないのだもの!!

 今日はタイという月の満月の日で、ヒンドゥーの奇祭"タイプ−サム"が行われる日だ。どのように"奇"祭かというと、トランス状態になったヒンドゥー教徒たちが、頬に串を刺したり、背中にかぎ針をたくさんひっかけたりという姿で行列して歩く。
 KLの中華街のヒンドゥー寺院を出発して、郊外のバトゥケイブスまで行くらしい。
 移動しまくりで、まだ眠くて疲れていたから、KLの中華街の寺院だけ見て、さっさとマラッカのホテルいっちゃおう、という予定を組んでぼんやり歩いていると、バトゥケイブス行きの臨時バス停が目の前に現れてしまった。結局、乗ってしまった。KL→バトゥケイブスはMR1(30円)。周りを見回せば、インド系の晴れ着をきた子供、女性が多く、男性は少ない。観光っぽい人は、うちら二名のみ。思ったより近くて、20分くらいの所。

 バスから降りるとお香のにおいが充満している。人波にのって歩いて行くと、人垣ができている所まで辿り着いた。中に割って入って行くときいていた光景が待っていた。背中にヒモの付いたかぎ針をたくさん刺した男の人、その人のヒモを持って手綱を引くように制御している人、カバディという神輿のようなかざりのようなのをかついで歩く男の人、頬に串を貫通させて葉巻きを吸いながら目がいっちゃっている男の人、舌に串をさしていっちゃってる、そしてその人々にサポーターのようについているご家族ご親類と思われる方々。むせるような強いお香のにおいと、打楽器とラッパで奏でられる音楽。姉さんはにおいにやられて、気分が悪くなっている。夜、見に行ったら、印象がもっとちがっていたかもしれない。
 なんだか複雑な気持ちになる。日本の神輿のように、祭りになるとかつがずにはいられない、っていうのと同じで、刺さずにはいられないっていう人たちなのだろうか。真剣な信仰のないわたしには、こういうものだったのかという興味は満たされたけど理解できない。困ったなあ、、、という感じ。なんというか、あのイッちゃってる表情でいろんな格好して練り歩かれると、百鬼夜行のような感じに見えてしまう。
 階段を上ったところにある寺院には行かず、市内に引き返すことにする。

 KLのコタラヤあたりのコンプレックスをひやかし、中華街をブラブラして、飲茶して。中国正月を控えての飾り付けで、町中赤と金色できらびやかだ。中華街にはその飾り付けを専門のように売っている店がたくさんある。この時期以外は何を売っているのか不思議だ。
 バーゲンが各店で行われている。日本語Tシャツが売れ筋らしい。普通のTシャツの2倍近くの値段が付いている。町なかで、着て歩いている人をちらほら見かける。これって15年くらい前に、訳の分からない英文を書いたTシャツをよろこんで着ていた私達と同じような現象なのだろうか。よく女の子が着ていたデザインは、つんつるてんの着物を着たおかっぱの女の子の絵の横に「かわいい」と書いてあるもの。他に「やさしい」とか「売れ筋」というのも見かけた。あと、日本アニメもの。その中で一番目が離せなかったのはドラえもんである。

 マラッカへ。ターミナルもバスも非常に混んでいて、何本か先まで待たなければならない。時間と楽さがわたしたちには大事だった。タクシーで行くことにする(MR80(2400円))。

 宿は、中華街のHOTEL PURI。ホテル自体は新しいものの、造りはここいらの伝統的な、間口が狭いが奥に長いうなぎの寝床形式で中庭がある。中庭は、"庭園"という感じで、いろいろな木や花が植えられていて、鯉も泳いでいる。部屋は中庭を望む感じで囲んでいる。すっかり気に入る。ツインの広めの部屋1室でMR98(2940円)。

 夕方の中華街を散歩する。店は、どこも閉っている。地元の人も歩いていない。車の交通量だけがやたらに多い。歩道がないから気をつけながら歩く。歩道がないところが、歴史的なこの通りの雰囲気を壊していない。

 あ、あそこの店だけ開いている!!と近寄ると、ポクポクと木魚の音がする、寺、というか御参りをするところだった。かと思うと、向こうからコーランが聞こえてくる。満月の空にコウモリが飛ぶ。コーランの声の方向には三角屋根のモスク

 ぶらぶらと音と光のショーを見に、クライストチャーチなどマラッカの観光中心的な方向へ歩いていく。このショーの内容は、歴史的建造物をライトアップして音楽で味付けして、マラッカの歴史を紹介するというものだ。ここの歴史というのは、イコ−ル侵攻された歴史のようで、登場国は中国からはじまりヨーロッパ諸国、日本にまで及ぶ。このショーを見ているのは、そこいらの国から来た観光客。、、、うーん、こんな内容だったのか、、、「光と音の〜」っていうから、花火あがったりレーザー光線が眩しかったりするのかと思っていた。
 町を歩いていると、ひとけが少ないにも関わらず、JAPAN?JAPAN?と何回も何回も聞かれる。聞かれ過ぎてイライラする。だけど、この人たちにとっては好奇心あってのことのような気がして、邪険にはできないし。

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2月1日(月)
 特別大きなホテルではないのに、朝食がブッフェ形式。五種類のステンレスの容器にはミゴレンとか、おかゆとか。トースターがあってパンも焼ける。おさえるとこ押さえていて好感がもてる。"特別大きなホテルではないのに"というところがミソである。

 で、昨日光と音のショーで見たスタデュイス、クライストチャーチ、王宮なんかを見に行く。ここいらへんは地図で見るより、こじんまりと見どころがかたまっている。
 クライストチャーチは、社会の教科書でみたまさにあれだった。中には入れない。
 急な階段を上れば、St. Paul's Churchがある。フランシスコ・ザビエルの遺骨が9ヶ月安置されたポルトガル築の教会だ。ザビエル像があったり、墓と思われる青い網がかかった穴がある。そこに中国か香港からきたツアー客がツアコンから説明を受けて、コインを中に投げ入れている。建物は崩れていて屋根がなかったりする。
 そこから上ってきた方向とは違う方に降りていくと、砦とか大砲が残っている。大砲のところで、どこの国のスタアか知らないが二枚目の男が、ラフ板に光をあてられ、メイクさんに化粧をなおされつつポーズをとって撮影している。すごい白塗りでこわかった。Porta de Santiagoはポルトガル軍がオランダ戦に備えて作った砦だ。
 その向こうにはMalacca Sultanate Palaceがある。前には庭園があり、そこにやしの実の塔がたっていた。古い王宮を復元した建物のなかが博物館になっている。衣装、楽器、武器、ろう人形が陳列されている、普通の博物館だ。中を歩いていると、なんか来たことがあるぞ、というデジャヴにおそわれる。ちょっとよく考えてみると、似たようなところが見つかった。小樽の鰊御殿だ。建物の造りがすごいそっくり。中の階段とか、それに続く上の部屋とか、三角の屋根とか本当に似ている。王宮が鰊御殿と酷似でいいものなのか。

 ここいら界隈から少し歩くと、ショッピングセンターがある。ここでも中国正月のバーゲンを行っている。洋服は適当におしゃれで、すごく安い。カーディガンとか長Tとか帰って着るのにいいのが700円くらいで買える。雰囲気は、日本のデパートに入っている普通の服屋っぽい。
 その店でも、店のにいさんに御丁寧にExcuse me,をつけて、日本人か?と聞かれる。そんなに興味あるか、日本人に。この事態を分析してみるに、ここの町に来る日本人というのは、シンガポールあたりからの1日ツアー団体客が殆どで、自由に動き回っていてAre you Japanese?と聞けるスキのある人間はあまりいないのではないか。でもって、日本語Tシャツが流行るくらいの日本ブームである。だから、こんなに聞かれるんだ。、、、ということにしておこう。そんなにおのぼりっぽかったかなあ。

 14:00過ぎにホテルを出て、バスターミナルへ向かう。バスの出発がおしていて、14:00発のバスに間に合う。途中Air Hitamという高速を出たところの町のドライブインで休憩。今回の旅行で一番土産もの屋として面白い場所だった。地元の人が車の中で食べるようなスナック類、雑誌、手土産に買って帰るようなお菓子、子供に買って帰るような人形・ぬいぐるみ。ここでついに、ドラえもんもどきを買ってしまう。くだけすぎていて、もはやキャラクターが一人歩きしている。コピーって、どこまでコピーって認められるのだろう?
 シンガポールへ。国境でバスを一回降りて、手続きをしてまたバスへ。
 マラッカを出てから5時間くらいで着く。

 シンガポールの宿はRegalis Court。ホームページに載っていた地図が非常に分かりづらかった。
 ホテルの受付が外にある(屋根ついている店先っぽいところ)というのが意外。コロニアル風の建物に、パソコンが設置してありそれで管理しているというところがシンガポールっぽいなあ。ホテルのにいさんがいい人だ
 シンガポールって不思議なところだ。今まで、ちっとも興味持ったことなかったし、自分でガイドブック買ったことないから国のなりたちというものを全然知らない。マレー系の人、タイっぽい顔立の人、中国っぽい顔立の人、欧米系っぽい顔立の人、Dick Leeみたいな顔立の人とかがみんな英語を喋っている。町はやたらに近代的な建物が建っているかとおもえば、店先に漢字が踊っている。混沌とした感じだ。今までイメージしていた"アジアの国"のイメージにない町で、とても興味が沸く。いろいろなところがあるんだなあ。
 ショッピングセンターで両替えして、そぞろ歩きし、土産ものや布や壷やらを見て歩く。コーヒーショップでチーズケーキとコーヒーでひと休み。今回初めての一人行動を満喫する。

 その後、待ち合わせしてLau Pa Sat Festival Marketへ行き、魚ののった麺を食べて、ラッフルズホテルのLong Barへ。
 ここに入るために一枚だけ持ってきたワンピースで、ちょっと背筋をのばして長い回廊を歩いて、階段を上ってBarへ入っていく。思ったよりくだけた感じのBarだった。バンドがブラック系の音楽を演奏していて、いろいろな国から来た、年令が少し上目の人たちがざわざわしている、テーブルの上のピーナッツをつまんで殻を床にまき散らすようなバーだった(予想では水割りをからからん、とやるようなJazzっぽいところ)。シンガポールスリングは甘くてフレッシュでおいしかった。やっぱ本場もんはおいしいもんだ。大阪のたこやきと一緒だああ。。

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2月2日(火)
 4:00起床。5:20ホテル出発。チャンギ空港へ。
 朝にドリアンを食べた。パックに入ったやつ。強引な初ドリアン経験である。朝の眠い体にドリアン。においはあまり抵抗なかったけど、味がちょっと、、、。わたしはタマネギが大嫌いだ。後味がオニオンスープみたいな感じで、えずいてしまう。
 今度は、新鮮なドリアンに挑戦してみたいと思う。

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