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ある高校3年生

<きたのたけのこ 2号(56年6月)より>
2002.01.07. 掲載
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「O大学工学部に入るために、今年はうんと勉強しよう」 耕二は三年になるとそう思ったが、模型やラジオが好きで、勉強時間をほとんどこれに独占されてきた彼にとって、この決心を実行することは、ひどい苦痛である。

五月に入って、もう耐えられなくなりかけた頃に、修学旅行があると、救われたと思った。一緒に寝泊まりするあの修学旅行というものは、人の気持ちを解放するもので、所構わず、蛮声奇声がお伴するのだった。耕二とその仲間は、夜になるとメッチェン談議に耽けるが、まだY談のできない年頃だから、落ち着くところ、クラスの美人投票となる次第。

女生徒全員の名を書いた紙が回ってくると、各自思い思いに点数をつけて行く。「すごい、こいつ田中に99点もつけよった」 「あやしぞ、ちえっ、赤なるな」。 かくして、ナンバーワンは、後ろ姿の美しい田中嬢。選考委員達といえば、クラスでは彼女の背後の席にいて、毎日毎時間、その柔らかい黒髪に心を奪われていた連中なのだから無理もない。

旅行が終わっても、この気分はなかなか抜けなかった。旅行中のほんの僅かな親切にも、若い男女の心は感激し、ふらふらっと、幾組かのペアーが誕生していった。そして、写真の交換が始まるや、校内は騒然となり、もはや、新学期早々の緊張した空気はなかった。

そんなある日、耕二が教室の中で回覧されてきた写真を見ていると、後ろで「この写真いいわね、好きやわ」 と話し合っている女の声がする。同級の藤井比呂子が、明夫の写真を指さして言っているのだ。明夫というのは耕二の中学時代からの友達である。瞬間、耕二は涙が出そうになって、顔はひきつったけれど、「へー、そない言うといたるわ」 と言うと 、「うん」 と云って、彼女は離れて行った。耕二は 「大した心臓の女やな、僕を男性と思ってないんやろか、嫌になるな」 と思い 「それにしても明夫の奴、得やなあ、ああ、あほらし」 と、少々嫉けてくると同時に、対抗心が湧いてくるのを感じた。

翌日、「あんなあ、藤井知っとうやろ、あいつ、お前のこの写真見て好きやいうとったで、ええ調子やな」 と、耕二が羨ましげに話すと、「ほんまかいな、僕も大したもんやな」 と、明夫は照れながらも嬉しそうに答えた。明夫の耳はじんじんし、しびれる様な快感を覚えた。そして 「今度逢ったら話しかけてみよう」 と思った。

しかし、その後彼女を見かけた時、彼の期待もむなしく、彼女はそんな素振りを見せず、つんと済ましているので、「さては、耕二に担がれたか、あいつ、今ごろ舌を出してるんやろな」、 そう思うと先日の興奮が恥しくてならない。しかし、そのことに拘泥している間もなく、第一回目の実力考査が行われ、零点が受験生の過半数を占めると、校内も漸やく落ちつきを取り戻していった。明夫も実力考査で思いきり打撃を受けてから、懸命に勉強を始めた。

一方、耕二も又散々な成績を戴いたが、藤井比呂子の件以来、明夫が羨ましくてならない、と言うよりも明夫に負けた様な気がしてしゃくだった。彼は放送部に属していて、技術面で巾を利かせていたが、その放送部に新入生が入ってきた。アナウンサーの桜井孝子もその一人で、色はやや黒いが、きりっとした清潔な感じのする少女だった。メゾソプラノの美しい声は、入部早々から、上級生のアナウンサーを圧迫した。耕二は彼女に目をつけた。「この人と友達になってやろう。明夫などに負けるものか」

折りよくその頃、王子公園の野外劇場で関響が市民のための演奏会を開くことになった。耕二は、クラッシック音楽にはたいして興味を持たないのだが、彼女を誘うことにした。部室内で彼女と二人きりになった時を捉えて、耕二は彼女に言った。「桜井さん、あんね、明日王子公園へ行きませんか。関響が来るんでしょう?」 彼女の小麦色の皮膚が微かにふるえ、濃度を増した。当惑しているようでもあるが、喜んでいるようにも見えた。「ええ、だけど」 「なにか都合悪いの」 「いいえ」 「そんなら行きましょう」 彼女はうなずく、「3時に入口のあたりで待ち合わせしましょうか」 と、耕二は強引に決めてしまった。

翌日は日曜日、彼女は制服姿で現れた。耕二は制服の女学生が好きなのだが、今日は期待はずれの気持がした。会場には学生と労働者風の人達が多く、放送部員も同級生もいたが、興奮している二人の目には留まらず、相手もまた知らぬ振りをしていた。18才と16才の若い二人は、一人前になったと思うと得意なのだが、恥しくなったりもする。二人とも、ただ黙って額には脂汗をにじませている。腋の下からは冷たい滴が落ちていく。「あついなー」 と耕二が言う。「ええ」 と答える。そしてそれきり黙ってしまう。

「売られた花嫁序曲」は夢中で聴いた。その次はベートウベンの交響曲5番で、耕二もよく知っている曲だが、いつもより遥かに情熱的に感じた。おそらく「運命」という俗名と自分達を結びつけていたのだろう。明夫も同じ会場にいた。そして離れたところでこの二人を眺めながら、「耕二の奴、いやに済ましとるぞ、あの女の子は誰やろ、耕二もなかなか隅に置けんなー」 と思っていた。この日以来、二人は急ピッチで仲良くなり、皆の公認するところとなった。耕二は得意である。「明夫などに負けるものか!」

放送部主催のLPコンサートは生徒間に人気があった。桜井孝子が美しい声で解説をすると、耕二は音の調整をする。アンプは彼が組んだV6プッシュプルだ。ある者は神妙に、まじめくさって、ある者は弁当を食べながら、中には勉強熱心な連中が、英単語集をのぞきながら、聴いている。明夫は耕二のこんな様子をみて心配した。もうほとんどの者が受験勉強をし始めたのに、耕二は「ガリ勉」 と軽蔑して勉強をしないのだ。

夏休みに入ると、放送部全員が須磨へ海水浴に行った。海は泥で濁っていた。太陽はあくまで厳しかった。男子は皆水着に着かえたが、女子は体に自信のある者だけがそうした。もちろん、孝子もその一人だった。紺の水着姿の彼女は、ほっそりしているが、それでいて健康的で、僅かに起伏している胸が霊感的に感じられた。耕二はそんな彼女の姿を見るのが何となく恥しく、他の男達と一緒に、さっと波打ち際に駆けて行き、水しぶきをあげた。女性の視線を意識して、クロールやバタフライを苦労してやっている者もいれば、巧みなダイビングを誇らしげにする者もいる。

水は生ぬるい、泳ぎ疲れて仰向けになって空を見ている耕二の近くに、女達がボートでやってきた。耕二は孝子の乗っているボートに向かって、「オーイ、乗せてくれ」 と叫ぶ。女達はクスクス笑っている。抜き手をきってボートの後部にたどり着いた耕二は、やはり照れくさくて、上にあがれない。しかし、離れるわけにもいかないのでボートにすがっている。そんな彼を、クラゲが容赦なく攻撃する。「中山さん、嬉しいでしょう。早く上がって漕いであげなさい」 などと、やかましく女達が騒ぎたてる。「あんまり見せつけんといてや」 これは男達だ。耕二は皆にからかわれて嬉しくてしかたがない。

それから1週間あまり過ぎたある朝、「これ耕二、見てごらん、お前の学校の子が自殺しているから」 と慌ただしく母の差し出す朝刊には、2年生の時同級だった大山が、ガス自殺をしたことを報じていた。京大受験の希望を失い、神経衰弱気味だったので、発作的に自殺したのだろうと書いてあった。耕二は、 「あほやな、死ぬことは負けることや、死んでしまったらあかん」 とは思ったが、受験にこれほど気を使っている人がいることについては、気にも留めなかった。

明夫も同じ朝、大山の自殺を知った。彼は大山の自殺が単に受験の悩みだけからではあるまいと思った。複雑な家庭であることは聞き知っていたし、その他にも何か原因がありそうに思えた。しかし、大山を可哀そうと思っても、明夫にとって生きることが全ての価値の基本と考えられていたから、深い同情とか共感は湧いてこなかった。

孝子もこの新聞記事を見た。そしてはっとした。生存競争の厳しさを知ったと思った。そして、2学期に入ると家庭の事情と断わって退部してしまった。大事なアナウンサーを失った放送部の損害も大きかったが、耕二の受けた打撃もそれ以上に強かった。彼女は耕二にも、はっきりした理由を話さなかったのである。

一旦部を離れると、2000名もの生徒の中で、学年の違う彼女に会える機会は僅かだったし、そのうえ、運よく彼女に出会っても、なぜか彼女は逃げるように離れていくのだった。彼は自尊心を傷つけられる思いがした。「それにしても、何でこんなに嫌われたのか、ひょっとすると、僕の勉強を邪魔しないように気を使ってくれているのかもしれない、いやきっとそうに違いない」、せめてその様に考えたかった。

孝子も、退部する時には耕二が勉強するようにと思ったのであるが、一旦、退部して冷静さを取り戻すとともに、耕二にたいする魅力が失われていった。高校に入学当時の彼女は、耕二の如き上級生にモーションをかけられると、動揺せずにはいられなかった。好奇心をそそる甘さもあった。そして、約半年の間、異性の親しい人ができたことに夢中だったが、今ようやく興奮も醒めた。

そんなことを感じたのか、耕二はこの時始めて受験のことを真剣に考え始めた。明夫の方は、着々と勉強の成果を挙げていた。彼の頭はとっくに異性を考える余地を失っていた。そんな彼を見て、耕二は自分を嘲笑していると思った。そして苦痛が胸を圧迫するのだった。「くそ!負けるものか」 と思って2時まで頑張っても、解析、英語は皆目歯が立たない。一体何を勉強したら良いのかがわからないし、勉強の仕方も分からない。教科書を復習するのが良いと聞くと、成る程と思ってやってみる。「傾向と対策」が良いと聞くと、7冊もそろえた。ラジオテキストも買った。単語帳も覚えてみる。あれをやりこれをやりで、気はあせるばかり。鼻血を出してやる日もあった。それでも一向だめだ。「こんな時、孝子さんが励ましてくれたら、能率が上がるのだが」 と思うこともあった。その時には、そのことが絶対確かなことのように感じられるが、すぐに意地が湧いて来て打ち消してしまう。

そんなことを繰り返している内にも、入学試験の日が近づいてきた。この頃になって、彼は奇跡を信じるようになった。そして、毎日放心したように、デューク・エリントンのレコードに聞き入っていた。

(1956年6月)

<補足説明>

「ある高校3年生」は、大学に入った翌年の20歳になったばかりの頃に書いた、私の最初で、おそらく最後の小説です。これはまた、公表した最初の文書でもあります。クラスの同人雑誌「きたのたけのこ」に投稿しました。当時の阪大の教養過程は、旧制浪速高校あとの北校と、旧制大阪高校あとの南校に分かれていて、私は石橋にある北校で学ぶことに決められていました。医学部の学生は薮医者の卵、つまり「たけのこ」であり、北校だから「きたのたけのこ」としたのが誌名の由来です。

舞台は神戸高校、主人公の耕二は私の当時の友人NF君、明夫は私です。受験勉強をしなければならない状況で異性と交際を始めることになった友人をモデルに、実際にあったこと、経験したことがらを加工して、創作しました。二人の女性の名前、藤井比呂子と桜井孝子は、私が好意を抱いていた2学年下の、FTさん、OHさん、STさんという3人の名前を分解して付けたもの。自殺した大山というのは、K君という同級生で、家が近いためよく一緒に学校から帰った仲でした。

「明夫にとって生きることが全ての価値の基本」と書いているところを読んで、自分は少なくともこの頃から、人生の価値の基準について、自分の考えを持っていたことを知りました。あの頃は、悩み続け、本を漁り、しばしば朝方まで眠らず考えこんでいたのを思い出します。考えてみると、私のものの考え方の基本は、この教養過程の頃にできあがり、以来、余り進展していないように思えます。

メッチェン  :Maetchen(独語)メットヒエンからきた学生ことば、女の子のこと
LPコンサート:LPレコードがこの頃日本にもたらされた。それまでのSPレコードと比較にならない
        素晴らしい音質、雑音の少なさ、長い録音時間に誰もが驚愕したが、レコードも装置も
        高嶺の花で、そのためLPコンサートが休み時間などによく行なわれた。
関響     :関西交響楽団の通称で、大阪フィルハーモニーの前身、指揮者は朝比奈隆


<2002.1.7.>

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