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開業20年目の院長の妻の感想

開業医の妻となって

<野村医院20年史(93年11月)から>

2000.12.29. 掲載
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節目節目でのまとめを大切に思う男性と結婚したばかりに、文章を書くことの苦手な私も、こんな作文を書かなければならなくなりました。

ふりかえると、結婚して26年になります。開業するまでの大学での医局生活、勤務医としての6年間、主人はほとんど毎日夜遅く帰ってきて、朝早く出て行く生活でした。だから、私の心の中では、開業してから一緒に過ごした20年間が、本当の結婚生活のように思えます。

開院した昭和48年頃は、まだ今のような救急体制が整っていなかったせいでしょうか、夜中によく起こされました。そのため、普段はほとんどスラックスをはくことが無かった私が、わざわざスラックスを買ってきて、夜中に患者さんが来られた時には、パジャマの上からこれをはいていたことを思い出します。

夜中に、救急車が患者さんを乗せてこられるのですが、救急車はそのまま帰ってしまいます。診察が終わっても夜中のことなので、すぐタクシーが来てれくれるわけはなく、私が患者さんをお家までお送りしたことも、何度かありました。

その反対に、患者さんの家族の方が往診をして欲しいと車で迎えに来られ、その方を全く知らない時には、主人が誘拐されるのではないかと不安になり、そっと、車のナンバーを控えたりしていました。

最初の1年間は、レセプトを手で書いていましたので、毎月締切日(10日)の夜が明ける頃に、ようやくできあがるのでした。時間が足りなく1日中動き回っていて、夜ベッドに入るとホットしていたある日、ふと気がつくと1カ月くらい、新聞を全く読んでいません。これでよく日常生活が送れるものだなと、我ながら呆れた記憶があります。

開業してからは、夕食の準備ができていなくて、よく外食をしました。しかし、子供が大きくなるにつれて、その回数もだんだん少なくなっていきました。それは、子供が外に出るのを嫌がるようになったせいもありますが、開業医の生活に馴れてきて、少し時間に余裕ができてきたことにもよるのでしょう。最近は、子供が下宿をしたので、主人と二人になり、また外食の機会が多くなっています。

この20年間、ほとんど家の中ばかりの生活で、家の外での活動はできなかったのですが、医院の中では、多くの患者さんとの出会いと別れがありました。そして、その方々を通して、たくさんのことを学んだり、人生のいろいろな経験をさせていただきました。お母さんに連れられてよく診察に来られていた患者さんが、今度はご自分の子供さんを診察に連れて来られるようになり、20年の月日をしみじみと感じます。

未熟で至らない私が、何とかここまでやって来れたのは、何かにつけ助けてくれ陰から支えてくれた姉妹のような職員の皆様のお蔭だとつくづく感謝しています。自分の意思ではなく、親に言われるまま歯科医になったのですが、主人が開業したことで、それを生かせることができました。今そのことを両親に感謝しています。

これから先も主人の助け(?)をしながら、二人で協力して充実した人生を送りたいと願っています。

(1993年8月、記)


<2000.12.29.>

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