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クラシックパンツ礼賛

<枚方市医師会会報第14号(77年9月)より>

1998.01.14. 掲載
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私などが長年愛用してきた下着のことを、近頃では、クラシックパンツと呼ぶらしい。世の男性の9割までが、ブリーフ党だとも聞く。なぜに、かかる醜悪な代物が流行するのであろうか?

なる程、ブリーフと云えば聞こえもよいし、身体の曲線を明瞭にする効用もあろう。しかし、曲線美などという言葉は、女性に用いるから魅惑的なので、男性の曲線美など、本人がどう思っていても、他人から見れば、グロテスク以外の何物でもあるまい。男子たるものは、曲線を誇示するなどということを恥と考え、たとえ、実力があり余っているとしても、パンツの奥深く秘めておく謙虚さを持つべきではなかろうか? 

とは云っても、それはセンスの違いだと片付けられるかも知れない。では、実用性はどうか? 風通しが良く、快適で、男性自身を誘導するに都合よく、布地を汚し難いのは、クラシックパンツであって、ブリーフではない。

実用性も好みの問題だと云われるなら、医学的優劣を論じたい。そもそも、睾丸なる臓器は、繊細かつ微妙にして、高温度下では、その活動を停止する特性を持つ。かかる鋭敏な部分を、伸縮自在の布で包めば如何なる結果が招来されるや? ラジエーターを布で包めば車ならオーバーヒートだが、人間の場合は男性機能の低下、即、女性化となるは、理の当然の帰結であろう。

最近の若い男性の女性化には、ただただ、呆れるばかりである。後ろ姿に胸ときめかせ、前に回って幾たび腹立たしく思ったことか。これを勘ぐるに、ブリーフ流行の黒幕は、ウーマンリブの連中ではなかろうか?

男性諸君、敵の戦略に乗せられてはならない。かのマルクスでさえ、「男は強く、女は優しく」と云っているではないか。強い男こそが、人類を幸せにできるのだ。クラシックパンツ万歳!

(77年9月、記)

<補足説明>
クラシックパンツ礼賛」は、自分の愛用する下着の効用を宣伝し、男性の女性化現象を批判した短文で、枚方市医師会会報に投稿した。

表題の「クラシックパンツ」というのは、いわゆる「デカパン」のつもりだったが、これを日本古来の「ふんどし」と誤解された方も居られたようである。例えば、当医師会で先輩の高石喜次先生は、交野にも同好の士がいるといたく喜ばれ、患者さんに「野村先生もふんどしをしてはるぞ」と、よく話されたそうである。それが「デカパン」であると判明したときの先生の驚き、嘆き、侮蔑の眼差しを、私は忘れることができない。

この文章を書いた頃、世の中の男どもの多くは、恥ずかしげもなくブリーフを着けていた。ところが、いつのまにかデカパンに変わっている。もちろん、それは良い傾向であると評価するのであるが、誰ひとり例外なく、派手な色もの、柄ものを、恥じることなく身に着けている。男が、パンツなどに憂き身をやつして、どうするのだ!


<1998.1.14.>

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