ケンタッキー州ルイヴィル生まれ。16歳からサーカス芸人、ヴォードヴィルの世界に。1913年「イントレランス」(グリフィス監督)の助監督を務める。31年に独特の雰囲気を持つ「魔人ドラキュラ」を監督し、ヒットする。MGM製作本部長サルバーグは「フランケンシュタインを超える怖い映画を作れ」と命令。32年にトッド・ブラウニングは、長年温めていた企画、実際の障害者を登場させるサーカス芸人の物語「FREAKS」を製作。障害者の立場から障害者の誇りと連帯を描いた、当時としては画期的な作品だったが、本物のフリークスを出演させたということでセンセーションを巻き起こす。MGMは社会的な非難を浴びる。ブラウニングは決定的なダメージを受け、映画界を去る。「FREAKS」には障害者の生活がいきいきと描かれている。下半身のない男性は両腕で軽やかに走り、胴体だけの黒人は口だけで巧みにたばこに火をつける。お尻でつながったシャム双生児の一人が恋人とキスするともう一人も恍惚となる。彼等の存在は障害者というよりも人類の多様さ、豊かさに輝いていた。30年後にロンドンで公開。67年のヴェネチア映画祭で回顧上映され、以来カルト・ムービーの地位を不動なものにした。日本では32年11月に「怪物団」の邦題で初公開されている。
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