「ついてくる月」

  会社からの帰り道、おばあさんと、その孫らしい5・6歳の男の子が、夜道を
散歩していた。
  「ほら、お月さんがカンちゃんについてきておくれるよ」
横を通り過ぎるとき、おばあさんが男の子に言いました。
  私は、ふと、右方の空に浮かんでいる月を見上げました。歩きながら。「ほほ〜、
たしかについてきてくれているなぁ」と、素直に思いました。
  きっと、子供のころにも、同じ思いをしたはずです。
  不思議に思ったに違いないだろうし、おもしろかったに違いないのだけれど、今
の私にはその様な記憶はもうありませんでした。そのことは、ちょっと残念だけれ
ど、その夜の出来事に、なぜか妙に感動してしまったのです。
  「ついてきておくれるよ」という表現が<よかった>のだと思います。そんな表
現は、子供のころにも耳にしていたはずですが、その<よかった>は今だから味わ
えたのであり、子供のときには味わえなかったはずです。

  遠藤周作氏のテーマに「母なる神」というものがあります。それを私は、「神様
は無力だ。しかし、じっと見守ってくれている存在がそこにはある」というように
解釈しています。そしてそれと同じイメージを「ついてきておくれるよ」から連想
するのです。

  例えば、【自分】=【自分をみている自分】あるいは、【自分】=【他人】とい
う関係がなくして、人は人として、何かしらの行動をとることができるでしょうか。
できないと思います。しかし、自分も他人も、非常に頼りない。そんなとき、
【自分】=【じっと見守ってくれる存在】という関係があることに気付くというの
は、すごく心強いことだと思います。
  こういった背景を持っている今(あるいは、こういった無意識を持っている今)
「ついてきておくれるよ」を子供の頃とは違ったものとして認識しているはずです。

  夜空に黄色く浮かぶ月が、歩いても歩いても右上にいてくれる。
  単純なこと、当たり前のことと思ってはいても、心の奥底では、すごくホットし
ているのではないでしょうか。

  月がとってもキレイな秋、皆さんはどうしますか?

  月の欠け具合を観察しますか?
  ウサギだと教わった影を、あらためて何に似ているか考えますか?
  月面に着陸する夢をみますか?
  月見だぁ〜。酒だぁ〜ですか?
  「月がとっても・・・」と口ずさみますか?

  おばあさんの言葉を耳にしなかったら、秋の楽しみをひとつ損していたかもしれ
ない私は、その夜道での出来事に出会えたことに感謝しながら、こんなモノを書い
て一人悦に入っています。



書道研究機関誌『途上』第三号より 作:ほんだ とおる

※季節はずれなのですが、冬の間も月キレイだし。。。


ありがとうございました。

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