「摂津国」の誕生


大化の改新(645年)により都は飛鳥から摂津の難波に移され、政治上の諸改革がおこなわれました。
当時の朝廷は全国を畿内(都とその周辺)と東海・東山・北陸・山陰・山陽・南海・西海の7道の8地方に分けて統治しました。
その管理支配のために国司・郡司を任命し、さらに特別な行政区域として京城には左右京職、摂津には摂津職が置かれ、九州には太宰府が設けられました。

「摂津」とは「津」を管理するという意味で「津」は「難波津」をさしています。
このように「摂津国」はこの頃から畿内に含まれており、「日本書紀」にもその名がみられます。
「摂津国」は初めは12郡でしたが、713年に川辺郡の1部を割いて能勢郡が分置されてから13郡になりました。