川西市山下の北方に横たわる小高い山は、「城山」と呼ばれ安土桃山時代に「山下城」が有ったところです。
城主の塩川国満は、天正14年(1586)豊臣秀吉の命を受けた片桐且元や池田輝政らの連合軍によって滅ぼされました。
この戦乱のとき、城に居た姫たちは城の背後を流れる一庫(ひとくら)の大路次川(おおろじがわ)(猪名川の上流)に身を投げたと言い伝えられています。
山はだには幅1m足らずの洞窟(湯本穴)が口を開け、抜け道として城から通じていたと言われるこの穴から姫たちが身を投げて世を去った400年昔を物語っていました。
そこで地元では古くからこのあたりを「姫ヶ淵」(ひめがふち)と呼んでいました。
(摂津名所図会〜一庫湯より)
残念ながら現在では「一庫ダム」の完成(昭和57年)にともない「姫ヶ淵」の面影が消失してしまいましたが、ダムが建設される以前は、能勢川と大路次川の合流点の下流約200m位の場所で、ちょうど川が西に流れをかえるため大きく淵になっていた所です。
戦国の世の姫君たちの悲話も「姫ヶ淵」とともに、そのうち忘れ去られるかもしれません・・・
「一庫ダム」の右前方が「城山」
「姫ヶ淵」は「一庫ダム」の底に
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