1976.09.25
労組機関紙連載報告

ソ連訪問記「レーニンを知らない子供たち」

突然の誘い
「誰かソ連へ派遣できないか?」という突然の電話が飛び込んできた。
友好労組の「Kストア労組」委員長からの誘いであった。誘いの背景は次の通り。
『ソ連の運輸関係の労働組合と、日本最大の運送会社「日通」の労働組合である「全日通」、そしてタクシーの労働組合の産業別組織である「全自交」との間で、毎年相互に代表団を派遣し合い、交流を深めている。ところが今年の日本からの代表団の派遣に当たって、「全自交」の中心的労組である「K自動車労組」からKストア労組に対し、「同じ企業グループの労組」ということから派遣の誘いがあったとのこと。そこでKストア労組としては同じ業界の仲間からの代表も一緒に参加できればとの意向から今回の誘いとなったということである。』
「社会主義社会という異なった社会体制での労働運動や市民生活の実態を知っておくことも必要ではないか。」 中央執行委員会でのこうした趣旨の論議を経て、私のソ連代表団への参加が決定された。
スケジュールは、8月1日から14日までの2週間。その間に職場交流と観光を中心に、モスクワ市、バルト海沿岸のリガ市、レニングラード市の3都市を訪問するということだ。
出発に先立って、7月31日、東京の「全日通会館」で代表団の結団式が開催された。集まった代表団の総勢は19名である。ほとんどの人たちが50歳以上であるところから、30を超えたばかりの私は、Kストア労組の武田書記長とともに代表団の青年部といった役回りとなった。
翌8月1日、私たちは、ソ連国営航空「アエロフロート」に搭乗し、私にとっての初めての海外旅行がスタートした。
社会主義国での労働運動は?
社会主義国での労働組合の活動は、どのような形で行われているのか?これは労働運動に関心のある者なら、誰もが持つ疑問ではなかろうか。
そこでまずこの点について報告したいと思う。
労組活動の中心---生産を高める活動---
結論からいえば、ソ連での労働組合の活動の中心は、それぞれの企業での生産活動をいかにして高めるかという点にあるように思われた。
労働組合自らが、生産を高める活動を中心に据えているということは、日本の労働組合の感覚からすれば、奇異に思えるが、これは社会体制に違いを抜きにしては理解しがたいのではないか。
社会主義ソ連では、労働者を中心とした勤労者が主人公であり、国の生産力向上が、そのまま勤労者全体の生活の向上につながるという考え方である。従って、労働者の生活向上のための生産力強化の活動が、必然的に労働者の組織である労働組合の活動の中心になるということであろう。
しかしながら、ソ連での生産力強化の考え方を、単純に日本のそれと同一視することはできない。私たちが訪問したトラック運輸の企業では、労働者の工夫による改良された様々の部品の展示があった。それらの改良のポイントは、いかにして労働者の作業上の肉体的負担を軽くし、安全と健康を守るかという点にあるということだった。
日本での生産性向上の結果が、しばしば労働者の健康と安全を脅かしていることからすれば、ソ連での生産力強化の考え方の大前提に、労働者の安全と健康が据えられているという点は、見過ごしできないポイントのひとつと思われた。
中央政府が決定する賃金引上げ
ところで、社会主義国家での労働者の賃金交渉はどのように行われるのだろうか。
ソ連では個々の企業での賃金交渉は一切行われない。社会主義経済は、計画経済が基本であり、賃金といえども他の経済指標と同様に、中央政府で決定される計画にもとづいて決定される。ちなみに、1970年から75年までの5ケ年計画の結果、平均賃金は25〜30%引上げられたということである。5年間のアップ率としては低いとも思えるが、物価が日本とは比較にならないほど安定している実情を考慮すれば、労働者の生活は着実に向上していると思われる。
体育・文化活動の推進
労働組合のもうひとつの重要な活動は、労働者の体育・文化活動の推進ということである。そのため労働組合は、企業からこの面において大きな権限を委ねられている。各企業には、労働者のための会議室やホールなどが完備しており、それらの管理・運営は、労働組合が行っている。
私たちの代表団は、タクシーやバス・トラックの企業をいくつか訪問した。そこで私たちは、その企業に働く労働者たちから、エレキバンドによるロック演奏やロシア民謡の披露などの歓迎を受けた。サークル活動の成果でもある。
賃金のしくみは?
仕事に応じた賃金
ソ連での賃金決定の特色のひとつは、仕事や能力に応じて決められているという点である。年齢や勤続は直接には反映されない。これは、住宅、教育、医療などの社会福祉が充実し、基礎的な生活が保障されているということと無関係ではない。
社会福祉が立遅れている日本では、そうした負担を、個人の生活費で賄わねばならず、そのためにも生活事情の違いをカバーする上で、年齢や勤続を加味した賃金とならざるをえないわけである。
仕事や能力に応じた賃金といっても、それほどの格差があるわけではない。例えば、あるタクシー企業の運転手の場合、最低指数を100として、115と125の3段階に統一されている。
現場優先の賃金
賃金決定のもうひとつの特色は、現場優先の考え方である。職種ごとの賃金比較では、肉体的負担の大きい現場の労働者ほど高い賃金が支払われる。前述のタクシー企業の場合、運転手200ルーブル、技師や修理工190〜200ルーブル、事務職150〜160ルーブルといった具合である。
波紋を呼ぶプレミヤ制度
ソ連ではこうした所定の賃金以外に、プレミヤ(報奨金)と呼ばれる賃金制度がある。
あらゆる経済活動が、計画に基いて行われるソ連では、各企業においても、個々の労働者に対しても生産計画が課せられる。そうした生産計画を上回った場合に支払われるのがプレミヤである。
このプレミヤ制度については、同じ社会主義国である中国などから、資本主義的な個人主義を助長するという観点からの批判があるといわれる。
全国統一の労働分配率
生産に対する労働者への賃金配分、つまり労働分配率は、1ルーブルの生産に対して41カペイカの賃金ということであり、分配率は41%ということになる。この41%の分配率は、ソ連全国で同一の比率として定められているとのことであった。
労働力不足と婦人労働者の役割
訪問した多くの企業で私たちは、「労働力が不足している」という説明を、しばしば聞かされた。
『広大な国土には無尽の資源が今なお未開発のまま眠っている。にもかかわらず1億人余りの労働者では、それらの資源の開発は不十分であり、生活資材の調達は追いつかない。』 そんな苛立ちが説明を通して私たちに伝わってくる。
ソ連における婦人労働者の問題は、労働者の絶対数の不足という背景を抜きにしては理解できないのではないか。
今回の交流を通じて実感したことのひとつに、ソ連の婦人労働者が、男子と対等の労働者として、自信とプライドを持って働いているという点がある。それを可能にした背景にある社会主義体制下の政策的な改革という点は否定できまい。しかしそれだけをもって理解することは一面的ではあるまいか。
絶対的な労働力不足という現実の中で、女性といえども最大限の労働を期待せざるをえなかった、より大きな事情を見落とすわけにはいかない。
モスクワからリガへ向かう夜行列車の車掌として20才前後の若い女性が勤務していた点や、生理休暇が制度化されておらず、医師の診断にもとづいて付与されるという点など、日本の母性保護の状況からみれば遅れているという実態も、絶対的な労働力不足を反映したものといえよう。
商業労働者は国家公務員
次にソ連での商業活動について報告したい。とはいっても、運輸関係労組の交流という代表団の性格から、商業活動についての見学は、日程上も充分ではなく、詳細な報告はお許しいただきたい。
商業労働者は国家公務員
ソ連で商業に従事する労働者は、原則的には全て国家公務員である。
国家公務員的な労働環境からは最もかけ離れた形で働いているように思える日本の商業労働者からすれば、およそ奇妙に思えるソ連でのこの結論も、次のような結論に至る過程を考えればうなづける話ではある。
『商品価格による自由競争が否定されている社会主義国では、すべての商品は統一の価格であり、商品を提供する商店は、原則的には全て国営である。従ってそこに働く労働者は、結果的に国家公務員ということになる。』
店舗形態
店舗形態は、主として、百貨店、ショッピングセンター、市場の三つの形態に分けられる。
百貨店は、モスクワやレニングラードなどの主要都市に各々1〜2店舗あるようだが、見学はできなかった。
ソ連でいう(正確には通訳さんのいう)ショッピングセンターは、都市の高層ビルや都市近郊の高層住宅の一階に設けられた専門店の集合体であり、紳士服、婦人服、子供用品、書籍、薬といった商品を揃えた店舗が軒を並べている。
活気あふれる市場
百貨店やショッピングセンター以上に活気があり、実際に商業活動の中心になっていると思われるのが、市場である。百貨店やショッピングセンターの商品が、どちらかといえばファッション性や高級感が訴えられているのに対し、日常の生活必需品の提供の場である市場は、想像以上に大規模であり、豊富な商品量を誇っている。こうした点にも、社会主義国らしい大衆の生活状況に合わせた政策が感じられた。
私たちが見学したリガの市場は、何棟もの体育館のようなカマボコ型のドームの中に商品別に店舗が密集し、建物周辺の広場でも、花や果物、野菜の露天販売が軒を連ねていた。
店舗の経営形態
市場を構成する店舗の経営形態には、国営店、コルホーズ経営店、ソホーズ経営店の三つの経営形態がある。
商品価格は、生鮮食品を中心とする商品は、需給関係によって、多少の変動はあるようだが、市場の店舗の中心となっている国営店での国定価格によって、全体の商品価格は、ほぼコントロールされているようである。
営業時間
ところで、私にとってもっとも気になる点であった営業時間については、平日で午前7時から午後5時まで、土曜・日曜で午後3時までということであった。その日のリガでの日没時間が午後10時30分頃であったことからすれば、相当早い閉店時間であったといえよう。
市民生活に浸透する欧米文化
賃金に応じた家賃
住宅は、人口の都市集中化を反映して、各都市の近郊で、高層の公営労働者住宅が、どんどん建設中である。
家賃は、入居者の所得に応じて決められる応能家賃制が採用されており、通常賃金の5%ということである。広さについても、最低基準が設けられており、台所、バス、トイレ、廊下など家族の共用部分を除き、一人当たり最低9u以上が確保されるとのことである。
ちなみに私たちの代表団の案内者である35才のタクシー企業の技師長の場合、次のような住宅事情にある。
賃金・・・所定賃金 210ルーブル(プレミヤを含み240ルーブル)
家族・・・妻と子供一人
広さ・・・ 2DK 35u(共用部分除く)
家賃・・・ 11ルーブル
充実した社会保障
教育や医療などの社会保障は充実しており、個人負担はほとんどない。
驚いたことには、代表団の一人が突然の歯痛で、急遽、歯科医院で治療を受けたが、その際も無料であった。税を負担していない外国人まで、医療費は無料ということである。
安い生活必需品、高い贅沢品
社会主義告訴連では計画経済のもとで、長期にわたって物価は安定している。
ちなみに地下鉄運賃は、1935年の開通以来、距離に関係なく5カペイカ(約20円)である。とりわけ生活必需品の価格は予想以上に安く、例えば牛肉1キロは2ルーブル(約800円)という程度である。
しかし、嗜好品や贅沢品は想像以上に高く、自家用車などは、労働者の平均年収の3倍近い価格といわれる。
浸透する欧米文化
ファッションについては、流行期がかなりずれているものの、欧米の影響がかなり見受けられた。若い女性のほとんどがミニスカートである。社会主義国ということでその方面の期待は持っていなかった私にとって、これは有り難い誤算ではあった。
しかし、ほとんどの女性が素足であり、ストッキングやパンティーストッキングの着用は見られない。それらの品物が今尚贅沢品ということであり、日本に比べ相当高価なのだろう。
青年たちの長髪や口髭が目についた。エレキバンドやロックの流行とあいまって、浸透する欧米文化の影響を知らされた。最近のニュースに「寺内たけし」バンドのソ連公演の成功を伝える報道があったが、決して誇張ではなかったことが実感させられる風景でもある。
60年後の「10月革命」
以上、今回のソ連訪問で見聞した様々の状況を、各テーマごとに余り感想を交えずに事実報告という形で述べてきた。この報告を終えるに当たって、最後に私なりの感想を述べてみたいと思う。
レーニン廟の長蛇の列
ソ連は、1917年の「10月革命」による建国以来、既に60年の歳月を経た。この間、ヨーロッパの最も遅れた、そして貧しい国は、労働者大衆の長く苦しい労働によって、経済は飛躍的に発展し、国民生活も、欧米先進国に並ぶほどになった。
ところで、今日に至るまでの国民の苦しい労働を支えたものは何だったのか。もちろん、社会主義国家の建設という理念を通じての国家への信頼もあったと思われる。しかし多くの大衆にとって、理念や国家への信頼は、実はレーニンという偉大な指導者への信仰にも似た絶対的な信頼に支えられていたのではなかっただろうか。
レーニン廟を詣でる国民の、あの広い『赤の広場』を幾重にも取り巻く長蛇の列を目にして、直感的にそうした感想を持ったのは、私だけだったろうか。
デタントの副作用
ところで、革命前の苦しい生活を体験し、今日の発展の基礎を築いた世代にとって、レーニンへの信頼は、現実の生活に裏付けられた確信ある信頼であったに違いない。
しかし、豊かな生活に到達した今日、そうした世代の多くはもういない。今日の多くの世代にとって、レーニンは身近な実感として理解できる存在ではない。同時に彼らにとっては、豊かさは既に与えられたものである。
米ソの緊張緩和政策(デタント)によって、ソ連にはアメリカ人観光客がひきもきらない。私たちの代表団に対し、バッチと交換に、ガムをせがむ子供たちや、日本製の腕時計の闇取引を求める青年たちがいた。
外交政策としての「デタント」は、それ自体正しいのかもしれないが、一方でそれは、現在のソ連社会において望まれている豊かさ以上の「資本主義的な贅沢さ」を国民に知らしめるという「副作用」をもたらしたのではないだろうか
二つの社会体制下で競われる豊かさ
今、ソ連では、こうした情勢に対して、国民の再結集をはかる新たな手だてが模索されているかに見える。
最近、現在の第一の指導者であるブレジネフ書記長の功績を大きく称え、英雄視する動きがあると伝えられている。こうした動きが、国民最結集をはかる新たな手だての一つなのかどうかはしらない。
いずれにしろ、ソ連の今後の経済発展は、日本の私たちの生活ともまったく無縁ではない。西ヨーロッパ各国における今日の充実した社会福祉は、国境に隣接するソ連や東ヨーロッパでの社会主義国の出現に、その背景があるともいわれている。
資本主義と社会主義という二つの社会体制が併存し、それぞれにおいて、その経済発展と国民生活の豊かさが競われている。
ソ連の経済発展は、私たちに決して無縁ではない。

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