家族の形も変わっていくのだろうか?

光成沢美著『指先で紡ぐ愛』(講談社)を読む

朝日新聞の記事から生まれた本

 東京大学先端科学技術研究センター(先端研)に福島智という全盲でろうの助教授がいる。2001年、先端研の助教授に就任した際、マスメディアが大きく取り上げたので、ご記憶の方も多いと思う。今年3月には、雑誌TIMEが松井秀喜、坂本龍一、オノ・ヨーコ、朝青龍とともに「2003年アジアのヒーロー」に選出している(以下のウェブ・ページで該当記事を読むことができる。http://www.time.com/time/asia/2003/heroes/satoshi_fukushima.html

 2002年1月、朝日新聞が福島智さんと妻の光成沢美さんの大きな記事を掲載した。この新聞記事への読者の反応から障害のある夫を持つ妻のネットワーク「生糸の会」が誕生し、講談社出版研究所の編集者の勧めで光成さんは『指先で紡ぐ愛 グチもケンカもトキメキも』を書いた。

点字レター、指点字でのコミュニケーション

 最初に福島さんと出会った時、光成さんは福島さんの講義を受ける学生だった。広島の大学を出た光成さんが、埼玉県所沢市にある国立身体障害者リハビリテーションセンター学院で手話通訳者としての訓練を受けている時、福島さんが講師としてやってきた。福島さんは、自分の体験を踏まえて目が見えなくて耳も聞こえないという重複障害について教えた。

 福島さんによる特別講義の一環で、学生たちと福島さんとの間で点字による文通が始まった。最初は15人の学生全員が福島さんあてに点字の手紙を書いた。なれない点字での手紙を書き続ける人はやがていなくなった。高校時代に使った点字板を広島から送ってもらった光成さんは文通を続けた。

 光成さんは、福島さんへの点字レターを一通書き上げるのに3日間をかけたこともあるという。読んでくれる、返事をくれる人がいる、書き続けることができる、自分の考えがことばになっていく。福島さんとの文通を通して、光成さんは福島さんについてよく知るようになっただけでなく、自分自身についてもよく判っていったに違いない。

 それにしても福島さんの「受けを取りたい、笑わせたい」という関西人魂は強烈で、小学生時代は、帰りの会で「男子はもっと掃除をまじめにやって下さい」などと言っていたガリ勉タイプの少女だった光成さんの文体まで、すっかり変えてしまったようだ。福島さんの文章や講演記録などを引用・紹介しながら書かれたこの本の中の二人のやり取り、描き出された福島さんの姿が何ともおかしい。見えない聞こえないと楽しみは食べること飲むこと、という福島さんが、光成さんの誕生日のお祝いだと言って、高級レストランや料亭でごちそうを食べおいしいお酒に酔っている傍らで、光成さんが、無事に連れて帰らなきゃと気を遣っているというシーンが毎年繰り返されていたり、光成さんの指点字を打つスピードがケンカの時には速くなる、というのだから夫婦でいるんだろうなあ、この二人は。

「盲ろう者・福島智の妻そして指点字通訳・介助者」にしばられた年月

 この朝日新聞の記事には、金沢大学教育学部助教授であった福島さんが東大先端研に移ると決めた際、光成さんが「私はね、仕方なく東京について行くんだからね!」と声を荒げたというエピソードが紹介されていた。

 4年前の冬、僕は友人と二人、福島さんに会いに金沢へ行ったことがある。金沢駅で、福島さん・光成さんが僕らを待っていてくれた。福島さん、一緒に行った友人と20年近く前に会ったことを覚えていた。友人も、都立大の学生だった福島さんがガラスのない腕時計をしていて、針に触って時刻を確認していたことなどを思い出していた。僕は、その時初めて光成さんと会った。

 金沢で僕ら二人は、忍者寺などの名所案内を受け、おいしい食べ物とお酒をご馳走になった。歓待を受けたお礼に、春になって苺を送ったところ、光成さんが「ホームフレンド」になっている女の子と一緒に食べた、おいしかった、とのメールが届き、うれしい思いをした。

 「仕方なく」ということばで、「ホームフレンド」のことを思い出したのだった。

 福島さんの大学教員になりたいという夢が、1996年夏、都立大助手就任で現実のものとなり、同年12月には金沢大学教育学部に助教授として迎えられることが決まったことは、光成さんの生き方を大きく変えることになった。福島さんの「唯一の指点字通訳・介助者」として金沢へやって来た光成さんが、引き受けたものの大きさは、『「奥さん」か、通訳者か』(170p)の節で紹介されている金沢大学への就職が決まる前に行われた同大学教官たちによる福島さん・光成さん面接でのやりとり、また、215pに記された

「手話通訳者には頸肩腕症候群がありますが、指点字通訳では大丈夫なんですか?」
「今、私が人体実験中ですので……」

という問答からうかがうことができる。

 くわえて、発売されたばかりの長文メールのやり取りができる携帯電話を手に入れるために、金沢市内で何軒ものショップをまわった、というエピソード(193p)の中で書かれているような「私だけが外泊することもあった。しかし、でたら最後、帰るまで夫の無事は確認できない」という状況の中で受けるプレッシャーはたいへんなものだったろう。

 通訳・介助を交代できる人が全くいないところから始まって、「ホームフレンド」として単子家庭の子どもを招いて相手することができるようになるまでの時間・努力については推測するしかない。福島さんの東大先端研への転職は、その時間・努力そして結果としての光成さんの居場所・やりかけのことを全部リセットしてしまった。

二人がそれぞれの生き方をするために

 昨年早々、朝日新聞の記事を読んで、僕が感じたのは、「光成さん言いたいことがあるんじゃないか? ことばにならないのだろうか?」という疑問だった。「ことばが出てこなければ、フイッと姿を消すんじゃないのか?」という不安がその根っ子にあった。

 その時までに、光成さんとは2度しか会ったことがなく、直接メールのやり取りもなかったから、彼女の人となりを知っていて感じた疑問でも不安でもない。生活介助を必要とする障害者と出くわす場面では、いつでもどこでも姿を見ていた、そしてこの何年も姿を見ることも消息を聞くこともない何人もの仲間・顔見知りのことが思い浮かんで感じた不安だった。

 僕は、24年前の大学生として6年目の年に大学祭へやってきた脳性マヒ者(CP者)との出会いから障害者の生活介助に関わるようになった。同じ頃、金井康治君の養護学校から普通学校への転校運動に関わり、運動の中で東京・足立区に移り、活動を共にした仲間たちのつながりの中で今も暮らしている。

 その頃、大学の中での活動だけでなく、障害者運動、金井闘争の中で行動を共に後には足立区に移り住み足立区で働いた友人がいた。それぞれに大学を出て働き始め、彼とは自転車で15分くらいの距離の同じ区内に住んでいたのに、互いに介助者として参加している集会あるいは介助の交代先で会うことが多かった。彼の山中恒コレクションを借りに何度か行った、僕の引っ越しを手伝ってもらった、といった思い出がある。その彼が、介助先に現れなかった。「様子を見に行って欲しい」と介助を受けるはずだったCP者から電話を受けて部屋を訪ねたところ、すでに彼の職場の仲間が3人来ていた。僕だけが初対面だった。当時、職場で一緒という人から「Iさんに介助が集中しないようにして欲しい」といったことを言われた。その夜、彼は部屋へ帰ってこなかった。その後しばらくして彼は職場も辞めた。人づてに東京を離れたと聞いた。

 「自分がいなければ食事もできない、トイレも使えない人がいる」との思いにかられた、「自分を必要としている、頼っている人がいる」のに拒めない、「障害者を見殺しにするのか」と自問してしまう、という経験は僕にもある。そういった思い・自問そして自責の念にかられ、また「拒めない」と感じた人たちが、いつの間にか姿を見せなくなり、消息も聞かなくなった、と感じてきた。で、僕は「光成さん、ことばを発しているのか?」とかすかな不安を持った。

 プロローグで、光成さんは「障害者の夫をもつ妻は、優しく、明るく、そして強くあらねばならない」という「世間の期待を強く感じ、期待通りに振舞わなければならなかった」と書き、「弱音をはけば、社会からの夫の評価が下がるのではないだろうか。夫は私を嫌い、私から離れていくに違いない。私は常に不安を抱えていた」と続ける。

 ここまで読んで、僕はフーッと肩の力が抜けた気がした。こうやって書き始めた人は引き返さない。ことばにできることは、考え、試し、問いかけることができる。

 もちろん「君の好きなことをすればいいんだよ」と言われようが、〈そんなに力を入れて生きなくてもいいんじゃない?〉と自問しようが、すぐに答えが出てきやしない。「途方にくれ、うつ状態になっ」てしまうのも無理もない。

 だから『「他人のことを一番に考え、自分の欲求は出さない」生き方を評価されてきたあまり、自分の欲求を抑圧して生きる癖がついてしまっている』人には、同居人からの

君が調子が悪いなら、何も出来なくてもいい。ずっと寝ててもいい。とにかく一緒にいたい。君が何かが出来るから、何かをしてくれるから一緒にいるんじゃないよ。君の存在そのものが僕にとっては重要なんだ

ということばがまず必要だっただろう。その一方で、こうやって本を書きながら、改めて福島さんとの対話を振り返り、自分自身と対話することが決定的に重要だった。

家族の形も変わっていくのだろうか?

 福島助教授というかけがえのない人材を得た東大先端研は、この3年間で、指点字通訳者5人、全盲の研究者2人、全ろうの研究者1人を含むスタッフ10人という福島研究室を作り上げた。工学系の研究センターである先端研が、こうした研究室を誕生させたこと自体が、前例のない高齢化社会、バリアフリー社会を向けてどのような研究を行っていくのかを鮮明に示すものとして興味深い。

 福島さんの研究者としての活動は先端研雇用のスタッフによって支えられるようになり、光成さんは他の盲ろう者の通訳、アメリカ手話や英語の勉強などをしている。福島さんを交えて英語学校の友達と一緒に飲んだ際、「私が通訳しているとうまく話せないから、通訳者は別に頼んだ」という一文に、4年前、一緒に金沢へ行った友人が光成さんから聞いたという「私も飲むのは好きだけど、酔うと通訳できなくなるので控えている」とのことばを思い出した。

 夫婦げんかを別の通訳者が通訳するというのはちょっと考えにくいし、二人だけで気兼ねなく話をする時にも通訳者は入れないだろうが、一緒に出かけて人と会う際、特に二人それぞれの考えを語ることを求められる講演会やインタビューの際など、福島さんには光成さんではない通訳者が付くことが必要だし、重要だと考える。いや、夫婦げんかの際に、議論の当事者と司会の二役をこなしてしまう(145p)という福島さんにこそ、光成さんではない通訳者が必要かもしれない。福島さんが楽しみにしている光成さんの誕生日の会食(94p)だって、通訳者がいて、光成さんがもっとくつろげた方がいいじゃないかと思う。そんな場面が増えていけば、二人の関係は変わっていくだろうし、家族のイメージも変わって行くに違いない。

 講談社 1500円+税 四六判 253p 2003年7月14日初版

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コミック「指先で紡ぐ愛」も話題です。
けっこう、脚色されています。エッセイとは違う雰囲気です。

TVドラマ化! 2006年3月10日夜、フジテレビ系列「金曜エンタテイメンド」(21時から23時)です。
ドラマの場面のホントとウソを確認する意味で、皆さん、再読しましょう!

福島さんの書いた『渡辺荘の宇宙人』(素朴社、1995年)も増刷されてほしいです。

【付記】2008年6月、福島さんは『福島智における視覚・聴覚の喪失と「指点字」を用いたコミュニケーション再構築の課程に関する研究』で、東京大学より学術博士号を授与されました。

【付記2】2009年4月、生井(いくい)久美子著『ゆびさきの宇宙〜福島智・盲ろうを生きて』が岩波書店から出版されました。
読んでいて、4年前に福島さんが「適応障害」で休職してゼミが開講されなかった時のことを思い出しました。20数年間、「盲ろう者・福島智を生きてきた」ことが、「適応障害」の病因だそうです。

また、福島さん自身が書いた博士論文では触れられていない福島智君とともに歩む会の活動を紹介している記述に、金井闘争の頃の記憶が呼び起こされました。
特に、113pにある

両方の手と指を重ねる接触度、二人の位置関係や距離感がプライベートな領域に入っていて、普通の人なら互いに踏み込まない距離まで近づいている。一歩間違うと落とし穴があるけれど、それを了解の上で通訳している。そのことはだれにもいっていないし、いいにくい、ふれられたくない部分でもあると思う。
という述懐に、障害者とともに生活をする時間を重ねてきた人たちはそれぞれに思い浮かべるものがあるのではないかと感じました。

【付記3】2009年5月、福島令子著『さとし わかるか』が朝日新聞出版から出版されました。
母親の視点からの記述、福島さんのやんちゃぶりが記されていて、おもしろいです。
福島さんが「適応障害」で休職していた時、神戸でお母さんと一緒に公園へ行き、昔読んだ点字の本を1ページずつめくってホコリ落しをしているシーンが印象的でした。

【付記4】2011年8月、福島智著『盲ろう者として生きて:指点字によるコミュニケーションの復活と再生』が明石書店から出版されました。
博士論文を修正・加筆した内容の本です。
福島さん自身は、この本について以下のように書いています。

私が9歳で失明し、18歳で失聴して盲ろう者となって、コミュニケーションを喪失した後、指点字によってコミュニケーションを回復する過程を日記や手紙、インタビューなどで重層的に記述した上で、その体験を文責・考察する、というようなものです。
「文責・考察」の部分がどこまで成功しているかは、はなはだ心許ないのですが、体験の記述のところは、ちょっとオリジナルな工夫もしていますので、自伝でもなく、評伝でもなく、伝記でもない、風変わりな本にはなっていると思います。

紹介文と抜き書きです:『盲ろう者として生きて:指点字によるコミュニケーションの復活と再生』から


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です。


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by 斉藤龍一郎 僕あてのメール