斉藤 龍一郎の近況です

2019年6月22日 土曜日午後0時44分。

10時半ごろ、請求書が病室に届き、退院の手続きが終わった。

病院からタクシーに乗ったら、すぐに雨が降り始めた。足立に入ったあたりから雨が小降りになり、部屋の前に着いた時には雨が降っていなかった。雨を追い越して、たどりついたということのようだ。部屋に荷物を置き、手亡豆を火にかけて買い物へ行こうと部屋を出たら、もう降っていた。

今回、予想以上に経過が良好(膵臓があまり刺激されなかった、ということのようだ)で、10日間で退院できたらいいなと思っていたら、8日目に退院となった。

年内に、9月・12月とステント交換を受けることになっている。こんな調子ですめばいいな、と願っている。

2019年6月21日 金曜日午前8時41分。

朝食を終えた。今朝はパン。この後、シャワーを浴びる。入院二日目の日曜日にシャワーを浴びて体を洗ってから5日経つ。

担当医チームがやってきた。今朝の採血・採尿の検査結果も良好とのこと。主治医と相談の上、退院の時期など決めてまた来るとのこと。早く退院できるとうれしい。

昨夜、服用するはずだった薬が、薬箱の中に残っていた。手足に軟膏を塗って横になってしまい、服用薬のことをすっかり忘れていた。こうしたことがないように、毎日、服用記録をつけているが、うっかりしてしまった。

1990年代のアフリカ関連ニュースをウェブに反映させる作業を進めていると、ああそうだった、こんなことがあった、と思い出すこともあれば、忘れてしまっていたこともある。

先日から読んでいるラジ・パテル『値段と価値』に記されているミシュランによるナイジェリアの森林保護区取得・ゴム園化といったことをどのように記録していくのかも考えなければならない。

* 133p
ナイジェリアでは、政府がイグオバズワ森林保護区をミシュランに売却したために、この地区に住む女性たちは自分たちの土地から追い出された。ミシュランはこの森林をゴム園に変え、コミュニティが自給するために女性たちが作っていた農地を破壊してしまった(註1)。被害者の一人マベル・ウバラはこう話す。
「夫が死んで二年後に、畑を始めました。〔・・・〕ミシュランはブルドーザーを持ち込んで、私がそれまで植えてきた作物をすべてつぶしてしまった。号泣しました。〔・・・〕止めようとしたんですが、邪魔をするならお前をブルドーザーで轢いてやると脅されました」(註2)。
(註1)Environmental Rights Action. "Field Report #172: Michelin Converts Prime Forest to Plantation" (Environmental Rights Action/Friends of the Earth. Lagos, Nigeria. 2008)
(註2)World Rainforest Movement. Women Raise Their Voices against Tree Plantations: The Roles of the European Union in Disempowering Women in the South (Montevideo: World Rainforest Movement. 2009)
cf.
熊野純彦『マルクス 資本論の哲学』(岩波新書 2018年〕109p
 念のため附言しておきます。戦後まもなく羽田空港が接収されたとき、住民は四八時間以内の退去を命令されて、着の身着のまま河川敷に移りすむことになりました。一九七一年三月、成田では、抵抗する農民たちが鎖でわが身を立ち木に括りつけていましたが、木々の多くは農民ごと伐りたおされていきました。これが資本制の存続とともに反復されてきた、「地所の清掃」つまり「土地からの人間の掃き捨て」の方法の身近な実例です。



2019年6月20日 木曜日午後7時2分。

今年3度目の入院。3カ月毎のステント交換後の経過はすこぶる順調。昨日の夕食から食事再開、今日の昼食から五分粥になった。明日はシャワーを浴びることもできる。

入院直前に探していた文庫本を入手することができた。これで完結までいくのかな、と思ったら、まだまだという展開だった。2015年に最新刊が出た後、続きが出ていない。なんとか続きを出してほしい。同じ著者の別のシリーズの新刊も待ち遠しい。

同室に入院した人から革製のしおりをもらった。ブックカバーも作って文具屋に納品していたとのこと。今は、皮革工芸の教室をやっているが、受講者はお金のない年金生活者ばかりと話していた。



2019年6月11日 火曜日午後4時42分。

今日、晴れ間が見えたので、布団を干し、シーツとタオルケットを洗濯した。

先日から読んでいるラジ・パテル『値段と価値』に、「二〇世紀初めの英国の経済学者アーサー・ピグーは、市場はその構造そのものの欠陥、つまり価格の内部性と外部性に影響を与えるという欠陥があるために、市場で行われた行動が広範囲に及ぼす影響を見逃すという考え方を提唱した」(60p)と記されているのを見て、静脈経済ということばを思いだした。

小川道大著『帝国後のインド−−近世的発展のなかの植民地化−−』を読んで、武装して訓練を受けた兵士そして指揮官が独立戦争の前線に出てくる、ということをインド独立運動に向かい合ったイギリスが真剣に考えざるをえなかっただろうと改めて感じた。



2019年6月7日 金曜日午後4時16分。

梅雨入りした。雨が降っている。

午前中、間に合ってくれ、と思いながら、自転車で歯医者に行った。帰り道、雨合羽を羽織って1時間ほど自転車を漕ぐことになってしまった。それでも、今日は、雨で過ごしやすくなったと言える。

小倉充夫・舩田クラーセンさやか著『解放と暴力: 植民地支配とアフリカの現在』から抜き書きしながら、暴力というか武装して闘争するということについて考えている。

武器を持てば、それで闘えるわけではない。武器を扱う訓練が必要だし、部隊として、闘争体の一員として行動することを体で覚えるための訓練も受けなくてはならない。

武装闘争=軍事行動を行った南部アフリカ諸国(南ローデシア、モザンビーク、南アフリカ)の解放勢力は、1970年代から80年代にかけてタンザニアやザンビアの訓練所で軍事訓練を行った。

仏領西アフリカでは、第一次世界大戦、第二次世界大戦の戦場に、フランスによって西アフリカの兵士たちが動員された。イギリスもインドでインド軍を編成し、第一次世界大戦ではヨーロッパの戦線に、第二次世界大戦ではマレー半島・シンガポールからビルマにおよぶ広範な戦線に動員した。第二次世界大戦に動員されたインド軍はのべ250万人という。

武装して訓練を受けた兵士そして指揮官が独立戦争の前線に出てくる、ということをフランスは西アフリカで考えただろうし、イギリスはインドで考えただろう。

そんなことが頭に浮かんだ.



2019年6月6日 木曜日午後3時30分。

午前中配達と指定した宅配便を待っていたらお昼になった。昼食をとってお茶を飲んでいたら、宅配便が届いた。時間指定を厳守できないほど人手不足なのかな?

昨日の授業で、排ガス規制という政策がホンダの飛躍につながったという話をした。いつのことだったのかと確認してみたら、マスキー法が1975年から施行予定というので、ホンダがCVCCエンジンを発表したのは1973年のことだった。僕が一番車に関心を持っていた時期のできごとだったので印象に残っていたのだった。

先週の授業時に履修者たちに書かせたエッセイの中に、「『将来のため』が将来をダメにする」というタイトルのエッセイがあった。2015年春学期の履修者のエッセイのうち「公開可」となっていたので当時の授業レジュメに収録し、今学期の授業資料でも紹介したエッセイを読んで受けた衝撃を記した内容だった。

ちょっと前の同世代の学生が就活に向かう自分について考えたことを読んで、この履修者は「当たり前」にするものだと思っていたことをもう一度考え直す必要があると感じたようだ。僕のような、学生達からすれば親の世代よりも年上の年寄りの説教では伝わらないことが伝わったみたいだ。



2019年5月30日 木曜日午後3時31分。

今日は快晴。とはいえ、猛暑日だった一昨日ほど暑くなく、過ごしやすい。

午前中、洗濯をした。台所に敷いているマット類を久しぶりに洗った。

昨日、学生たちが書いたエッセイを読み進めている。一昨日、川崎で起きた殺傷事件の報道に触れて感じたこと・考えたことを記したエッセイもいくつかある。

受け取る時に、タイトルの有無やタイトルへの不要・不適切な注記の有無をチェックするようにしたのが効いていて、タイトルの形式や有無に関する問題はほぼなくなった。

「今は見ない、ほぼ使われていない商品を使った経験を振り返って考える」というテーマも選択対象にしたところ、壊れたウォークマンを家の中で見つけ、両親のどちらが使ったのだろうかと考えてみた、という趣旨のエッセイ、MD・CDを使っていたころの思い出を振り返ったエッセイなどあって興味深い。



2019年5月21日 火曜日午前5時46分。

この20年以上、毎年4月に仲間たちと一緒に行っていた一泊旅行、今年は1カ月遅れの5月18日・19日となった。

20年ほど前に来た時に撮ったビデオを発見したと、見せてくれた。みんな若い。子どもたちは小さい。こんなだったよな、と思った。

友達の子ども(といっても今年、大学を卒業した)の口から、以前、AJF会報『アフリカNOW』に寄稿してもらったことのある武器移転問題研究者の名前が出て、びっくりした。雑誌を一緒に作っている仲間からこの研究者の名前を聞いたとのこと。雑誌を作るって、視野を広げることにつながるみたいだ。

早速、その旨を、旧知の研究者に伝えたら、「うれしい」とのこと。



2019年4月21日 日曜日午後1時8分。

一昨日、40年来の仲間の告別式に参列した。

最後の別れの花を棺に納める際に見た姿は、2月に会った時よりも鋭角的な感じだった。すっかり痩せ細っていた。

3月、4月と日曜ごとに病院を訪ねていた年若い友人に聞いたところ、昨年10月くらいから誤飲を起こしたり、発声が困難になったりと、気管と食道の振り分け機能が弱まって点滴栄養になっていたとのことだった。

その時期、僕自身、入退院を繰り返していたこともあって、1月半ばに面会可能と連絡をもらい、2月初め、やがて9カ月ぶりに病院へ面会に行った時、痩せてしまっているのにびっくりした。

つい先週の日曜日にも病院で会ったその友人は、頼まれた本を用意して、次の日曜日にも病院を訪ねる予定だったと話していた。

月曜日に、近くの大学病院でのどの具合の診療を受ける補助をするために入院していた病院へ行った仲間の弟も、特に変わったようすではなかったと語っていた。

火曜日、「今朝、容態急変で亡くなりました」と病院から家族に連絡があったとのことで、弟も親父さんも死に目にはあっていない。

また会う機会があるものだと思っていたので、急死の連絡をもらってびっくりした。

告別式には、かつて教えていた中高一貫校の教え子も参列していた。紹介された弔電は、教え子たちからのものばかりだった。

熱血教師だったらしい。

国語の指導法について自慢話を聞いたことを覚えている。なるほどというやり方だ。

同じ年の、40年来の仲間の死というのは、けっこう重たかったようで、告別式から戻り、親しい友人たちと夕食を食べたらくたびれて、早々と寝てしまった。



2019年4月8日 月曜日午後1時36分。

先々週、退院した日は暖かかったのに、週末から先週の木曜くらいまで寒くてゆっくり花見をする感じではなかった。で、自転車で近所の桜が咲いていそうな公園、学校などを回った。近くの公団住宅、できた頃に植えられたと思われる桜の古木の並木があって、なかなか良かった。あれで暖かかったら、桜の下ですこしのんびりできたのにと思う。

先週末、少し風があるものの陽射しがあって暖かくなったと思ったら、発熱した。土曜日、朝は平熱だったのに昼食前に体温を測ったらラインを越えていた。さらに発熱すると思い、退院時に処方された発熱時用の抗生剤を服用して布団に入った。日が落ちる頃にはほぼ平熱に戻った。日曜日も朝は平熱だったのにお昼ごろ少し寒気を感じて体温を測ったら発熱していた。で、またまた抗生剤を服用して布団に入った。この日も幸いに夜までに熱が下がり、夕食を食べることができた。

明後日、今期最初の授業。まずは、「FridaysForFuture」関連のニュースまとめを読もうと考えている。



2019年3月27日 水曜日午後0時。

今朝の検査結果で退院OKとなり、今、部屋へ向かっている。暖かい! 桜もかなり咲いている!



2019年3月26日 火曜日午後5時30分。

今朝、明朝の検査で問題なければ退院できると、担当医に告げられた。ついさっき、今日も何件かの手術を終えた主治医が来てくれた。

退院と聞いて安心したからか、昼食後、2時間ほどぐっすりと眠っていた。

今回、点滴の針の差し替えが1回ですんで、良かった。1月は、2週間の入院期間に7度差し替えを受けるはめになった。加えて、針を入れたもののうまくおさまらず引き抜くという試みが同じくらいあり、あちこち針を刺されて痛かった。

入院するごとに、術後の薬品投与や食事のやり方が少しずつ変わっている。

先週金曜日、朝の検査で経過良好と出て、昼食から食事再開となった。一食だけ重湯が出て、夕食から三分粥になったので、週末にはもっと中身のある五分粥や全粥が食べられると期待した。しかし、土曜日の検査結果を見た担当医から「主治医とも相談しました、しばらく三分粥で様子を見ます」と通告があり、昨日の朝の検査結果が出るまで三分粥だった。

で、昨日の昼食から五分粥になり、今日の昼食から全粥へと、食べる分量が多くなってきた。

今回、入院した翌日、日曜日に発熱したため、日曜日の昼食から金曜日の朝食までほぼ5日間絶食が続いた。なので、今日の昼食の全粥はお腹を充分に満たした。そのことも、昼食後の午睡につながったのだろう。

入院中、ほんとに久しぶりにジョン・アービングの作品を読んだ。著者名を見てたまたま手に取り読んだ作品には、1980年代のエイズをめぐる状況が主人公を含む個々人に引き寄せられる形で記されていた。



2019年3月7日 木曜日午後6時51分。

一日雨が降っているが、強い雨ではなくて良かった。冬物一掃セールで購入したフード付き防寒コートのおかげで、寒い思いをせずに病院へ行くことができた。

今日の診察時に、来週の土曜日(16日)に入院、再来週月曜日(18日)にステント交換手術と日程が決まった。

前回、1月に入院した時は、2日発熱が続いたのでとるもとりあえず身の回りのものを持ってバタバタと入院した。今回は、読む本を準備できるのがうれしい。



2019年3月5日 火曜日午後1時48分。

昨日のお昼時、ちょっと熱っぽいかなと熱を測ったら、やはり発熱していた。熱が2日続いたら入院しなければならないので、お昼はりんごと甘酒だけとってそのまま布団に入った。

夕方、測ったら下がっていて安心した。

曇り空だったこともあり、買い物には行かず、台所にあった白菜、人参、たまねぎを出し汁で煮て薄味の野菜スープを作り、お椀に一杯食べて、またまた布団に入った。

で、今朝、良い天気になったので、汗を吸ったシーツ、タオルケット、雨が降っていたのでそのままになっていた洗濯物を洗濯し、シーツ、タオルケットなどは乾燥機にかけた。

部屋の窓際で、日差しを浴びながら、少し作業をしようと思う。



2019年2月28日 木曜日午後0時2分。

起きた時から、雨が降っている。

午後、雨足が強くなるとの予報だったので、朝食をすませてすぐに下着ともう少し暖かくなってから着るためのブルゾンを買いに行った。

この冬、10数年ぶりに防寒衣料(フード付きコート)を買った。この10年余り、バザーで買った古着、もらい物のブルゾンを着ていたが、さすがにどれも傷んで修復もちょっとという感じになってしまった。

初冬、春先に着ているブルゾンも、20年近く着ているので、袖口がほつれ始め、ボケッと周りも糸が切れてきた。で、近くのスーパーの冬物一掃セールで半額に値下げされたブルゾンを購入した。



2019年2月2日 土曜日午前5時34分。

早くに目が開いたので、少し自転車で近所を回ってきた。空気は冷たいが風がないので、自転車で走ると気持ちいい。

部屋へ戻り、まずはホットミルク。次いでコーヒーをいれて飲んだ。

で、アフリカ関連データベースに収録しようと、ブラウザーで開いたままだったニュースを見て、データベースへの収録作業を進めている。

昨年末、このデータベース・ファイル全てにカウンタータグを付けたので、この1カ月間にどのファイルにどれだけアクセスがあり、どのくらいの時間見られていたのか、が分かるようになった。

先月、最もアクセスが多かったのは「アマゾン・アソシエイト・プログラム」による寄付を集計して紹介しているページで、ページビューが505、平均ページ滞在時間が1分59秒だった。アマゾン・アソシエイト・プログラムでアマゾンから月々還元されるアソシエイト・フィーの額が関心を呼んだのだろうか?

次に多かったのは、コンゴ共和国ヌドキ国立公園に長年関わり、環境保全と熱帯森で暮らす人々、熱帯林の開発のあり方について問題提起を続けている西原智昭さんのプロフィールページ。ページビュー:219、平均ページ滞在時間:3分4秒。

ちょっとびっくりしたのが、3番目がタンザニア連合共和国のページだったこと。ページビュー:127、平均ページ滞在時間:2分33秒。

年末に更新した反アパルトヘイト運動関連の2つのページへのアクセスが続いた。日本の反アパルトヘイト運動年表 ページビュー:75、平均ページ滞在時間:4分9秒。反アパルトヘイト運動 ページビュー:58、平均ページ滞在時間:2分59秒。



2019年1月21日 月曜日午後3時56分。

退院して部屋へ戻った。

割に暖かくて良かった。

入院する時、処理するのを忘れた豚肉と白菜の鍋の残りが黴に覆われていた。新聞紙に包んでおいた人参が一本、しなびていた。

手亡豆を火にかけ、里芋の皮を剥いた

近くのスーパーへ買い物へ行かなくてはならない。



2019年1月19日 土曜日午前9時35分。

病棟の端にある非常扉のガラス窓越しに富士山が見えるのに気が付いた。何度も入院した消化器外科の病棟は4階で病室があったのが、東側だったので富士山を見たことがなかった。

昨年8月末に入院した時、同じガラス窓越しに豊島園の花火を見たことを思い出した。距離があるので小さくだったが、花火が見えるんだと思ったのだった。

昨日、シャワーを久しぶりに浴びて、頭を洗った。気持ちよかった。

この後、シャワー。

今回、急な入院だったので、部屋にあった本を2冊だけ持って来た。友達に頼んで3冊届けてもらったが、何を頼むのか、書名・著者名を出せないことには始まらず、それ以上、頼めないでいる。

とはいえ、持ち歩いているMacのHDにたくさんの文書ファイル、報告書類を放り込んだままだったことを思い出し、少しずつ読んでいる。牧野さん、峯君、田中さんの論文、高森君のエッセイを読んだ。どれも興味深い。



2019年1月16日 水曜日午後3時25分。

朝、担当医グループがやって来て、熱がなければ食事開始を考えます、と告げて行った。

で、昼食が出た。重湯、みそ汁、グレープゼリー、ヤクルト。温かいお茶もついてきた。

具のないみそ汁と塩を重湯に入れ、ゆっくりとのんだ。温かいものがお腹に入っていって気持ちよかった。

シーツの交換もあって、気分が良い。



2019年1月14日 月曜日午後0時11分。

洗濯した着替え類の乾燥が終わるのを待っている。

ほぼ毎日、洗濯することができているので、先週火曜日病院へ向かう際に手提げ袋に詰め込んだ衣類で間に合っている。良かった。

2012年10月、開腹手術を受けるために入院した時は、一つの病棟に2台置かれている洗濯機が常時稼働している状態で、洗濯の順番待ちのため洗濯機の前に座っていたこともあった。

その後、寝巻き類のレンタルが始まったおかげで、2年くらい前からほぼ使いたい時に洗濯機が使えている。

食事が再開されないとシャワーを使うこともできないので、毎日、洗面器一杯のお湯で身体を拭いている。もう2〜3日の辛抱だろうか。



2019年1月12日 土曜日午前4時41分。

昨日の夕方、ステント交換手術を受けた。17時に呼ばれて歩いて行き、半覚半睡の状態でストレッチャーに乗せられ18時30分ごろベッドの上に戻っていた。

19時頃に採血を受けた頃から目が覚めてきたので、妹や友人たちに、手術が終わったことを連絡するメールを送った。

その頃、担当医グループがやってきて、これまでと違うところに2本ステントを入れた、と説明して行った。

昨年11月時点で月末に予定されていたステント交換を、3週間ほど前倒しで受けたことになる。

1月7日月曜午後に発熱したのが、一連の事態の発端だった。

年末に検査・診察を受けて以降、毎日自転車を30〜40分走らせていたこともあって体調も気分も上向きだった。毎日測定していた体温も血圧も安定していて、食欲もあった。

年始の3日間を、インターネットカフェで『さよなら私のクラマー』、『四月は君の嘘』、『海街Diary』、『乙嫁物語』などを読んで過ごした後、大学の図書館で借りた『近世フランスの法と身体』を読み始めたら面白くて、2〜3日集中して読んだ。

学生達が書いたエッセイも読んで、必要なところに赤入れをし、記録に記入してレジュメにもまとめた。

7日には、1月23日に実施する期末試験の問題も作成してほっと一息ついた。また、作り置いて数日食べつづけていたおでんをその日の朝に、牛すね肉煮込みを昼に食べ終わり、鍋が二つとも空っぽになったところだった。

その午後、寒気を感じて体温を測ったら、思わぬ高熱を発していた。ともあれ布団を敷いて、まだ明るいうちから横になっていたら眠っていた。

時々目が開いては、眠れるから大丈夫なのかと思っていたが、夜中そして早朝に体温を測っても依然発熱しているという状態だった。

8日朝、布団の中でも悪寒を感じて、まずいなと思ったら前日と同じくらい高熱を発していた。それでも布団からできれないでウトウトしていたら、今度は体が熱くなってきたので検温したところ、さらに高熱になっていたので、あわてて起き出し、当面の着替えなどを用意し病院へ向かった。幸い、部屋の近くでタクシーを捕まえることができた。

病院ではインフルエンザの検査も受けたが、他の検査とこれまでの病歴から胆管狭窄・ステント挿入に伴う胆管炎の可能性が高いとの診断でそのまま入院することになった。

病棟のベッドに入ったところで、解熱剤の投与を受け、たくさん汗をかいて熱が下がり、ずいぶんと楽になった。だが、今回はそれでは終わらず、深夜に汗だくになって目が開いたので体を拭いてもらおうとしたら、高熱を発しているとのことで再度解熱剤の投与を受けた。

9日の朝、熱は下がっていたが、同時に発熱と解熱剤の影響で血圧も低くなっていたので、トイレなどベッドを離れる時にはナースコールをすることと指示され、この日、電話をかけるためにも2度サポート付きの車いすでの移動となった。

10日になって、体温も血圧も安定し、やっと自力でベッドを離れることができるようになった。売店へ行き石鹸を買って洗面所の端に置かれている洗濯機で洗濯をした。着替えの見通しがたってホッとした。



2019年1月1日 火曜日午前8時29分。

昨夜も21時30分ごろ布団に入ったので、朝5時に目が開いた。

今朝は、マフラーもまいて自転車に乗った。

部屋へ戻って、母親が送ってくれた餅を焼き、昨夜煮ておいた里芋・大根・人参に、今朝煮た白菜と合わせてお雑煮に仕立てた。




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