NGO、市民社会、公共

2008年6月29日 斉藤龍一郎

1.アフリカへの関わりと障害者運動への関わり

【経歴など】

  • 1974年 大学進学で東京へ
  • 1977年 半年休学して実家で酪農見習い
  • 1978年 復学 文学部長室座り込み
  • 1979年 大学祭にやってきたCP(脳性マヒ)者と親しくなる
  • 1980年 障害児・金井康治君の転校実現運動に参加
  • 1984年 金井闘争の縁で部落解放同盟東京都連の本屋・解放書店に就職
  • 1984年 部落解放同盟足立支部の集会所裁判闘争に参加
  • 1990年 アパルトヘイト否!下町展 スワヒリ語勉強会
  • 1993年 七三一部隊展東京東部展
  • 1993年 アフリカ・シンポジウム
  • 1994年 アフリカ日本協議会(AJF)に入会
  • 2000年 障害学研究会参加
  • 2000年 AJF幹事および事務局長になる
  • 2001年 林達雄・稲場雅紀を中心に感染症研究会を新設
  • 2004年 解放書店を退職。AJF専従。
  • 2005年、外務省よりNGO相談員業務を受託。食料安全保障研究会の運営も担当。

【アフリカ日本協議会(AJF)】

  • 1994年3月 1993年10月のアフリカ開発東京国際会議(日本・国連ほか主催)に先だって開かれた「アフリカ・シンポジウム」実行委員会メンバーの一部が結成
  • 1994年から1996年にかけ、南アフリカ共和国の民主化・沙漠化・女性と開発・食と環境をテーマにした国際シンポジウムを開催
  • 1994年には、内戦・大虐殺直後のルワンダへ調査団も派遣(この調査を引き継いで「アフリカ平和再建委員会」が結成される)
  • 南アフリカ共和国・エチオピア・ジンバブエ・セネガルほかへ調査団を派遣
  • 1997年には、セネガル・ジンバブエ・カナダのNGOと共同でネットワーク調査事業(ワークショップおよび調査対象国のNGO支援事業の調査)を実施
  • 1999年に活動スタイルを一新。情報発信(メールマガジン)・翻訳・交流の場・スタディツアー・アフリカNGO連携のWGで活動を展開
  • アフリカNGO・WGは1999年、ジンバブエのNGOメンバーをタイ・日本へ招いて「産直運動」の調査・研修を実施
  • 情報発信WGは1999年よりメールマガジン「Africa on Line」を毎週・発信。最新号は179号。購読者(メール受信者は2018)
  • 翻訳WGはセネガルのNGO・ENDAの出版物を翻訳中。今年、新たな協力者を得て大きく前進
  • 交流の場WGは、毎月定例会・定例イベント(交流ハイキング・料理教室・忘年会)を実施
  • スタディツアーWGは、これまでにケニア、ブルキナファソ、セネガル・ガンビアへのスタディツアーを実施。WGメンバー主催あるいはENDA-GRAF主催でセネガルへのスタディツアーも2回実施
  • 2001年、感染症研究会、食料安全保障研究会を設立
  • 2001年〜2002年「エイズとアフリカ資料集」第一集〜第三集を発行。
  • 2002年度〜2004年度、HIV/AIDS問題への取り組みを課題とした外務省主催NGO研究会の事務局を担う。
  • 2005年度、マラリア対策を課題としたNGO研究会運営を受託。厚生労働省科学研究エイズ研究の「特定施策対象層への働きかけ」班で在日アフリカ人向け対策に向けた調査・研究を担当。

2.アフリカ諸国のHIV/AIDS問題をどのような問題ととらえたのか

【共有されている数字と問題意識】

世界中で3940万人、アフリカに2540万人(2004年末)

サハラ砂漠以南アフリカ地域におけるHIV/AIDS統計(推定)2003年末
成人(15-49歳) のHIV感染率 7.5%(推定幅:6.9-8.3%)
成人(15-49歳)のHIV感染者(PLWHA) 2200万人(推定幅:2040万人〜2450万人)
成人および子ども(0-49歳) のHIV感染者 2500万人(推定幅:2310万人〜2790万人)
成人女性(15-49歳)のHIV感染者 1310万人(推定幅:1220万人〜1460万人)
2003年におけるエイズによる死亡者 220万人(推定幅:200万人〜250万人)

 社団法人アフリカ協会『アフリカ便覧2002年版』によると、人口6億人余りの地域に、推定2500万人のHIV感染者が暮らしている、年間220万人がエイズで亡くなっている、という中で、一部の国では、1999年の新生児平均余命が、1990年から10数年短くなって30歳代になってしまっている。

資料集「貧しい国々でのエイズ治療実現へのあゆみ」第1部の第1章「サブサハラ・アフリカにおけるHIV/AIDSの現状」も参照して下さい。

2001年5月に「エイズとアフリカ資料集」第一集を発行し、ウェブサイトでもニュース紹介を開始した時点で、一番多いニュースは、エイズ治療薬と特許権に関するものだった(ex. 特許権があるためにエイズ治療薬が安くならない)。

日本語のニュース報道が限られていたので、英語による報道(主として国連人道支援事務所が発信しているIRIN)を翻訳・紹介した(資料集・第1部に収録)。

【HIV陽性者の運動への注目】

僕自身は、2000年時点では、アフリカのエイズ問題を重要な問題と認識していなかった。

2001年年初、当時の代表と、AJFの次期代表を誰にするのか、AJFの活動の軸を何にするのかについて協議した結果、AJF設立時にJVCの代表として全面的にバックアップしていた林達雄さんがアフリカのエイズ問題に積極的なので、彼に代表をお願いし、アフリカのエイズ問題に関する取り組みを活動の軸の一つにしていくことを確認した。

林さんは岩波ブックレット『エイズとの闘い』に次のように書いている。

 皆さんは病気になったことがあるだろうか?私は自分が病気になってみてはじめて、「病気」のつらさを知ることができた。私は医学部を卒業して以来、アジアやアフリカで海外協力を仕事してきた。そんな私が六年前、直腸の癌を経験したのだ。手術は成功し、一命はとりとめた。つらかったのはその後である。排便の不自由がいつまでも続く。これまでのように元気に飛び回ることができない。生きがいを失い、精神的に滅入っていた。そんな時期に私は、HIV感染者たちに出会ったのだ。医者として援助を行なう立場の人間として出会ったのではなく、患者として友人として出会ったのである。彼らは当時四五歳の癌患者であった私よりもずっと若かった。健康上の苦しみだけではなく、精神的な苦しみをかかえていた。それにも関わらず彼らは、同じ病気仲間として私に気遣ってくれた。「エイズ」との出会いは私に新しい生きがいを与えてくれた。「エイズ」を夢中になって追いかけているうちに、私の病気も回復に向かっていた。

2001年の春、林さんをAJFの代表として迎え入れることを前提に「感染症研究会」を立ち上げた。また、1994年の創設以来代表を務めた吉田さんの意をくんで「食料安全保障研究会」も立ち上げた。この年の秋、長期の旅行に耐える体力が戻った林さんは、HIV陽性者たちと会い、彼女ら・彼らの活動に触れるためにケニア、ウガンダで一ヶ月半を過ごした。上記の文章に続いて、その時の体験を書いている。

林さんがケニア、ウガンダから書き送ってきたメールで、私たちは初めて彼の地のHIV陽性者たちの活動に触れることができた。この時、林がつくってきたつながり、そして、翌2002年夏、地球環境サミットへの日本政府代表団の一員として南アを訪問した林さんが作ってきた南アのHIV陽性者グループ(TAC)とのつながりの中で、日本に招くことのできたHIV陽性者自身の声を、資料集・第2部に収録している。

2001年に、稲場雅紀さんを感染症研究会のメンバーとして迎えることができたことも、AJF感染症研究会が、当事者への注目と連帯を原則に据えて活動することにつながった。

稲場さんの立脚点は、資料集・第2部に収録された「シアトルWTO閣僚会議で表面化したエイズ治療薬と知的所有権の問題」の小見出し「米国政府を動かす同性愛者・エイズ活動家の国際連帯」にある。

彼によると、資料集・第2部冒頭に登場するザッキー・アハマットさんは、ゲイの国際的なネットワークの中では1990年代後半から有名な存在だった、という。

僕は、稲場さんの名を介助先のリストで知っていた。また、とある勉強会で彼からフランスの同居人法の解説を聞いたことを覚えている。

こうした顔ぶれと一緒に活動するようになって、「薬よこせ!」「私たちを見殺しにするな!」 というHIV陽性者の当事者運動が目に入るようになった。

【国際協力関係者の常識】

2001年段階では、国際協力関係者の間には「途上国では治療は無理だし、治療にお金をかけるよりも予防に資金を投じた方がより多くの人々を救うことにつながる」という常識があった。

この常識を打ち壊したのは、HIV陽性者たち自身の「先進国でできることがなぜできない」「私たちを見殺しにするな」「特許権を盾にエイズ治療薬の値段を高価なものにしている製薬企業は人殺しだ」とという声、直接行動、裁判であった。また、こうした声を背景に、インドの製薬企業が途上国におけるエイズ医薬品市場開拓を目指してジェネック薬を市場に供給し始めたことであった。

【HIV陽性者自身の声は求められてきた 国際エイズ会議】

現在、隔年で国際エイズ会議と国際地域エイズ会議(アジア・太平洋、カリブ海・南米、アフリカ)が開催されている。この会議では、HIV陽性者を代表しての開会スピーチがプログラム化されており、HIV陽性者を対象とした分科会も設定されるなど、HIV陽性者の参加を前提とした運営がなされている。

当初は医学者・研究者中心の学会として始まった国際エイズ会議が現在の形態を取るに至った経緯を追うことは、それ自体が興味深い作業になるであろう。

ここでは、HIV/AIDSに関わる取り組みにおいては、すでにHIVに感染した人々の参加が前提とされている、求められていることを確認しておきたい。

なのに、2001年までは、途上国のアフリカ諸国のHIV陽性者が死んでいくのを前提とした「予防こそ有効」という「国際協力関係者の常識」がまかり通っていたのだ。

3.障害者運動は、どのようにしてHIV陽性者の運動とつながっていくのか?

日本では、エイズを発症したHIV陽性者は「免疫不全障害者」の認定を受けることで、高価な抗レトロウイルス薬(ARV)治療を受ける仕組みができている。

とはいえ、これまで障害者運動を論じる文脈の中でHIV陽性者の運動をも含みこんだ視点が提示されたことはなかったようだ。

4.日本の障害者運動は、アフリカ諸国のHIV陽性者運動にどのようにしてつながっていくのか?

つながっていって欲しい、と思う。現在ある動き、可能性を紹介して欲しい。

今、AJFも関わっている動きの中では、次の取り組みへの参加を呼びかける。

  • ニバルレキレ展:南アフリカ共和国のエイズ・ホスピスに収容された子どもたちの作品と子どもたちを撮った写真の展示会を通して、エイズ・ホスピスやHIV陽性者グループへの支援を呼びかけていく。
  • 上記にも関連する南アのHIV陽性者グループのビーズバッチ(レッド・リボン)の販売を通して支援と連帯の取り組み
  • ケニアのHIV陽性者グループのビーズバッチ販売を通しての支援と連帯

もっと、日本でなじみやすい取り組みや、やり方があればアドバイスを欲しい。

以上


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作成:96.6.13
by 斉藤龍一郎 僕あてのメール