マイクル・P・キュービー=マクダウエル/古沢嘉通訳
 『エニグマ』 解説

 大野万紀

 創元推理文庫
 平成5年8月27日発行
 (株)東京創元社
ENIGMA by Michael P. Kube-McDowell (1986)
ISBN4-488-70103-5 C0197(上)
ISBN4-488-70104-3 C0197(下)


 本書はマイクル・P・キュービー=マクダウエルの長篇 Enigma (1986)の全訳である。本文庫既刊の『アースライズ』Emprise (1985)の続編であり、本文庫近日刊行予定の Empery (1987)へと続くシリーズの、第二巻にあたる作品である。

 前巻が出てから、もう二年近くたっていることでもあり、まだ読んでいない人や記憶が薄れた人もいることだろう。そこで、ここで『アースライズ』のあらすじを簡単に紹介しておこう。
 ただし、その前にひとこと注意をしておかなければならない。このシリーズはそれぞれの作品が物語としては独立しており、テーマも雰囲気もかなり異なった作品となっている。しかし背景となる世界とその歴史は共通で、緊密にからみ合っており、もしも本書から先に読むと『アースライズ』で描かれる異星人の謎が明らかになってしまって、興味がそがれる恐れがある。だから、できることなら『アースライズ』から先に読まれることをお勧めしたい。

 一九八〇年代の中ごろ、核戦争を防ぐ目的で国連内に作られていた秘密機関がついに〈核の毛布〉を作動させた。これは核反応を永久的に無効にするものだった。しかし、それは同時に深刻なエネルギー危機を招き、さらに人々の間に反科学感情を巻き起こした。文明崩壊というわけではないが、それに近い、中世的な退行した二一世紀が訪れた……。
 そんな中でも、かつての科学者たちは乏しい機材を使って研究を続けていた。ある日、一人の科学者が個人で維持していたちっぽけなパラボラアンテナに、紛れもない宇宙からの信号が飛び込んできた。科学を敵視する社会の中で、このような研究を続けることはほとんど命がけのことだった。それでも、科学者たちはついにこの異星人からのメッセージを解読することに成功する。異星人は地球からの放送電波をキャッチし、宇宙船で太陽系へと向かっているところだったのだ。
 再び、地球に技術文明を再興し、異星人を迎えようとする機運が生じた。その中心になったのが、インドの政治家だったデヴァラジャ・ラシュリだった。彼は事の重大さを正しく認識し、〈パンゲア・コンソーシアム〉を組織して、異星人とコンタクトするための恒星間宇宙船の建造に着手する。地球に再び希望が戻り、完成した宇宙船は〈地球の誇り〉と名付けられた。
 そして、天才科学者ベンジャミン・ドリスコールの理論をもとに開発されたAVLOドライヴによって駆動される〈地球の誇り〉は、宇宙空間で異星の船とランデヴーした。乗組員が知った異星人の正体は、実に驚くべきものだった……(とはいえ、本書の冒頭でその謎は明らかにされている。『アースライズ』を未読の人は要注意)。
 そして、ファースト・コンタクトを終えた〈地球の誇り〉は異星人の故郷であるジョウルナへ向かい、異星人の宇宙船〈ジアドゥール〉はそのまま地球へと向かった。『アースライズ』の終章は、数十年後、地球からやって来た新たな宇宙船(本書では〈開拓者〉シリーズと呼ばれている)が、ジョウルナで、〈地球の誇り〉の生き残りと出会う感動的なシーンを描いている。

 本書はそれから何世代か後の時代が舞台となっている。〈パンゲア・コンソーシアム〉は〈世界評議会〉へと発展的解消をし、人類は宇宙へ大きく進出している。その原動力となっているのは、『アースライズ』で異星人の正体がわかった結果、新たに生じた大きな謎の解明である。黒い楕円の記章を着けた誇り高い統一宇宙機構(USS)の調査員たちが、超光速の宇宙船でいくつもの恒星系を探査して回っているのだ。恒星間飛行の時間差により、彼らは地球に戻っても身寄りはない。ベテラン調査員たちは再び大宇宙へと旅立っていくのだ。何度も、何度も……。

 というわけで、本書は何とあのなつかしい〈宇宙探検〉という言葉をよみがえらせてくれる小説だ。本書は主人公であるメリット・ザッカリーが、あこがれの黒い楕円を胸にし、新米調査員としての初めての探査行を行い、様々な経験をしてやがてベテランの調査員になっていく物語として読める(と書くとまるでハインラインみたいだが、おそらく実際に読んだ印象は相当異なるだろう。SFの定石に沿いながら、それをどんどん外していくというのが、キュービー=マクダウェルのおとくいの手法なのだから)。
 本書の大きなテーマである〈宇宙探検〉は、しかし、文字どおりの〈宇宙探検〉である。植民地の開拓や、銀河帝国の建設ではなく、知的生命体を探し出すことがその目的なのだ。次々とエキゾティックな惑星を訪れ、知的生命の存在やその痕跡を調査すること。『アースライズ』がファースト・コンタクト・テーマだとすれば、本書はセカンド・コンタクト・テーマだともいえるだろう。そこにはファースト・コンタクトの興奮と緊張はないかも知れない。しかし、冷静な観測によって事例を増やし、法則を見いだそうとする科学的なロマンがあるのだ。

 子供のころ、星空を見上げて、あそこに行ってみたいと思ったことはないだろうか。宇宙旅行はSFの最も古いテーマの一つであり、最もロマンティックなテーマである。そして、にもかかわらず、近年ではストレートに描かれることの少ないテーマでもある。アポロ以降の現実の中で、SFの宇宙旅行はもともとの素朴な力を失っていった。色々な意味で〃リアル〃さが求められた。ある種のSFは旅行手段に対してリアルさを追求した。できるだけ科学的に正確な恒星間旅行を描こうとすると、作者には相当な科学知識と能力が必要とされる。少数のハードSF作家を除けば、それができるSF作家は多くない。一方では、伝統的な超科学的手法(スペース・ウォープなど)を用いながら、物語としてのリアルさを追求したSFもある。この場合、宇宙旅行そのものは単なる手段であって、物語の主題は別の所にあることが多い。
 本書はどちらかといえば後者のタイプに属するSFである。ハードSFでいうような科学性はあまり前面には出ておらず、むしろ巧妙にごまかしてあるといえる。それよりも、背景となる社会や政治のシステム、調査員たちの人物像が大変リアルに描かれた物語である。にもかかわらず、本書では先にも述べたように〈宇宙探検〉が大きなテーマになっている。それは「いったい何のために宇宙探検をするのか」という、現代SFにとっては難しい問いに対して、本書がうまく答を、人類社会全体がそれに取り組まなければならない理由付けを与えているからである。

 結果として、本書は現代SFでありながら、星々を気ままに巡って、未知の世界を探検するという、あのなつかしい夢の雰囲気をたっぷりと味わうことのできる作品となったのだ。いくつかの悲劇は描かれているが、暴力や死がこの手の話としては珍しいほど少ないことも、この効果を助けているといえるだろう。
 その一方で、本書は紛れもなく現代のSFである。主人公は決して自信に満ちたヒーローではなく、組織のヒエラルキーの中で悩み生きようとする普通の人間である。人間的な弱点も多く、いやな奴だと思えることもあるだろう。同様に、本書に登場する調査員たちの造形も、それぞれにリアルで類型的ではない。組織のマネージメント、新人の教育、プロジェクト管理者の意志決定といった、現実的なテーマもそういったリアルな人間像の上にしっかりと描かれている。特に重要だと思えるのが、調査員たちがそれにのっとって調査をするよう定められている作業手順書(プロトコル)の存在だろう。組織的、システム的に宇宙探検を実行しているこの世界では、調査員個人の能力に左右されないよう、コンタクトのプロトコルがきちんと定められているのだ。それを重視する管理者と、縛られずに自由にやろうとする現場担当者との相克など、現実にも有り得ることだろう。社会の様々な所でマニュアル化が進む現在、色々と考えさせられることも多い。

 マイクル・P・キュービー=マクダウエルは一九五四年フィラデルフィア生まれ。ミシガン州立大学で教育学を学び、インディアナ大学で修士号を取得。七年間教職についていた。一九七九年にアメージング誌でデビューを果たし、アナログやその他のSF雑誌に短篇を発表。一九八五年の『アースライズ』が処女長篇で、八六年の本書、八七年の Empery (本文庫近刊予定)と続く。『アースライズ』はディック記念賞の候補となった。他に邦訳があるものとしては、八七年の『ロボット・シティを捜せ!』Isaac Asimov's Robot City 1: Odyssey(これはアイザック・アジモフのロボット三原則をベースにしたリレー長篇の第一巻)が角川文庫から、八八年の『悪夢の並行世界』Alternities および九〇年の『星々へのキャラバン』The Quiet Pools がハヤカワ文庫から出ている。

 本書では、『アースライズ』以来の大きな謎がついに解き明かされた。次巻では、いよいよその真の姿が明らかになり、人類の世界は新たな挑戦を受けることになる。乞うご期待!

1993年6月


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