コードウェイナー・スミス/伊藤典夫・浅倉久志訳
 『スキャナーに生きがいはない (人類補完機構全短篇1)』 解説

 大野万紀

 ハヤカワ文庫
 2016年3月15日発行
 (株)早川書房
 THE REDISCOVERY OF MAN 1 by Cordwainer Smith (1975)
ISBN978-4-15-012058-0 C0197


 本書はハヤカワ文庫補完計画の一冊として企画された、コードウェイナー・スミスの〈人類補完機構〉シリーズ全中短篇を、初訳・新訳を交え全三巻でお送りする、その第一巻である。
 収録作品は、おおよそ未来史の年代順となっており、この第一巻には、第二次世界大戦から始まって、ほぼ一万三千年先までの、十五作品が収録されている。

 コードウェイナー・スミスである。〈人類補完機構〉である。宇宙の恐怖に猫とともに立ち向かい、金星の空から無数の人々が降ってきて、ネズミの脳に刷り込まれた幻影が美少女を救い、信じられないくらい巨大な宇宙船が敵を驚かせる。
 第一巻ではまだ登場しないが、宇宙一魅力的な猫娘、ク・メルや、一万マイルの上空を薄くたなびく蒸気のようなアルファ・ラルファ大通り、病気の羊から作られる不死薬、地球を買ってしまった少年、美と愛、恐怖と憎悪、献身と怠惰、それらすべてが補完機構の統治する宇宙にはある。そんな魅力に満ちた色彩豊かな物語が、もう半世紀以上も前に書かれ、多くの人に影響を与え、今も読み継がれている。メジャーな賞に輝いたわけではない。ベストセラーになったわけでもない。作品の数もごくわずか。だが彼の熱狂的なファンは数多く、その読者に決して忘れられない印象を残している。
 本名ポール・マイロン・アンソニー・ラインバーガー博士(一九一三~一九六六)。アメリカ生まれの政治学者で(ジョンズ・ホプキンス大学教授。中国を中心とする極東の政治が専門)、軍人(陸軍情報部大佐)。少年時代を中国で過ごし、かの孫文につけられた中国名が林白楽。第二次大戦と戦後の米国の対日政策でも重要な役割を果たし、ケネディ大統領の顧問も務めた。そして少年のころからのSFファンで、大の猫好きでもあった。
 その本名と生涯が知られたのは、一九六六年に彼が亡くなってからである。コードウェイナー・スミスの、あの謎めいた神話的な物語を描いたのは、自身が神話的なラインバーガー博士だった。このあたり、後のティプトリーを思わせて感慨深いものがある。
 〈人類補完機構(インストルメンタリテイ・オブ・マンカインド)〉とは、一度滅びかけた人類が、二度と滅ぶことのないように組織された、非情で厳格な支配組織である。そのモットーは「監視せよ、しかし統治するな。戦争を止めよ、しかし戦争をするな。保護せよ、しかし管理するな。そして何よりも、生き残れ!」(「酔いどれ船」より)。
 本書には収録されていないが、熱心なファンで編集者でもあるJ・J・ピアスが独自に編纂した補完機構の未来史年表がある。だがピアス自身も認めているとおり、その年代は決して確定したものではない。そこには多くの矛盾も含まれている。それは整合性のとれたものというより、スミスの美意識が紡ぎ出したエピソードの複雑に絡み合った連続体なのである。
  それではピアスの作成した補完機構の未来史を追いながら、本書の収録作について記していこう。

「夢幻世界へ」No, No, Not Rogov!(イフ誌一九五九年二月)
 いきなり一万年以上未来の黄金の舞踏から始まるが、舞台はスターリン時代のソ連。究極の秘密兵器を開発中のロシア人科学者の物語である。非人道的な国家体制の中での科学の〈楽園〉と、そこにもぐり込む蛇。その閉ざされた楽園の中、微妙に入り組んだ愛憎。そして破局。しかし、抑圧的な現実の中でめくるめく黄金の夢幻世界を見たのは、スミスその人ではなかったか。

「第81Q戦争(改稿版)」War No.81-Q (rewritten version) (The Rediscovery of Man 一九九三年)
 スミスが十四歳の時に書いて、学内誌に掲載された、まさにデビュー作。本篇はスミス本人によるその改稿版であり、ファンジンを除けば本邦初訳である。改稿は一九六一年で、第一短篇集に収録のはずだったが、結局八七年にフランスで出版され、やっと九三年に英語版がスミスの決定版短篇集である本書 The Rediscovery of Man に収録された。
 まだ世界に国々が残っている時代。戦争がゲームで、巨大な空中艦同士が観客の前で戦い合うという、稚気あふれる楽しい作品である。だが未来史的には、この後、おぞましい〈古代戦争〉とその後の暗黒時代が訪れる。

「マーク・エルフ」Mark Elf (サターン誌五七年五月)
 暗黒時代の末期を描いた傑作の一つ。第二次大戦末期にドイツからロケットで打ちあげられたフォムマハトの三姉妹。これはその長女であるカーロッタが、長い眠りを終えて荒廃した地球へ降り立つ話である。〈古代戦争〉の後〈荒れ野〉が広がり、殺人兵器マンショニャッガーが無意味な殺戮を続けている世界。そんな地球に空から降りてきたカーロッタは、人々に新たな活力をもたらす者となる。彼女こそ、未来史に何度となく現われるヴォマクト一族の始祖となるのである。荒野をさまよう古代の殺戮機械、人間狩猟機11号(メンシエンイエーガー・マーク・エルフ)が印象的だ(マンショニャッガーはそれがなまったもの)。恐ろしい殺人機械でありながら、ドイツ人美少女の前でしどろもどろになるのが、どこか可愛い。
 未来史年表では西暦四〇〇〇年ごろとされる。暗黒時代の末期だからそんなところだろう。作中にしきりに一万六千年後という言葉が出てくるが、気にしないことにしよう。

「昼下がりの女王」The Queen of the Afternoon (ギャラクシイ誌一九七八年四月)
 ヴォマクト三姉妹の第二話で、「マーク・エルフ」のおそらく数百年後、今度は次女のユーリが地球に降りてくる。スミスが書いたのは始めの二章だけで、残りは彼の死後、未亡人のジュヌヴィーブが書いて完成させた作品である。下級民が登場し、補完機構の創立が語られる。とはいえ、いかにも後付けな印象だ。でも登場する改造された動物たち。尻尾をふるワンちゃんも、熊じいさんも、家政婦の猫も、愛情たっぷりに描かれている。そしてユーリと〈真人〉レアードの結婚。奥様は十六歳、ダーリンは三百歳!

「スキャナーに生きがいはない」Scanners Live in Vain (ファンタジイ・ブック誌一九五〇年一月
 スミスのSFが初めて一般の読者の目にふれた作品。書かれたのは戦後すぐだったが、投稿しても没にされ、やっと一九五〇年に雑誌掲載された。しかしこの作品のすさまじさ! ほとんど説明もない用語の数々。異様な設定。変化した人間性。いま読んでもそうなのに、半世紀以上も前の衝撃はどんなだっただろうか。深宇宙にある大いなる苦痛。意識を保ってそこに行けるのは、なかば機械の体をもったスキャナーたちだけである。だがそれを無用とする新たな技術が発見される。スキャナーに生きがいはなくなってしまうのだろうか。

「星の海に魂の帆をかけた女」The Lady Who Sailed The Soul (ギャラクシイ誌一九六〇年四月)
 ジュヌヴィーブとの合作。スミスの草稿に後から書き足したのではなくて、本当の夫婦合作。そのせいか、とてもロマンチックな雰囲気がある。
 巨大な光子帆船で〈空のむこう〉へ渡っていく時代。ゴシップ好きなメディアによって不幸な少女時代を送ったヘレン・アメリカと、遠い星から帰ってきた船乗りグレイ=ノー=モアのラブストーリーだ。二人は共に星の世界へ飛び立ち、新たな伝説となる。
 額縁小説である。本篇の周囲を額縁のように別の物語が囲み、さらにその全体を語り手が、というような、昔話や神話のような構造をもっている。スミスはこういうお話が好きで、他の作品にもよく見られる。

「人びとが降った日」When the People Fell (ギャラクシイ誌一九五九年四月)
 ピアスの年表では西暦七〇〇〇年代、最後まで残っていたチャイネシア人の国家が金星を征服する。スミスが中国か朝鮮で実際に見た衝撃的な光景が背景にあるという。しかし、このシュールで異様な美しさ。ミルク色の空から降ってくる無数の人々という構図は、人海戦術の恐怖よりも、ある種の絵画的な美を感じさせる。そしてここにもヴォマクトの血を引く美少女とのラブストーリーがあり、名もない人間たちによる日常性の勝利がある。

「青を心に、一、二と数えよ」Think Blue, Count Two (ギャラクシイ誌一九六三年二月)
 光子帆船の時代は続いている。これは「地球上でもっとも美しい娘」をめぐる愛と憎悪の物語である。不思議なタイトルは、少女を守るためのキーワードであり、それが発動するときの現象は、仮想現実テーマのもっとも初期のものといえるかも知れない。物語の背後にある、暗く残酷で背徳的なイメージは、補完機構の宇宙の輝きの裏にある深い闇なのだろう。

「大佐は無の極から帰った」The Colonel Came Back from the Nothing-at-All (The Instrumentality of Mankind 一九七九年)
 一九五五年に書かれたまま未発表だった作品。というのも、これは第二巻に収録される「酔いどれ船」の原型となった作品だからである。「鼠と竜のゲーム」に出てくる平面航法とピンライティングが初めて描かれ、この後ピンライターの助けを得て「ささやきながら星の海を渡る」平面航法船の時代が始まる。

「鼠と竜のゲーム」The Game of Rat and Dragon (ギャラクシイ誌一九五五年十月)
 これも初期の傑作の一つである。平面航法の宇宙船が進む虚無の中には死と恐怖が待ち受けており、テレパスたちはそれを竜と呼んだ。竜はピンライティングにより消滅する。だが人間の反射神経には限界があるため、猫から改造されたパートナーが相棒となった。猫たちにとって、竜は大きな鼠にしか見えないのだ。かくて鼠と竜のゲームが始まる。
 パートナーは猫人間ではなく、見た目はただの猫である。でも彼女たちの愛らしいこと。テレパシーでつながった思考の官能的なこと。猫好きにはたまらない作品である。

「燃える脳」The Burning of the Brain (イフ誌一九五八年十月)
 平面航法の宇宙船船長(ゴー・キヤプテン)マーニョ・タリアーノとその妻、かつては絶世の美女だったドロレス・オーの物語。二人のロマンスは、「星の海に魂の帆をかけた女」と同様、多くの惑星で伝説となった。だが、最悪の事故が勃発する。決してロマンチックな話ではない。自己犠牲と歪んだ愛。しかし伝説の二人にとっては、これもまたハッピーエンドなのかもしれない。

「ガスタブルの惑星より」From Gustible's Planet (イフ誌一九六二年七月)
 ジュヌヴィーブとの合作。ブラック・ユーモアな味わいがあり、グルメSFだともいえる。ガスタブルの発見した知的生物は、なんでも食べる美食家だった。だが人類との接触でとんでもないことになる。ひどい話ではあるが、読み終わるときっとお腹がすくはずだ。

「アナクロンに独り」Himself in Anachron (The Rediscovery of Man 一九九三年)
 本邦初訳。執筆されたのは一九四六年だが発表はされず、七〇年代初めに出るはずだったハーラン・エリスンの『最後の危険なビジョン』のために、ジュヌヴィーブが改稿した作品である。結局それも出版されず、九三年になってようやく日の目を見た。
 タイムトラベルの話だ。愛し合う二人が時を渡るハネムーンに出かけ、遭難する。後半に現われるビジョンは荘厳で美しく、ここでも自己犠牲と愛のテーマが描かれている。

「スズダル中佐の犯罪と栄光」The Crime and the Glory of Commander Suzdal (アメージング・ストーリーズ誌一九六四年五月)
 補完機構の統治は人類を守ることが最優先であり、それは時に無慈悲で残酷なものとなる。この物語も、一つの種族を悲劇的な運命に追いやり、スズダル中佐にはおぞましい刑罰(それは「シェイヨルという名の星」で明らかとなる)が下される。その一方で、この短い物語に詰め込まれたSF的な想像力のきらめき、驚くべきセンス・オブ・ワンダーの強烈さときたら! とりわけ〈猫の国〉のくだりは衝撃的である。アラコシア人たちも、語りとは裏腹に、奇妙ではあっても恐ろしく魅力的に描かれている。傑作である。

「黄金の船が――おお! おお! おお!」Golden the Ship Was― Oh! Oh! Oh! (アメージング・サイエンス・フィクション・ストーリーズ誌一九五九年四月)
 ジュヌヴィーブとの合作。全長一億五千万キロの黄金の船! これだけでもSF史に名を残す作品だ。〈人間の再発見〉の前、補完機構が退廃の極みにあった時代。戦争をしないことをスローガンとしている補完機構の戦争とは一体どういうものなのか、この作品を読めばその無慈悲な恐ろしさがわかるだろう。

 第二巻『アルファ・ラルファ大通り』は、「クラウン・タウンの死婦人」から「シェイヨルという名の星」までの七篇。いよいよ未来史のクライマックス、下級民たちの物語が幕を開ける。最高のヒロイン、猫娘ク・メルも登場します。乞うご期待!

2016年2月


トップページへ戻る 文書館へ戻る