ソフィア・サマター『翼ある歴史 図書館島異聞』.書評

 大野万紀

 図書新聞19年6月15日号掲載


 本書は、世界幻想文学大賞、英国幻想文学大賞など四つの文学賞を受賞した壮大なファンタジー小説『図書館島』の、同じ世界を舞台にした姉妹編である。
 なお、直接の続編というわけではないので、前作を読んでいなくても別に問題はないが、「図書館島異聞」と副題にあるように、前作を別の視点から見直す作品でもあるので、読んでおいた方がより深く楽しむことができるのは間違いない。いや、まだ未読の方はぜひ読んでほしい。傑作なんだから。

 われわれの世界に大変良く似ているが、中世的な別世界、オロンドリア帝国で、現国王の息子であるアンダスヤ王子により世界を二分する大乱が引き起こされた。この乱には、帝国に併合された各地方の独立戦争という側面と、『図書館島』でも言及されているがさらに重要な、文字によって書き記され、記録された言葉を信仰する新しい〈石〉の宗教と、人々の口によって語られ、歌われ、記憶された言葉を信仰する古い〈女神〉の宗教の対立という側面があった。本書では、その乱に巻き込まれ、あるいはその中心にあった四人の女性を中心に、それぞれの観点からの物語が描かれていく。

 巻の一「剣の歴史」では、アンダスヤ王子のいとこにあたる地方貴族の娘、タヴィスが語り手となる。タヴィスは十五歳にして貴族の家を捨て、自ら軍隊に入って剣士となる道を選ぶ。兵学校を終え、隊長となった彼女は、辺境の戦場で異種族と戦い、生きることの真実を知り、傷を負い、多くの死を見、残酷だが必要な命令を発し、自らも剣を振るって敵に切り込んでいく。そんな彼女を支えるのは子どものころから愛読してきた〈剣の乙女〉の伝説である。タヴィスはやがて遊牧民の歌い手セレンと出会い、彼女を愛し、そしてアンダスヤ王子の反乱に加担していくこととなる。
 この章は安楽な人生を捨てた英雄的な剣の乙女の、過酷で激しい冒険物語として読める。それはまるで中世の叙事詩のようでもあり、また現代のテロリストの物語のようでもある。

 巻の二「石の歴史」は、『図書館島』でも描かれた〈石の司祭〉の娘、ティアロンが語り手となる。〈石の教団〉に迫害されていた古い宗教を奉じる反乱軍は、王立図書館のある〈浄福の島〉へ攻め込み、司祭を処刑し、ティアロンを幽閉する。この章では、囚われた彼女の静かな回想によって、父である司祭の行った虐殺や圧政が、彼女自身の家族をも苛んでいたことが語られる。だが、彼女は〈石〉に刻まれた言葉に、教団では異端とされていた物語の数々に心を奪われていたのだ。抑圧的で狂信的な宗教カルトのように描かれる〈石〉は、享楽的で自由奔放な〈女神〉信仰に比べていかにも重苦しく感じるが、それは作者が〈文字で書かれた信仰〉より〈語られる信仰〉により共感しているという意味ではない。むしろ文字こそ、記録こそが重要視されているのだ。それはティアロンの父が決して語ろうとしなかった数々の物語が、〈石〉には初めから記されていたということからも明らかだろう。そしてこの章では、反乱の結末が、そして王子とタヴィスの運命の暗転が描かれる。

 巻の三「音楽の歴史」は、一章で出てきた遊牧民の歌い手、タヴィスの恋人となったセレンの章である。この章は他の章と文体が異なり、散文詩のように、彼女の想いや記憶が心のままに描かれる。そこにはタヴィスへの想いが、民族の記憶が、氏族の生活や人々の唄の声が描かれている。他の章と違って物語は追いにくいが、美しくあいまいな響きの中から、帝国の歴史の、この反乱の、もう一つの姿が浮かび上がってくる。

 そして最後、巻の四「飛翔の歴史」の語り手は、タヴィスのあまり目立たない姉、シスキである。従順な貴族の娘として育てられ、妹と違って冒険することもなく、館の中で静かに過ごしてきた女性。だが彼女こそ、アンダスヤ王子の初恋の人であり、彼の恐るべき秘密を知った運命の人なのである。この章は、反乱の中で難民となり、過酷な運命に追いやられた彼女の、現在と思い出とが混交して描かれる。これまでの章で描かれたことがまた別の観点からの光を当てられる。そして明らかになる反乱の秘密、王子の秘密。それはまさに衝撃的なものであり、本書のタイトルともからんで、この本が架空歴史小説や宮廷ロマンスではなく、まぎれもない本格的な幻想小説/ファンタジーだったことを強烈に主張するのである。

 最終章を除いた各章の最後には、「われらの共通の歴史より」と題して、より客観的な文体で、それぞれの女性が語る内面の物語を外部化し、一つの正史にまとめあげようとする文章が置かれている。だがそれも教科書的な歴史ではなく、古の史家が書くような、オロンドリア帝国の人と事件とを語る、もう一つのドラマチックな物語となっているのである。
 本書を読むことによって浮かび上がる帝国の歴史。細やかな言葉で重層的に描写される豊饒な世界とそこに生きる人々の営み。そして人間の世界の背後から見え隠れする異形の存在。本書には前作と同様に、街や自然や人々の、その息吹きが感じられるような、雑踏の喧噪が聞こえ、生活の臭いが満ち、光や空気のゆらぎが見えるような、そんな濃密で美しい描写があふれている。それがまた訳者の見事な日本語に置き換えられていて、未知の世界を読み解く楽しみに充ち満ちているのだ。まさにじっくりと味わって読むべき小説だろう。

 2019年5月


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