アルゴノートの冒険 13

[マッキントッシュユーザー vs MS−DOSパソコンユーザー]

 私の所属していたパソコン・クラブの会長がマッキントッシュに惚れ込み、アップルのマッキントッシュのユーザーグループができました。会長自らマッキントッシュをミーティング会場に持ち込んで紹介するほどの惚れ込み様でした。私も含めて多くの人が何か神秘的なものをマックに感じました。MS−DOSパソコン用にWINDOWSのようなソフトがなかった当時はCUI(Character User Interface)でキーボードから呪文のようなコマンドを打ち込むことがコンピューターの操作だと思っていた者にとっては、マウスとアイコンを使って操作するマックは鉄のカーテンの向こうから飛来したMIG戦闘機のようにエキゾチックな存在だったのです。
 マッキントッシュグループのミーティングに出た私はメンバーの一人がウインドーの中の一つのアイコンをマウスで別のウインドーに移しているのを見ました。何をしているのかなと思って見ていた私は、彼がファイルをコピーしているのだなと気付きました。「COPY A:FILENAME.TXT B:」と同じことをキーボードからコマンドを何ら入力することなくマウスとアイコンだけでできるのは驚きでした。
 私は特にマックのグラフィックスの能力に魅力を感じました。当時でもMS−DOSパソコンでグラフィックスを扱えないわけではなかったのですが、マックほど自由自在という風には行きませんでした。しかしマックは当時かなり高く気軽に買ってみようという気にはなりませんでした。それで私はクラブのマッキントッシュグループのミーティングに出て実物のマックを見るぐらいでした。
 ところがマッキントッシュのグループと98のグループは完全に二つに割れてしまって結局は袂を分つことになりました。当初からMS−DOSパソコン(すなわち98)とマッキントッシュを使う人達はきれいに分かれていて両方のグループのミーティングに出席しているのは私ぐらいでした。私は両方のタイプのパソコンを持っていなかったせいで両方に関心を持てたわけです。(完全なパソコンの裏街道に入っている。)さらに私はパソコン通信関係の相談役をしていたので、機種を選ばなかったのです。私はコンピューターユーザーだったのです。
 どうもMS−DOSパソコンとマッキントッシュの両方を使う人はあまり世の中に多くはないようです。(変人のお前ぐらいだという声が聞こえてきそう。)この世界を二分するパソコン同士を比較するとこの頃(1985年)はユーザーの層が今よりはっきり分かれていたような感じで、プログラミングやコンピューターそのものに関心を持つ人々は主としてMS−DOSパソコンを選び、コンピューターを文書を書いたり絵を描く道具と割り切っている人達はマックを選ぶ傾向がありました。この頃にはMS−DOSパソコンとマック両方で利用可能なソフトはほとんどなく、マルチプランかBASICのようなプログラミング言語ぐらいが両機種にサポートされている程度でした。両機種のユーザーが共通の土俵に立てるようになるには「エクセル」等の共通のアプリケーションがサポートされるまで待たなければなりませんでした。私の所属していたパソコンクラブではプログラミングに関心を持つ人はあまりおらず、ワープロ等のアプリケーションの使いこなしが興味の中心でしたので、マックとMS−DOSパソコンのユーザーが互いに相手に関心を持たず分裂して行ったのは当然の成行きでした。
 私は基本的には私の8ビットパソコンに良く似たMS−DOSパソコンのグループに所属していましたが、マックのグループのミーティングにも出席を続けました。

[バベルの搭への挑戦 プログラミング言語マルチリンガル]

 前に述べたように私が最初のパソコンを買った目的の一つはコンピューター自体の学習でした。コンピューターの学習と言ってもハードをいじる気はあまりありませんでしたのでソフトが中心ということになります。この頃はワープロを除けば、スプレッドシートなどの汎用アプリケーションに関してはマルチプランが出始めたような状況で、パソコンに何かやらせようと思ったらまだまだ自分でプログラムを作らねばならない状態でした。というわけで、当時の私のパソコンに対する主たる関心はプログラミング言語でした。前に書いたように2年ほど前にはCP/M上のCやPascal等の言語ソフトを買おうとすると軒並20万円以上していて、私は呆れかえったわけです。そのため私はBASIC以外のプログラミング言語ではPascalぐらいしか体験できませんでした。そしてPascalとBASICではそれほど文法等に大きな違いはなかったのです。現にマイクロソフトの「Quick BASIC」に代表される、BASICを構造化したというよりはPascalの四角四面の規則を大幅に緩和したとでもいうべきプログラミング言語が堂々と「構造化可能なBASIC」と呼ばれているほどです。私としてはこれらの言語は実用Pascal言語とでも呼ぶべきだと思うのですが、BASICと呼んだ方が初心者が取り付き易く売行きが良いからそう呼ばれているのでしょう。
 安価なPascal言語としてJRT Pascalが出て、さらにTurbo Pascalが破竹の進撃をしたことは前に書いた通りです。JRT PascalもTurbo PascalもCP/M上で走っていました。そして1984年頃からCP/M上で走る安価な言語ソフトが各種言語用に出て来たのです。私は喜んで色々な言語ソフトを購入しました。FORTRAN、LISP、PROLOG、COBOL、APL、FORTH、C等を購入しました。これらの内で現在もプログラミングに使用している言語はほとんどありません。現在私が一番良く使っているプログラミング言語はLOTUS 1−2−3のマクロです。(何故AS言語ではないのか?MS−DOS上で走る安価なパーソナルASがないからじゃー!)しかし各種の言語を体験したことはその後のプログラミングやコンピューターを操作する上で非常に役立っています。色々な思想というか文化の違いを体験できたからです。
 上に挙げた言語をその後も使わなかった理由の一つはCP/M(CP/M80)上で走る言語ソフトでは日本語やグラフィックスを簡単に扱えないからです。先に書いたように私はグラフィックスに興味があったので、テキストしか扱えないCP/M80では言語の文法を学習した後はあまり興味を持てなかったのです。科学計算を行った後でグラフィック表示ができないと面白くなかったのです。

[自由濶達が創造性の条件 独裁者は敗れる]

 プログラミング言語に関しては声高に叫ばれたPascalの時代は遂に来ませんでした。しかしPascalは密かにBASICに進化(退歩?)して生き残っているのです。Quick BASICやヒューレット・パッカードのHP BASIC(ロッキーマウンテンBASIC)等はPascal言語に類別されるべき言語であると私は信じています。これらの構造化BASIC言語はPascalのガチガチの文法を少し甘くしたような言語です。変数は別に宣言しなくとも使えるとか、モジュールの開始と終了を表すために「BEGIN」や「END」を付ける必要はないとか、文の終りに「;」を付ける必要はないとか初心者に取り付き易いようになっています。(そのためにいまだにミスタイプで入れた奇怪な変数名に基づくバグに悩まされている。)
 Pascalのお役所のような杓子定規さは教育用には向いていますが、実用には少し柔軟性に欠ける感じがあります。まあ多少の副作用はあるけれども自由濶達な雰囲気の方が創造性が高いものです。お役所仕事は創造性とは縁遠いもののようです。典型的なお役所仕事に英国の列車砲(列車に載せて運ぶ大口径の巨砲)の話があります。
 1940年ナチスドイツ軍による英本土侵攻が間近に迫ったため、本土防衛のために海岸に列車砲を配置することになりました。専門家の砲兵将校が地図を検討した結果、適当な谷が幹線鉄道のそばにあるので現地へ行って見ることにしました。驚いたことに、地図には載っていない錆びた線路が予定している谷へ向かって延びていたのです。この幸運に喜び勇んで線路を辿ると線路は二つの小さな小屋へ消えていました。大砲を隠すにはおあつらえ向きの小屋だなと思いつつ中を覗くと大きな機械らしいものが見えました。鍵を壊して中に入ると薄暗がりの中に9.2インチ列車砲が置いてありました。もう一つの小屋にも列車砲が格納されているのを確認した時に警官隊に阻止されてしまいました。その内に一人の老人がやって来ました。実はこの老人が2門の列車砲の番人で、大砲の手入れをし給油するように依頼され、地方郵便局を通じて給料を貰っていたのです。2門の列車砲は第一次大戦の教訓から1918年以来そこにあり、いつでも使用可能なのでした。そして軍の専門家達は何も知らなかったのでした。全く典型的なお役所仕事です。
 英本土を守る列車砲が使われることは遂にありませんでした。第二次大戦時にチャーチル首相は英本土での決戦も覚悟していたようです。チャーチル首相は英本土がナチスドイツによる空襲に遭っている時に家族に、「ドイツ兵どもがやって来たらお前達も戦え!」と言ったそうです。女性達が、「私達は武器など使ったことがありません!」と抗議すると、「これぐらいは使えるだろう。」と包丁を示したそうです。
 結局ドイツ兵は英本土にはやって来ませんでした。前に書いたように秘密兵器「レーダー」を使った「英国の戦い(Battle of Britain)」で英国が勝利を収めたからです。しかし実の所、ナチスドイツは英国空軍を壊滅一歩手前まで追い込んでいたのです。ドイツ軍は教科書通り『最初に敵航空戦力を撃滅する』という方針に従い、英国にある空軍基地を叩くことに全力を注いだのです。ドイツのメッサーシュミット戦闘機も英国のスピットファイアー戦闘機も航続距離が短いためにドイツ軍側はかなり不利でした。RAF(Royal Air Force:英国空軍)は撃墜されたり燃料がなくなっても自国に不時着できたのに、ルフトバッフェ(Luftwaffe:ドイツ語で空軍)の方は敵地に降下しなければならないのです。しかもドイツ戦闘機は英本土上空に20分間しか滞在できませんでした。それ以上時間を取られると燃料切れでドーバー海峡に沈むことになるのです。かなり不利な状況にも拘らず、ルフトバッフェは効果的にRAFに損害を与え、今一歩で息の音を止められる所まで持ち込んだのでした。
 ところが唐突に攻撃目標が変更されることになったのです。息も絶え々のはずのRAFがこともあろうにベルリンを夜間爆撃したのです。この爆撃は故意か偶然かソ連からの外交団がベルリンを訪問している時に行われたのです。(あのエニグマで一杯食わせた英国のことだ。偶然であるはずがない!)ベルリンは絶対に爆撃されないと豪語していたヒトラーの顔は完璧に丸潰れでした。激怒したヒトラーは演説でロンドンを壊滅させると言ったのでした。ルフトバッフェの攻撃主力は突然ロンドンに向けられることになりました。RAFは息を継ぎ、勢力を盛り返す時間を稼げました。空軍基地を攻撃されなくなったためにRAFは前述の利点を十二分に活かし、ドイツ空軍機を撃滅し、ルフトバッフェはじり貧になって行ったのでした。ドイツ空軍将校達はこの戦略を無視した馬鹿げた目標変更に不満を持ち、空軍大臣のゲーリングが慰労に訪問して「何か私で役立てることはないかね?」と聞いた時に、「スピットファイアーを下さい!!」と答えたほどです。末端に裁量権を与えないヒトラーのやり方は結局自らの命を縮めました。
 「英国の戦い」で勝利を収めたチャーチル首相は演説し、かの有名な言葉、「人類の闘争の歴史において、かくも少数の人々(RAF)がかくも多数の人々(英国民全体あるいは全世界の自由と民主主義を愛する人々)に貢献したことはかつてなかった。」を残しました。現在でもかくも少数の人々(プログラマー)がかくも多数の人々(プログラムユーザー)に貢献し続けています。
 ところでチャーチルが子供の頃はあまり学校の成績が良くなく、大の試験嫌いだったので有名です。歴史は好きで成績もまずまずだったようですが他の学科の成績は良くなかったようです。両親に成績不振の理由を尋ねられたチャーチルは、「だって、先生は僕の知っていることは少しも尋ねないで、知らないことばっかり聞くんだもの!」と答えたそうです。すでに政治家としての天才的手腕を連想させる答ですが、この答は案外知識偏重の詰め込み教育を批判しているのかも知れません。問題を出す方も工夫すべきでしょう。例えば「何を知っているのか?知っていることを全て述べよ。」とか「あなたは何が出来るのか?全て挙げよ。」とかの問題はいかがでしょうか。(何という恐ろしい問題だ!)
 チャーチル首相は軍人を前線に派遣して自分は後方で命令を与えたり報告を受けるだけでは潔しとせず、ノルマンジー上陸作戦の時に自分も一緒に上陸すると主張して周囲を困らせたそうです。結局、巡洋艦に乗って前線視察をするということでなだめられたようです。しかし勿論おとなしく巡洋艦に乗っているわけがなく、「海岸にぎりぎり近付け!」と言って、海岸にドイツの砲台が見えると「あれを吹き飛ばせ!」と命令を出して艦砲射撃を行わせてからようやく引き上げたそうです。まったく、敵兵と包丁でやりあいそうな人です。

[絶滅あるいは華麗なる変身?]

 Pascalは構造化BASIC言語になることによって生き残っています。古いBASICはいずれは絶滅する運命にあるのかも知れません。絶滅した種族としてはアンモナイトも有名ですが、最も有名で謎に包まれているのは何と言っても恐竜でしょう。恐竜はそのあまりにも突然な絶滅のスケールとそれまで誇っていた栄華を考えると生物の進化史上最も劇的でミステリアスな絶滅をした種族と言えるでしょう。(三葉虫やアンモナイトの声:「何故我々は世間の注目を浴びないのじゃー!?弱小種族の悲劇。グシュン。人類も心せよ!!」)
 恐竜の絶滅原因には諸説があります。これらの説はほとんどが変化する環境に恐竜が付いて来られなかったというものです。環境が変化した原因は大別すると大陸移動のようなゆっくりした変化によるという説と天変地異が起こって恐竜が死に絶えたという説に分けられるようです。またこの二大原因が複合して恐竜が絶滅したという考え方もあります。さらに恐竜は絶滅などしていないという説もあります。「じゃー、どこに恐竜がいるんだ?見せてみろ!」という声が出そうですが、勿論化石で見られるような恐竜はネッシーやクッシーでも見つけないとお目にかかれそうにありません。実はアンモナイトがタコやイカに変身したように恐竜も華麗なる変身を遂げた可能性があるのです。
 恐竜は何に変身したのかというと鳥になったらしいのです。鳥は温血で羽毛に被われている以外の特徴は卵を生む等爬虫類に非常に似ているのです。最近の学説では恐竜の少なくとも一部は温血動物であったというものもありますので、鳥と恐竜の違いは羽毛で被われているかどうかぐらいです。恐竜と言うとすぐにでかいブロントザウルスやタイラノザウルス等に目が行ってしまいますが、体長が2m以下の小さな恐竜も沢山いたのです。巨大な恐竜が環境変化について行けなかったのはうなずけますが、多量に居た中・小型の恐竜もほとんど姿を消してしまったのは不思議な話です。それで、借金取りから逃げるように姿・形を変えてどこかに身を潜めているのではないかと勘ぐられるわけです。捜し回った結果、「鳥になったらしい。」との結論になったようです。
 実際小型の恐竜と大型の鳥は驚くほど似ているのです。ダチョウ恐竜と呼ばれる類などは名前の通り骨格も暮らしぶりもダチョウに酷似しています。あまりにも小型恐竜が鳥に似ているので「ヒッチコックの悲劇」と呼ばれる事件が米国で起こりました。ヒッチコックはサスペンスで有名なあの映画監督とは無関係で米国の博物学者です。ヒッチコックは川床に残った無数の足跡の化石を発見したのです。ヒッチコックはそれらの足跡は未発見の大型の鳥のものだと信じて鳥の化石を捜すのに一生を費やしたのでした。彼の死後、それらの足跡は小型恐竜のものだと判明したのです。

[神のデザインには意味がある 羽無しヒヨコの悲喜劇]

 鳥と恐竜の最大の違いは鳥が羽毛で被われていることです。しかし恐竜にも毛で被われている種類があったらしいのです。プテラノドンに代表される翼竜には毛で被われていたものがいるという説は翼竜の翼の表面にある多数の突起物を見て前世紀の1831年にドイツのゴルトフス博士が出しており、その後も何人かが主張していたのですが、「爬虫類に毛などあるか!」という先入観で無視され続けていました。ところが1970年にソ連科学アカデミーのシャロフ博士が中央アジアのカザフスタンで非常に保存状態の良い翼竜の化石を発見し、ソルデス・ピロデスすなわち「毛の生えた悪魔」と名付けられたその翼竜の化石は毛で被われていたのです。
 というわけで毛の生えた恐竜はいたようですが、羽毛を持つのは鳥だけです。この羽毛は極めて保温効果が良いのです。羽毛服や羽毛のシュラフ(寝袋)がなければヒマラヤの先鋭的登山を行うことはできないでしょう。しかし鶏を食べる時には羽毛は邪魔になります。魚の鱗も食べる時に邪魔になるので、鱗を大きく少なくして取り易くしたドイツ鯉が品種改良で作られました。このドイツ鯉にヒントを得て鶏の羽をなくせば羽毛を取る手間を省けると考えた人達がいました。彼らは鶏の品種改良を重ね大変な苦労の末に、遂に羽毛のないヒヨコを作り出したのです。「これはもの凄い発明だ!」と皆興奮したのでした。
 ところがこの羽のないヒヨコは体温をすぐに失ってしまうために大量のエネルギーを使って常に暖めて置かなければたちまち死んでしまうことが判りました。膨大な光熱費のために採算は全く取れませんでした。羽無しヒヨコの開発者達の結論は、「ヒヨコは羽毛で被われているのが自然である。」というものでした。何億年も掛けて作られた生物のデザインを思い付きで変えてもうまく行くとは限らないようです。

[ナイルは偉大なり アスワン・ハイ・ダムの大失敗]

 自然の摂理をあまり考えずに机上で建てた計画を実行して大失敗した例にエジプトのアスワン・ハイ・ダムがあります。アスワン・ハイ・ダムは毎年のように洪水を起こして氾濫するナイル河にダムを作り、洪水を防止すると共に潅漑や水力発電にも利用しようという壮大な計画の下に1960年に着工してから建設が進められ、ソ連の莫大な援助を得て予定の7年を超えて10年以上に亘る歳月が費やされ1971年に堂々の完成を見たのでした。そして「偉大な人類の英知の象徴」、「自然の猛威に対する人類の勝利」と全世界から賞賛の声が寄せられたのでした。
 アスワン・ハイ・ダムにはせき止めたナイル河の水が溜り完全な成功と思われました。ところが溜ったのは水だけではなかったのです。エジプトの強い太陽光線を受けてダムに溜った水に水草が生い茂り出したのです。殊にウォーターヒヤシンスと呼ばれる水面に浮遊するタイプの水草(日本ではホテイアオイと呼ばれています)が猛烈に繁殖し、ダムを埋め尽くしそうになったのです。このため貯水量が激減してしまいました。さらにダムに溜った水に巻貝が発生し始めました。この巻貝はタニシのような貝で特に人畜に危害があるわけではありません。しかし、この貝には寄生虫がいたのです。日本でミヤイリガイやカタヤマガイに日本住血球虫が寄生していて人体に侵入した時に肝臓等を破壊して危害を及ぼすようにアスワン・ハイ・ダムの巻貝にも血球虫が寄生していたのです。危なくてダムの中に入って水草を清掃することはできなくなりました。
 自然のしっぺ返しはそれだけでは済みませんでした。もっとゾッとすることが始まったのです。ナイル河の流域では棉花の栽培が盛んでアスワン・ハイ・ダムの潅漑の重要な目的もこの棉花の栽培に水を供給することだったのです。その綿が次々に枯れ出したのです。綿が枯れた畑を調べると何か白いものが地面から吹き出していました。この白いものは塩だったのです。
 砂漠では地下に塩分が存在するのは珍しいことではないのです。むしろ岩塩等の存在する方が普通と言えるぐらいです。エジプトのナイル河流域も砂漠に近い状態です。地下に存在する塩分が地下水に溶け出して地表に出て来て乾燥して白い結晶になったのです。ダムができる前にはなぜ塩分が問題にならなかったのかというと、ナイル河が毎年氾濫して地表に出て来た塩分を洗い流していたのです。ナイル河の洪水を制御したと思っていたのが実は母なるナイルの恩恵を失ってしまっていたのです。エジプトの棉花栽培は壊滅的な打撃を受けました。その後、アスワン・ハイ・ダムが爆破されたという話は聞かないのですが、エジプトがかつての栄華を取り戻したという話も聞きません。このアスワン・ハイ・ダムの大失敗の後、巨大技術の影響を分析する環境アセスメント等が重要視されるようになりました。

[人間はいい加減なもの ファジー君]

 はてさて上の例を見ても人間はいい加減にできているようです。(良くプログラムなんか作っているなあ?)人間は自分に都合の悪いことは勝手に解釈しがちなものです。見たくないと思うものは見えなくなり、いやだと思うものはないと思うようになり、自分に認識できない(理解できない)ものはこの世に存在しないと思ってしまうものです。全ての情報を白日の下に晒すГЛАСНОСТЬ(グラスノスチ:情報公開)が必要になるわけです。昔ナチスドイツの戦犯が残虐行為で裁かれた時の彼等の言い訳、「見なかった。聞かなかった。そこにはいなかった。」が三大奇跡として残っています。現場のことを見もせず、聞きもせず、足を運ぶこともなく彼等はどのように指揮を取っていたのでしょうか。全員死刑になったのは言うまでもありません。
 まあしかし、人間はいい加減にできているものです。全てを理詰めで説明することは「ゲーデルの不完全性定理」を考慮すると不可能と言えるでしょう。ドイツの数学者ゲーデルは1931年に出した論文で演繹的に証明し得る全ての真理の集合の外にも真理が存在することを証明したのです。つまり世の中の全ての真理を論理的に説明できるわけではないらしいのです。ある公理系の無矛盾性はその公理系からだけでは証明できないのです。自分が正しいことは自分だけでは証明できないようなものです。この「ゲーデルの解」により、美しく理路整然と論理的に構成された数学や哲学あるいは物理学の華麗な世界を構築することは夢と消え去り、世界の数学者や哲学者達をがく然とさせたのでした。しかしプラグマチストである錬金術師の子孫達はさしたるショックは受けませんでした。「消化の過程がはっきりしないからと言って今日から食べるのを止める人はいないだろう。」というわけです。
 しかしながら、観念の世界だけではなく現実の世界で理詰めの世界を構築しようとして奮闘しもがき苦しんだあげく、いやになる程複雑怪奇なシステムを作ってしまい溜息をついている人達もいました。制御工学の分野で頑張っている人々です。(「何だ!プログラマーのことじゃないのか?」ですって。それはまた後ほど。)制御工学は20世紀に入ってから長足の進歩を遂げ、エアコンから宇宙ロケットまで様々な所に応用されています。この制御用のシステムやロジックを構築するのは結構大変なのです。例えばロケットの打ち上げを制御する方法を考えた場合、ロケットの速度や高度、進行方向等を考慮して推力の大きさや方向等を決定しなければなりませんし、燃料の消費によってロケットの重心も変化して行きさらに複雑なルールを考えねばなりません。現在のロケットは多段式になっていますので、いつ前の段のロケットを切り放すかを決定しなければなりません。高度が30キロを超えて、ロケットの速度が秒速4キロを超えた時に第一段目のロケットを切り放すと決めたとしても、じゃー高度が29.98キロだったら第一段目を切り放せないのかというとそうでもないわけで、第二段目の燃焼時間をちょっぴり長くしてやれば良いわけです。しかし切り放し高度があまりに低いと目標高度には到達できません。それでは下限はいくらなんだと言うとこれがかなり曖昧なのです。一々細かく条件を決めて行くと際限がないのです。実に馬鹿々しいことまできっちり決めて行かねばならず複雑怪奇なルール集ができてしまう上に、そのようにしてできたルールではたった一つの例外事項があったり予期しない事態が起こると全てが虚しくなってしまうのです。
 イラン出身の米国の制御工学者であるザデー教授も悩んでいる人々の一人でした。1965年に出した論文でザデー教授は初めて「ファジー集合」という概念を導入し、以後ファジー理論の構築に多くの科学者や工学者、数学者が取り組むようになりました。
 ファジー(fuzzy)というのは桃の表面のようにけば立って境界がはっきりしない様子を言います。転じてファジー理論では曖昧な様子を表す言葉して使われました。近年ファジーが流行語になり「いい加減」といった間違った解釈をされている面もあるようですが、「曖昧」というのはYesかNoかはっきり決められない状態を指し、はっきり決められるものでも意図的に曖昧にして置くという意味もある「いい加減」とははっきり区別すべきです。世の中にはYesかNoを簡単には決められない状況が一杯あります。例えば「若い人の集合」とか「美人(美女とは書いてないから男も含む)の集合」とかに特定の個人が含まれるかどうかは即決できない場面も多くある上に、判断する人によって若干の食い違い(これが重要)の生じることが多々あります。
 実は美人という判断基準(価値基準)にも何段階かあるのだそうです。華人、麗人、美人のビッグ・スリーから始まって、シャン、並上、並々、並下からブス、さらに異面に面誤(イヅラにヅラゴと発音するのだそうです。)と外見で人を分けるのだそうです。(そんな暇があったら悪人と善人の区別でもしてろと言いたい。)シャンと並上の間にカワイコチャンというのも入る場合があるそうです。この分類基準(JISに載っているかどうかは不明)はもともと女性方の内部規格だったという話なんですが、真偽の程は定かではありません。
 問題は分類規格を定めたとしてどうやって分類するかです。今までの科学上の分類方法では特定の個人は上のどれかの項目に割り当てねばなりません。それぞれの項目に対してYesかNoの値のどちらか一方を取り、Yesは唯一つの項目に割り当てられます。しかしファジー理論では唯一つの値を割り当てるのではなくAさんは美人の度合が63%でシャンが14%、並上が8%、ひょっとしたら麗人が5%でブスの要素も3%ぐらいあって残りが並々だろうというように巾を持った指定をするのです。(%を使ったのは分かり易いように便宜的に使ったものです。)これによって美人でもブスな部分もあるしブスでも美人の要素を持っているではないかという二者択一論理に対するもやもやとした素朴な疑惑を解消できるのです。美人度が63%なんて誰が決めるんだというとあなたが決めるのです。と言うか、同じAさんに対して判断する人によってそれぞれ違った美人度の分布が出て来るわけです。この主観的な値の分布をファジー理論ではメンバーシップ関数と呼んでいるのです。「Argonautは面誤100%!」というような特別なメンバーシップ関数(要するに曖昧さが無い場合)はシングルトンと呼ばれています。ファジー理論はこのメンバーシップ関数を数学的に厳密に取り扱おうという理論なのです。決していい加減なことをしようという理論ではありません。
 ファジー理論の注目すべき特徴はメンバーシップ関数の値は目的に沿って主観的に決定すれば良いことと0か1かというような二者択一論理ではなく巾を持った値を使って論理を構成していることです。これはデカルト以来の客観性を重んじる西洋自然科学及び哲学の見直しを迫ることになるかも知れません。
 コンピューター自体0か1かの二者択一論理で作られているのは皆様ご存知の通りです。私はパソコンを使い始めた頃からどうもこの二者択一論理は現実世界に合わないなあと感じていたのです。0と1の間の値があるとずっとうまく論理を構成できる状況が現実世界には多々あるように思われたのです。それでカナダにいた1987年にファジーコンピューターの記事を日本の新聞で見て非常に興味を持ったのでした。しかしその頃には将来テレビのコマーシャルで「お利口ファジー!」なんて叫ばれるようになるとは夢にも思いませんでした。しかし欧米人の多くはこのYesとNoに加えてMaybeを入れる考え方には強い嫌悪感を示しています。事実ファジー理論の研究はアジアで盛んなのです。ザデー教授も東洋出身です。中心的な研究国は日本と中国です。日本では工学的応用が盛んで中国では数学や理論面の研究が盛んです。中国ではファジー理論を「模糊数学」と呼んでいるそうです。
 欧米がいつまでもファジー理論に嫌悪感を抱いていると制御工学やロボット工学の分野で立ち後れてしまうのではと心配してしまいます。ファジー理論はコンピューターの分野でも重要な役割を果たすと思われますので東洋と西洋の考え方の違いが将来どうなるのか注目される所です。しかし日本でも「ファジー君」などといういささか的外れな使われ方をしているようでは先が長いかも知れませんが。

[ロボット三原則 曖昧さが命取り]

 ロボットと言えば、ビッグ・バン理論の創始者の一人でもある科学者でSF作家のアシモフはロボットに関する話を沢山書いています。彼が提唱したロボットに関する興味深い提言に「ロボット三原則」があります。「ロボット三原則」というのはロボットが人間の福祉のためにのみ働くことを保証しようというものです。以下のような項目から成り立っています。

 1.ロボットは人間の福祉のためにのみ奉仕しなければならない。
 2.ロボットは人間を傷付けてはならない。
 3.ロボットは悪い人の命令を聞いてはならない。

というのは冗談で、本当の三番目の原則は

 3.ロボットは上記二項目に反しない限り、自己防衛をする義務を負う。

というものです。これ以外にも第0原則ともいうべきものがあって、「ロボットは人間の命令に絶対服従しなければならない」というものです。(コンピューターども、今の原則を良おく聞け!えっー!「テメーの命令がおかしい。」ってー?このー・・・)
 もしロボットが盲目的に人間の命令に服従しなければならないのならば、少しばかり後ろめたさを感じるのだけれどもハイリスク・ハイリターンの誘惑に負けてしまった人(要するに犯罪者)が邪魔なロボットに「お前なんか壊れてしまえ。」と命令すると問題ですので第三の原則があるわけです。
 アシモフのロボット三原則に従えばロボットを悪用したり、軍事に応用したりできないはずなのですが、やはり世の中はそう単純ではありません。まず「人間とは何か」ということを定義しなければなりません。「あんな奴は人間ではない。」とか「人非人」とか「人間の皮を被った狼」とか「ArgonautのようなET」とか、純真無垢なロボットやコンピューターを困惑させるような表現が巷には満ち溢れていて、『人間』のJIS規格やISO規格は簡単には決まりそうにありません。
 例えば髪の毛が25.4Cm以上の人は『人間』ではないから皆殺しにしろとか、あるいはその逆とか、「Y染色体」を持っている者は『人間』ではないとか色々提案が出て来るでしょうが、世界的に合意に至るものの出て来る可能性は少ないようです。
 人間自体を分類するのには古来から種々の分類規格が存在します。インドのカースト制度などは歴史も最も古い部類で、整然とした人間の区別を行っており、細かく分けると3000種類以上もの階層に人間を分けています。(コンピューターも無しに良く千年以上も続けているな。)カーストほど偏執狂的な分類でなくとも様々な人間の分け方が人類誕生の頃から存在し続けています。先ほどの美人の規格もその一例です。
 分類というものは誰が見ても簡単に判る方が普及するものです。それで歴史も長く世界中普遍的に存在する差別は男女差別(男女という語の順番すら問題だから性差別と言うべきかな?)と人種差別になります。もっと重要な悪人と善人の区別などは後回しになり、フツーの人と変人などという分類が一般受けしてしまいます。性差別と人種差別は国連の人権宣言でも撤廃が謳われ、日本国憲法でも性差別の禁止を決めていますので、歴史的には消滅方向に向かっています。変わり者という分類もフツーの人が少数派に転落するに連れて影が薄くなっていくことでしょう。
 人間の差別に関して思い出されるのは「STAR TREK」のシリーズでの異星人達の対立です。ある惑星上で身体の片側が白で反対側が黒のツートーンカラーをした原住民同士が争っており、一方が相手を「残虐な圧制者」と非難すれば、他方は相手を「無知蒙昧な野蛮人」と罵倒する有り様で、間に入ったエンタープライズ号のカーク船長も調停にほとほと手を焼く状態でした。最後にカーク船長は一方の男に、「君と彼は区別が付かないほど良く似ているのに何故それほど一方的に相手を非難できるのかね。」と聞いたのでした。男は突然烈火のごとく怒り出し、「判らんのか?!良く見ろ!!いいか?あいつは身体の左半分が白いが、俺は右半分が白いんだぞ!」と怒鳴ったのでした。カーク船長は完全に調停の労を取ることを諦めて全速力でその惑星を後にしたのでした。
 『人間』という言葉が曖昧な上に『福祉』という言葉も漠然としています。「戦争は平和である。」といったスローガンを受け入れるような社会ではさらにロボット三原則の徹底は困難でしょう。
 ロボットを軍事兵器に使わないようにしようという願いはロボットという言葉を作ったチャペックの戯曲「ロッサム万能ロボット会社」ですでに裏切られていたのは前に書いた通りです。広い意味で全ての自動装置をロボットに含めるのならば、すでに多数のロボットが戦場に登場しています。中でも誘導ミサイルは代表的なものです。
 誘導兵器の元祖はミサイルではなく魚雷です。敵艦船のスクリュー音を追跡するホーミング魚雷は第二次大戦の頃から実用化されていました。同じ頃に無人飛行機を無線誘導で操縦して目標にぶつける実験も行われたようですが、実用になったものはありませんでした。科学の国ドイツでは第二次大戦中に来襲する連合軍の爆撃機を迎え撃つために地対空ミサイルの研究も行われたようですが、基礎的研究で終わったようです。本格的な誘導兵器が実用化されたのはエレクトロニクスの魔法が実用化された後、すなわちトランジスターを始めとする半導体が実用化されてからのことです。
 初期の誘導ミサイルはほとんど対空ミサイルとして開発されました。初期のミサイルで最も有名なものは空対空ミサイルとして開発された「サイドワインダー」でしょう。サイドワインダーというのはもともと砂漠に住むガラガラヘビの一種の名前です。身体をWの字のようにくねらせて横へ進むのでそんな名前で呼ばれているのです。ガラガラヘビはマムシに非常に近い毒蛇で、これらのヘビは主に夜間活動しネズミを捕食しています。夜なので目は見えません。ではどうやってネズミを捜すのかというと、この種のヘビはネズミの出している微量の熱線すなわち赤外線を感知する特殊な器官を口の付近に持っており、ネズミの出すわずかな熱線を感じて攻撃するのです。ミサイルのサイドワインダーも赤外線探知装置を持っており、敵機の排気熱を追尾するのでガラガラヘビの名前を貰ったのです。
 誘導ミサイルは神秘的な印象を用兵思想家に与え、将来の戦争はミサイルだけで決着がつくのではないかと思われたほどです。サイドワインダーが最初に実戦で使われたのは朝鮮戦争の後で中国と台湾によって1958年8月から10月にかけて行われた金門・馬祖両島を巡る紛争です。米国から供与されたF−86セーバー戦闘機にサイドワインダーを装備した台湾空軍(国府軍)はソ連から供与されたMIG−15戦闘機を使った中国空軍を諸戦で圧倒しました。しかし中国空軍もさるもので、すぐにサイドワインダーの欠点を見抜きサイドワインダーが発射されるや否や太陽に向かってMIG−15を飛ばせて急に方向転換し、ミサイルに航空機より強力な熱源である太陽を追わせるようになったのです。誘導ミサイルは魔力を失ったのです。この紛争は短期間で終わり、貴重な戦訓を得られたのに米軍ではミサイルしか装備しないF−4ファントムのような戦闘機を作ってしまい、後にベトナム戦争で慌てて機関砲を装備する羽目になりました。重要な情報を無視すると高く付くのです。

[ミサイルの頭脳 マイクロチップ]

 誘導ミサイルの頭脳にはマイクロチップが使われています。このマイクロチップに関してSAM−6にまつわる話があります。SAM−6はNATOのコードネームで「ゲインフル」と呼ばれるソ連製の地対空ミサイルで1973年の第四次中東戦争にアラブ連合軍が使用してイスラエル軍を苦戦させたので有名になりました。第四次中東戦争がアラブ側の奇襲攻撃で開始された時にイスラエル側はそれまでの勝利にすっかり慢心して敵の研究を怠っていました。「アラブ軍など戦車とジェット攻撃機を繰り出せばペシャンコに叩き潰せるわい」とのんびり構えていました。ところが機甲兵団を繰り出すと、1967年の第三次中東戦争の時には戦車を見るや否や一目散に逃げてしまったアラブ軍の兵士達はスーツケースのようなケースを持って走り出て来ました。ケースを開けると中から超小型のミサイルが現れました。ケースそのものがミサイル発射台と誘導装置を兼ねていました。素早くミサイルの発射準備を整えたアラブ軍の兵士はイスラエル軍の戦車に向けてミサイルを発射します。ミサイルは有線誘導ミサイルで髪の毛のような細いワイヤーを引きながら戦車目掛けて突進します。ミサイルの尾部からは煙が吹き出していて飛翔中に位置を確認出来るようになっておりミサイルケースの誘導装置で戦車にビデオゲームのように導けます。戦車に命中すると弾頭の成形爆薬が爆発し「モンロー効果」と呼ばれるジェット噴流を作り出し高熱と高圧で装甲板に穴を開けて戦車の内部を焼きつくします。
 「サガー」と呼ばれるソ連製の対戦車ミサイルをアラブ軍が使ったのです。攻撃機による空からの支援を受けた機甲兵団による電撃作戦で巻き返しを図ろうとしたイスラエル軍は虚を突かれました。散在する炎上して焼け焦げた戦車の間に蜘の巣のように誘導用のワイヤーが絡まった恐怖の現代戦場の様子をイスラエル軍の将校が書き残しています。(再び、戦いの方法を変えるのがSISの基本です。)イスラエル軍の機甲師団長によると後の調査ではミサイルにやられたと思われた多くの戦車が実は対戦車砲等の他の兵器で破壊されていることが判明しミサイルの神話が一人歩きした感じがあるということですが、サガーミサイルがイスラエル軍を苦しめた事実は否定できません。
 慌てたイスラエル軍はジェット攻撃機を出撃させます。しかし、エレクトロニクスの魔法によって生まれたPGW(Precisely Guided Weapon:精密誘導兵器)に苦しめられるのは戦車だけではなかったのです。イスラエル軍はすでに情報を入手している、ベトナム戦争中にも使われたソ連製の地対空ミサイル、SAM−2(ガイドライン)やSAM−3(ゴア)の攻撃を避けるために電子妨害(妨害電波を発射したりアルミ箔を撒いたりして敵のレーダーやミサイル誘導を妨害する事)を掛けて攻撃したのですが、いくら入念に妨害を掛けても謎のミサイルが飛来し次々にイスラエル側の攻撃機を撃墜していきます。このミサイルがSAM−6です。イスラエルも米国からSAM−6の情報は入手していたのですが、驕りが先に出て研究を怠っていたようです。SAM−6は最初の段階はレーダーで誘導されますが最終誘導は赤外線を追尾するようになるので電波妨害は効かないのです。SAM−6は誘導装置が優れているだけではなく、第一段の固体燃料ロケットが燃焼しつくすと、そのロケットの燃えがらが第二段ロケットに入っている燃料を使うラムジェットの燃焼筒になるという卓越した設計を取っています。無駄な重量は一切運ばず設計・製造・操作を単純化しているのです。KISS(Keep it simple, stupid!)の模範と言えるでしょう。プログラムやシステムの開発でもSAM−6を見習いたいものです。
 アラブ軍が変えたのは兵器だけではありません。第三次中東戦争の時に飛行場にジェット戦闘機をキチンと整列させて昼食を食べている間にイスラエル軍の超低空侵行による奇襲攻撃に遭い苦杯を舐めたアラブ軍は、今回はこともあろうにラマダンに行動を起こしたのです。ラマダンというのはイスラム教の断食月のことで、この期間中はイスラム教徒は昼間は食事が出来ないどころか水一滴飲めないのです。イスラエル側はラマダンに戒律の厳しいアラブ側が何かするなど砂漠の露ほども思っていなかったのです。しかしエジプト軍はラマダンのさ中にスエズ運河渡河作戦を敢行し、太陽に背を向けて攻撃するために夕刻に攻撃してきたのです。(攻撃時間を巡って東部戦線のシリアと論争がありましたが、結局シリア側が譲りました。)アラブ軍はラマダン中も兵士はその限りではないと言って攻撃を続行したのでした。イスラエルが過去の勝利に慢心している間にアラブは近代化していたのです。
 イスラエル軍は第四次中東戦争で大いに苦戦しました。シャロン将軍は反撃のための進攻作戦を具申しましたが決断がなかなか下されません。業を煮やした将軍は上層部の許可を待たずに勝手に進撃を開始しエジプト軍のそれ以上の侵行を阻みイスラエル軍の総崩れを防ぎました。シャロン将軍は戦車を先頭に立てるのをやめ、歩兵・砲兵部隊を先頭に立てエジプト軍の対戦車・対空ミサイル部隊を粉砕した後で戦車と攻撃機で攻撃するという戦法を取りました。通常なら無謀なこの戦法が何故成功したかというとアラブ軍の撃つ弾は少しも当らないのにイスラエル軍の弾は良く当ったからです。兵士の練度の差が出たのです。アラブ軍の近代化は今一歩だったわけです。(このように自分に有利な点をとことん伸ばすのがSISの基本です。)
 反撃に成功したイスラエル軍はSAM−6を捕獲し米国に送って調べてもらいました。(ちゃんと素直に反省して勉強を怠らないのがイスラエル軍の強みです。)そして先に述べたSAM−6の卓越した設計思想が判ったのですが、もう一つの驚くべき事実が判明したのです。SAM−6の誘導装置にはLSIが使われていました。ところがそのソ連製のマイクロチップはインテルのミサイル誘導用チップのコピーだったのです。回路設計が全く同じであるだけではなく、インテルの技術者が誤って付けてしまった不必要な回路までそっくりコピーされていたのです。ソ連はココム禁輸の網を掻い潜ってインテルのチップを入手していたのでした。SAM−6の優れた誘導システムの頭脳の部分は米国の設計だったわけです。機密の漏れを防ぐのはなかなか大変なようです。


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