キューブリック プロフィール/フィルモグラフィ


プロフィール
1928年7月26日にニューヨークのブロンクスで東欧系ユダヤ人の家庭に生まれる。少年の頃から写真撮影に熱中し、高校在学中に「ルック」誌のカメラマンになる。やがて映画に熱中するようになり、50年に「ルック」誌を辞めて映画製作を開始。最初の作品は『拳闘の日』という短編ニュース映画で、RKOが買ってくれた。ニュース映画を何本か撮った後、親戚や友人から借金して自主映画として53年に初の長編『恐怖と欲望』を、55年に『非情の罠』を製作する。そしてジェームズ・B・ハリスと作ったプロダクションで念願の初メジャー作品『現金に体を張れ』を監督。独特の構成と非情なタッチで、新進気鋭の監督として注目され、続く『突撃』も高い評価を受ける。だが60年の『スパルタカス』は降板した監督の代理起用で、下請け監督として技術を提供するに留まった。ハリウッドのシステムに不信感を抱いて61年に英国に移住し、ロンドンで映画製作を続ける。『博士の異常な愛情』で一級監督として認められ、続く『ニ〇〇一年宇宙の旅』でその名を不動のものにする。芸術と商売のバランス感覚にもたけ、興行的に不振だった『バリー・リンドン』の次回作に、商業性を意識して『シャイニング』を製作したりした。87年の『フルメタル・ジャケット』の後に長い沈黙期に入るが、90年代後半に『アイズ・ワイド・シャット』を製作。だが公開直前の99年3月7日にロンドン郊外の自宅で死去する。

フィルモグラフィ
(注:英タイトルは日本未公開作品で、( )はビデオ等の邦題)

『Fear and Desire(恐怖と欲望)』(53)
『Killer's Kiss(殺意の罠)』(55)
『現金に体を張れ』(56)
『突撃』(57)
『スパルタカス』(60)
『ロリータ』(61)
『博士の異常な愛情 又は私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか』(64) 幻のシーン
『ニ〇〇一年宇宙の旅』(68)
『時計じかけのオレンジ』(71)
『バリー・リンドン』(75)
『シャイニング』(80)
『フルメタル・ジャケット』(87)
『アイズ・ワイド・シャット』(99)


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2001年7月20日作成