キューブリック幻の映画 『ナポレオン』 シナリオ@
〜 誕生、幼年時代、青年時代、革命勃発 〜

ナポレオン
脚本:スタンリー・キューブリック
1969年9月29日

フェードイン
室内 ベッドルーム・コルシカ − 夜
擦り切れたテディベアを抱き、夢見心地で親指をしゃぶる4歳のナポレオンが、ベッドで若き母親レティツィアの物語を聞いている。5歳の兄ジョゼフはナポレオンの横ですでに眠っている。
ナレーター
ナポレオンは1769年8月15日にコルシカ島のアジャクシオで生まれた。丈夫な赤ん坊でなかった彼を、母レティツィアは献身的な愛情をもって育てた。後年、彼はセントレヘナで母親について書き記している。
ナポレオン(ボイスオーバー、以下VO)
母はいつも私を愛してくれた。私のためなら何でもしてくれた。
メイン・タイトル
室内 ブリエンヌ陸軍幼年学校の寮 − 夜
まだ暗い凍るような寒さの冬の朝。少年たちが修道僧の鳴らす大きなベルの音で起こされる。ろうそくに火が灯される。
日焼けした9歳のナポレオンがベッドから飛び起き、腕をさすりながら震えている。水差しの水を注ごうとして、水が凍りついているのに気づく。
ナポレオン
僕の水差しにガラスを入れたのは誰だ? ほら見ろ、誰かが水差しにガラスをつめこんだ!
デュフォー
大変だ! ボナパルトの水差しにガラスをつめこんだやつがいる。って、いったい誰がそんなことをするってのさ?
ブレモンド
やれやれ、僕の水差しにも誰かがガラスをつめこんだ!
修道僧
静かに! 静かに! ボナパルト君をからかうんじゃない。彼の故郷の国はそれほど寒くならないのだ。おそらく氷を見たことがないのだろう。
デュフォー
氷を見たことがないだって? なんとまあ、ずいぶん変わってるな。
少年たちがクスクス笑う。ナポレオン、彼らをにらみつける。
ナレーター
歳の時、ナポレオンは国の奨学金を受けフランスのブリエンヌ陸軍幼年学校に入学した。来たる5年と半年を、彼は軍隊におけるキャリアの準備に専念する。裕福なフランス貴族の子息たちに囲まれ、孤独で貧しい田舎者にとってそれは厳しく陰鬱な時期だった。
屋外 ブリエンヌの農場 − 日中
心地よい夏の終わりの午後。学校の制服を着た少年たちのグループが、パンやジャム、牛乳の入ったすずのカップが散らかった粗末なテーブルの周りを落ち着きなく囲んでいる。農夫の妻が給仕しながら、少年たちから少額の金を集めている。
9歳のナポレオンはグループから離れたところに立ち、本を脇に挟んで牛乳を飲みながら、物思いにふけりつつ、とうもろこし畑の向こうで午後の日差しを浴びて美しい色に染まる校舎をながめている。
ブレモンド
(大げさに明るく)
ご機嫌いかがですか、ボナパルト。
ナポレオン、無視する。
ブレモンド
何を読んでいるんだ?
返事をしない。デュフォーがナポレオンの背後に立つ。
ブレモンド
(本のタイトルを読もうと首を傾ける)
これはこれは、そっけないね。シーザーの「ガリア戦記」か。実に勉強熱心だな。ところで、その本を学校の敷地外に持ち出す許可は得てるんだろうね?
ナポレオン
(静かに)
だまれ、ブレモンド。
ブレモンド
やれやれ、ひどい言葉遣いだな。
母親から教えられたのかい、ボナパルト。
ブレモンドはナポレオンより4歳上で身体も大きい。
ナポレオン
だまれ!
その瞬間、デュフォーが後ろから乱暴に体当たりし、牛乳が制服中にこぼれ、本がびしょ濡れになる。
デュフォー
ああ、何てことだ、愛しのボナパルト。手元が狂った。おや、見たまえ、きみの本を!
ナポレオンはデュフォーに思い切りカップを投げつけ、カップはデュフォーのひたいにぶつかって、カーンと音がする。ナポレオンはブレモンドに跳びかかり、二人の少年はパンやジャム、牛乳だらけになる。
室内 軍服の仕立屋 − 日中
16歳のナポレオンは洗練された中尉の制服に身を包み、全身が映る鏡で自分の姿を吟味している。
ナレーター
16歳でナポレオンは中尉としてパリの陸軍士官学校を卒業し、ヴァレンスにあるフェーレの正規連隊に配属された。
屋外 射撃練習場 − 日中
大砲用の射撃練習場。暑い夏の朝。ナポレオンは大砲に弾込と射撃を行う若い士官の一団の中にいる。
ナレーター
3年間に亘って受けた実戦向け軍事教練によりナポレオンはあらゆる武器の知識を学び、デュ・テイユ、ブルセ、ギベールといった進んだ軍事思想に触れた。
屋外・訓練場 − 日中
静かな冬の日、地面に雪。ナポレオンと一団は指示に従いマスケット銃の装填と発射の訓練を行っている。標的は絵で描かれた兵士。
屋外・野原 − 日中
ヴァレンスの森の端。風の強い春の日。ナポレオンと9人の若い士官が、金属製の双眼鏡を持つ陽に焼けた大尉の周りに集まり、地図の見方について教えを受けている。幅4フィートの地図は地面に平らに固定すべく四方をひざや手で押さえられていたが、強い風でバタバタとはためく。
室内・部屋 − 夜
ヴァレンスのナポレオンの部屋。本でいっぱいである。ほとんどは軍事関係だが、詩や歴史、哲学もそろっている。ろうそくの灯で本を読むナポレオン。外からはさほど勤勉でない士官たちのどんちゃん騒ぎが聞こえる。
ナレーター
この頃の彼の気持は複雑でいろいろなことを考えた。
ナポレオン(VO)
人生は私には重荷だ。喜びを与えてくれるものは何もない。周りのもの全てに寂しさしか感じない。これほどつらいのは、今そしておそらく今後もいつも一緒にいる人々と私の生き方が、さながら月の光と陽光ほどに違うからだ。
室内・宿屋 − 夜
17歳のナポレオン。近場の宿屋でテーブルを囲み、酒を飲んで歌う十数人の士官のグループの最年少である。
屋外・森 − 夜明け
霞がかった夏の夜明け。17歳のナポレオンが、15歳の若くて美しい少女キャロライン・コロンビエと一緒に森を歩いている。二人は時々さくらんぼを摘むために立ち止まる。さながらラファエロ前派の無垢で美しい絵画のよう。上品に制服を着こなした若い士官と、たなびく白い服を着た純真な乙女。
ナレーター
彼はコロンビエという家族と親しくなり、その家の娘キャロラインとの初恋について後に書いている。
ナポレオン(VO)
おそらく信じてもらえないかもしれないが、一緒にさくらんぼを食べることが二人にとっては全てだった。
屋外・リヨンの街 − 夜
底冷えのする冬の夜のリヨン。目元まで服を着込んだ人々が人けのない通りを急ぎ、客のいないカフェを通り過ぎる。
両手を深くポケットに突っ込み、寒さに肩をすくめるナポレオンは、同じ年頃の魅力的な通行人とすれちがう。彼は立ち止まって、おぼつかなげに彼女を見る。大粒の雪がひとひら彼女の鼻に落ち、彼は笑顔になる。
女性
こんばんは、サー。
ナポレオン
こんばんは、マドモワゼル。
かわいい女性である。
女性
ひどい天気ですね。
ナポレオン
そうですね。きっとこの冬で一番ひどいでしょう。
女性
ええ、きっとそうですわ。
ナポレオン、何を話していいか分からない。
ナポレオン
こんな風に外に立っていたら、骨まで凍えてしまうでしょう。
女性
ええ、そうなんです。
ナポレオン
では、なぜこんな夜に外にいるのです?
女性
それは、生きるために何かをしなければならないからです・・・。それに私には老いた母がいて、その面倒を見なければなりません。
ナポレオン
ああ、そうですか・・・。さぞ大変でしょう。
女性
人生はありのままに受け入れなければ。リヨンにお住まいですか?
ナポレオン
いいえ、休みで来ただけです。連隊がヴァレンスにいるのです。
女性
お友達とご一緒ですか?
ナポレオン
いいえ・・・私は・・・ペリンのホテルに・・・部屋があります。
女性
居心地のよい暖かい部屋ですか?
ナポレオン
それは、ここよりははるかに暖かいですよ。
女性
私を連れていって頂けませんか。二人で温まれるように。
ナポレオン
ああ・・・もちろんですとも・・・もしあなたが行きたいなら・・・ただ・・・お金があまりないんです。
女性
3フランお持ちですか?
室内・ホテルの部屋 − 夜
ナポレオンの安宿は外よりわずかに暖かいだけである。すきま風でろうそくがちかちかし、吹きつける雪が窓ガラスにかわいい模様を形づくっている。
ナポレオンは、コート、スカーフ、手袋、帽子のまま座っている。女性は急いで服を脱ぎ、震えて歯を鳴らしながら、氷のように冷たいベッドに飛び込む。
女性
ブルルル・・・このシーツは氷みたい。
ナポレオン
ああ、申し訳ない。
女性は震えながら、彼がベッドに入るのを待っている。ナポレオンは動かない。
ナポレオン
きみ、名前は?
女性
リゼットです。
ポレオン
リゼットだけ?
女性
リゼット・ラ・クロワ。
ナポレオン
素敵な名前だ。どこから来たの?
女性
お願いですから、ベッドに入って。寒くて死にそう。
ナポレオン
ああ、そうだね・・・分かった。
ナポレオンは立ち上がり、ろうそくを吹き消す。
タイトル: 1789 − 革命
屋外・街の広場 − 日中
300人もの農民や都市労働者でごったがえしている。多くは女性で、革命のリーダーであるヴァルラックが革命委員会の少数のメンバーに守られ荷馬車の上に立っている。彼は筋骨たくましく毛の薄い四十代の男で眼鏡をかけている。
彼の後ろに、切断された6つの首が槍にささっているのが見える。
ヴァルラック
市民諸君、パリからの知らせによれば、バスティーユの腐敗した監獄が占拠された。
(歓声)
あの通り所長の首は槍につきささっている。
(歓声)
今やパリの全ては人民のものとなっている。
(歓声)
すぐにフランス全土が人民のものとなるだろう。
(歓声)
歓声がやむと、ドラムと行進の音が聞こえる。一同が振り向くと、25人の部隊が現れる。馬に乗ったナポレオンと鼓手に率いられ、3列縦隊で広場へ行進してくる。
広場に入ったところでナポレオンは行進を止め、一騎で前に進み、群集は道を開ける。彼はヴァルラックの荷馬車から約10フィート(3メートル)で止まる。ヴァルラックは立ったまま両手を腰にあて、群集に囲まれたナポレオンをにらみつける。ヴァルラックと委員会は小声で話をする。
ヴァルラック
ごきげんよう、戦友諸君。我々に加わるつもりかね?
ナポレオン
フレリコット通りに住むジョルジュ・ヴァルラックという人物を探しているが、ご存知ですか、ムッシュー?
ヴァルラック
大変結構、中尉くん。ちょうどよいところへ来られた。私が市民ヴァルラックだ。
群集は醜悪に笑う。
ナポレオン
あなたがこの人達に話したのと反対に、ムッシュー・ヴァルラック、フランスはまだその正当な統治者のもとにある。そして私は令状を携えてあなたを逮捕するために派遣されてきた。罪状はブーシ閣下と子息の殺人ならびに邸宅の放火だ。
ヴァルラック、周りに立つ男達にささやく。一人は反対し力強く首を振る。
ヴァルラック
革命はサロンの上品な議論ではないのだ、中尉くん。社会のくずを殺すことを殺人とは呼ばない。
ナポレオン
(群集に聞こえるように)
その哲学は判事に言いたまえ、ムッシュー・ヴァルラック。私は軍隊の一士官に過ぎないが、私にとって、きみのしたことは殺人だ。そして公正に見れば、誰にとっても殺人だ。
ヴァルラック
それでは我々全員を逮捕しようというのかね、中尉くん? 現場にいたのは私ひとりではない。
ナポレオン
いや、ムッシュー・ヴァルラック。逮捕状はきみに対してだけだ。さて、ただちに降りてくれたまえ。裁判のため、シャロンに連行する。
ヴァルラックと委員会は興奮した声でささやきあう。
ヴァルラック
中尉くん、私のアドバイスは部下を連れてただちにこの街を去ることだ。制服を着た同胞を傷付けるようなことをしたくない。
ナポレオン
ムッシュー・ヴァルラック。この人達の味方のふりをするのはやめなさい。きみは彼らを暴力的な言葉で誤った方向に導き、扇動している。さあ、命令だ。荷馬車から降りろ。
再びささやき声で話し合い。
ヴァルラック
王やその追従者の権威など、私は認めない。
群集から笑い声。
ヴァルラック
今のうちに部下を連れて立ち去った方がいいぞ。
ナポレオン
(ピストルを抜き)
ムッシュー・ヴァルラック。ゆっくり5まで数える。それまでに荷馬車から降りない場合、この場できみの処刑を執行する。
ヴァルラックにこれ以上話す時間を与えず、数え始める。
ナポレオン
1・・・2・・・3・・・。
委員会のメンバー、ヴァルラックから離れる。
ナポレオン
4・・・。これが最後のチャンスだぞ、ムッシュー・ヴァルラック。
ヴァルラックはおびえながも、ひわいな手振りをしてみせる。
ナポレオン
5・・・。
ナポレオン、荷馬車に乗りこみ、慎重に拳銃の狙いを定め、ヴァルラックの頭を撃つ。取り巻きは安全なところに逃げる。
圧倒された群集は驚きで息をのみ、催眠術にかかったように立ちつくす。
ナポレオン
自白した殺人犯は射殺された。皆さんももう家に帰りなさい。
フェードアウト
>>シナリオA
"NAPOLEON" A Screenplay by Stanley Kubrick

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2015年5月4日作成