海外図書紹介 ジャネット・リー『サイコ』


書籍名:Psycho (Behind the scene of classic thriller)
    /by Janet Leigh with Christopher Nickens
(原題:『サイコ(古典スリラーの舞台裏)』
    /ジャネット・リー、クリストファー・ニケンズ共著)
ISBN :0517-70112-X
出版社:Harmony Books, a division of Crown Publishers, Inc.
価 格:$22.00
出版年:1995


 社会文化史上におけるヒッチコックの最大の功罪は、「サイコ」(psycho)という言葉を一般に定着させたことではないかと思う。PsychoはもともとPsychopath(性格異常者、精神病質者)を短く切った言い方だが、昔はそれほど一般的な言葉ではなかったらしい。ドナルド・スポトーの「ヒッチコック−天才と生涯−」によれば、「北北西に針路を取れ」の後のヒッチコックの次回作のタイトルが「Psycho」だと発表された時(ストーリーや内容は一切明かされていなかった)、巷では「ヒッチコックもいよいよネタに詰まったらしい。今度は『プシュコー』なんてギリシャ神話ものを作るそうだ」などと言った人さえいたそうだ。(『プシュコー』なんて神様が本当にギリシャ神話にいるのかどうかよくは知らないけど。)それが今日では、見知らぬ女性をばらばらに切り刻んだ男が「だっておれサイコなんだもん」と言えば世間もそれで納得してしまうという(もちろんそれで罪が許される訳じゃないけど)空恐ろしい時代でもある。映画でも"He is a psycho."(彼は気違いだ)ぐらいだったら字幕を見なくても言葉はわかるだろう。最近では「セブン」や「羊たちの沈黙」などのサイコサスペンスなどと呼ばれるジャンルもできている。アンソニー・ホプキンスなんて“サイコ”の演技でアカデミー賞までとってしまった。映画関係者から連続殺人犯までみなヒッチコックに感謝しなければならない。

「サイコ」のストーリーは有名だから知らない人も余りいないだろうけど、簡単に書くと以下の通りである。
 アリゾナ州フェニックス。不動産事務所でしがない秘書をしているマリオンは妻子あるサムと愛人関係にある。サムはフェニックスから離れた地域に住んでおり、二人の密会はサムのフェニックスへの出張の時にだけあわただしく行われる。ふとしたことで彼女は事務所の4万ドルを横領して逃走し、サムとの新しい生活を切り開こうとする。途中、彼女を不審に思った警官に執拗に追跡されるが何とか逃れ、疲労した彼女はモーテルに泊まる。優しそうなモーテルの主人ノーマンとの会話も束の間、一人になってシャワーを浴びている際に彼女は不意にノーマンの母親に襲われて刺殺されてしまう。マリオンの死体を発見したノーマンは母親の罪を隠すためにマリオンの死体ごと彼女の車を沼に沈めて証拠を隠す。
 一方、会社に雇われた探偵アーボガストとマリオンの妹ライラ、それにサムの3人は消えたマリオンと4万ドルの行方を追ってノーマンのモーテルへ辿り付き、屋敷に隠れたノーマンの母親の存在を知る。だが一人でノーマンの屋敷に忍び込んだ探偵もノーマンの母親に殺されてしまう。その頃サムとライラは地元の保安官から意外なことを聞く。ノーマンの母親はすでに死んでいるというのだ。ついに意を決して屋敷に忍び込んだライラが目にしたのはノーマンの母親のミイラだった。その彼女に襲いかかるのが、母親に扮してナイフをかざすノーマンだった。彼女は危ないところをサムに助けられる。事件後の心理学者の説明によれば、母親の死を認めたくないノーマンに母親の人格が生まれて彼は多重人格となり、その母親が数々の殺人を引き起こしたのだった。収監されたノーマンは今や完全に母親の人格にとってかわられていた。

 と言う訳で「サイコ」はヒッチコックの作品の中では極めて異質な作品である。「北北西に針路を取れ」「知りすぎていた男」のような巻き込まれ型サスペンスではないし、「間違えられた男」のように無実の罪をきせられるわけでもない。「ハリーの災難」や「裏窓」のようなユーモアもないし、題材も「見知らぬ乗客」「ダイヤルMを回せ」「裏窓」などで使われたヒッチコックお気に入りの妻殺しとも関係ない。それはヒッチコックの長いキャリアの中でもぽつんと孤立しているように見える。にもかかわらず「サイコ」は今日ではヒッチコックの代表作とされているし、多くのファンやマニアさえ作り出した。「サイコ」についての多くの論文や研究書が書かれているし、ヒッチコックの伝記やフィルモグラフィを扱った本でもかなりの部分がさかれている。

 95年に出版されたジャネット・リーの「サイコ(古典スリラーの舞台裏)」は「サイコ」の関連図書だが、そうしたマニアックな本とは一線を画した、一般の映画ファン向けのものである。著者のジャネット・リーとは「サイコ」に出演し、あのシャワーシーンで殺されてしまう女性マリオンを演じた女優なのである。完成された映画をもとに作品にアプローチするしかない批評家の本とは違うのだ。私も神田の洋書店で見つけた時にはだいぶ興奮したと同時に、何でも本にして出版してしまう米国の出版業界のバイタリティになかばあきれてしまった。(だって「サイコ」って30年も前の映画ですよ!)
 ヒッチコックもアンソニー・パーキンスも亡き後、なぜ「サイコ」について語ろうとしたかについて彼女は、ヒッチコックや「サイコ」に関連する多くの出版物や情報が氾濫する中できちんとした記録を残したかったからと書いている。しかし本書は資料的価値はもとより、古き良きハリウッドでの映画製作の現場の雰囲気を感じさせる。そこには映画のプロ達への限りなき映画への愛情や情熱を見ることができる。現金を横領して逃亡する途中であっけなく殺されてしまうだけのマリオンの役作りにジャネット・リーがどれほど熱心に努力したか、読む内に不思議な感動すら覚えてくる。
 以下は本書の簡単な紹介である。

「サイコ」製作日誌
1959年10月28日    ジャネット・リー(当時32才)「サイコ」出演契約。
     11月30日    ジャネット、「サイコ」のセットに初めて入る。
     12月17〜23日 シャワーシーンの撮影。
     12月末      ジャネットの出演部分の撮影終了。
1960年 2月 1日    「サイコ」撮影終了。

製作予算
 ヒッチコックは前作の「北北西に針路をとれ」が大ヒットはしたものの、製作費がそれまでの最高額を記録したことから、次回作では低予算で質の高い映画を作ろうと考えていた。彼はロバート・ブロックの小説「サイコ」の映画化権をわずか9,000ドルで入手したのを手始めに(ロバート・ブロックへのオファーでは買主がヒッチコックであるということはふせられていた。当初の提示額は5,000ドルだったが、ブロックがねばって9,000ドルまで値上げさせた。買主がヒッチコックだったと後で知ったブロックは悔しがった)、製作スタッフにもジョン・ラッセル(撮影)やジョージ・ミロ(セットデザイン)などのTVスタッフを多く起用し、俳優の出演料もきりつめた。例えばジャネット・リーの出演料は当時作品によって100,000ドルにもなることもあったにも係わらず、「サイコ」では25,000ドルを受け取ったにすぎない。これは自分の作品に出演したことが俳優のキャリアにとっても有益となることをヒッチコックが見越していたためである。「サイコ」の製作予算は806,947.55ドルにおさえられた。今日では短編映画の製作費にも満たない額だが、それでも当時のパラマウントはヒッチコックがこの製作費を自分のプロダクションで調達することを「サイコ」配給の前提条件とした。
 これに対して「サイコ」の興行収入は1966年末までで14,332,648.92ドルだったという。入場料金が75セントの時代だったことを考えると、いかに大ヒットだったかがわかるだろう。低予算でも客の呼べる質の高い映画をとのヒッチコックの狙いは見事に当たったといえる。
 以下はジャネット・リーの記す主要なスタッフ・俳優のギャラである。

総製作予算…806,947.55ドル
ロバート・ブロック(原作の映画化権)…9,000ドル
スタッフ…計62,000ドル
 [ジョン・ラッセル(撮影)、ジョージ・ミロ(セットデザイン)、ジョージ・トマシニ(編集)、
  バーナード・ハーマン(音楽)、ソウル・バス(タイトルデザイン)]
ジャネット・リー(マリオン)…25,000ドル
アンソニー・パーキンス(ノーマン)…40,000ドル
ジョン・ギャビン(マリオンの恋人サム)…30,000ドル
ヴェラ・マイルズ(マリオンの姉ライラ)…10,000ドル
マーティン・バルサム(探偵アーボガスト)…6,000ドル

ジャネット・リーと「サイコ」
 ヒッチコックからジャネットへの出演依頼は次のようなものだった。
「マリーの役を検討してみて下さい。完成した脚本ではマリーの役はより良くなり、キャラクターの描写は完全に違ったものになるでしょう。アンソニー・パーキンスがノーマン・ベーツを演じます」
 メッセージは「サイコ」の小説とともにMCAの彼女のエージェントへ送付されてきた。当時大のヒッチコックファンでTVシリーズもよくみていた彼女はヒッチコックからの映画の出演依頼に彼女は大いに興奮した。そして送られた小説を読んで、さっそく出演を決めたという。
 しかし彼女の出演承諾はもっぱらヒッチコックと一緒に仕事ができるということへの興奮が理由だった。原作自体にあまり興味をもたなかった彼女はそれ以来「サイコ」の小説を読むことはなかった。今回この本を書くにあたり、ジャネットはもう一回原作を読もうと家の中をあちこちを探してみたが、その時ヒッチコックから送られた本は見つからず、結局本屋で買い直したという。もしその本が今日も残っていれば、どれだけの価値があることかと残念がりながら。

ジャネット・リーとヒッチコック
 ヒッチコックとの初めての打合せの模様についてジャネットは次のように書いている。
「その日、私はヒッチコックのベラジオ通りにある彼の家で打ち合わせをした。彼の書斎の机の上には、映画で使われる全てのセットの縮尺モデルがあった。それらは壁が取り払われて、中にミニチュアの家具や小さな人形が置かれていた。それは各シーンでカメラのアングルを決めるためだった。
 …彼はこう説明した。『苦い教訓の後、だいぶ前に私はこういうことを学んだよ。あまり多くのフィルムを撮るべきではないということを。でないとプロデューサーや編集者がフィルムを継ぎ足したり短く切ったりして、シーンの意味を変えてしまったり、演技さえ決めてしまうことがある。私の映画は編集の必要はそれほどない。セットでカメラを使ってすでにやっているからね』
 …ヒッチコックは続けた。『君を選んだのは、君が才能のある女優だからだ。マリオンの役をどう演じるかは君に任せる。君が困って私の助けを必要としない限り、口出しはしない。あるいは君が演技過剰だったり、もう少し演技をしてほしい時以外はね。ただしセットではこれだけは守ってほしい。カメラは絶対だ。私はストーリーをレンズで伝えるから、カメラが動いたら君も動くし、カメラが止まったら君も止まってほしい。君が自分の動きを正当化するためのキャラクターの動機を見つけてほしい。難しい時には私も一緒になって考えよう。ただし私はカメラのタイミングを変えることはしないからね』」(p.41〜42)

プリ・プロダクション
 死んだマリオンのクローズアップを撮る際にマリオンの「死んだ」目の効果を出すために、ヒッチコックとジャネットは目医者に行って専用のコンタクトレンズを作ろうとした。しかし目がレンズに慣れるようになるのに6週間かかるとのことだったので、レンズは使わないでやることにした。
 当時、役者の衣装は衣装デザイナーがデザインするのが普通だったが、ヒッチコックはリアリティーを出すために一般の秘書が買うことの出来るだけの金額の既製品の服を買ってくるように命じた。そこでジャネットは衣装担当のリタ・リグスはビバリーヒルズのブティックのJAXへ行き、白い綿ののと青いウールの2つの服を買ってきた。
 この際にリタから「ミスター・ヒッチコックはウールの素材が好きなんです。白黒ではよく見えますから」と聞いて初めてジャネットは「サイコ」が白黒の作品と知る。

ファーストシーン
 映画のファーストシーンについて、ヒッチコックは初めヘリコプターによるフェニックスの俯瞰ショットで映画を始めるつもりだった。ヘリからのショットが少しづつマリオンとサムが密会をしているホテルに近づき、ホテルの窓から中の二人へとヒッチコックの他の映画にも度々見られる「全体→個々」を考えていた。しかし結局は街の全景をいくつかパンして、ホテルの窓のショットからホテルの室内にカメラが入っていくというショットに変更された。
 このマリオンとサムの密会のシーンについて、ジャネットはジョン・ギャビンとの共演が初めてだったことや「サイコ」の撮影自体まだ始まったばかりだったことから、なかなかうまく演じられなかった。ヒッチコックはめずらしく何回もテークを繰り返し、二人に「もっと情熱的に演じるよう」指示したりした。

ジャネット・リーとロケーション
 前半マリオンが40,000ドルを盗んで車で逃走するシーンが続くことから、さぞかしロケーション撮影が大変だったと思いきや、ジャネット自身はマリオンが途中で車を換えるために立ち寄る中古車ディーラーのシーンのために、ユニバーサルスタジオの数マイル北の中古車売場でロケをしただけである。彼女が中古車のディーラーのトイレで車を買うための現金を数えるところは200ドルで建てられたスタジオセットで撮影された。
 モート・ミルズ扮する警官にジャネットが職務質問されるサスペンスフルなやり取りはすべてスタジオで撮影された。彼女自身は99号線に撮影に出かけることはなかった。

シャワーシーンに出ているのは本当にジャネット・リーか?
 ジャネットはシャワーシーンに出ていたのが本当に彼女であったかどうかいまだに聞かれることがあると嘆いている。彼女によれば、撮影には確かに週給400ドルで雇われたマーリ・レンフォというプロのヌードモデルがいた。照明の具合や水の出し方などをテストするために使われたが、実際の撮影には使われなかったとジャネットは主張している。ジャネットが出演していない唯一の映画シーンは死んだマリオンをノーマンがカーテンで包んで室外へ運びだすシーンだけだという。
 ヒッチコック自身はトリュフォーとの対談でモデルで撮影したショットもあることを認めているし、共演のジョン・ギャビンもジャネットの出番が終わった後で彼女がいない時にヌードモデルを使用している撮影現場を目撃しているという。
 真実のところはよくわからないが、ジャネットとのインタビューで脚本のジョセフ・ステファノは、死んでシャワールームに倒れた裸のマリオンの全身を真上から撮るショットがモデルを使って撮影されたと語っている。そのショットは最終的には映画からはカットされたという。

シャワーシーンはソール・バスが演出した?
「サイコ」や「めまい」のタイトルデザインを手掛けたソール・バスが、「サイコ」のシャワーシーンは自分が演出したと主張していることに対して、ジャネットはこれを明確に否定している。7日間におよぶシャワーシーンではすべてのショットに際してヒッチコックが自ら立ち会って演出しており、バスはタッチしてはいなかったという。
 トリュフォーとの対談の中でヒッチコックは「サイコ」のアーボガストが屋敷に忍び込み、階段を上がるシーンはソール・バスに演出させたが結局そのシーンは使わなかったと言っている。ジャネットはこのエピソードは助監督だったヒルトン・グリーンのものだったという。それによるとこのシーンは1月14日に撮影されることになっていたが、ヒッチコックが風邪をひいて休んでしまったので、ヒッチコックの電話の指示でヒルトン・グリーンがいくつかのショットを撮影した。それは「アーボガストがドアから入って、あたりを見まわし、階段を登り始めるところまで」で、事前にヒッチコックが作った詳細なストーリーボードに従ったという。しかしヒルトンの撮影したアーボガストの手や足のクローズアップのラッシュを見たヒッチコックは、これでは殺人者が誰かを殺すために階段を登っていくようだと指摘して、シーンを撮りなおした。映画にはヒルトンの撮影したショットも少しは使われているが、ほとんどヒッチコックの撮影したものである。

ノーマンの母親の声はアンソニー・パーキンスか?
 ノーマンの母親の正体はノーマンであるが、最後まで顔の見えない母親の声をそのままアンソニー・パーキンスが演じてはストーリーのネタがばれてしまう恐れがあった。そこでノーマンの母親の声はパーキンス以外の3人の役者によって演じられている。パーキンスの友人のポール・ジャスミンという声帯模写が得意な男性と、ヴァージニア・グレッグ、ジャネット・ノラン(彼女の夫ジョン・マッキンタイヤも保安官の役で「サイコ」に出演している)の3人である。
 3人の声がかなりつぎはぎされているため、ジャスミン自身も厳密にどこが誰の声なのかは区別がつかないとしている。少なくともノーマンが母親を地下室に連れていく前の言い合いは彼自身の声だと認めている。また彼は最後のノーマンのモノローグはヴァージニアとジャネットの2人の声だとしている。それとラストの地下室でのヴェラ・マイルズの悲鳴には、ジャネット・ノランの悲鳴が重ねられているという。
 ではジャネット・リーの声は吹きかえられなかったのか?例えばあのシャワー・シーンの悲鳴はどうなのか?ジャネット・リーによれば、シャワーシーンの悲鳴は全部ジャネット・リー自身のものだという。

ジャネット・リーはマリオンの第一候補だったか?
 ヒッチコック亡き今となっては彼の真意を知る由もないが、ジャネットがMCAの現会長で当時社長だったルー・ワッサーマン(ヒッチコックととても親しかった)に確認したところでは、出演依頼を初めにオファーされた女優はやはりジャネット・リーだったという。

その他のエピソード
 ジャネットが演じた役名は初めマリー・クレインの予定だったが、フェニックスの電話帳に同姓同名の人物がいたことから、マリオン・クレインに変更された。

 米国のユニバーサルスタジオのサイコツアーでは観光客にシャワーシーンでノーマンの母親が登場した時のショックの反応を得るためにヒッチコックがジャネット・リーに冷たい水を使ったと説明しているという。しかしジャネットによれば水温は常に快適な温度に保たれており、そのようなことはなかったという。
 私も2年程前にロスのユニバーサルスタジオのバスツアーで「サイコ」の館の近くを通ったけど、英語に堪能でなかったのでアナウンスがそんなことを本当に言ったのかどうかよくわからない。残念!

おわりに
 と言う訳で駆け足の紹介だったけど、本当はもっとジャネット・リーの役作りの苦労とか、ヒッチコックの撮影中のエピソードとか、「サイコ」がひきおこした社会現象などもいろいろ紹介したかった。後半に「サイコ」に携った人たちのその後の足取りを丹念に追ったところがあってもちろんジャネット自身のその後も書いてあるんだけど、映画に出演して30年もたっているのに「もしもし、そちらベーツモーテルですか?」なんて電話がかかってくるのはいたずらの度を越していると思う。

 それはさておき本書の完成度だけど、ジャネットの筆のタッチはいまいちやさしすぎて時々突っ込みの足りなさを感じてしまったりして、まったく不満がない訳ではない。でも彼女の見ているヒッチコックや同僚の俳優やスタッフへの視線は高いところから見下ろす批評家のようなものではなく、映画人という同じ業界で仕事をする人たちへの愛にあふれたやさしいものなのがとても好感がもてる。そこがたんなる内幕ものとの違いだろうか。

 この本、そのうち翻訳が出るのかな?「サイコ」の知名度から行くと多分出るんだろうな。まあ翻訳で読んでも十分楽しめると思うけど、洋書の置いてあるちょっと大きな本屋さんならたいていのところにはあると思うので、ちょいとのぞいてみて下さい。写真もわりとのってるし。では。


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96年5月1日作成