海外書籍
 『デイヴィッド・リーン伝記』

 書名:David Lean: A Biography
 著者:Kevin Brownlow

 ISBN :0-312-16810-1
 出版社:A Wyatt Book for St. Martin's Press
 価格:U$24.95
 出版年:1996


<内容>
 もともとは著者のケヴィン・ブラウンロウがデイヴィッド・リーンにインタビューし、それをもとにリーンの自伝を作る企画としてスタートした本だった(つまりゴーストライターということか?)が、リーンの病気と死により、結局は伝記として完成した本。リーン本人や多くの関係者の協力を得て、リーン本人も含めた長時間インタビューや多くの資料を豊富に使い、非常に詳細で説得力のある伝記となっている。本の構成は、生い立ちから『旅情』までの初期作品をつづった前半と、『戦場にかける橋』『アラビアのロレンス』『ドクトル・ジバゴ』といった大作群から死までをつづった後半とに分かれている。特に後半では、リーンが構想しながら幻の企画に終わった数多くの作品が詳細に書かれており、資料的な価値も高い。ここでは特にそれらの企画を中心に本書から紹介しよう。

 まずはインド独立の父マハトマ・ガンジーの生涯の映画化。『インドへの道』のニ十数年前にすでに構想され、『戦場にかける橋』の次の作品として企画されていた。前作に続いてサム・スピーゲルが製作者となり、『日曜日には鼠を殺せ』の原作者エメリック・プレスバーガーが脚本家に選ばれた。調査のためにリーンは実際にインドに行き、ネール首相やその娘インディラ・ガンジーと会ったりもした。映画はガンジーの暗殺の場面から始まり、フラッシュバックで過去に戻るという構成で、主人公ガンジーにはアレック・ギネス、狂言廻し的な人物であるアメリカ人医師にウィリアム・ホールデンが考えられていた。だが途中からリーンと脚本家の関係が悪化し、プレスバーガーが完成させたトリートメントにリーンが不満だったことから二人は決裂。この企画は棚上げになる。気の毒なことに、この間アレック・ギネスはいつ声がかかっても大丈夫な様に二年もの間、他の仕事を引き受けなかったという。

『ライアンの娘』の後では、リーンは一八世紀にオセアニアを航海した英国の探検家キャプテン・クックの生涯を映画化する計画をたて、『アラビアのロレンス』や『ライアンの娘』の脚本を執筆した盟友ロバート・ボルトとポリネシアに調査に出かけた。結局ボルトの書いた脚本は映画化されなかったが、後にリーンがクックを題材にしたテレビ・ドキュメンタリー『失われたものと発見されたもの(Lost and Found)』を作る際の参考にされた。

 またリーンは一八世紀に起こった英軍艦バウンティ号反乱の実話に基づくチャールズ・ノードッフとジェームズ・ノーマン・ホールの小説『バウンティ号』三部作の映画化も検討していた。それまでの映画化では、反乱を受けたブライ艦長は冷酷な人物として描かれていたが、彼を情け深いやさしい人物に描くのがリーンの考えだった。映画は二部作からなる予定で、バウンティ号の出航から反乱、タヒチへの到着までが第一部『法を破る者達(The Law Breakers)』、ピトケアン島での生活から帰国、反乱者の裁判までが第二部『長い腕(The Long Arm)』として構想され、ボルトが脚本を書いた。ブライ艦長にはオリヴァー・リード、反乱の中心人物クリスチャンにはクリストファー・リーブがキャスティングされた。だが興行上の不安から映画は一本にまとめられることになり、しかもリーンは製作者ディノ・デ・ラウレンティスと激しく対立して、結局この作品から手を引いてしまう。企画はラウレンティスによって継続され、オーストラリア出身のロジャー・ドナルドソン監督と、メル・ギブソン、アンソニー・ホプキンス主演で『バウンティ 愛と反乱の航海』として映画化された。

『インドへの道』を完成させた後には、一時SF作家J・G・バラードの自伝的小説『太陽の帝国』の映画化を検討するが、脚本化が困難をきわめたために途中で断念。この作品はスピルバーグの手で映画化されている。

 リーンが晩年に心血を注いで映画化を目指したのが、『闇の奥』や『密偵』で知られるポーランド出身の作家ジョゼフ・コンラッドの長編小説『ノストローモ』だった。舞台は架空の南米の国家コスタグアナ。英国人グールドは、廃坑になっている父の遺産の銀山を復活させ、その莫大な富でコスタグアナを西欧化しようとする。グールドの妻は港湾労働者のリーダーであるノストローモと知り合い、愛し合うようになる。やがて莫大な銀をめぐってコスタグアナに内線が勃発。反乱軍がせまる中、グールドから銀を守るよう依頼されたノストローモは、銀が労働者の生活を守る武器になると考え、銀を船に積んで海へ逃げる。だが銀を隠した後に戻ってきたノストローモに、意外な運命が待ち受けていた……。
 この作品はワーナーで映画化されることになり、リーンの希望でスピルバーグが製作を引き受ける。この時リーンとボルトは疎遠になっていたため、アメリカ版の『危険な関係』の脚本を書いたクリストファー・ハンプトンに脚本が依頼された。配役はリーンのイメージでは、ノストローモが若い頃のマーロン・ブランド、グールド夫人がイングリッド・バーグマンで、実際に役がオファーされたのは、ノストローモがフランス生まれのギリシャ人俳優ジョージ・コリフェース、グールド夫人がバーグマンの娘イザベラ・ロッセリーニだった。コリフェースはピーター・ブルックの舞台で活躍していた若手の演劇人でリーンも気に入っていたが、会社側が無名の俳優を使うリスクを嫌い、後にデニス・クエイドに変更される。他に『シシリアン』のクリストファー・ランバートや『わが命つきるとも』のポール・スコフィールドの出演が予定されていた。途中、脚本をめぐる意見の相違からスピルバーグは製作を降り、ブニュエル作品や黒澤の『乱』で有名なセルジュ・シルベルマンに代わる。一方、ボルトと和解したリーンはハンプトンに代わってボルトに脚本を進めさせる。だが高齢のリーンは脚本製作の途中で心臓発作で倒れてしまう。奇跡的に回復したものの今度は癌が発見され、彼は放射線治療を受けながら、執念でボルトの脚本に手を入れ続ける。この間、自らの死の近いことを悟ってか、リーンは九〇年十ニ月に晩年の伴侶だったサンドラ・クックと生涯六度目の結婚をする。撮影の開始予定は九一年三月からと決められたが、やがて七月開始に延期され、結局リーンは健康が回復しないまま四月十六日に死去する。
 彼が最後まで製作を夢見た『ノストローモ』の脚本は、主人公の死で終わっている。

  ノストローモ、何か言おうとする。グールド夫人、顔を近づける。
ノストローモ「(小さな声で)銀の隠し場所を教えよう……」
  グールド夫人、手で彼の口を優しく覆う。
グールド夫人「いいの。いいのよ。このまま、忘れましょう」
  ノストローモの顔に笑みが浮かぶ。グールド夫人、ギゼルを手招きする。
  ノストローモ、ギゼルの手を握り、空を見上げる。
  ガンの一群が空を飛んでいく。その後を目で追うノストローモ。
  悲しげなはばたきの音が消えていく。
  頭ががくりとくずれる。
  ノストローモ、死ぬ。

 リーンの死と共に『ノストローモ』のプロジェクトは破棄される。ちょうどノストローモの死と共に、莫大な銀が永遠に失われてしまったのと同じように……。
 本書には上記のシナリオ抜粋や絵コンテも収録されており、失われたリーンの作品を忍ぶよすがとなっている。

 索引を含めて809ページの大力作。


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2002年8月20日作成