ミニエッセイ [個人と人生]
Written by 中原 憬
All Rights Reserved. Copyright(C) 2000, 2010, Kei Nakahara
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個人と人生に関するとりとめのない日々の短い雑感です。
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このページに迷い込んだら、これだけは読んでみてね!という自薦ベスト3のミニエッセイに飛びます。
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No.65 なぜ、彼らはそのように行動したのか
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なぜ、彼らはそのように行動したのか。
理解に苦しむ、醜く愚かな行動が世の中には多数ある。
戦争、虐殺、犯罪、いじめ、差別・・・
しかし、大概の答えは、
欲望、怖れ、不安という三要素のどれかを
当てはめれば理解できることに気づいた。
−−−一言でいえば、人の心の弱さから。
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No.64 心の強さ
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欲望をあまり持たず、
怖れをあまり持たず、
不安をあまり持たない人。
つまり、ガツガツせず、どっしりと落ち着いている人。
男子たるもの、そうあるべきですね。
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No.63 人間関係や仕事がつらいときに効く言葉
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相手が身勝手だったり、意見が合わなかったり、誤解されたり、
評価されなかったり、期待されすぎたりするなど、
人間関係がうまくいっていなくてつらいときに効く言葉です。
仕事がつらく、やる気が出ないときにも発奮できます。
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人を相手とせず天を相手にせよ。
天を相手として己を盡くし(つくし)、
人を咎めず(とがめず)、わが誠の足らざるを尋ぬべし
〜西郷 隆盛
「大西郷遺訓」より
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No.62 後悔 III
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年齢を重ねていくとあまり物事に落ち込まなくなって
いっている自分を見つけます。
なぜ、落ち込まないのかを分析すると、こういうことです。
私は、それを誠実にできるかぎり努力してやった。
やるべきことを自分に恥じるところなくやった。だからOK。
誠実に生きてさえいれば、何も恐れることはない、ということです。
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No.61 後悔 II
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稀代の剣豪、宮本武蔵の言葉です。
彼にとって後悔とは切り捨てるべきものだったのでしょう。
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No.60 後悔 I
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詩人にして彫刻家の高村光太郎の作品です。
大自然と一体となって生きる牛の姿に心打たれる作品です。
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牛
牛はのろのろと歩く
牛は野でも山でも道でも川でも
自分の行きたいところへは
まつすぐに行く
(中略)
牛は非道をしない
牛はただ為たい事をする
自然に為たくなる事をする
牛は判断をしない
けれども牛は正直だ
牛は為たくなつて為た事に後悔をしない
牛の為た事は牛の自信を強くする
(後略)
〜高村光太郎
「牛」より
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No.59 正負の法則
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自分が40代になってつくづく実感する人生の法則がある。
それは、美輪 明宏さんが言っている正負の法則なるもののこと。
一言で言えば、人生には、良いことと悪いことが同じだけあるということ。
それは、一種の慰めみたいなものなんだろうと思っていた。
「いまにいいことがあるよ」みたいな。
でも、この歳になると、親戚のおじさん、おばさん達を見送る
ことも増え、他人の一生の全体を知る機会が増えてくる。
あるとき、親戚のおじさん、おばさんたちが集まった写真を見て、
それぞれの人生がどんなものだったろうかと考えてみたことがある。
そこで気づいたのは、幸せな生活や、華々しい成功というものがあれば、
同じだけの挫折、失敗、事故、病気というものが必ずあるということ。
逆に、いま、悲しみや苦しみに満ちているのなら、いまに、
必ず穏やかで平和な暮らしが待っているだろうということ。
よく、芸能人の波乱の人生をドラマ仕立てで紹介する番組があるが、
それを見ても、人生の光と影はワンセットなのだと、つくづく思う。
一見、人生は不公平に見えるかも知れないけど、結局、棺の蓋を覆う
までは何が起こるかはわからない。人生万事塞翁が馬とも言うし。
何が起きても、慌てず、騒がず、歩みを進めて行きたいものだと思う。
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No.58 若い頃の自分に
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10代や20代の頃の思い出は、苦いものが多い。
もし、その頃の自分に会えるものなら、
いろいろ言ってみたいことがある。
そんなことは止めておけとか、そこは思い切って行けとか。
体を大切にしろとか、人を大切にしろとか。
それらの意見は、体験を積んできて大人になった自分が
ようやく言えるようになった、いわば本物の意見だ。
もしも、実際に若い頃の自分を目の前にして、
愛情を込めてその意見を伝えられたとする。
しかし、言ったことがあまり伝わらないで終わるだろう。
あれこれ反駁(はんばく)されてしまったり、
なんとなく聞き流されてしまったり。
そう、きっと伝わらない。
これって、日常の親と子の会話そのものだなと思う。
親は自分の人生の体験から、愛情を込めて
わが子に貴重なアドバイスする。
しかし、子どもは言うことをろくろく聞かない。
人は体験することでしか、成長しないものかも知れない。
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No.57 薄汚れたこの世界で
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この世の中は、悲しみや苦しみに溢れ、おぞましく、醜い。
−−−そう感じることもある。
ならば、この薄汚れた世の中で、自分が守るべきものを見つけ、
それを守っていくことこそが、この生の意義だろう。
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No.56 自分が守るべきもの
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この薄汚れた世の中で、自分が守るべきものは何か。
それは、自分の家族、恋人、友人。
つまり、無償の愛と友情。
そして、それらの周囲の人たちが大事に思ってくれる自分のハート。
つまり、自分の中の善、自分の中の美、自分の中の聖。
「自分のプライド」など、つまらないものを大事に
守っているようにはならないようにしないといけない。
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No.55 人を傷つけること/自分を傷つけること
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人を傷つけることは、すなわち、自分を傷つけること。
それは、業(ごう)という大げさなレベルで考えなくても、
日常の自分の心の状態をていねいに観察すればわかると思う。
たとえば、口げんかでだれかを傷つけてしまったときは、
自分も傷ついてしまっているから、気分が最悪になる。
場合によっては、傷つけられた人よりも、傷つけた人の方が、
心に深い傷を負ってしまうこともある。
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No.54 幸せ
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人を傷つけると、その分、自分も傷つく。
このため、わがままをうまくコントロールできない人は
心が傷だらけになっていることが多い。
その傷の痛みをごまかすために、さらに人を傷つけるという
悪循環に陥りやすい。薬物中毒のように。
それを一生やり続ける人もいる。
自分より愚かな者、劣っている者、不幸な者、反撃してこない者を探し、
常に、そういう人の批評をしたり、悪口を言ったりして傷つける。
それは、冷笑に満ち、楽しいけれど、幸せでない人生。
それは、自分が薄っぺらだとどこかで感じながら生きる人生。
それは、自分の中に棲む劣等感というモンスターの奴隷となる人生。
人生で肝心なことは、相手も、自分も−−−誰も傷つけないこと。
人を大切にすること、愛すること、それがすなわち、幸せ。
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No.53 心の傷、体の傷
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心が傷だらけになっている人の中には、
その傷の痛みをそのまま自分の体に刻み付ける人もいる。
リストカットや、アームカットという形で。
心の傷を、目に見える形にするために。
傷ついた自分が、自分であるために。
抑圧された怒りや悲しみがそこにはあるのだと思う。
解放を求めている自分のなかの一部分を認め、適切に解放してやったり、
傷つけられた自分の中の一部分を認め、適切に癒してやることが必要だろう。
−−−自分を傷つけたい自分。
−−−傷ついた自分を自分に見せつけたい自分。
−−−傷つけられた自分。
すべての自分を認めることが、まず必要だと思う。
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No.52 傷つきやすさ
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傷つきやすい人は、生きづらさを感じやすい。
傷つきやすい人は、対人関係の過敏さから些細なことで
傷ついてしまう。それは、むしろ、自分の言葉によって。
あのとき、ああ言わなければよかった、
あのとき、ああ言えばよかった、と
一人反省会を開いてしまうもの。
でもね。そういう内省的な人が私は大好き。
感受性が豊かということだから。
そういう人が、つらいときにきちんと耐えれば、やがて美しい花を咲かす。
傷つきやすい人は、魂を磨く人になる。
自分の言葉や行為と真摯に向き合う姿勢を持っているから。
傷つきやすい人は、人に「痛み」を与えない人になる。
何が、相手を傷つけるかよく知っているから。
傷つきやすい人は、優しい人になる。
何が、相手を癒すかよく知っているから。
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No.51 思春期 〜人生の嵐
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思春期は、人生の中では嵐の時期だ。
第二の誕生とも呼ばれる激動のこの時期、ティーンエージャーは
自分が何者であるか、人生とは何か、もがき苦しみながら、見定めていく。
体が大人へと変化する中、異性を意識し、恋に恋したり、恋愛をしたり、
他者との比較の中で、自分がどういうふうに見られるか意識しだす。
自意識過剰となり、自分が人より優れている点を探し求める。
自分を飾るお洒落に関心を持ったり、スポーツに打ち込んだり、
受験期でもあることから、勉学に入れ込んだりする。
この時期は、自分の人生の進路がかかっているため、大きな
プレッシャーがかかり、不安になりやすい。
大人を模倣した背伸びをしたり、社会的な規範に反抗する場合も多い。
確固たる自我がまだないため、大人びた態度を真似ることや反社会的な
行動を取ることがもはや子供ではないという贋物の安心感を与えるためだ。
内面では、自分の弱さや醜さと向き合う時期となる。
劣等感が強くなる者もいる。自分を評価する言葉に敏感になる。
他者からどう見られるか意識することで、自我と他我の境が引かれていく。
ただ、具体的には、自分が、明るい性格か、暗い性格か、美人/美男で
あるか、そうでないかということに関心が向きやすい。この世代では、
内面に自信を持つことは難しいため、外見に関心が集まりやすい。
この時期には感性が鋭くなり、内省的になる結果、新しい価値観が登場し、
心の内部でさまざまな価値観のせめぎ合いが起こり始める。
親があまり教えてくれることのなかった新しい価値観、たとえば、犯罪や
金儲けや自殺やセックスに対する強い関心を持つことも珍しくはない。
この嵐によって、内面に関する葛藤は、人生においてピークを迎える。
最も、苦悩し、傷つきやすく、生きづらい時期となる。
恋に悩み、進路に悩み、自分の外見に悩み、あらゆることに悩む。
反面、最も人生の密度が濃く、世界のすべてが新しく見えてきた時期
でもあるため、振り返れば最も輝いていた時期という人も多い。
心が最も柔らかく、最も成長する時期ともいえる。
この大きな嵐をやりすごせば、総体的にみて生きづらさというのは、
ゆるやかに減っていく。恒常的な悩みが減り生きやすくなってくる。
この思春期という人生の嵐が通り過ぎる中で、子供は大人になる。
ティーンエージャーとは、13歳から19歳のことだ。
20歳になれば、社会では、大人とされる。
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No.50 会社における二すくみ
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上司: この仕事に見合う給料だけをコイツには出しておこう。 (ーー;)
部下: この安い給料に見合うだけの仕事を会社でしておこう。 (ーー;)
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No.49 家庭における二すくみ
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夫: 妻がもっと優しくしてくれたら、頑張って働くのだけど。 (ーー;)
妻: 夫がもっと稼いでくれたら、優しくしてあげるのだけど。 (ーー;)
もらえたら、与えるというのは、愛ではないんですよね。
取引です。
最近自分が憂鬱だとしたら、それはよい取引がないからなのか、
愛が枯渇しているからなのか、わかるようになることは大切だと思います。
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No.48 助けてくれるもの
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子供が困っているとき、たとえばお腹が空いたときに、
親が料理をして手間ひまかけてご飯をつくってあげれば、
それは親に助けてもらったということになります。
お金をあげてコンビニでおにぎりを買わせれば、
それはお金に助けてもらったということになります。
前者は、親に対する信頼を深めることでしょう。
後者は、お金に対する信頼を深めることでしょう。
いまの世の中、お金を出せば、あらゆるサービスを受けられ、
さまざまな商品を購入することができます。
人の絆の弱くなりがちな世の中です。
お金に助けてもらってばかりいた子供は、親が老いて動けなく
なったときに、自分たちで世話をしようとせず、
お金で解決しようとするかも知れませんね。
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No.47 打ちのめされたとき
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打ちのめされたとき−−−
人に助けてもらえれば、他人に対する愛と信頼を得ることでしょう。
打ちのめされたとき−−−
自力で這い上がってくれば、自分に対する自信と信頼を得ることでしょう。
いずれにしても、そのことから逃げさえしなければ、同じものか
それ以上のものを得られるということになるのだと思います。
古人はよく言ったものです。「艱難(かんなん)、汝を珠にする」と。
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No.46 受け入れること
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何かを批判したくなる気持ち、大体それは自分の弱さから来ている。
本当にそれが悪いかどうかはさておき。
たとえば、政治が悪い。時代が悪い。不況が悪い。会社が悪い。上司が悪い。
学校が悪い。先生が悪い。親が悪い。夫が悪い。妻が悪い。子供が悪い。
まず、何者も否定しないで、受け入れることから始めようと思う。
そのことが自分を肯定することにつながっていくのだろうから。
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No.45 子供と大人と世界の中心
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この世の中というものは、生まれ落ちたままだと、
自分が世界の中心にいると感じるようにできている。
私のお腹が空けば、私がひもじい。
相手のお腹が空いても、私はひもじくない。
私が怪我をすれば、私が痛い。
相手が怪我をしても、私は痛くない。
−−−わからないのである。自分のことしか。
相手のことは想像しないかぎりわからない。
世間にも揉まれ、社会性を獲得していく過程で、はじめて
相手の立場に立ってものを見るということを覚える。
それができるようなって、社会で一人前とみなされる。
子供は、基本的に自分のことしか考えない。
自分が最高、自分が中心なのだ。しかし、自我の芽生えはじめた
思春期の子供は、自分より優れた同級生を見つけ、ふと気づく、
自分がこの社会では何ら特別な存在ではないことに。
自分だけがこの世界の中心にいるわけではないことに。
そのことが受け入れられない子供は、社会は自分を縛り付ける存在
だと感じ、社会のルールをわざわざ無視する行動を取るようになる。
先生や親を敵視したり、反社会的な行動で「自由」を感じようとする。
私が中心、私が王様なのだ。王座から引きずり下ろされてなるものか。
誰も私に命令するな。私がやりたいことをするのだ。
多かれ、少なかれ、誰もが体験するこの時代をくぐり抜けると、
ようやく大人の仲間入りとなる。
自分だけが世界の中心にいるのではなく、誰もがそれぞれ世界の
中心にいるということがわかることが、大人になるということだろう。
そのことを理解しないまま、わがままを通していると、
文字通り、自己中心的な人と言われてしまうようになって
幸せの少ない一生を送ることになってしまう。
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No.44 過去に囚われずに
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ある日レストランでランチを注文した時に、ごはんを大盛りに
しますかと尋ねられました。瞬間、食べたいという気持ちと、
食べるべきではないという気持がコツンと衝突しました。
うーん、お腹いっぱい食べたい。しかし、食べると太るし健康に良くない。
一瞬の後には結論が出て、普通にしてくださいと返事をしました。
食事は予想より量が少ないものだったため、ああ、大盛りにすればよかった
と後悔しました。しかし、きっと、もし大盛りを頼んでいれば、ああ、食欲
に負けて大盛りなんか頼んでしまったと後悔したのだろうなとも思いました。
結局、どちらを選んでも私は後悔していたことに気付いたのです。
人生にも同じことはあるのではないかと思います。
人生にはひとつしか道を選べない岐路にさしかかるときがあります。
もし選択した結果が不本意なものだったとしても
あのときああしていれば、という後悔が必ずしも
常に正しいものとは言えないのでしょう。
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No.43 過去の自分、今の自分
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必要以上の後悔は、過去の自分への信頼を突き崩す行為です。
自分を虐めて(いじめて)苛む(さいなむ)ようなものでしょう。
そのときの自分がそうだったのだから仕方ない、と諦めましょう。
そのときの自分よりも今の自分がそれほど利口になっているはずは
ないのです。結果論でものを言っているだけでフェアでありません。
それに、人間失敗しないと成長しないのですから、仕方ありません。
過去の失敗をいつまでも愚痴愚痴と繰り返して、自分自身を傷つけて
いる今の自分は、過去の自分と比べて、エラいものでしょうか?
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No.42 ありのままに
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人の悩みは、アクセルとブレーキを同時に踏み込んで
しまうことで多く起こる気がする。
まず、そんな姿をありのままに捉えることか。
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No.41 いつの時代でも、どこの地域でも
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物事を考えるときに、よく自分に尋ねること。
自分が、どの時代に生まれても、
自分が、どの地域に生まれても、
果たして、いまここの自分と同じ判断をするかということ。
自分であり得ているか、ということ。
時代ごとに異なる常識や偏狭なナショナリズムに囚われていないか。
過去の時代の自分、未来の時代の自分と比べて、
現在の自分がずれていないか。
知識や言葉や常識に囚われていないか。
自分が自分であるか。
自分の本質を見失っていないか。
流されずに立っているか。
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No.40 人生の目標
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人生の目標というのは、独立することだと思う。
あらゆることから。
それが、自己を確立するということだろう。
一言で言えば、立つということ。
自分が自分であればあるほど、世界はよりクリアに見れるはず。
−−−美しい世界を見たい。
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No.39 心の境界
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ふと,思った。
この心の外側には何があるのだろう?
ひとの心を内と外に隔てているものは何だろう?
こころは光が当たっているところなのではないかという気がする。
薄闇の世界の中の一つの光。
光は蝋燭のように世界を照らし,その光で照らされた
部分が認識される。
世界は,光が強ければ遠く広く見える。光が弱ければ,
目の前のものしか見えない。
心とその外側には結局,隔てているものはない。
みなつながったひとつの世界。
ただ,見えるか,見えないかの違い。
意識の在り方で,何を照らすかによって,世界の見え方が異なる
・・・ような気がする。
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No.38 人生
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人生は,ゲームにしては長過ぎる。
人生は,真剣勝負にしては短過ぎる。
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No.37 三段論法
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高い技能を発揮するためには,「集中力」が必要である。
集中力を維持するためには,「気合」が必要である。
気合を維持するためには,「根性」が必要である。
つまり、大切なものは根性である。
なぜか、文系の私が辿り着いた結論。
何かを成し遂げようと思ったら、根性が必要でしょう。
(「継続」というと文系っぽいかな?)
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No.36 良心の残酷さについて
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(このエッセイは、ミニエッセイ[恨みと赦し]に移動しました)
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No.35 甘い毒の果実
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人を批判しないで生きていけたら、とよく思う。
人を批判することは、甘いが毒のある果実を食べることだ。
人を批判する人間は、切れ者で、物知りで頭がいいように思われる
自分も錯覚するし、周囲も錯覚する。
他人の欠点やあらを探すことは実に簡単だ。
人を批判すれば、自分の位置が相対的に上がる。
しかし、実際は何も創り出していないし、何も行動していない。
口を出しただけ。結果論を言っただけ。
その人は何も努力をしていない。
人の噂話、批判、悪口を言うことほど楽しいことはこの世にない。
人を批判すれば、優越感という快感を得ることができる。
しかし、それは大量に食べてはいけない甘い毒の果実だ。
やがて、毒が全身にまわれば、他人を嘲笑い、他人の不幸を歓び、
他人の失敗を歓迎する、嫌味で口だけの人間になる。
他人を下げることでしか、自らの優越感を感じられない人間、
他人との比較の中でしか、自らの存在価値を
確認できない人間になり下がってしまう。
中毒にもなれば、常に嘲笑うべき対象、弱者、変人、馬鹿者、田舎者、
失敗した人、不幸な人、日陰者、敗残者を自ら探し求めるようになる。
要するに見下す人がほしいのだ。
まず、この甘く腐った果実を嗅ぎ分けられるようにならないといけない。
この甘い毒を食べ過ぎると醜い姿になる。
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No.34 快感と幸せの違い
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快感は、カラダが求めるもの。
幸せは、ココロが求めるもの。
快感は、お金で直接買える。
幸せは、お金で直接買えない。
快感は、すぐに去ってなくなる。
幸せは、ずっと心に残る。
快感とは、走る悦び。奪う悦び。壊す悦び。屠る悦び。吼える悦び。獣の悦び。
−−−背徳なものほど、快感を感じさせる。
幸せとは、佇む悦び。与える悦び。創る悦び。生む悦び。ささやく悦び。天使の悦び。
−−−清純なものほど、幸せを感じさせる。
快感と幸せの見かけは似ている。
幸せを追い求めているつもりで、
気が付くと快感を求めていることは多い。
人生で、快感だけを集めても、あとには何も残りはしない。
人生で、本当に探し求めるべきものは幸せだろう。
自分とは、カラダではなく、ココロだから。
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No.33 本物とニセモノ
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人生で、人が本当に欲するものがある。
それは、他人から眼差しを向けられ、認められることだ。
何者かになりたいという願望のことでもある。
そのことを達成するがために、人はさまざまな方面で努力する。
その代償として他人からの承認を得て、生きていく。
逆に、他人からの承認がなければ、人の心は荒んで堕ちていく。
そのとき、本物が手に入らない代わりに、ニセモノを集めて
それにすがって生きていこうとする人もいる。
ニセモノを手に入れるのは簡単だ。
他人の欠点を探し、批判をし、あざ笑うだけで手に入る。
それだけで、まるで自分が高いところにいて、自分が褒められた
かのような甘い錯覚を得ることができる。そうではないのに。
実際は、相手を下げることで、自分が上がるように錯覚しているだけ。
しかし、それでは、何も創っていないし、結局何者でもない。
手にしているものは本物ではなく、ただのニセモノ。
ニセモノはいくら集めても、本当の心は満たされないし、
逆に、不安と負い目をその人の心に呼び込んでしまう。
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No.32 感受性の鋭さ
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感受性が鋭いと、この世では悩みも多い。
些細なことに、心を煩わせてしまいがちだ。
特に、人間関係で悩んだり、軋轢を感じたりしやすい。
孤独に陥りやすく、コンプレックスを持ちやすい。
しかし、感受性が鋭いことによる天恵もある。
芸術などの美しさに陶酔できることだ。
美しいものを美しいものとして捉えられることだ。
例えば、美しい音楽による陶酔は、その分甘美だ。
魂が震えるようなさざなみが心に溢れる。
「星の時間」という至高の時間を持つことができるはずだ。
要するに、よく見える目を持っているということなのだから、
何を見るかということを心得ることが大切。
−−−美しいものをみるか、醜いものをみるか。
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No.31 「隣りの芝は青い」
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元同僚の女性が4人集まったとき、こんな会話があったそうな。
一人は、結婚後、会社勤めを続け、毎日遅くまで残業ばかりで自分の時間が
持てないことを嘆き、
一人は、結婚後、二人の子を持つ専業主婦となり、育児に専念するばかりで
社会に取り残されていっているような不安を嘆き、
一人は、結婚後、フリーランサーとなったが将来のことを考えるときちんと
会社に就職しなければいけないかという不安を嘆き、
一人は、結婚後、子供のいない専業主婦となり、時間を持て余しこのままで
いてはいけないという焦りを嘆いている。
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「隣りの芝は青い」とはよくいったもの。
理想の生活の実現はなかなか難しいですね。
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No.30 コップの水
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コップに水を入れる方法は無数にある。
自分で立ち上がって台所の蛇口をひねるか、
家族に声をかけてコップに水を入れてきてもらうか、
友人にコンビニでミネラルウォーターを買ってきてもらうか、
コップを外に出してひたすら雨が降るのを待つか、
仲間を誘って旅行に出かけて名水を汲みに行くか、
ネットのオークションで南極の氷を手に入れてそれを溶かすか。
これと同じで、あなたの悩みを解決する方法もきっと無数にある。
あなたの悩みも、考え方を変えると以外に簡単に
解決への道が開かれるかも知れませんよ。
そのためには、誰かに相談するのが効果的です。
いろいろな視点を提供してくれるから。
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No.29 劣等感について
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自分が他人より劣っているのではないか、と
悲しくなるときは誰にでもあります。
でもね。地球上には、人が約60億人もいることを
考えると少しは気がラクになる気がしない?
60億人もいたら、隣りの人に比べて何かに劣等感を
持つなんて、ほとんど意味のないことだと思うよ。
問題は、どうであるかではなく、どうなりたいか、だよ。
つまり、志(こころざし)。
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No.28 孤独について
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温かな光りを浴びている時間に、植物が生長するように、
独り静かにものを考える時間に、人の心は成長する。
皆でわいわい騒ぐのも大切だが、独りになる時間も大切。
内面との対話は、後の人生に真の実りをもたらす。
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No.27 見る角度を変えるということ
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「愛する人を亡くした人の為の100の言葉」を読んだ方から
このホームページを読んで救われました、人生が変わりました、という
とても嬉しい感想を頂くことがあります。
有り難い限りです。でも、私は「事実」を変えたわけではありません。
何も「事実」は変わっていません。でも「現実」は変わったようです。
そう、読んだ方のものの見方が変わっただけです。
視点と受け入れ方が変わっただけです。
ひとは見る角度を変えるだけで、自分を救ったり、自分の人生を
変えたりできるということなのでしょう。
私は、単にものの見方を提供しただけなのです。100の視点を。
あなたが、見たかった世界を見えるような場所を教えただけなのです。
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No.26 心の素材
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心の素材は、自分も他人も同じ素材でできている。
だから、他人の心を理解することができる。
どこで読んだか分からないけど、誰かがこう言っていた。
「他人の心に共感する能力は、人の最も大切な能力である」
この意見に賛成。
人の気持ちが分からないと、その人の人生は
無味乾燥なものになってしまうと思うな。
さまざまな角度、立場からものを見ていけるように心がけていきたい。
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No.25 伝えること
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たとえば、会社で書類を作成すること。
たとえば、会社で電話をかけること。
たとえば、会社でメールを打つこと。
たとえば、駅で携帯電話をかけること。
たとえば、恋人にプレゼントをすること。
たとえば、演劇を観ること。
たとえば、家族団欒をすること。
たとえば、ホームページを開設すること。
たとえば、友達と電話で話すこと。
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−−−−これらは、みんな伝えるという行為。
ひとは、伝えるために生きているのかな。
最初からひとつだったら、こんな行為はないのだろうな。
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No.24 蚊のいのち
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部屋の中を飛んでいた蚊を反射的にはたき落とした。
『地球が温暖化して、日本が亜熱帯の気候になったときに、君たちは
悪性の伝染病を媒介して多くの人の健康を害するようになるだろうから、
君たちに罪はないが、悪いが死んでくれ。成仏してくれ』と内心、罪の
意識に駆られながら思う。きっと蚊が聞いても分からないだろうが。
その後、夕食の惣菜にカキフライを買ったが、多く買ってしまい捨てる
ことにした。−−−−その時に思った。このカキだって、捕まるまでは
生きて、海の底で楽しい人生(?)を送っていたのだ。それも、食べも
しないのに殺してしまい、意味もなく捨てるなんて。
蚊に対して罪の意識を感じておきながら、カキに対して何も
感じていなかった自分を見つけた。
人が生きていくためには、多くの命を食物として取り込んでいかないと
いけない。他の命によって生かされているのだから、そのことをきちんと
認識して、食べ物すなわちいのちに感謝し粗末にしてはいけないだろう。
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No.23 小鳥にできること
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雨と突風の吹き渡る嵐の日、一羽の小鳥が
風に逆らって飛んでいた。
一旦、風に飛ばされてしまうと、どこに叩き付けられても
おかしくはないような強い雨風の日だった。
唸るようなすさまじい風の中、心配していたとおり、小鳥は
一瞬の突風に翻弄され、川面に叩き付けられてしまった!!
でも、次の瞬間には再び空中に舞い上がり風に向かっていた!
その後も何度も突風に吹かれ、小鳥は川面に叩きつけられていた。
その度に、小鳥はすぐに舞い上がって、逆風に向かっていった。
やがて、風が弱くなったときに、小鳥は思い通りの方向に
飛ぶことができ、姿が見えなくなった。
人間も、あんなふうに、叩きつけられても、叩きつけられても
めげずに立ち直っていければ良いのに。
どうして、人間はあきらめてしまいがちなのだろう?
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No.22 人にできること
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道を歩きながらユニセフに募金をすべきか悩んでいた。
軒先のかごの中の小鳥が目に入った。
この小鳥は仲間が死に瀕していても、分からないかも知れない。
しかし、人は地球の反対側の人々の困窮も知ることができる。
この小鳥は仲間が死に瀕していても、何もできないかも知れない。
しかし、人には助け合って彼らを助ける世界的な仕組みがある。
人として生まれたこと、そして、人としてできること。
お互いを助けることは、人に許された価値ある機会なのかも知れない。
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No.21 この世の中に失望したとき
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ある程度感受性の強い人なら、この世界の汚さに気付いたり、
自分の汚い部分に気付いたりして、世の中が嫌になることもあると思う。
でも、同じ分だけ、この世界には美しいものもあること、
そして、自分の中にもそのような世界に共鳴を感じている
高くて美しい部分があることを知ってほしい。
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No.20 好きな色
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好きな色はと聞かれたときに、「透明」と応えていた時分があった。
何ものにも染まりたくなかった。
ただ、自分自身に正直でいたかった。
すべての色を映しながら、それでいてそのものは何ものでもない存在に憧れていた。
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No.19 葛藤
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人は葛藤(かっとう)することで良心が鍛えられる。
人生は葛藤するためにあるのかも知れない。
瞑想するだけで悟りを得られます、なんていうのは信じない。
少なくとも私には合っていない。
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No.18 親不孝の原因 I
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人は生まれてから2歳くらいまでの記憶がほとんどない。
この間、親は出産をはじめ自分の生活を犠牲にして必死の思いで育児をして
くれているのだが、子供はそれを覚えていない。残念なことに、子供にして
みたら覚えていないものは存在していないことと近い。
また、その後も子供は生まれたときから親に面倒を見てもらっている
ので、それが当たり前としか感じられず、特に恩を感じる訳ではない。
これが構造的な親不孝の原因だろう。
子供が親になって、はじめて親の愛情と苦労を知る。
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No.17 親不孝の原因 II
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思春期の頃の反抗期というものは、極めて本能的なものだと思う。
生殖活動できるようになれば、いつまでも親元にいることは、
種の繁栄の可能性をスポイルすることであるから。
個体として体が完成し、繁殖力を得たのなら、種の存在を系列的、空間的に
広げることが、個体の使命となる。
そのような意味では、この時期の親子喧嘩も、遺伝子に組み込まれた
プログラムの現われとみることができるのだろうか?
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No.16 おばさんに到る三段階
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第一段階。人の噂話をよく口にするようになる。
第二段階。人の批判をよく口にするようになる。
第三段階。人の悪口をよく口にするようになる。
失礼!!!皆さん、実年齢がいくつであっても、
精神的に若く美しくあってください。
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No.15 おじさんに到る三段階
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第一段階。人の間違いを指摘したがる。
第二段階。自分が間違えていると気づいても笑って誤魔化すようになる。
第三段階。自分が間違えていると気づいても怒って誤魔化すようになる。
失礼!!!自分を偉く見せようと思っちゃだめですよね。
そうかどうかは、周りが決めることですから。
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No.14 自分はダメ、と思ったときに
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自分はダメ、と思った瞬間がチャンス。
自分の弱点に気づいたということだから。
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No.13 変化
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人は人生の流れを緩やかに下るに連れ、人格が少しずつ変化していく。
成熟していくといっても良いだろう。
若い頃は、さまざまな要素がうまくなじんでなくて、自分をうまく
コントロールできなかったり、他人を傷付けてしまったりするけど、
歳をとるとそんなことも減って、何もかもなじんでくるのだろう。
ただし、歳をとることで臭みがでてしまうこともときにはある。
欲望という雑菌が入るとありがちになるのではないかな。
そうならないようにうまくやっていきたいものだ。
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No.12 完全ではない存在
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人が完全ではないのは、お互いを助け合うためだろうか?
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No.11 光と影のように
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人から誉められるのは、実は、私は、好きではない。
同じだけの妬みが集まるから。
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No.10 自戒
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人から責められたり、嫌われて心が弱ったときには、
自分が人を責めたり、嫌ったときのことを
思い出さないといけないだろう。
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No.9 欲望と悟り
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コンプレックスが大きな成功へのバネとなるように、
欲望が悟りへのバネとなるかも。
どちらの場合も必要なことは、本当の自分を知り、
自分が自分であること。
そして憬れる(あこがれる)こと。
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No.8 性欲
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他人の性欲というのは、とかく醜く見えるものだ。
自分のものはさておき。
しかし、性欲を抜きにして人間と文化は語れない。
第一次性徴による性欲の変化が、子供と大人の境目となる。
内なる衝動に気付いてしまう時期、それは思春期と呼ばれる。
それは、欲望との葛藤の始まりであり、
新たな異性への希求の始まりであり、
生まれ来る命の誕生に意識が向かうことであり、
人の由来と存在について、考えることである。
こうして、子供はさまざまな命題を自らの内側から
つきつけられて、大人の世界に踏み込んでいく。
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No.7 はじめの一歩
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人間は自分を外側からみてくれる他者との付き合いにおいて、
自分自身の心のかたちを知る。
そして、自分自身の心のかたちを知ると同時に、他者にも、自分と同じようにこころが
あるということを学んでいく。
これが人生で学ぶことのはじめの一歩だと思う。
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No.6 デジタル派とアナログ派
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あなたはデジタル派ですか、アナログ派ですか、という質問がある。
この質問自体が、人間を二分するデジタル的な発想そのものなんだけどな。
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No.5 この世で一番大切なもの
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たしか、中原中也のものだったと思うがこんな話がある(少し枝葉が違うかも知れない)。
ある大人が子供に向かって、明日この飴をあげるよ、と約束した。
子供はとても楽しみにして、明日を待った。
しかし、翌日大人は、飴はもうない、と言った。子供は大人を非難した。
すると大人はこう言った。
君は最初から何も持っていなかったし、いまも何もない。だから何も損をしていない。
子供は反論できなかった。
しかし、実は子供はこの世で一番大切なものを失ったのだ。
人を信用するという心を。
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No.4 日本人と万引き
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日本では万引きをすると非常に重大な犯罪として扱われ、人間性を疑われる。
自分の子供が万引きをしたら、親は嘆き、悲しむだろう。
しかし、その親は平気でキセルをしたりする。
列車運賃なら、ごまかしてよくて、スーパーマーケットの商品なら、
ごまかしてはいけないのだろうか。どのように違うというのだろう。
あるいは、さらに高価なソフトウェアを違法コピーして平然と使っていたりする。
結局、こういうことだ。
ばれなければ、よい。非難されなければ、よい。
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No.3 日本人と置き引き
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日本人が海外に旅行する際には、置き引きを始めとする盗難に気をつけろ、と言われる。
このとき、まるでその国に住んでいる人達の人間性が低いというような論調にであうことがある。
これは違う。人間性は皆同じだ。
ただ、貧しているか、貧していないか、飢えているか、飢えていないか、の違いだ。
日本だって、戦後の混乱期には畑泥棒が横行したという。
どこかの国民だけ人間性が高いとか、低いとかいうことはない。
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No.2 親の性格と子供の性格
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人の性格というのはかなり親の影響を受けるものだと思う。
その中でひとつ気付いたことがある。
親が過保護でてきぱきしているほど、子供がその分ぼんやりとした子になる、という関係だ。
一般に言う長子と末っ子の性格の違いもそこからくるものだろう。
長男、長女はおっとりとおとなしく、末っ子は抜け目なくしっかりしているものだ。
長子は初めての赤ん坊で猫可愛がりされるが、末っ子は写真もなかなかとってもらえない。
親が身近にいてあれこれ世話を焼くと、子供は何も考えなくてもよい、自分で判断しなくてよい
という世界に対する態度が身につき、その分、自立心が損なわれるのだろう。
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No.1 上の次元
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もし二次元上に生きている生物があれば、その生物は平面上に生きているのであり、
上とか下とかいう概念がない。もし、上から呼びかけたらどこから
呼ばれているのか見当もつかないのだろうな。
きっとこのことは三次元に生きている私たちにも当てはまるに違いない。
私たちにとって、「上」の方向とは、それぞれの心の奥底に向かう方向に違いない。