付録D 正しさと美しさの違いについて
by Kei Nakahara










正しさと美しさの違いについて





 人の生き方としての「正しさ」を考えるとき、次のことを意識する必要があります。
それは、何にとって正しいのか、 どういう範囲で正しいのか、ということです。
 −−−−なぜなら、「正しさ」はときに、あなたの人生を無味乾燥なものにさせ、
ときに、あなたをあなた自身から遠いところまで押し流してしまうものだからです。

 きっと、あなたは急にこんなことを言われても、納得しかねることでしょう。
 −−−−「正しさ」はこそは人の道であり、「正義」こそは社会秩序のおおもとで
ある、という主張をすることでしょう。
 そう、あなたの考えはまったく「正しい」ものです。その事実には反論の余地はあ
りません。

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 しかし、例えば次の事実を考えてみてください。  現在、いかに「正義」の錦の御旗のもとに、人殺しを楽しませるテレビ番組が氾濫 しているかを。子供番組のヒーローものから、時代劇まで、クライマックスには敵の 大殺りくショーのオンパレードです。  まるで、自分の「正しさ」を証明するためには相手を抹殺せよ、といわんばかりで す。  はたして、これはテレビの見せる絵空事でしょうか。  ・・・・いいえ、事実、人間はそのとおりに行動してきたのです。  人間の歴史を俯瞰すれば、争いが決して止まなかったことに気付くでしょう。いつ の時代でも、人間は武器を手にし、自らの「正義」を守るために、我と我が身を争い に投じてきたのです。相手を抹殺し、自らの「正しさ」を勝ち取ってきたのです。  争いは常に「正しさ」を賭けて争われるのですが、人間にとって不幸なことに、お 互いの信じる「正しさ」は、常に食い違っていたのです。こうして人間は、高度な知 性を持つ種であるに拘らず、その歴史を血に染め上げてきました。  人間の信じている「正しさ」とは、一体何でしょう。  人殺しに許可を与える「正義」とは一体何でしょう。  通常の社会では、殺人は重刑に処されます。しかし、戦場では敵を多く殺せば英雄 です。敵であろうと味方であろうと命の重さに変わりはないはずなのに。−−−−ど うして、このように人間の都合によって「正しさ」が変化してしまうのでしょうか。
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 人間は牙や爪を進化させる代わりに、身を守るための知識をつけました。これが、 「正しさ」の系譜です。  真理は人間にとって「正しい」ものです。しかし、「正しさ」は真理にとって必要 ありません。人間が意識していようといまいと、真理は厳然と存在します。  人間が自分の主張を真理になぞらえたいときに、「正」という概念は利用されてき たのです。そのことが、人間が社会を構成するために、集団の統制をとるために、必 要だったのでしょう。  だから「正しさ」の大半は、集団を構成している人達の共通利益によって決まりま す。  あなたは、生まれてからさまざまな教育を受けてきたことと思います。この教育の 大半は、その文化、社会だけで通用する約束ごとに過ぎないのです。  例えば、言語は全部約束ごとです。別に、愛のことをL−O−V−Eと綴る必然性 はありません。そう決めておかないと、コミュニケーションの効率という集団の利益 が失われるから決まっているだけです。この約束を知らない人にはただの記号です。 しかし、音楽を始めとする芸術を考えてみてください。そこに文化の壁は存在しませ ん。それは、こころあるもの全ての内に響くのです。
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 「正しさ」は相対的なもので、変化していきます。それは人間の価値です。しかし、 「美しさ」は絶対的なものです。それはものの本質です。
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 あなたが、独り自然と向き合うとき、あるいは音楽を始めとする芸術に触れるとき、 「正しさ」は、その形(なり)を潜めるでしょう。その時、あなたは「正しさ」という、 知識から、常識から、既成概念から、固定観念から抜け出し、自由になります。  あなたは、独りのときに何に従って生きるのですか。  もし、世の中に名誉もなく、世間体もなく、義理もなく、見栄もなく、地位もなく −−−−ただ、独りで生きていたとしたら。  その時、愛情に気付くのかも知れません。  その時、夢に気付くのかも知れません。  その時、何か見失っていた大事なものに気付くのかも知れません。  −−−−必要なことは、自分自身を知ることです。  自分自身に近づくことにより、「美」は見えてきます。(ただし、同じだけの「醜」 も見ることになりますから、ずいぶん苦しむことになるでしょう)  「美」を求めることとは、自らの内的必然に従って歩くことです。
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 あなたはなにものですか。あなたの中にあなたの風儀はありますか。  もし、世の中にたった独りでも、あなたはあなたでいられますか−−−−。


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