●飯田譲治『NIGHT HEAD Deep Forest』(角川文庫)解説


   解 説


                                  大森 望

 一九九二年十月九日午前零時四〇分。フジテレビ系列で一本の連続ドラマがひっそりと
スタートした。第一話のタイトルは「REAL PSI ―念力―」。脚本・監督は飯田譲治。

  人間は脳の容量の70パーセントを使用していないといわれている。
  人間のもつ不思議な力はこの部分に秘められていると考えられている。
  その使用されることのない脳の70パーセントは、こう呼ばれることがある――

 このテロップにつづいて、ドラマの題名が画面に浮かび上がる。

  NIGHT HEAD

 九〇年代を駆け抜けた超能力者たちの物語は、その瞬間、こうして幕を開けた。「NIGHT
HEAD」。この奇妙な造語は深夜番組視聴者の夜の脳≠ノするりと入り込み、謎めいた設
定は彼らの好奇心を刺激した。当時ほとんど無名だった豊川悦司、武田真治の二人を主役
に起用した「NIGHT HEAD」は次第にカルト的な支持を集め、九二年のクリスマス・イヴに
は特別編「THE OTHER SIDE」が放映されることになる。
 一九九三年三月一八日、「ミサキデマツ」という謎のメッセージを残してTVシリーズ
が終了したあとも「NIGHT HEAD」人気は衰えを知らず、一九九四年十一月には「THE TRIAL
―審判―」が東宝洋画系で公開されている。

 サイ能力という、ある意味では使い古された題材を選び、精神文明VS物質文明のおなじ
みの二項対立に基盤を置きながらも、「NIGHT HEAD」は伝統的な超能力SFのコードを自
由奔放に逸脱し、あらゆるレベルのあらゆる物語を貪欲にとりこみ、成長していく。
 双海祥子の予言する変革≠ニは、アーサー・C・クラークが『幼年期の終わり』で描
いた人類の進化にほかならない。また、霧原兄弟の両親のエピソードに見られる現実改変
のモチーフは、フィリップ・K・ディックの現実崩壊感覚に通じる。この種のSF的なイ
メージばかりか、「NIGHT HEAD」は従来のSF小説では鬼門とされてきた神秘主義/宗教
的イメージまで吸収し、社会システムや環境問題にまで言及する。イースター島の古代文
字、サイオニクス抑制薬、結界、ユング心理学、2万年以上前の超古代文明、スエーデン
ボルグ的な精神世界、マインドコントロール、仮想現実……雑多なモチーフを次から次へ
と呑み込む「NIGHT HEAD」の旺盛な食欲には茫然とするしかない。ハードサイエンスと疑
似科学、精神分析とオカルト、宗教と政治が違和感なく同居し、しかも不思議なことにリ
アリティを失わない。さまざまな矛盾や対立を抱え込んだまま疾走する霧原兄弟の物語は、
現代そのものの写し絵でもある。(その意味では、九六年から九七年にかけて爆発的なブ
ームを巻き起こした「新世紀エヴァンゲリオン」は、「NIGHT HEAD」がやったことをアニ
メの世界で反復したのだと言うこともできるだろう。余談ながら、碇シンジと渚カヲルの
関係は、本書における直人と聖司の関係によく似ている)。

 本書『NIGHT HEAD DEEP FOREST』は、《小説ASUKA》1号から4号(一九九四年六
月〜一九九五年七月刊)にかけて連載され、九五年十二月に単行本化された、シリーズ完
結編である。
「NIGHT HEAD」生みの親である飯田譲治自身が手がけた小説版としては、ほかに、TVシ
リーズのノベライズが四冊(1は九三年十一月、2は九四年三月、3は九四年六月、4は
九四年九月に初版刊行)、劇場版のノベライズが一冊(「NIGHT HEAD 5」九四年十一月
初版刊行。以上、いずれも現在は角川文庫に収録)あるが、本書は最後のNIGHT HEAD
であると同時に、はじめてのオリジナル小説ということになる。

 タイトルのDEEP FORESTとは、もちろん、霧原兄弟が十五年間閉じこめられていた群馬の
森を指す。TVシリーズ第一話の冒頭が森のショットだったことを思い出すまでもなく、
シリーズを締めくくるにはここしかないという舞台だろう。しかし、人間の脳の中に広が
るインナースペース、内なる宇宙の物語でもある「NIGHT HEAD」にとって、森の持つ意味
はそれだけではない。
「いくら知ろうとしても、森の奥にはたくさんのものが潜んでいる。つかみきれないなに
かがたくさんうごめいている」という森は、直人と直也の心の奥底に横たわる闇にほかな
らない。

   自分の中にも森がひとつある、と霧原直也は思った。暗く、奥深く、誰が住んでい
  るかわからない森。物陰からなにが飛び出してくるかもしれない森。出口を求めて進
  んでいけば、いきなりガケっぷちに立たされてしまうかもしれない怖い森が。

 だとすれば、「NIGHT HEAD」は、そもそもの最初から森をめぐる物語だったのだと言う
こともできる。それはおそらく、高村薫の『マークスの山』に出てくる暗い山と同一のも
のだろう。外宇宙とおなじ、あるいはそれ以上の広がりを持つ内宇宙。「NIGHT HEAD」は
そのフロンティアを開拓しつづけてきた。

 本書に収録されている最初のふたつのエピソードでは、霧原兄弟が外の世界に踏み出す
前、TVシリーズ以前にあたる研究所での生活が描かれる。
 二人を外敵から守ると同時に、結界によってその内部に封じ込めていた森は、兄弟にと
ってやさしく守ってくれる揺りかごであり、憎むべき檻でもあった。その揺りかご/檻へ
と侵入してきた外部の存在が、ふたつのエピソードのモチーフとなる。最初は美しい三姉
妹、次には快活な青年。もちろん彼らの心の中にも森があり、直人と直也はその能力によ
って、否応なくその森と対面することになる。
 そして、本書巻末に置かれた三つ目のエピソード、文字通り「NIGHT HEAD」シリーズの
掉尾を飾る物語では、TVシリーズと劇場版が幕を閉じたあとの霧原兄弟が描かれる。行
く手に待ちかまえるあまりにも大きな運命の前でとまどう兄弟は、まるでそうするしかな
いように、少年期を過ごしたあの森へと帰還する。ゆりかごだった森は、見知らぬ人間た
ちによって見違えるような変貌を遂げている。だが、それにもかかわらず、外界で悪意と
脅威にさらされてきた直人と直也を、森はあたたかく迎える。戦いのあとのつかのまの休
息。
 そして直也は、みずからの内側にある救済の力をしっかりと見据え、運命をまるごと引
き受ける決意をかためる……。

   深夜のTVシリーズというすぐれて現代的な器から出発したNIGHT HEADは、人間の
  内なる宇宙に眠るチカラを起爆剤に、いま、サイエンス・フィクションの未知のフロ
  ンティアを切り拓きつつある。TVから活字、そして映画へ――多様なmedia/medium
  の声を借りて疾走する世紀末のサイキック・ヴィジョン。
   直也の瞳に映る漆黒の闇に、夜明けの銀色の光はまだ見えない。

 小説版「NIGHT HEAD」3巻に寄せた文章で、ぼくはかつてこう書いた。しかしいま、直
也の瞳はたしかに夜明けの光をとらえ、兄弟は人類を救済するための長くつらい道をしっ
かりと歩きはじめた。「NIGHT HEAD」の物語はここで幕を閉じる。しかし、直人と直也の
旅は終わらない――あなたのNIGHT HEADの中で二人が生きつづけるかぎり。