【ムヅかしい本を読むとねムくなる ローマ編】
 掲載誌:月刊アニメージュ(徳間書店)


【1】ヴァーナー・ヴィンジ『遠き神々の炎』(96年3月号)

「新世紀エヴァンゲリオン」にどっぷりハマっている。こないだなんか、買ったばっかの家庭用通信カラオケ端末、タイトーX‐55から「Fly Me to The Moon」(「残酷な天使のテーゼ」は当時まだX2000に入ってなかったのさ)をリクエスト、エヴァのビデオ映像の上に歌詞出して、そのテレビをバックにマイク握って歌ってる姿をSPA!の取材で撮影されてしまったくらいである。しかも、歌う大森の左どなりには、さるスジから入手した安室奈美恵のX‐55宣伝用等身大立て看板(笑) おまけにそれが自宅の居間ってんだからきっぱりバカですね。ってただの自慢ですみません。
 しかし私見によれば、95年のSFベスト3は、ソリトン、ハイペリオン、エヴァンゲリオン――のオンの字トリオ。まあダン・シモンズの『ハイペリオン』『ハイペリオンの没落』(早川書房)は二冊で五千円越えちゃうお値段なので、それだったらやっぱりエヴァのLD買っちゃうよなって問題はあるとしても、梅原克文『ソリトンの悪魔』を読み、エヴァ(とついでに「ガメラ」)を見なければいまどきの日本SFは語れないのである。
 では「ハイペリオン」以後のいまどきのアメリカSFを語るためにはなにを読めばいいか。
 その答えがヴァーナー・ヴィンジの『遠き神々の炎』(創元SF文庫)。93年のヒューゴー賞をコニー・ウィリスの『ドゥームズデイ・ブック』(大森が夏休みを捨てて泣きながら訳した本なので、買ってないやつはいますぐ本屋に走れ――といいたいところだが、なにしろハードカバー3500円なので、お年玉が余ってしょうがない人におすすめ)と同時受賞した大長編である。遺憾ながらSFとしては、『遠き神々の炎』のほうがはるかにおもしろい。
 どういう小説かというと、これは史上初のインターネットスペオペ。要するに、無数の異星人種族がひしめく超未来の銀河系情報ネットワークを、現在のインターネットを下敷きに空想してるわけですね。ごていねいにニュースグループがあったりするのも爆笑だけど、さらにすごいのが、「銀河の核から外のほうに行けば行くほどアタマがよくなる」という大馬鹿なアイデア。つまり銀河の内側より外側のほうが脳/コンピュータの処理速度がはやく、情報/宇宙船の伝達/航行速度がはやいというわけ。外の人はワークステーションで光ファイバー回線接続してるのに、内側の人は286のDOSマシンに2400bpsモデムとか、そんな感じですね。銀河中心方向に向かって旅をすると、だんだん船の性能が落ち、機械が壊れ、スピードが鈍ってくるという謎の宇宙。
 さらに、主役級で登場するイヌ型エイリアンたちがすばらしい。単独ではただの動物なんだけど、4匹から8匹ぐらいで群れをつくり、その群れが知性を持つ。各個体が超音波で会話することで思考が形成されるから、よその群れに近づくとうるさくてものが考えられなくなり、人格が崩壊しちゃう、したがって共同作業ができず文明が遅れている……というめちゃくちゃな設定。
 この世界を舞台に、邪悪な超越知性vs人類vs異星人同盟の三つどもえの戦いが……という波瀾万丈のストーリーで、まあそのわりに後半やや単調でダレちゃうもんだから大傑作にはなりそこねているものの、おもちゃ箱をひっくりかえしたようなにぎやかさで、95年のSFベスト5にはじゅうぶんランクインする出来でしょう。
 こういうタイプのおおらかで楽しいスペオペがもっと読みたいって人におすすめは、やっぱりへんなエイリアンががんがん登場し笑かしてくれるデイヴィッド・ブリンの大作『知性化戦争』(たぶん、お笑い系現代スペオペの最高峰)。ラリー・ニーヴン&ジェリー・パーネルの『降伏の儀式』(創元SF文庫)もいいぞ。
 一方、日本が誇る爆笑スペオペの最新ヒットは、去年デビューしたばかりの新鋭・高瀬彼方の〈ガニメデの赤い翼〉シリーズ。講談社ノベルスから岡崎つぐおの表紙でいきなり登場したこのシリーズ、いまんとこ12月に第三巻が出たばかり。吉岡平の〈無責任艦長タイラー〉やロバート・アスプリンの〈銀河おさわがせ中隊〉系列のユーモア・スペオペなんだけど、いぢめられ役の少年メカニックとやたら気が強い女パイロットを軸に「女王様とお呼びっ」ギャグを満載したのがミソ。新キャラ続々登場でますますパワーアップしつつある期待のシリーズで、ヤングアダルト系ノリノリ痛快SFを読みたい人には無条件でおすすめ。
 ってことでおれはこれからようやくかっこよさコンテストだ。じゃ。

●今月のハイパーリンク
 デイヴィッド・ブリンは現時点ではアメリカ最強を誇る娯楽SFの巨匠。デビュー一年の高瀬彼方は今後の活躍に注目。


【近況】
 61年生まれ。翻訳家。つまんねーとぼやきつつ忘年会の合間にドラクエVI中。



【2】京極夏彦『鉄鼠の檻』(96年4月号)

 こないだの冬コミでいちばん驚いたのは小野不由美〈十二国記〉本の大隆盛。新館2Fじゃフジミ本に次ぐ勢力で、オリジナルの(つまり小野不由美著の)新刊がもう一年以上も出てない飢餓状況を同人誌が埋めてるのかどうか、一年半前がウソみたいに栄えている。その割によこしまな本が少ないのは著者の人徳ってやつかな(笑)
 一方、綾辻行人をして、「でもミステリ系のやおいはヨコシマですよねえ」(小説すばる95年 月号カラオケ座談会)と嘆かしめたミステリ本方面では、京極夏彦本が着々と勢力拡大中。「京極堂」の文字を染め抜いた法被をユニフォームにしてるサークルもあるくらいで、冬コミに出てた京極本は新刊だけで10点以上、累計ではたぶん50点を越える。松本愛蓮さんとこのモーリシャスオルカンなんか、17の京極サークルを集めたアンケート本まで出してるという。
 ……といきなり先走っちゃいましたが、なんの話だかさっぱりわからんという読者のためにあわてて説明しておくと、京極夏彦は94年の夏に『姑獲鳥の夏』でセンセーショナルなデビューを飾った妖怪小説(?)家。既刊四冊は、古本屋兼陰陽師の中禅寺秋彦(通称・京極堂)、駆け出し純文学作家(バイトでカストリ雑誌に実話記事も書く)の関口巽、元華族の御曹司で超能力者(笑)兼職業探偵の榎木津礼二郎……の異常トリオを中心とするシリーズ。構造的には昭和二七〜八年を舞台とする本格ミステリ――なんだけど、膨大な蘊蓄とバリバリにキャラの立った登場人物たちが無理なく同居したうえで、うるさがたのミステリ読者さえ腰を抜かすアクロバティックな大トリックをフィーチャーする完璧な構成。京極夏彦はここ十年にデビューした中でもっとも重要な日本人作家だといっても過言ではなく、その人気も鰻昇り。
 おたく系商業誌がこの京極人気を見逃すはずもなく、昨年秋に出た『別冊ぱふ/活字倶楽部3』では京極ロングインタビューを掲載。この一月には、耽美雑誌界のアニメージュ(笑)、JUNEが、熱狂的京極マニアの柿沼瑛子をインタビュアーに起用してみっちり取材している(前記の愛蓮さんもなぜか同席してたらしい)。としまえんをロケ地にグラビア用写真も撮りまくったそうなので、京極おたくな人は刮目してJUNEを待てっ。
 ……なんてことやってるから、「新本格ファンはグルーピーみたいで気持ち悪い」とか陰口をきかれるんでしょうが(PANjA2月号参照)、いくら直木賞とっても、そりゃ藤原伊織の追っかけは出ないわな。肉体的外見も作家の才能のうち(笑)なので、ダヴィンチの美男子作家ランキングで二位につけた京極夏彦のサイン会に群がる少女たちに眉をひそめるのはただのひがみってもんである。
 といってもこの業界、外見だけで人気が出るほど甘くないのはいうまでもない。京極夏彦の作家的才能の底知れなさは、ネズミ年の年頭を飾った最新刊、『鉄鼠の檻』を一読すればたちどころに了解できる。ま、一言で「一読」といっても、新書判で八百ページ、四百字換算では千七百枚を越えるという、製本技術の限界に挑む大長編なので、へたすりゃ一週間がかりの大事業になっちゃうんだけど、京極夏彦にかぎっては、その長さが苦痛になることはありえないと断言できる。
 今回の舞台は、箱根山中に人知れず建つ謎の禅寺で、さながら禅宗版『薔薇の名前』という趣き。ミッシング・リンクさがしのホワイダニットなミステリとしても驚天動地の解決が用意されているのだが、むしろ「オウムの年」を総括するアクチュアルでスリリングな現代小説として読むのが正解かもしれない。いやもちろん、あいかわらずお茶目な活躍を見せてくれる榎木津探偵目当てによこしまな気分で読むのもいいけどさ。ちなみに今回のお話は、デビュー作『姑獲鳥の夏』との因縁が深いので、京極初心者の人には一作めから順番に読むこと。
 ところで、京極夏彦における"妖怪≠チてのは、むしろ(異常心理サスペンス的な)「現代人の心の闇」に名前とかたちを与えたものって印象が強いんだけど、やっぱり本物の妖怪が出てくる小説が読みたいって人には、小野不由美『東亰異聞』がおすすめ。ストレートな妖怪ハンティング物としては、講談社X文庫ホワイトハートの〈悪霊〉シリーズもポインツ高いっす。
 一方、よこしまな興味でミステリを漁ってる人には、実物の美形度でも作品の型破り度でも京極夏彦と一、二を争う麻耶雄嵩の『翼ある闇』を。がんがん探偵が出てきて楽しいぞ。個人的にはぜひ麻耶雄嵩本が読みたいのでひとつよろしく。

●今月のハイパーリンク
 小野不由美といえばなんといっても〈十二国〉ですが、今年は待望の新刊が読めそうです。麻耶雄嵩は、世紀の問題作『夏と冬の奏鳴曲』とその続篇『痾』も要チェックね。前者はせらむんネタ楽屋落ち大サービス中だ(笑)


【近況】
 これから徹夜で八方尾根行ってスキー。でも去年骨折した思い出のゲレンデだったり(笑)



【3】小野不由美『図南の翼』(96年5月号)

 行ってきました、2月11日の〈麒麟都市〉。小野不由美作品オンリーイベントってやつ。参加サークル約120、2フロアに別れた分かれた即売会場は妙齢の女の子の山で、男性率は1%未満、三十男の大森としては、「私だけが知っている小野主上のひみつ」を餌にいたいけな少女を篭絡する気力も出ない場違いぶりだったけど、それでもしっかり新刊はゲット。いちばん驚いたのは、2月5日発売の『図南の翼』本がいちはやく出てたこと。このパワーは見習いたいものである。
 いやそれにしても十二国人気の急騰ぶりはただごとじゃない。麒麟都市だって朝イチで直行したのに、一時間後には参加者多数につき入場制限実施。NIFTY-ServeのSFフォーラム読書館で2月13日にオープンした「〈十二国記〉を語る」会議室(FSF2 MES13)なんか、一週間で無慮300発言、ログ合計は文庫本一冊分に匹敵する。
 この〈十二国記〉は、その名の通り十二の封建国家から成る中国ふうの異世界(ただし、こちら側の現実世界とも関係がある)を舞台に流麗な筆致で描かれる独創的なシリーズで、レーベルこそヤングアダルト系だけど、現時点では日本最高の異世界ファンタジーにランクされる必読の大傑作。
 その最新作、『図南の翼』が、前作から一年半の長い長い空白を経て、ついに登場した。
 今回の主役は、『風の万里 黎明の空』で冷徹なリアリストぶりを発揮して、あの祥瓊をいぢめ倒した(笑)珠晶ちゃん。恭国の豪商の娘に生まれた彼女(12歳)が、王を失って荒廃する国情に業を煮やし、こうなったらあたしが王になってやるとばかり単身蓬山をめざす――というじつにシンプルな筋立てで、さしずめ「王になろうとした少女」というか、少女冒険小説/登山小説の趣き。結末は見えてるし、話の展開も一直線。なのにどうしてこんなに面白いのか。
 ファンタジーとしての〈十二国記〉の特徴は、異世界を律するルールが明確に定められ、あらゆる細部がそれに基づいて構築されていることと、このルールが物語と密接に結びついていることにある。麒麟が王を選ぶシステムから、社会制度、衣食住に至るまで背後にきちんと理屈があり、(SF方面じゃ「世界の背骨」などと形容する)、それを踏まえて物語が展開するから、凡百の異世界ファンタジーにありがちな「作者の自分勝手な思いつき」が入り込む隙がない。
 その分、ある意味ではきわめて理屈っぽいんだけど(登場人物陣も三原順の「はみだしっ子」並みに理屈好き)、このガチガチに設定された世界で生きるキャラたちの圧倒的魅力が小説の血となり肉となり、骨(=理屈)をすっぽり包みこむ。
 しかし、たんにキャラが立ってるだけじゃ、すれっからしの三十男の心を動かす力はない。個性的な登場人物たちが世界と格闘する、そのぎりぎりのせめぎあいから感動が生まれるわけで、『図南の翼』の結末の美しさもそこに起因する。あとはやっぱり最高にしびれる決めゼリフですか。
「――だったら、あたしが生まれたときに、どうして来ないの、大馬鹿者っ!」とかさ。十二国ファンにも陽子派と珠晶派に分かれるみたいだけど、綾波より惣流の大森としては、やっぱり口の悪さで珠晶をとりたい。それにしても、「不幸な供麒は初対面のときからポカポカやられてたのか〜」とか、シリーズ読者には今回もサービス、サービス!って感じで、おたく心もきっちりくすぐってくれるあたりが隅におけないよね。最大のサービスは、思いがけないところで(って考えてみれば全然思いがけなくないんだけどさ)再会させてくれる○○ですが、これは読んでのお楽しみ。
 いずれにしても、日本のヤングアダルト小説史上最強、和製異世界ファンタジーの最高峰を極める〈十二国記〉、未読の人はくれぐれもお見逃しなく。(ちなみにシリーズ既刊5点は刊行順に、新潮文庫の『魔性の子』(現実の日本が舞台の番外編)、講談社X文庫ホワイトハートの『月の影 影の海』、『風の海 迷宮の岸』、『東の海神 西の滄海』、『風の万里 黎明の空』です)
 さて最後に、もうとっくに読んじゃってるぜって人におすすめのハイパーリンクは、これまたヤングアダルト系和製ファンタジーの大傑作、氷室冴子の『銀の海 金の大地』。ようやく第一部が完結したので、一気読みには最適だ。また、〈十二国記〉で中国ネタにハマっちゃった人は、記念すべき第一回日本ファンタジーノベル大賞受賞作、酒見賢一『後宮小説』をどうぞ。スタジオぴえろ製作のアニメ版、「雲のように 風のように」にもいいけど、原作はもっといいぞ。



【4】久美沙織『頭痛少女の純情』(96年6月号)

 恋は遠い日の花火ではない。
 ……ってなサントリーオールドTVCFのナレーションが妙に身にしむ大森もふと気がつけば三十五歳、はじめまして中年((C)NHK)というか、人生折り返し地点なわけですが、だからといって思春期に大恋愛の経験があったわけでもなく、きみのためなら死ねる的色恋沙汰とは無縁の平穏無事な人生を歩んできたせいか、なんだか目がすわってるよこの人タイプの恋愛小説にはいまいち乗れないところがある。
 考えてみるとこの恋愛観は昔から変わってなくて、たとえば少女マンガなら吉田秋生の『夢見る頃を過ぎても』とか、わりにボルテージ低い系のラブストーリーが好きだった。ドラマチックな恋したいって気持ちはそりゃわからなくはないにしても、やっぱ現実はそんなもんじゃないだろうっていうか、いや自分と縁がないだけなんですけど。
 そういう激愛音痴の人間にとって、どういう恋愛小説ならぴんと来るのか。ってことで今月紹介するのは久美沙織の新刊『頭痛少女の純情』。
 もともとは七、八年前の季刊『Cobalt』に載った作品で、それがどうして今ごろ徳間文庫から出るのかは謎ですが、ま、そのおかげでこんなキュートな小説が読めたんだから徳間書店に足を向けては寝られないね。
 十代の頃から集英社コバルト文庫で活躍してきた久美沙織は、どっちかっていうとドラマチック型恋愛小説が得意な作家――だってご当人はけっこうドラマチックな人だし、旦那さん(波多野鷹氏)は今や本物の鷹匠だしさ――だと思うのだが、『頭痛少女』はそれと反対に、「あーなんとなくいいよね、この人」っていうそこはかとない「好き」が首のまわりに空気のようにまとわりつき、だんだんそれが重くなってくるパターン。
 カバーイラスト&挿画担当の藤臣柊子さんとの巻末オマケ対談に出てくる著者の言葉を借りれば、
「だから、これって、あたしにしては珍しく、しっかりリアルを描いてみたパターンなの。おとぎ話みたいなアコガレの家族とかでもなくて。おかあさんはスリッパ気にして噴火するし、出会った男はサルだし(笑)」
 ……って、これはまったくその通りで、なにしろ語り手=ヒロインの名前は田中康子(当人いわく、「気に入らない名前だ」)だし、彼女が恋に落ちる相手(兄貴の大学でおなじ研究室に籍を置く学生っていうありがちなパターン)ときたら名前が本田原幸一、あだ名は"ホンダワラ猿人≠ナすからね。
 いやもちろん、この種の生活感あふれるラブストーリーは、七〇年代末以降の少女マンガが開発したひとつのパターンではあるんだけど、小説でこういうことをやってくれてるのってわりとめずらしい気がする。
 脇をかためるのは、夢見る少女タイプでありながら突拍子もない行動でコミックリリーフの役割を果たす宗川万希子と、クールで頼りになる親友・水越きみえ。それぞれある種の類型ではあるにしても、テンポのいい会話と生きのいい描写のおかげで鮮やかにキャラが立ち上がってくる。一方、語り手の康子はといえば、内省的というか、自分の恋愛勘定を感情をつい醒めた目で見てしまう、恋にのめりこめないタイプ。このバランスが絶妙。
 しかも、小説の縦軸になるのは、少女たちを悩ます生理痛。タイトルの「頭痛少女」の頭痛ってのはつまりそういう意味なんだけど、作中ではこの生理痛がヒロインの恋愛観に重大な影響を与える。月経をこういう観点から描いた少女小説がいまだかつてあっただろうか。
 好きな相手とじゃなきゃセックスしたくないって思想自体は思いきり平凡でも、その結論にいたる論理がなんとも実利的かつ説得力ありまくりで、あたしゃ目からウロコが落ちましたね。親が持ってきた見合い話の相手の三高オトコを「もったいない」の一言で蹴飛ばすクライマックスは最高に痛快で、なぜ「もったいない」のかは、ぜひこの本を読んで学習していただきたいと思うわけである。いやそれにしても女の子はたいへんです。

●今月のハイパーリンク
「普段からじゅうぶん気をつけているのですが、それでもふいに、人を好きになってしまうことがあります」
 ……というあとがきの文句に思わずぐっと来たのが、薬師丸ひろ子×豊川悦司で映画化もされた江国香織の『きらきらひかる』。生活感はわりと希薄な小説なんだけど、ユニセックスなムードがけっこう好みだったり。
 しかし、リアルな恋愛小説といえば、やっぱり氷室冴子の名作『海がきこえる』ははずせない。何回読んでもいいっす。ラブストーリー的には続篇もポイント高い。ただし、オレの母校が舞台なもんで、身につまされすぎるのが難(笑)




【5】森岡浩之『星界の紋章』(96年7月号)

 この困難な時代に「SF作家」としてデビューすることは、それだけで尊敬に値する勇気だといっていい。
 いやまあ、昨年の日本SFの最高峰たる梅原克文『ソリトンの悪魔』(ソノラマノベルズ)でさえ、「SF的設定を使ったエンターテインメント」としてジャンルSFから強奪しようという動きがあるくらいだから(小説すばる5月号、北上次郎「現代エンターテインメントの新しい波」参照)、どんなハードSFを書こうと「SF作家」のレッテルを免れるのは簡単かもしれないが、ジャンルSF最後の砦たる早川書房の、かつては日本SF専門レーベルだった(と過去形になるところが悲しい)ハヤカワ文庫JAから、スペースオペラ三部作で長篇デビューしたとあっては、さすがに弁解の余地はないだろう。いまや日本唯一のSF専門誌となってしまったSFマガジンの、いまはもうなくなってしまったハヤカワSFコンテスト出身者である森岡浩之は、日本最後の(になるかもしれない)純粋培養SF作家である。
 ……と、のっけから悲愴感がみなぎってしまうくらい、新進SF作家・森岡浩之の背中には重いものがのっかってしまっているわけだが、だからといってデビュー長篇『星界の紋章』が悲愴な小説かというとまったくそんなことはない。それどころか、ヤングアダルト・レーベルの軽エンターテインメント系宇宙SFもかくやの一気通読痛快宇宙冒険小説なのである。
 舞台ははるかな未来。遺伝子改造によって宇宙空間に適応したアーヴと呼ばれる人類種族が銀河に一大星間帝国を築き上げている。そのアーヴの侵略軍が、惑星マーティンで平和に暮らしていた人類の末裔たちの前に出現する。彼らの圧倒的軍事力を目のあたりにして、マーティンの惑星政府は全面降伏を選んだ。政府主席ロック・リンは裏切り者の汚名を甘受し、アーヴ帝国に仕える惑星領主の地位を引き受け、帝国の貴族となる……。
 と、ここまでが背景設定。主人公は裏切り者ロック・リンの息子、ジント・リン。ハイド伯爵公子の称号を持つ十七歳のジントは、爵位を嗣ぐための義務をまっとうすべく、アーヴの星界軍に入るために帝都へと旅立つ。が、乗り組んだ巡察艦が、アーヴと敵対する〈人類統合体〉の艦隊から攻撃を受け、シントはアーヴ星間帝国皇帝の孫娘とふたり、連絡艇での脱出を余儀なくされる……。
 って粗筋を書いてるとまるで秋の新作TVアニメみたいだけど、SFの神は細部に宿る。モダンスペースオペラにふさわしく、宇宙戦闘を可能にする推進システムはもちろん、社会体制から風俗習慣まで、かゆいところに手が届く綿密な設定があり、「すれっからしのSFファンをうならせることも狙っています」というあとがきの宣言もダテじゃない。全篇に乱れ飛ぶアーヴ語のルビ(きっちりした文法があるっぽい)も雰囲気を盛り上げて、宇宙活劇の醍醐味を満喫させてくれる。
「エヴァ」の前半)がロボットアニメに対してやったことを、あるいは金子集介版「ガメラ」が特撮怪獣映画に対してやったことを、スペオペに対してやろうとしているのが『星界の紋章』である――と結論するにはまだはやすぎるかもしれないが、現代日本を代表するスペースオペラになるだけの資格と気迫はじゅうぶん。もちろん、この種の活劇にふさわしくキャラの魅力もばっちりで、とくに、第一巻のサブタイトルに抜擢されている「帝国の王女」こと、ラフィール翔士修技生こと、アブリアル・ネイ=ドゥブレスク・パリューニュ子爵・ラフィールのヒロインぶりは抜群。彼女の活躍が、綾波/惣流ファンの傷ついた心を多少は癒してくれるかも(笑)。
 いずれにしても、合計千二百枚の書き下ろしを三ヶ月連続で刊行するという『星界の紋章』三部作は幕を開けたばかり。一巻めは設定と人物の紹介に追われて、物語的にはまだプロローグの段階だから、これからが本番だろう。赤井孝美の表紙に惹かれて手にとった読者でもぜったいに損をしないクォリティであることは保証する。刮目して次巻を待て。

●今月のハイパーリンク
 貴族的社会を背景とするモダン・スペースオペラといえば、L・M・ビジョルドのマイルズ・シリーズがイチ押し。全米で各賞総ナメの圧倒的人気作家だけあって、キャラクターもプロットも申し分ない。中でも大森のおすすめは、主役のマイルズくんが艦隊の資金繰りに奔走する『親愛なるクローン』(創元SF文庫)。ユーモアスペオペファンは必読。
 対する日本のチャンピオンはご存じ「銀英伝」だが、最近の注目は、ソノラマから昨年デビューした新人、秋山完。第二長篇、『リバティ・ランドの鐘』(ソノラマ文庫)は、テーマパーク惑星の遊園地ロボットたちが宇宙の蛮族を撃退すべくレジスタンスに立ち上がる大活劇だ。




【6】麻耶雄嵩『あいにくの雨で』(96年8月号)

 麻耶雄嵩をご存じだろうか。新本格おたくを自認する大森がもっとも注目するミステリ作家、それが麻耶雄嵩である。いやもちろん、新刊が出たらその日のうちにとびついて読む作家なら、京極夏彦、竹本健治、笠井潔、綾辻行人、我孫子武丸、西澤保彦……とたくさんいるんだけど、その中でも麻耶雄嵩は別格。自分より八つも年下のこの作家がいったいなにを考えて小説を書いているのか、過去四冊つきあってきた今もさっぱりわからない。この「わからなさ」が麻耶雄嵩の最大の魅力。
 次々に予想を裏切る新作を発表してくれる作家ならほかにもいるが、ふつう、読み終えてしまえば、どういう意図のもとになにを考えて書かれた小説なのかは了解できる。ところが麻耶雄嵩にかぎっては、作品自体が謎のまま残りつづける。ある意味では究極のミステリ作家かもしれない。
 デビュー二作目で、新本格ミステリ史上最大の問題作たる『夏と冬の奏鳴曲』を書いてしまったという「奇蹟」が、作者に異形のオーラを与えていることはまちがいない。この小説がはらむ「謎」はいまだに新本格おたくのあいだで論議の的でありつづけているし、それに明快な解答が与えられることは、おそらく永遠にないだろう。直接の続篇として書かれた第三長篇『痾』は、残された謎を解決するどころか、さらに混迷の度合いを深める結果に終わってしまったし。
 ……というような情報を念頭に置いて、最新の第四長編『あいにくの雨で』を手にとった読者は、思いきり肩すかしを食わされることになる。「足跡のない密室」トリックをフィーチャーするこの小説は、(いきなり13章からはじまるという趣向はあるものの)中心的な事件に関するかぎり、どこからどう見ても、ごくふつうの(ガチガチの)本格ミステリなのである。トリック自体、独創的とはいいがたいし(だから最初にネタが割ってあるんだけど)、解決に意外性もない。著者が麻耶雄嵩でなければ黙殺されるべき小説かもしれない。
 熱心な麻耶ファンのあいだでも、「まあタイトルで謝ってるんだからそうめくじらたてなくても」と同情されてたりするくらいで、ぼく自身、
「麻耶雄嵩は小説を書く順番をよく知らないから、うっかり四作めに処女長編を書いちゃったんだよね。これが処女作ならなんの不思議もないでしょ」
 とか公言しているのだが、そういう小説を本誌で紹介するには訳がある。

 本書の舞台は、京都の田舎町・原瀧{はらたき}町。ここには崖瓜{がいら}、蒜田{さんだ}、芭濫{ばらん}の三集落があり――というところですでに爆笑するのだが――崖瓜と蒜田はなにかにつけて対立している(ダントツに辺鄙な芭濫は落ちこぼれ扱いで、ゴミ処理場を押しつけられたりしている)。主役の高校生トリオは、如月烏兎(当然、『夏と冬の奏鳴曲』以降のシリーズキャラクター、如月烏有と朝からぬ浅からぬ関係がある)、熊野獅子丸{ゆやししまる}、香取祐今{かとりうこん}。ちなみに祐今のお母さんの名前は香取禰彌で、ふたり合わせるとカトリ・ウコンネミ。しかも別れた父親の姓が牧場だったりするわけですね(笑)。
 探偵団顧問役の教師は矢的武志{やまとたけし}でその父親は矢的初範だし、ゼンダマンありイデオンあり県立地球防衛軍あり破裏拳ポリマーありの大盤振舞い。おまえは山本弘かといいたくなる特撮/アニメネタの嵐をカマしつつ、表面上はあくまでどシリアスのど本格。
 ま、もともとポワトリンネタとかセーラームーンネタを平然と使う作家なので(前作『痾』では、主要登場人物の名前が「わぴ子」だった)いまさら驚かないとはいえ、本誌読者にはやはりチェックが必要な作家であるといえよう(ほんとかっ)。
 個人的に気に入ったのは、サブプロットの学園陰謀話。生徒会機密漏洩事件をめぐり、極秘裏に捜査を開始した生徒会調査室(通称「クリーク」)がたどりついたスパイの意外な正体とは? ってほとんど「スケバン刑事」な世界が深刻な密室連続殺人と並行して語られるミスマッチ感覚は最高。いやほんと、いったいなに考えてのやら。謎。

●今月のハイパーリンク
「新本格第二世代」と分類される麻耶雄嵩より世代的には上になるけど、このところ講談社ノベルズ系新本格路線からは、注目作家が続々登場して目が離せない。突拍子もない設定のミステリを書き続け、三振かホームランか出てみるまでわからないスリリングさがたまらないのは西澤保彦。時間ループにハマった主人公が事件解決に奔走する推理作家協会賞候補作『七回死んだ男』は爆笑のバックスクリーン直撃ホームラン。
 かつて名古屋にその人ありと知られた同人誌マンガ家・森むくの作家デビュー作、『すべてがFになる』もおたく度が高い。とくにパソコン野郎は必読。


【近況】
 SFセミナーの企画で1年半ぶりに会った庵野監督にエヴァの秘密を直撃取材。でも時間が足りず突っ込みきれなくて残念でした。