26.永保寺観音堂 国宝第43号
所在地 岐阜県多治見市虎渓山町1−40 (JR中央本線多治見駅・東濃鉄道バス「虎渓山」・歩三分)
宗 派
山号寺名
臨済宗南禅寺派(禅宗)
こけいざん えいほうじ
虎渓山 永保寺
建築形式              いちじゅうもこしつき
正面三間、側面三間、一重裳階付、入母屋造、檜皮葺
建築様式 禅宗様(跳ね木の発明により、軒裏等が簡素化した特殊例)
こんりゅう  
建立年代
                    むそうねんぷ       しょうわ        かんのんかくこんりゅう
十四世紀。元禄十三年(1700)の夢窓年譜によると、正和三年(1314)に観音閣建立の記述が見えるが、近年の研究では別の建物との推論も有り、正確な年代は定かではない。
特 徴 優美な形態は正に禅宗様建築であるが、細部は一般的な禅宗様式とかなり異なった部分が多く庭園と融合した貴族住宅の趣がある。
             らんせきづみきだん                           しきがわら しはんじき
禅宗様の特徴である乱石積基壇がこの建物ではかなり大きな石積み、本来は敷瓦の四半敷土間となるべき室内床は板張りであり、天井も平らな鏡板張りとなっている。
                         でぐみ  でみつどぐみ              あまぐみ
軒裏も垂木を見せない板張り、組み物も出組、出三つ斗組を柱上のみに設ける疎組となるなど全体的に簡素な造りである。
歴 史                                     むそうそせき  むそうこくし
鎌倉時代末期、京都天竜寺など多くの禅宗寺院を開いた夢窓疎石(夢想国師)が、正和二年
                            めいさつ           ろざん  こけい
(1313)この地、長瀬山を訪れ中国禅宗寺院の名刹で名高い江西省廬山の虎渓の景色に似ている
                   げんのうほんげん  いおり       そうそう
ことから、虎渓山と名付け法弟の元翁本元らと庵をたてたのが草創とされている。
その後、足利将軍の庇護を受け、開山堂、観音堂などを初め多くの堂塔が建立され、
           けいだい        たっちゅう そうぼう
室町時代中頃には境内に三十余りの塔頭や僧坊を構えた。
                     ふうこうめいび
美濃焼の町、多治見市を見下ろす風光明媚な地に夢窓疎石作の名園「永保寺庭園」を持つ禅宗寺院の名刹である。
リンク 永保寺HP