7.東照宮本殿、石の間、拝殿 国宝第32号

                      ぎゃくれんこうらん
左側本殿、右側石の間(階段手摺りは逆蓮高欄)

        かのうたんゆう     きりん
拝殿 (襖絵は狩野探幽筆の竹に麒麟)
所在地 栃木県日光市山内(東部鉄道又はJR日光線、日光駅下車、バス10分)
祭  神 徳川家康(東照大権現)
建築形式                       はいめんこうはい    どうがわらぶき
本  殿 正面五間、側面五間、一重、背面向拝一間、銅瓦葺き
石の間 正面三間、側面一間、一重、両下げ造り、銅瓦葺き
                      いりもやづくり   しょうめん ちどりはふうつき
拝  殿 正面九間、側面四間、一重、入母屋造り、正面千鳥破風付き、
      向拝三間、軒唐破風付き、銅瓦葺き
建築様式 ごんげんづくり
権現造り                                            こんりゅう
京都北野天満宮、仙台大崎八幡宮と同じ様式。徳川幕府が全国各地に東照宮を建立し、
       しんかくか  とうしょうだいごんげん まつ
徳川家康を神格化、東照大権現として祀ったことから権現造りと呼ばれるようになった。
建立年代 寛永一三年(1636)
特 徴        じくまわり  じもんぼり        さんからど らんま こかべ  かちょうもんようちょうこく
柱梁などの軸周りは地紋彫りが施され、桟唐戸、欄間、小壁に花鳥文様彫刻をはめ込む。
    くろうるし         しっぱく            きんぎんまきえ ちんきんぼり きりがねざいく
全体に黒漆塗りを基調とし、漆箔(漆下地金箔貼り)、金銀蒔絵、沈金彫り、切金細工、
めいぼくぞうがん                  にじゅうおりあげごうてんじょう ごうぶち からくさひらまきえ
銘木象眼など多彩な技法をもちい、拝殿二重折り上げ格天井の格縁に唐草平蒔絵、
        かちょうじもんうきぼり
天井板には花鳥地紋浮き彫りを施す。
ちまき              はしらかしらぬきうえ      だいわ ぎゃくれんこうらん さんからど かとうまど
粽付き柱、詰め組の組み物、柱頭貫上に回された台輪、逆蓮高欄、桟唐戸、花頭窓など
禅宗様の細部形式を巧みに取り入れている。
    じくぶざい   ときん   しっぽうかざりかなもの
さらに軸部材には鍍金及び七宝飾り金物を施すなど、当時の芸術技術の粋を集め
そうごんかれい
荘厳華麗を極めた建築である。
歴 史 日光山一帯は奈良時代から平安時代初頭にかけて、山岳信仰の聖地であったがその後衰退していた。
けいちょう                     てんかいしょうにん
慶長十八年(1613)徳川家康の命を受けた天海上人(天台宗)が、一帯の管理に携わって
   りゅうせいき
から隆盛期を迎えることとなった。
げんな                                すんぷ     くのうざん
元和三年(1617)家康の一周忌を期に、二代将軍秀忠が駿府(静岡)久能山から
     いがい
家康の遺骸を移し、日光東照宮を創立した。
     かんえい                            ばくふさくじかた だいとうりょう
その後、寛永十一年(1634)から三代将軍家光の命により、幕府作事方大棟梁を勤めた
こうらぶんごのかみむねひろ かんとく          ぞうたい
甲良豊後守宗広の監督のもと、大規模な造替が行われ、寛永十三年(1636)主要な社殿
     せんぐう                   ひご
が完成し遷宮が行われ、以降幕府の手厚い庇護により約二十年ごと前後十九回に渡る
                  ひわだぶき
修理が施された。屋根は元檜皮葺であったが、承応三年(1654)銅瓦葺きに改められた。
リンク 日光東照宮HP