5.羽黒山五重塔 国宝第217号
所在地                   とうげ
山形県東田川郡羽黒町大字手向字手向7(JR羽越本線鶴岡駅から庄内バスで約1時間)
祭 神 おおくにぬしのみこと おおなむちのみこと でわさんざんじんじゃ  がっさん   いでは    ゆどのさん
大 国 主 命 (大己貴命)  出羽三山神社 (月山神社、出羽神社、湯殿山神社)
建築形式       こけらぶき
三間五重、柿葺
建築様式 和様
建立年代                           さいこん
室町時代前期 応安年間(1368〜1375)の再建と考えられている
そうけん       じょうへいねんかん     たいらのまさかど  こんりゅう
創建は平安中期 承平年間(931〜938)平 将 門 の 建 立と伝えられるが定かではない。
特 徴                         しらき
純和様の伝統的な手法を厳格に守った素木造りの外観が特徴となっている。
       しょじゅう(一階)             みてさき    ふたのき
高さ29m。初重に縁を設け、各重とも組み物は三手先、軒は二軒の構成。
    はしらま けんとずか こしなげし    つか
柱頭柱間に間斗束、腰長押の下に束をたてるなど、古式の技法を伝える中世五重塔
             のきしりん わんきょく
の代表的な例。また、軒支輪を湾曲にするなど、当時の最新技法も取り入れている。
歴 史                                    つきやまのかみ
出羽三山(羽黒山、月山、湯殿山)では、奈良時代後期より月山神を奉じ、平安から鎌倉
                          ほんちすいじゃくしそう   しんぶつしゅうごう しゅげんどう
にかけて盛んとなった神を仏の仮の姿とする本地垂迹思想により神仏習合の修験道(教団)が成立した。              しょうごいん        だいごじさんぽういん
全国の修験道は徳川幕府により、京都聖護院本山派、京都醍醐寺三宝院当山派の二派
 とうかつ       こらい   でわのくにはぐろさん     ひこさん
に統括されたが、古来よりの出羽国羽黒山と九州英彦山は特別に別派として公認された。
    そがのうまこ         すしゅんてんのう         はちこおうじ  えんのおずの えんのぎょうじゃ
開山は蘇我馬子に滅ぼされた崇峻天皇(592没)の子、蜂子皇子、又は役小角(役行者)
                  でんしょう
あるいは真言宗開祖空海との伝承があるが定かではない。
    しんぶつぶんりれい はいぶつきしゃく        どうしゃ
明治の神仏分離令(廃仏毀釈)により多くの堂舎が破壊されたが、この五重塔は破壊を免
                  ほうたい ぶっとう      さいじん まつ
れた。現在は出羽三山神社が奉戴し仏塔であるが祭神を祀っている。
リンク 羽黒山五重塔