流山市と相馬市


流山市と相馬市は、地理的に遠く隔たっていますが、実は共通の祖先を持つ兄弟関係にあります。
時は鎌倉時代、源頼朝と藤原氏との戦乱において、頼朝に味方して成果をあげたのが相馬師常です。
その功績により、下総相馬、印旛、岡田、猿島、葛飾の5郡と奥州行方郡66か村の飛地領を拝領し、 下総に居城を構え下総国一帯を治めました。
それからおよそ100年後の元亨3年(1323年)に、飛地領周辺での豪族の台頭が目立つように なり、これを平定するために相馬重胤が赴き、無事にこれを平定した後、奥州に移り、内政に腐心し、 兵馬を練り、東奥にその名を誇った相馬藩となって江戸時代まで栄えました。
昭和42年流山市の市制施行を機に、歴史の縁とそれまでの市民交流から友好親善都市となり、更に 緊密な友好と親善、産業、文化、社会、歴史等の交流を通じて発展するよう、昭和52年1月に姉妹 都市となりました。
このようなことから、流山市が相馬市から土地を譲り受け、平成3年に「流山市民ふれあいセンタ ー相馬ユートピア」をオープンしました。

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