雑誌「バディ」に掲載されたものから


覗きについて

1996年10月号に掲載

 

 僕は覗きが好きだ。「覗く」という言葉を聞くだけで性的ファンタジーが動き出す。でも覗きの達人ではない。それほどマメではないということだけなのだが…。

 僕は目だけの存在になれたらどんなにいいかしらと思うことがある。そうしたら、見たいものを飽きるほど見られる。それは、他人のしているマスターベーションやセックス、入浴シーンなどなんでもいい。基本的に本人が見られていると全く意識しておらず、見られるのを恥ずかしいと思っているものが対象だ。

 他人が了承していないことをするというのは、その人を支配するということだ。その人を無力化させ辱めるということほど僕の性的ファンタジーを刺激するものはない。視覚的なレイプのようなものだ。

 覗きは見ることの主体だけになることで、客体になることがあってはならない。相手に気付かれたらお終いなのだ。自分が客体化されてしまうと、こちらが辱められる可能性が生まれてしまい、こちらの絶対的優位性がくずれてしまうからだ。

 相手に対して見ることの絶対的優位を保つこと、それが覗きのもっとも大事なことだが、現実的には、それはとてもエネルギーのいる行為なのだ。

 そんなにマメでない僕は、せいぜい、豆粒大のビデオカメラをタイプの男の部屋にしかけて、そこから送られてくる彼のマスターベーションの映像を自分の部屋でモニターする。そんな状況を想像しながら、マスターベーションするくらいのことで我慢するしかない。

 ソニーかパナソニックあたりが出さないかしら、そういうの。


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