日々のあわわ

● Mail Magazine 日々のあわわ 2003年03月31日(月) 第64号

〜○。今日のあわわ〜〜○。〜○。〜〜○。〜○。〜〜○。〜○。〜

 アウトサイダー

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 桜もほころびはじめ、春の気配を日に日に身近に感じるようになりました。  今回は物思う春ということで、アウトサイダー・アートの「アーティスト」 (と言っていいのかなあ)、ヘンリー・ダーガーについてお話ししたいと思い ます。

 その前に、御存じの方も多いと思いますが、アウトサイダー・アートの説明 をします。「アウトサイダー・アート」という言葉はフランス語の「アール・ ブリュット」に対応する英語訳として作りだされました。「アール・ブリュッ ト」とは「加工されていない、生の芸術」という意味で、精神病患者の創作作 品を調査していたジャン・デュビュッフェによって、それらの創作に命名され た言葉です。それ以後、精神病患者に限らず、正規の美術教育を受けていない 人たちが、美術の制度の枠外で創作するものを指すようになりました。芸術作 品を創ろうとか、それを世に出したいと思う訳でもなく、ただ、内なる心の声 に導かれて、ひたすら何かを創ってしまうという感じでしょうか。

 先ほど、ヘンリー・ダーガーをアウトサイダーの「アーティスト」と言って いいのかと、書いたのはそのためです。なぜなら、ダーガー自身と作品が発見 された経緯を考えると、彼は自分の創っているものを「芸術作品」だとは思っ ていなかったし、ましてや創作活動を職業にしようとも思っていなかっただろ うと推測できるからです。

 さて、ヘンリー・ダーガーは1892年、シカゴに生まれます。物心つくかつ かぬうちに母は死に、ゆいいつの兄妹である妹はすぐに里子に出されます。父 が身体を壊したため、施設に預けられたダーガーは、12歳のときに感情障害 があるとされ、知的障害児の施設に入れられます。彼は19歳で施設を脱出、 シカゴに帰ってきました。それ以後、ダーガーは少し風変わりだけど無害な独 身男性として、特に人目を引くようなことはありませんでした。病院の皿洗い や掃除の仕事を50年以上続け、敬けんなカトリックでミサには欠かさず出席 し、1973年に81歳で亡くなりました。そんな彼が注目されたのは死後です。 ダーガーの住んでいたアパートの部屋の家主だったネイサン・ラーナーが、遺 品を整理しようと部屋をあけたのですが、そこで、大変なものを発見したので す。それはダーガーの書いた1万5000ページもの物語「非現実の王国として知 られる地における、ヴィヴィヴァン・ガールズの物語、子ども奴隷の反乱に起 因するグランデコ・アンジェリニアン戦争の嵐の物語」(以下「非現実の王国 で」)の原稿と300点あまりの物語の挿し絵、5000ページにも及ぶ自伝「私 の人生の歴史」でした。

 「非現実の王国で」は子ども奴隷を苦しめる悪の大人の国「グランデリニア」 と7人の美少女戦士、ヴィヴィアン・ガールズとの血みどろの戦いの物語。ダ ーガーはその物語のために、色鮮やかな挿し絵を残していました。ダーガーは 正規の美術教育を受けていないので、手法はすべて自己流。雑誌や広告、新聞 で気に入った少女の写真やイラストを切り抜き、トレースし、それに色をつけ るというやり方です。一見すると、素朴な「ぬり絵」のように見えます。とこ ろがそこで描かれていることが半端じゃない。「グランデリニア」の兵士とヴ ィヴィアン・ガールズや子どもたちとの凄惨な戦闘場面と虐殺シーンの数々、 しかも、少女たちの身体には小さな男性器がついていました。

 発見者のラーナーはさぞや度胆を抜かれたことでしょう。あの孤独なおじさ んが、単調な生活の合間にこんなものを作っていたなんて……。しかし、ラー ナーはシカゴ・バウハウスのアーティストでもありました。彼はダーガーの膨 大な遺品を「作品」として認め、部屋を保存し、世間に知らせることにしたの です。それ以後、ダーガーの「作品」は多くの美術ファンや研究者を虜にし、 2001年にはダーガーの資料館もできました。

 日本でも過去に何度かアウトサイダー・アート関連の展覧会などにダーガー の絵が展示されたことがあります。最近では、ワタリウム美術館(渋谷区神宮 前3-7-6)でかなり大規模な「ヘンリー・ダーガー展」(4月6日まで)が開催 されました。その展覧会に行ってきたのですが、ワタリウム美術館の展示場2 〜4階にダーガーの「絵」がめいっぱい展示されていました。今まで、画集や 雑誌記事などで何度も目にしていたものですが、やはり「生」は迫力がありす ぎます。素朴すぎる線、鮮やかな色使いで描かれる「非現実の王国」の一大戦 闘絵巻。時には奇妙な動物(聖獣みたいなものか?)や美しい花々の咲く平和 な楽園のような絵もありますが、それも戦争の前ふりだったりします。男性器 のついた裸の少女たちは、時には手足をもがれ、腹を割かれ、表情は苦悶に歪 んでいます。彼女たちも、トレースされる前は雑誌や広告などで可愛い服を着 て微笑んでいたのかと思うと、なおさら奇妙な感覚に襲われます。

 ダーガーの絵で多くの人の感心を集めたのが、少女たちに男性器がついてい ることでした。しかし、「作品」を見る限り、男性器にジェンダーやセクシュ アリティなどの意味合いを持たせていたようには感じられません。ただ、裸体 を描いただけ、という感じなのです。母や妹といった女性の家族がいなかった 上に、一生独身。生涯を童貞で終えて、女性の身体を見たことがなかったから、 少女の身体も少年時代の自分の身体と同じものだと思っていたのではないか、 などと言われています。

 そして、ダーガーの「作品」に魅了された後に、ふと我に帰ると、ある疑問 が心に浮んできます。

 「いったい、ダーガーはなぜ、このような物語と絵を残したのか? 何が彼 をここまで駆り立てたのか?」

 ダーガーは知的障害はなかったにも関わらず、少年時代の多感な時期を知的 障害児の施設で過ごさなければなりませんでした。当時の施設の環境と待遇は 劣悪だったらしく、それがダーガーにかなりのトラウマを与えたのではないか と推測されています。その推測が正しかったとしても、それが創作への衝動の 全てではないでしょう。

 もっとも、一番の謎であるこの問いかけは、たとえ、ダーガーが生きていて も、答えられなかったのではないでしょうか。周囲の人だけではなく、多分、 本人にすら理解できない情念に突き動かされて、黙々と「作品」を創っていた のですから。それがアウトサイダー・アートたるゆえんなのです。私たちは本 人からは何も解答を得られないまま、ただ、その「作品」に圧倒されるしかな いのです。

〜○。あわわ後記〜〜○。〜○。〜〜○。〜○。〜〜○。〜○。〜

 ワタリウムの「ヘンリー・ダーガー展」のような大々的な展覧会が日本で開 催されるのをどのくらい心待ちにしたことでしょう。こんなとき、長生きして 良かったとつくづく思います。たしか、1997年ぐらいだったと思いますが、 ダーガーの特集をしたアメリカのアウトサイダー・アートの雑誌「RAW VISI ON No.13」が欲しくて、ウェブ(http://www.rawvision.com/)を探し 出し、「バックナンバーの代金を国際郵便為替で払いたい(当時はクレジット カードを持っていなかった)ので日本までの送料込みの料金を教えて」とメー ルを出したこともありました。メールの返事が来たときには、電子メールの便 利さをつくづく知りました。返事には料金の回答のほかに「日本のアウトサイ ダー・アーティストを知らないか?」という追伸があったのですが、私の頭 に浮かんだのは山下清ぐらいだったので、それには返答できないままでした。

 次回は04月13日(日)を予定しています。

 どうぞ、よろしくお願いいたします。

                            真魚

                   e-mail:92104094@people.or.jp

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