日々のあわわ

● Mail Magazine 日々のあわわ 2002年04月09日(火) 第42号

〜○。今日のあわわ〜〜○。〜○。〜〜○。〜○。〜〜○。〜○。〜

プライド

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 最近、小林よしのりさんの「新ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論2」 (幻冬社刊行。以下「戦争論2」とします)を読みました。問題になった「新 ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論」(幻冬社刊行。以下「戦争論」としま す)の続編です。この本の内容については、つっこみたいところがいろいろあ るのですが、今回は多くのつっこみどころの中から一つあげてみましょう。そ れは、「戦争論2」に書かれているリヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカーさ んについてです。ヴァイツゼッカーさんはキリスト教民主同盟の党員で、統合 前の西ドイツの連邦議会議員、(西)ベルリン市長などを勤めた後、1984年、 大統領に選ばれ、90年には、統一ドイツの初代大統領になった方です。ヴァ イツゼッカーさんのお父さんは、ヒトラー政権下で外交官を勤めており、ニュ ルンベルク国際軍事裁判では懲役5年の判決を言い渡されています(実際は2 年ほどで釈放された)。ヴァイツゼッカーさんは弁護士の助手として、ヒトラ ー政権に外務次官として残ることによって政治の誤りをただそうとしたお父さ んの弁護活動に携わっています。

 「戦争論2」53ページに以下のような記述があります。

 「ワイツゼッカーは  『あれはドイツ人全体が負う責任ではなく  あの時代のナチだけが負う責任だ』と言って  現代のドイツ人全体に罪が被さってこないように  詭弁を使って守ったのである」

 私は、ヴァイツゼッカーさんがそんなことを言っていたとは、全く知りませ んでした。しかし、ヴァイツゼッカーさんがまったく逆のことを言っている演 説なら知っています。それは、まだドイツが東西に分断されていた1985年5 月8日、連邦議会でドイツ敗戦40周年にあたって、行われた演説です。岩波 書店から「荒れ野の40年 ヴァイツゼッカー大統領演説全文」というタイト ルで演説の全文が出ています。この演説は、いろいろなところで引用されてき たので、全文でなくとも、部分部分をご存知の方も多いと思いますが、あらた めて一部を紹介しましょう。引用は「岩波ブックレットNO.55 荒れ野の40 年 ヴァイツゼッカー大統領演説全文」からで、ページ数をしるしておきます。

「 罪の有無、老幼いずれを問わず、我々全員が過去を引き受けねばなりませ ん。全員が過去からの帰結に関わりあっており、過去に対する責任を負わさ れているのであります。過去に目を閉ざすものは結局のところ現在にも盲目と なります。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥 りやすいのです」(16ページ)

 「若い人たちにかつて起こったことの責任はありません。しかし、その後の 歴史の中で、そうした出来事から生じてきたことに対しては責任があります」 (35ページ)

 「若い人たちにお願いしたい。他の人々に対する敵意や憎悪に駆り立てられ ることのないようにしていただきたい。

 敵対するのではなく、たがいに手を取り合って生きていくことを学んでいた だきたい」(36ページ)

 演説から察するに、ヴァイツゼッカーさんは戦争責任について、「ドイツ人 に罪はない」などと言っていません。西ドイツの大統領に政治的権限は少なく、 象徴的な存在です。しかし、だからといって、いや象徴的存在だからこそ、 「ドイツ人に罪はない」などと言うような人が、周りを戦勝国に囲まれた国の 大統領でいられるでしょうか。また、85年の秋には西ドイツ元首として初め て、イスラエルを訪問していますが、そんなことが実現できたでしょうか。  ただ、この演説は簡潔な言葉で語られていますが、その背景にはドイツ国内外 の諸問題があり、含蓄が深いものになっています。翻訳した方も苦労したよう で、当時の国際情勢を注記したり、日本語でちょうどよい言葉がないときは、 原語のままにして註をつけたりしています。そういうせいもあるのか、時々、 演説を妙なふうに解釈する人もいるようです。

 8月5日の演説に感銘をうけたものとして、小林さんの発言はちょっと見す ごせないので、彼がこのような主張をする根拠はどこにあるのか知りたくなり ました。「戦争論2」の巻末には参考文献の一覧があるのですが、それらしい ものがありません。それで、また、図書館でヴァイツゼッカーさんの演説に関 して、異を唱えている批評や論文がないか調べてみました。すると、「『諸君 !』の30年 1969〜1999」(文藝春秋編。文藝春秋社刊行。以下、「『諸君 !』の30年」とします)のなかに、それらしいものがありました。

 「『諸君!』の30年」は文藝春秋社のタカ派オピニオン雑誌「諸君!」に 掲載された代表的な論文を集めたものです。そのなかに「ヴァイツゼッカー独 大統領謝罪演説の欺瞞」という西尾幹二さんの論文がありました。「諸君!」 の93年11月号に掲載されたものだそうです。そこに、以下のような一説があ りました。

 「『一民族全体に罪がある、もしくは無実である、というようなことはあり ません。罪といい、無実といい、集団的ではなく個人的なものであります』 (「荒野の40年」永井清彦訳。岩波書店)

 『集団の罪』を認めるのはともかく恐ろしい。罪はどこまでも個人的だとい うのは大統領だけでなく大半のドイツ人の代表意見である。つまり、罪あるの は、ナチ党幹部か、直接犯行に関係した実行犯のみであって、自分には関係が ない、という主張を言外に秘めているのが、罪は個人的で集団的ではないとい う言葉の意味である」

 小林さんの主張とそっくりです。西尾さんといえば小林さんのブレーンにな っている「新しい歴史教科書をつくる会」のメンバー。小林さんが西尾さんの 論文に影響された可能性は高いです。

 それにしても、この文章には大きな欠陥があります。それは、西尾さんがひ いている演説文の前に、西尾さんのおっしゃることを覆すような演説文がある からです。それは以下のような文章です。

 「(ユダヤ人を抹殺するという)犯罪に手を染めたのは少数です。公の目に はふれないようになっていたのです。しかしながら、ユダヤ系の同国民たちは 知らぬ顔をされたり、底意のある非寛容な態度をみせつけられたり、さらには 公然と憎悪を投げつけられるという苦難を嘗めなければならなかったのですが、 これはどのドイツ人でも見聞きすることができました」

 「目を閉じず、耳をふさがずにいた人びと、調べる気のある人たちなら、 (ユダヤ人を強制的に)移送する列車に気づかないはずはありませんでした」

 「良心を麻痺させ、それは自分の権限外だとし、目を背け、沈黙するには多 くの形がありました。

 戦いが終り、筆舌に尽くしがたいホロコーストの全貌があきらかになったと き、一切何も知らなかった、気配も感じなかった、と言い張った人は余りにも 多かったのです

 一民族全体に罪がある、もしくは無実である、というようなことはありませ ん。罪といい、無実といい、集団的ではなく個人的なものであります」(13ページ)

 この演説文をどう読めば、「罪あるのは、ナチ党幹部か、直接犯行に関係し た実行犯のみであって、自分には関係がない、という主張を言外に秘めている」 と言えるのでしょうか?  しかも、そのあとにはこう続くのです。

 「人間の罪には、露見したものもあれば隠しおおせたものもあります。告白 した罪もあれば否認しとおした罪もあります。充分に自覚してあの時代を生き てきた方がた、その人たちは今日、一人びとり自分がどう関わりあっていたか を静かに自問していただきたいのです」(16ページ)

 「新しい歴史教科書をつくる会」の方々には耳のいたい言葉でしょう。西尾 さんはこの論文の中で、かつて同盟国だったからといって、ドイツと日本の賠 償額を比べて、日本をおとしめる言い方があるが、それは間違いだといいます。 ドイツと日本では、当時の政治体制や植民地政策、国際的立場なども違ったし、 現在も違いはあるから単純には比べられない。そして、ドイツのホロコースト やアメリカの原爆投下をあげつらい、日本の戦争犯罪や植民地政策はそれとは 性質の違うものだからと、日本の罪科を軽減しようとします。これは、小林さ んの「戦争論」「戦争論2」にも共通する言い方です。

 たしかに、ドイツと日本の賠償は単純には比較できません。ドイツの賠償も 完全ではないし、協定などで統一後に繰り延べにされてきたものもあります。 ホロコーストも原爆も決して許せない、忘れてはならない大罪です。しかし、 だからといって、日本の戦争犯罪を矮小化できるものでしょうか? 西尾さん や小林さんのほうこそ、単純な比較で他方をおとしめるというやり方を使って いるとはいえないでしょうか。

 ヴァイツゼッカーさんの演説に関しては、西尾さんも私と同じ岩波書店のも のを使っているようなので、西尾さんが御自分が引用された部分以外の文章も 読んでいるでしょう。まさか、読んだけど意味が分からなかったとか? それ とも、読んではいたが意図的に曲げて解釈し、読者が演説の全文に当たること はないだろうと思って、書き飛ばしたのでしょうか。そうだとしたら、読者も ずいぶんとなめられたものです。

 もっとも、小林さんも「戦争論」や「戦争論2」で、読者が原典に当たるこ とがないとタカを括っているのか、資料を歪曲して引用し、強引な結論を書き 飛ばしているようなので、これが彼らのやり方なのでしょう。お粗末ですね。

 「過去に目を閉ざすものは結局のところ現在にも盲目となります」

 さきに引用したヴァイツゼッカーさんの演説のなかでも、一番有名な部分で す。小林さんや西尾さんには、この言葉はどう映っているのでしょうか? も っとも、小林さんや西尾さんにとっては、「大東亜共栄圏の崇高な理想や栄光」 を見ようとせず、戦争責任や賠償、戦争犯罪などを研究したりいいたてる人た ちこそ「過去に目を閉ざすもの」であり、サヨクや中国・韓国に乗っ取られる かもしれない「現在にも盲目」というふうに解釈しているのかもしれません。

〜○。あわわ後記〜〜○。〜○。〜〜○。〜○。〜〜○。〜○。〜

 小林さんは最近、「新しい歴史教科書をつくる会」と決別したそうです。

 彼らの親米的な態度が許せないのだとか。今後、小林さんは会のメンバーの 顔を醜くデフォルメして、内幕などを暴露したりするんでしょうか? 「新し い歴史教科書をつくる会」に担がれて以来、まともな人から相手にされなくな って久しい小林さんですが、今後、彼を持ち上げてくれるのは、どんなファン キーな人たちなんでしょう? ナベツネさんや藤岡信勝さんのように、かつて 左翼だった人間が転向して、おもしろいほどウルトラ右翼になったように、小 林さんは転向の転向で極左になったりして?

 次回は4月21日(日)を予定しています。

 どうぞ、よろしくお願いいたします。

                            真魚

                   e-mail:92104094@people.or.jp

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