これを見つけられたのはラッキーだったと思う。
不謹慎な云い方になるが、星新一、石森章太郎を失った今、
いつ小松左京も失ってしまうかわからない。
ものすごい作品があったものである。
惜しげもなく投入されたSF的アイディア。
1頁ごとというよりも、ほとんど1行ごとに襲ってくる sense of wonder の数々。
これまでのSFの歴史の集大成といっても過言ではない。
「II」までのあらすじを簡単に述べると、
突如、太陽系の 5.8 光年先に現れたSSに向けて、恒星間宇宙船に人工実存を乗せて探査に向かう、
という話で、「II」は、現地に到着して、いくつかの種族と遭遇し、SSからのコミュニケーションを受信したところで終わっている。
これだけだと、ごくありふれたストーリーのようだが、そのディテールが半端ではない。
まず、SSの大きさ。
円筒形で、直線部20兆キロ、直径部12兆キロ。わかりやすい尺度で云うと、1兆キロ≒1光年である。
これがかなりの速さで自転している(この意味は、わかる人にはわかる)。
また、背景の天体が透けて見えるが、一方、中心軸にはかなりの質量を持った物体の軸がある。
(ここで主人公が「昔、このような構造物のアイディアをどこかで読んだような気がする」と云っているが、
これは後の伏線になっていると思われる。
ちなみに、この構造物については、講談社ブルーバックス『SFはどこまで実現するか』ロバート L.フォワード、
に解説がある。)
このSSの探査に向かうのが「私」という人工実存(AE)である。
一方、このAEとは、まったく異なる観点から開発された人工実存が存在し、
このあたりは、ジャック・ロンドンの『影と閃光』を思わせる。
この人工実存の開発は一時行き詰まっていたが、技術的な break through を与えたのが、
天才言語学者ミシェル・ジェランによる「一般自然言語」で、これにより、
ありとあらゆる意味を持つ基本単位の連結について、その読解が可能となり、
これは、後の別の知性体との遭遇の場面でも威力を発揮する。
…… この調子で書いていくとキリが無い。
この文章だけ読んでいると、原作の要約と思えるかもしれないが、
原作では、1頁程度の中にこれらの概念が、更に濃密な形で描写されている。
この作品は現在中断しているが、小松左京の小説の場合、タイトルは、その作品の内容を、かなり直接的な形で示していることが多い。
では『虚無回廊』とは何を意味しているのか。
虚無へ至る回廊なのか、回廊が虚無なのか、「回廊」とはSSのことではないのか、……
『枕草子*砂の本』 |
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