この頁のタイトルの由来

(1997/04/02)

1.タイトルの読み方

タイトル『枕草子*砂の本』の「*」は「コンボリューション」
(フーリエ解析におけるコンボリューション(たたみこみ))
のつもりである。

『枕草子』と『砂の本』を『たたみ込む』

とは、何を意味しているのか?

2.『枕草子』

『枕草子』は、

からなる随筆集である。
いろいろな人のホームページを見ていると、
書かれている内容は、結局、このどれかの類型にあてはまっているように見える。
すなわち、

  1. (そのジャンルについて)網羅的に羅列しているもの
  2. 日記(ある特定の日に起こったことの記録)
  3. その人が感じたこと、思っていること、好きなものについての感想

等。これはまさしく『枕草子』の各章の分類と同じである。

逆に、上記分類を常に念頭においておけば、
自分が何かを表現する場合、その焦点がぼやけるようなことは起きないだろう。

3.『砂の本』

「砂の本」とはボルヘスの「砂の本」である。
それは、ページが順に並んでおらず、あるトピックの次にまるで関連のない話題が並んでいて、
全体の構成も定かでなく、全体のページ数自体も確定していない、
という不思議な本に関する物語である。

…… これはまさにネットワーク的な構造をもつハイパーテキストそのものではないか。

人の知識体系はリニアな構造にはなっていない。
さまざまな知識の関連からなる、ネットワークとして構成されている。
その知識を、文章として表現する場合、紙に書く段階で、リニアな構造に置き換えなければならない。
しかし、HTMLのリンクの機能を使えば、ネットワーク構造になっている知識を、そのままの形で表現できる。
そのように表現されたものを他者が辿っていく場合、次にどのリンクを選択するかについては、
完全に読者側の自由意志に委ねられている。
この状態は、ページの並び順がまるでばらばらであり、
次にどのような内容に繋がっているのかよくわからない
『砂の本』を読む行為と、まさに同じである。

清少納言とボルヘス。
前者はその感性の迸りを、
後者はそのありあまる知識の奔流を、
実際に表現する際には、紙媒体へ記述しなければならない、という制約があった。
それでやむなく思考の流れを切断して、リニアな構造に閉じ込めなければならなかった。

しかし彼らは、本当はそんなことはしたくなかったのではないか。
もし、ハイパーテキストによる自由な飛躍、という表現を手にしていたなら、
その感性、知識の奔流は、留まることなく、explosion していったはずだ。

4.コンボリューション(たたみこみ)

『枕草子』と『砂の本』。
この2つこそは、Webで自己を表現する者全てにとって規範とすべき存在である。
この2つの要素を取り入れようとするなら、その方法は、両者の足し算ではなく、掛け算でもなく、
あえて云うなら、その2つの要素をシャッフルするように、互い違いに織り込むような構造がふさわしいはずだ。
それが「コンボリューション(たたみこみ)」と表現した理由である。


  『枕草子*砂の本』  

E-mail : kc2h-msm@asahi-net.or.jp 三島 久典